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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
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375話 プラン・ウェディング 2


 アニタは結局、翌日まで起きなかった。


 日付をまたいで次の日、「しまった! 寝過ごした!」とベッドから跳ね起きたのは、午前十時も過ぎたころだ。


 キッチンに飛び込むと、ダイニングテーブルには、たくさんのサンドイッチとおにぎりが乗った皿が、半分以上なくなった状態で置いてあり、クシラとアルベリッヒが座ってテレビを見ていたのだった。


「やっと起きたか」

「おはよ、アニタさん」

「お――おはよ」

 アニタは席に着こうとしたが、クシラが(さえぎ)った。

「メシを食うまえに、顔ぐらい洗えよ」


 きのうもおとついも、暴れて醜態(しゅうたい)(さら)したアニタは、さすがにおとなしくなっていた。しずしずと洗面所に向かい、顔を洗って、ジャージ姿のままキッチンにもどってきた。


「みんなは?」


 屋敷がずいぶん静かだ。いつもなら、この時間帯はルナやセシルもいるはずなのだが、みんなでかけてしまったのか。


「先に、ルナからの伝言を」


 クシラは、クジラのイラストがついたマグカップを手にしていた。


「あんた、そのカップ、」

「ルナがくれたんだ。可愛いだろ」


 この屋敷によく来るメンバーの分は、専用マグカップがある。アニタも、ルーム・シェア初日に、ルナにマグカップをもらった。真砂名神社の大路の店で買った、美しいツルの絵がついた和柄のカップだ。今ではすっかりお気に入りのカップになっている。クシラの分まであるということは、クシラもこれから、ちょくちょく顔を出すようになるのだろう。


「あたしの精神的平和が……」

「なにか言ったか」

「いいえええ――あ、ありがと、アル」

「どういたしまして」


 アルベリッヒが、自分のベージュ色ウサギの絵がついたマグと、アニタのマグに、コーヒーを注いで持ってきてくれた。


「それで、伝言って?」

 アニタは、さっそくサンドイッチをつまんだ。


「おまえはメシを食ったら、風呂場で全身磨いてヘタクソな化粧はせずにいつものこぎたねえTシャツとジーンズで、応接間におとなしく座ってろとよ」

「いや、どう考えても、ルナちゃんが“こぎたねえ”とか言わないよね?」

「おれの個人的見解も混じっている」

「あんた、店どうしたのよ」

「船客がほとんどいなくなったんだ――昼間は恒常的にヒマだよ。客なんかこねえ。ニックのコンビニといっしょだ」


 ニックの名に、アニタはいきなり熱っぽいためいきを吐いて肩を落とした。アルベリッヒとクシラが、アニタの見えない位置で顔を見合わせる。


 昨日、料亭まさなでは、いつも通りの、なんの変哲もない別れのあいさつを交わして帰路についたが、鈍いアニタにも、さすがに多少の変化はあったということだろうか。


「アニタさんはさ――」


 アルベリッヒが、何気なさを装いつつも、微妙に緊張しまくった、固い声で聞いた。


「ニックのことは、好きじゃないの?」


 アニタはむしゃむしゃとサンドイッチを頬張り、深い深いためいきをついた。


「いや、もう、あのひとは“王子様”」

「――え?」


 意外な言葉に、アルベリッヒは目をぱちくりさせた。クシラも真顔になった。


「王子様よ――あんなステキな人。みんな、口をそろえてニックさんはどう? なんていうけど、あたしに釣り合うわけない。マジでそう思う」


 あのひとのことを考えると胸がいっぱい、と言いながらアニタは、さらに一口サイズのサンドイッチを一気に五つ、口に押し込んだ。


「顔はキレイで、背が高くって、明るくって、話し上手で紳士的でしょ? おまけにサイコーに優しくって、女の人が喜ぶ言葉とか、してほしいことが分かって――女の人がって言うより、あのひと、きっとすごく人を見てるのよね。だから、だれが何をしてほしいか、必要としているか分かるんだわ。天使の星のひとだっていうけど、ホントに、あたしには天使様なの。絵本に出てくるような、理想的な天使様。昨日は本気でビックリした。あの世に行くかと思った。助けに来てくれるなんて――もうなんていったらいいの? 王子様よ、王子様としか言いようがない。助けに来るタイミングがマジ神。もう、好みとか突き抜けて、つきあいたいとかなんて思わないよ――あたしじゃ釣り合わない。わかるでしょ? ボンクラと神よ? クシラだって、そう思うでしょ?」


