番外編 不思議の国のミシェル 4
K08区に着いたのは、翌日のお昼過ぎだった。
あたしたちが到着したのは、目的地のコテージ「グリーン・ガーデン」ではなく、べつの場所だ。
クラウドが車を止めたのは広大な駐車場だった。右手にはスクナノ湖の青々とした湖面が見渡せる、セレブリティ専用のバーベキュー会場だった。
舗装された道を、スクナノ湖とは反対側に五分ほど歩くと、たくさんのひとで賑わっているパーティー会場が見えた。
今日がとてつもない快晴で、日差しも暖かかったせいもあるけれど、もうすぐ十二月に入るというのに、コートでは暑くなるくらいだった。あちこちで焚かれているストーブのせいもあるのかもしれない。
美味しそうなバーベキューの匂いがして、思わずおなかがぐうとなる。
クラウドが笑って言った。
「今日はとりあえず、挨拶だけだから。近くに美味しいイタリア料理店があるから、そこに行こう」
「う、うん」
白い花模様のゲートのまえに、ふたりの警備員が待ちかまえている。そのふたりとクラウドは、知り合いみたいだった。
「よう、クラウド」
「やあ、バーガス」
サングラスに、顔の下半分がひげもじゃのおじさんは、クラウドを見て手を挙げてくる。一応クラウドはポケットから身分証書を出して、彼に見せた。
「彼女か? 別嬪だな」
髭もじゃはろくに見もせずに、クラウドにパスカードを返した。クラウドは、「うん」とだけ返事をして――「ムスタファ氏はいるの?」と聞いた。
答えてくれたのはもう一人の、そっちも黒スーツにサングラスの――茶色い髪のイケメン。
彼はびっくりするほどイケメンだった。サングラスをかけていても、その顔が整っていると、十分にわかるくらい――。
「いるよ。――こちらロビン。クラウドが面会を求めてますが」
ロビンと言った彼はインカム越しにだれかと会話をし、それからあたしに手を差し出してきた。ものすごい笑顔で。
「お嬢さんは? 身分証明書」
「あ――あ、すいません」
あたしはあわててバッグを漁った。乗船証明のパスカードを出せばよかったのに、なぜか出してしまったのは、L77にいたころの運転免許証だった。あたしたちが住んでいた土地は、ローズ・タウンの中でも田舎だったので、車がないとどこにもいけない。
クラウドが止める間もなく、ロビンはあたしの運転免許証を受け取り、
「ミシェル・B・パーカー――ミシェルちゃん」
「え?」
「二十歳――ビックリ。女子高生かと思ったよ。でも、とても美しいな。綺麗だ。おさなく見えるのは、ショートヘアだからかな? 君、髪が長ければ、ぐっと大人っぽく見えるよきっと。世界の並み居る美女が、かすむくらいにさ」
――はっきり言おう。
L18の男性の口説き文句――ほぼ、女性に対する共通のご挨拶――は、まず最初は脳が認識しない――だいたい、「は?」って言葉が出てくるのは、あたしだけじゃないはずだ。
あたしが「は?」というより先に、クラウドがロビンからあたしの運転免許証を奪い取っていた。
「ミシェルはカレシ持ちなんだ。残念だな」
「気が変わることだってある。めのまえに、より魅力的な男が現れれば――」
「たとえ君が俺より魅力的に見えたって、女を何人も侍らせるような浮気性の男に、ミシェルはなびかない」
満面の笑顔だけど、ふたりとも、ちっとも目は笑っていなかった。
白いゲートを通り、セレブの群れに入った途端に、あたしはここに来たことを後悔した。
クラウドが、最初に「今日はワンピース着て」と言ってくれていなかったら、もっと恥をかいていたかもしれない。
クラウドは、これを予想して、そう言ってくれたのだ。
あたしは、いつもジーンズにカットソーとかTシャツだし、スカートもあんまり好きじゃないから、スカートも一枚くらいしか持っていないし、ワンピースも一枚きりだ。
クラウドが買ってくれた、ちょっとはよさそうなブランドのコレがなかったら、あたしは絶対あのゲートからこっちに入っていなかった。
視線が、とても痛い。
あたしは、どうしてこんなにじろじろ見られるんだろうと思っていたけど。
あまり視線が痛いので、ふっと顔をあげたら、あたしと同じくらいの年の子三人くらいと目があった。その三人が、目があった途端に「くっ」と声を押し殺して笑ったので、あたしは全身の血液が顔に集中してしまった。
「……ダッサ」
その小声ははっきり聞こえ――「だれ?」という囁きも聞こえた。耳は、それを皮切りに、いらない声まで拾うようになってしまい。
「……どこの商社のご令嬢?」
「クラウドさんといらっしゃるから、L18の方じゃないかしら」
「L18……。将校のお嬢様ではなさそうね。あの恰好では」
