番外編 不思議の国のミシェル 6
――それからのあたしたちは、もう言い様がないくらいラブラブだった。
としか、いいようがない。
あのベッドがあたしたちのすみかになって、朝じゃなくて夕方に目が覚めて、食事もぜんぶベッドで取るくらい。果物の食べさせあいっこをして、キスをして、またエッチになだれ込んで――。
三日目にようやくクラウドがあたしを離してくれて、あたしはあのプールで泳ぐことができた。もちろんあのプールはあたしたち専用。でなきゃあたしは泳げなかった。クラウドの口の跡が身体中、つきまくってたんだから。
泳いだあとは、クラウドが炭酸水と、フルーツが盛り付けられたドリンクを持ってきてくれる。
また、キスが落とされる。
いままでだって、さんざんしたのに。
スクナノ湖のキラキラ光る湖面を眺めながら、ワインやシャンパンを傾けて、シェフがつくってくれる創作料理のコースを味わう――なんて。
なんだか急に、自分がセレブの仲間入りをしたみたい。
そうして、かなり怠惰な数日が過ぎたころ。
あたしは、電話しているクラウドの、キレーな背中を見ながら目が覚めた。
また例のごとく、陽が沈むころで、上がるころではない。
クラウドの、シミ一つない綺麗な背中。男でこれだけ美形って、許しがたいよね、女としては。
下はゆるいコットンパンツ一枚だったけど、さっきまでこのベッドで、彼はあたしと眠っていた。もちろん、素っ裸で。
クラウドはしばらく話して、それから電話を切る。
あたしはルナにごめんねと言わなければいけなくなった。アンジェラのことと、クラウドの蜂蜜漬け攻撃で、あたしは親友のことをすっかり忘れていたのだ。
「ヤバい。ルナに電話するの、すっかり忘れてた」
「心配しなくていいよ。ルナちゃんは無事」
「えっ」
クラウドが室内備え付けの冷蔵庫から炭酸水を取り出す。ふたつの長いグラスに注いで、ライムをしぼる。それを持って、ベッドにもどってきた。
「いまのは、どこに電話してたの」
「警察」
クラウドはシンプルに言った。
「やっぱり、アンジェラは宇宙船を降りてはいないな」
嘆息気味に告げた。
「ほんとうにそうなら一大事だから、もう一度調査すると返ってきたけど、たぶんアレは、織り込み済みだな。ララが株主権限で、降船を取り下げたんだろう」
「ええっ!?」
「そのかわり、ルナちゃんには宇宙船のボディガードがついているし、なにかあったら、今度は宇宙船とララとの刑事事件になる。裁判沙汰――繰り返すが、さすがに、そこまでの事態には、ララがしないだろう。だからルナちゃんは心配いらない」
クラウドは、炭酸水を飲み干した。
「ルナちゃんは、K05区の椿の宿ってとこで、温泉を満喫してるよ」
あたしは目を丸くした。
「ルナから電話でもきた?」
「いや。ルナちゃんの方からは」
「じゃあなんで、ルナがK05区に旅行って分かるの」
「さあ。なんででしょう」
切れ長の目を細めて悪戯っぽく笑い、あたしに炭酸水をくれる。
あたしは携帯を確認した。
そこにはたしかにルナからのメールで、「いま、K05区の温泉に旅行に来ています! 温泉! ひゃっほう! おべんとうがうまい」と書いてあった。
「クラウドにも来たの? このメール」
「いや」
一体どうやって、ルナがK05区にいることを知ったのか。
さっきまで、彼は「ミシェル大好き、好き」を連呼していた甘すぎスイーツなただのL18男性だった。
急に心理作戦部になるから、あたしは困る。
「それより、ミシェル」
クラウドが作ってくれた炭酸水は、さっぱりしておいしい。起き抜けのノドにしみる。
「明日の夜、ムスタファさんの開くパーティーに出席しよう。正式な招待状をいただいたから」
「えーっ!? またあそこ行くの!?」
あたしはイヤだった。あんなに居心地の悪さを感じたのは初めてだったのだ。
「明日行くのは、ムスタファの私邸だよ。――もちろん、君のドレスは用意してある」
クラウドはそう言った。
「でも」
「でも?」
クラウドはあたしの隣に座った。
「ここのチケットを融通してもらった以上、ムスタファのパーティーに出席しないのは礼儀作法に反する。でも、俺は今、かなり迷っている」
クラウドが本気で迷っていそうなのは、あたしにもわかった。
「おそらく、アンジェラも、明日のパーティーには出席している」