「……そうか、そういうことか」

 クシラは、なぜか納得したようにうなずき、

「そうは思わねえが――ニックとおまえは、お似合いだと思うけどな」


「あんたは、いつもさんざんあたしのこと“うすぎたねえ”とか“下品”とかおとしめるクセに、なんでこんなときだけ真顔でそんなこというのよ」

 アニタは(にら)んだ。


「で、でも、俺も、ニックさんとアニタさんはお似合いだと思うけど――」


「アルまで!!」

 アニタは絶叫した。

「そうまでしてあたしを片付けたいの! うるさいから!? でも、ニックさんがあたしを恋人にするわけなんか、ないじゃない!」


 ニックも似たようなことを言っていたことを、ふたりは思い出した。


『アニーちゃんは明るくて、しっかりしてて、元気いっぱい。いっしょうけんめいなところが、ほんとに可愛いよ。宇宙船に乗ってから、無料パンフレットを毎号毎月、かかさず発行し続けるなんて、ふつうはなかなか、できないよ。たったひとりになってもやってきたなんて――そういう、健気(けなげ)で努力家のところも、支えてあげたくなっちゃう。僕は、そういうアニーちゃんが大好き。でも、彼女は魅力的だし社交的だから、モテるんだろうなあ……』


「おまえらは、互いにフィルターがかかりすぎだ」

 クシラは言った。

「ふたりとも、モテねえくせに、互いがモテると思い込んでいやがる」


「ニックさんの悪口は許さない。ね? いくらあんたでも、許さない」


 アニタは念を押し、クシラのマグカップを凝視した。さいわいなことに、例のエプロンは身に着けていない。


「ところで、あんたまでこのお屋敷に住むとか言わないよね?」

「するかバーカ。おれは他人にあわせて生活するのなんざ、まっぴらゴメンだ」

「よかった。あたしの精神的安定は守られる」

 アニタがホッと肩を落とした。

「なんだ。互いに好きなら、なんの問題もないわけだ」


 アルベリッヒが言ったところで、応接室のほうが急に騒がしくなった。みんなが帰ってきたのだ。シャイン・システムの扉の開閉音のあとに、人の話し声が聞こえた。


「あ、みんな帰って来――」


 アニタが立ち上がったところで、今度はアルベリッヒが言った。どことなくウキウキした顔で。


「アニタさん、早くお風呂に入って。ちゃんと髪も洗ってキレイにして、応接室に行こう」





 アニタは、ずっとクエスチョンマークを頭にくっつけたまま、浴室に移動した。


(なにかイベントでもあるの?)

 だれかの誕生日とか?


 アニタは考えたが、わからなかった。昨日、料亭まさなで、ルナが「プランW」とか言っていた気がするけれど。アニタは聞かされていない。


(やっぱり、だれかの誕生日パーティーかな)


 しかし、風呂に入ることを強制される意味が分からなかった。


(あたし酒くさい? におう?)


 たしかに昨夜はシャワーも浴びずに寝たから、風呂に入りたかった。いつもアニタをきつい汚い着たきりスズメの3Kだというクシラなら、風呂に入れというのはわかるが、アルベリッヒまで。


(やっぱ、酒くさいかも)


 アニタはジャージの匂いを嗅ぎ、言われたとおり、いつもより念入りに身体を洗って、髪を洗い、浴室を出た。そこにはリサがいた。


「リサちゃ、」

「ハイ♪ 出張サービスの美容師、リサです♪ ご指名ありがとうございまァす♪」


 アンジェリカの「出張ホステスの間違いじゃ」という言葉にツッコミを浴びせながら、リサは呆然としているアニタに、さっさとジャージを着るよう(うなが)した。アニタはやはり、不思議そうな顔をしながらジャージを着た。


 洗面所に、椅子とワゴンを置いて、即席の美容室をつくりだしたリサは、

「アニタさん、髪、ちょっと切ってもいい?」

 とアニタの洗い上がりの髪を触りながら聞いた。


「ええっ?」

「こだわりとかあって、このヘアスタイル?」

「う、ううん?」


 金と時間をすべて無料パンフレットの作成に使っているアニタは、髪も伸ばしっぱなし、放置しっぱなし。以前美容室に行った日が思い出せないほど過去だった。こだわりなど、それくらいむかしに捨ててきた。