「アラ――あのサンダルは○×■じゃありませんこと?」
「新作かしら?」
「クラウドさんの恋人にしては――」
「そのブランドであんなデザイン見たことありませんわ」
「ええ? ――まさか」
こんなとき、クラウドが、あたしよりずっと大人なんだってことを実感してしまう。彼は、この空気に溶け込んでいた。白いブランド物のポロシャツも、スラックスも、腕時計も。長い髪をさっとまとめた格好でさえ、自然にセレブの仲間入りをしている。
あたしはブランドのことなんてわかりもしないけど、ここで黄色い声をあげておしゃべりしている人たちは、あたしの切りっぱなしの地味なブラウンの固い髪、アクセサリーのひとつも付けていず、よれた安物のサンダルを、あきらかに笑っていた。
(さっきのロビンって人は、よくあたしを、キレイだなんて言ったな)
一瞬、遠い目で空を見る。空のほうがあたしより、よっぽど美しく澄んでいた。
「ミシェル、気にするな」
クラウドは、あたしの手をぎゅっと握った。
「君に嫉妬してるだけだ。君が美しいから」
そう言って、あたしの髪の毛にキスを落とすと、声のないざわめきが、百倍になった気がした。
(あ、そうか)
性格が濃すぎるせいで最近忘れていたけど、クラウドは超絶美形だったのだ。
あたしは理解した。
(そりゃ、クラウドが彼女連れてくれば、騒がれるよね……)
理由がわかっても、視線が痛いことに変わりはない。
そして、あたしの服装が地味だってことも。
緊張と、いたたまれなさと、空腹で気が遠くなりながら、クラウドに手をつながれて――あたしは身の置き所のない子ネコみたいに――奥の、大きなパラソルがかかった、特等席へ向かった。
そこには多分――ムスタファと呼ばれる、このパーティーの主催者がいた。多分、というのは、あたしはこの時点で頭が真っ白になっちゃって、ろくにそのときのことを覚えていなかったから。
映画なんかでよく見る、氷の塊が彫られて、その中に冷やされている特別なシャンパン、いろんな果物で飾り付けられたグラス。見たこともない料理の数々。
少なくとも、あたしが日常いる世界では、ない。
クラウドが、「ご招待、ありがとうございます」とか、いつものヤバめ空気を一掃して、おとなの挨拶をしているあいだ、あたしはルナを越えるマヌケ顔でそこに突っ立っていた。
「すばらしいコテージでした。パンフレットを見ましたが、俺にはもったいないくらいの場所です」
「いいんだよ。あそこもだいぶほったらかしでね。本当なら、チケットなんか発行しなくても、いつでもつかってくれていいんだ、君なら。しかしまあ、決まりというものもあるしね」
「それこそ、もったいないお言葉です。景観が素晴らしかった。スクナノ湖が、一番青く見える場所だとか」
「そうらしいね。私は、見比べたことはないが――」
クラウドとムスタファさんの話は、しばらく続いた。そのあいだ、あたしはキッツイ視線に耐えながら、なんとか意識をべつのほうに向けていた。
ふだん見ることなんてない、芸術的な花の盛りようとか、クリスマス仕様の飾りとか、はるかに広がる、高原の緑とか。冬になったせいで、だいぶ茶色がかってはいたけれど。
「君が、ミシェルさん」
「あっ――はい! 今回は、ステキなチケットをありがとうございました!」
「楽しんでくれたまえ」
最後に、ムスタファさんが、あたしに握手を求めてきて、あたしはそれに応じて――場違いな訪問は、やっと終わった。
(やばい。バーベキューの匂いが……)
空腹で、倒れそうだった。
そのとき――あたしは。
一分でも早くここを出たい一心で、振り返った先に――クラウドより強烈な、運命の相手を見つけてしまった。
あたしは、その人がそこにいることが信じられなくて、あたしの見間違いかと目を疑って。でもやっぱりその人だと、確信した瞬間には、さっき笑われたことも、ここがどこなのかもすっかり忘れて、立ちつくしてしまった。
クラウドの、あたしを呼ぶ声も目に入らない。
あたしの、憧れの人が。
快晴の青空より、コバルトブルーに近いスクナノ湖より、あざやかに青い髪。
アンジェラがいた。
見間違うはずがない。
向こうでシャンパンを傾けている――真っ赤なドレスを着た、女性。
「……バカな」
クラウドも見つけた。絶句している。なぜここにいる――という顔だ。
あたしは、そのときは気付かなかった。
そう、アンジェラは、「宇宙船を降ろされた」はずだったことを。
あたしは、うっとりと彼女を見つめた。
信じられないほど美しい。
世界の並み居る美女どころか、空の青も、スクナノ湖の青も、かすむくらい。
アンジェラ。
あたしの、ガラスに対する運命を、変えた人。
L系惑星群最高の、デザイナー。