「えーっ!?」
あたしの顔は、驚きと、困惑と――それから、0.000001ミリくらいの、歓喜がまじって、ずいぶん変な顔になっていたと思う。
「明日の催しは、おそらく、アンジェラのリリザ個展を祝うパーティーでもあるはずだ。ムスタファは、アンジェラの個展にも、出資者として名を連ねているはずだから」
「アンジェラの、リリザ個展……」
あたしはごくりと喉を鳴らした。
リリザに着いたら、ぜったいに行くと決めていた――。
「……そもそも、腑に落ちないことがあるんだ」
クラウドは、話をつづけた。
ララさんという株主は、もともとL系惑星群で多数の事業を経営している社長で、地球行き宇宙船の株主ではあっても、ほとんど宇宙船に乗ったことはなかった。
ゆっくり宇宙船旅行を満喫するような、そんなヒマはない人物らしい。たまに開かれるリリザでの個展のために、地球行き宇宙船を利用することはあっても、その程度のことだ。
もともと、自分の宇宙船で、リリザにも、マルカにも、E353にも行けるのだ。
「つまり?」
あたしはまだ、クラウドの説明ではわからなかった。
「つまりだな――結論から言うと、ララには、“地球行き宇宙船を降りるわけにはいかない、なんらかの理由がある”ってことさ」
「え?」
アンジェラのことで、任意の降船指示が出されたとき、ふつうならば、指示にしたがって素直に降りているほうが心証はいい。ララは、地球行き宇宙船に乗らなくても、リリザから先にも行ける――つまり、「絶対に」地球行き宇宙船に乗っていなければならない理由は、ないはずだ。
いままでだって、ほとんど地球行き宇宙船に乗ったことはなかったララ。
それなのに、下手をすれば「理事解任」の通達さえくるかもしれない危険を冒してまで裏工作をし、地球行き宇宙船に乗っていることを選んだ――。
「ララが、地球行き宇宙船の理事を解任される危機より、この船に乗っていることを選ぶなんて……」
なにかある、とクラウドはつぶやいた。
「あしたのパーティーには、ララさんも来るのよね?」
アンジェラの個展を祝うパーティーだとしたなら、必ずその人は来るんじゃないだろうか――あたしはそう思ったけど、そのとおりだった。
「ああ、来るだろう」
クラウドは眉を寄せた。
「どうするか。ムスタファには、事情を話そうか――多分、彼も状況は知っているだろうが、こうしてパーティーが開かれるってことは、ララとムスタファのあいだで、このあいだの事件は、もうケリがついているってことなんだ」
クラウドは立って、クローゼットを開けた。あたしはほとんど、悲鳴みたいな歓声を上げたかも。
そこには、クラウドがあたしのために用意してくれた、綺麗なスカイブルーのドレスや、宝石のついたネックレス、ミュール、バッグ――どれもこれも、あたしが好きそうなデザインの品物が、そろっていた。
「ちょ――すごい――結婚式みたい。なにこれ」
「結婚式だったら、最高だったな」
クラウドは苦笑して、まだ考え込んでいた。
あたしは、びっくりするくらい艶めいた、ドレスの生地を触った。スクナノ湖より色鮮やかで、すべすべの――。このネックレスは本物のサファイアだ。
あたしは興奮気味に聞いた。
「あたし、あした、コレ着ていいの!?」
「そのつもりだった」
クラウドは肩をすくめて、ベッドに腰を下ろした。
「美容室とメイクも予約済み――」
「ホント!!」
サファイアに手あかをつけてしまわないよう、ドレスの生地で持ち上げていたあたしは、ふと、おかしなことを思いついてしまった。
「――ね、クラウド」
「うん?」
「やっぱり、あたしは、アンジェラの目に入らないほうがいいんだよね?」
クラウドは黙ってあたしを見つめ、
「できるなら、ララの目にも、だな」
「ムスタファさんへの挨拶は、あたしが行かなくても平気かな?」
「え?」
「いや――だめか。あいさつしに行くんだもんね――」
あたしも頭を抱えてベッドに座った。
このドレスは着てみたい。プロのメイクにお化粧してもらって、このシンプルな髪形も手を入れてもらって。にわかお姫様になれる可能性は十分にあったのに――あたしはその権利を、放棄しようとしていた。
クラウドは小さく笑んで、聞いてきた。
「ミシェル」
「うん?」
「君が考えていることを、話して」