「じゃあ、あたしが勝手にアニタさんに似合う髪型にしちゃっていい?」

「う、うん」


 そこからはリサの独壇場だ。アニタの伸ばしっぱなしのボサボサ髪をカットし、整え、トリートメントして、ブローする。

 いつしかアニタは、気持ちが良すぎて、寝ていた。

 

「アニタさん、起きて!」

「フゴッ……」


 アニタは、めのまえの鏡を見て目を疑った。そこには、自分のものとは思えない、ツヤツヤサラサラの黒髪を持った女がいた。


「!?」

「アニタさん、髪、相当いたんでるよ! 最後に美容室行ったのいつ?」

「記憶にありませんわ……」

「だろうね」


 リサは、アニタをつついて、椅子から立ち上がらせた。


「次、あたしの番ね」

 美容室セットの後ろには、簡易ベッドの用意があり、キラが腕をまくっていた。

「即席エステ、全身脱毛&お肌ピカピカ潤いコースでーす!!」

「ええっ!?」


 アニタが驚く間もなく、さっさとキラのエステがはじまった。そのあいだにも、サルビアとセシルが、せっせと美容室セットを片付けていく。切りっぱなしの髪を片付け、小道具をしまい、今度はワゴンにメイク用具が並べられていく。このワゴンは、いつもキッチンで使われているものだ。

 アンジェリカがリサとキラの助手役のようで、彼女は今度、キラのそばで脱毛クリームを用意していた。


「アンジェ、パッチテストしてからね」

「うん」

「い、いったい、なにがはじまるの」


 アニタはようやく聞くことができた。一度も手入れしたことのない肌に、脱毛クリームが塗られていく。

 エステなど、初体験だ。

 脱毛が終わり、いい香りのするオイルが背中に垂らされるまで、アニタは口を開けたまま、されるがままになっていたのだが、さすがに聞いた。聞くしかなかった。


「無料パンフレットの表紙撮影」

 キラがウィンクした。


「は!?」

「アニタさんなら飛びつくと思ったんだけど。アストロスのお姫様と、天使の結婚式がテーマ!」

「……!!」


 アニタは(よだれ)が垂れそうだった。取材ネタなら、まさしく垂涎(すいぜん)ものだ。だが――。


「お姫さま役は、セシルさんでお願いします!!」

「なにいってんの。あんたが身体を張りなさいよ」


 メイク道具を用意していたセシルが、寝そべったアニタの額を小突いた。


「あだじ!?」

 アニタは目を()いた。

「あだじがおびめざまなんで――ムググググ!!!」


「あなたはおとなしく、黙らねばなりません」

 サルビアが笑顔で、アニタの口を封じた。セロハンテープを、口の上に、バッテンの形に張る。


「サルビアさん、けっこう容赦ない……」

「姉さん、締めるとこは締めるからね」

 伊達にサルーディーバじゃない、とアンジェリカは重々しく言った。


「ハイハイ~♪ 時間がないからシャキシャキ行くよ!」

 リサがメイク道具を装備したワゴンを引きずってきた。


「エステ完了!」

「ホゴッ……! すごい、自分の身体じゃないみたい……」


 自らセロテープを取り、立ち上がったアニタは、身体を眺めて感激した。


「あとで衣装着てから、ボディ用のラメつけるから」


 せっかく艶めいた肌となったのに、一週間洗っていないパジャマ用ジャージに袖を通すのをさすがにためらったアニタに、ルナがちょうどよいタイミングで、バスローブを持ってきた。


「あ、ルナちゃん」

「お着替え!」

「はい」


 そしてふたたび、ぺぺぺぺぺと浴室を去っていく。


「はあ……なんか、セレブみたい」

「アニタさん、セレブ拒否症候群かもしれないけど、セレブとはほど遠いわよ。あたしたち、まだプロじゃないし」

 リサは言った。キラがつけ加えた。

「リサは美容師としてはプロだよ! まだ旅行中だから働けないだけでさ。美容師試験は受かったんだから。でも、あたしはまだエステティシャンの講習残ってるし、リサも、メイクはまだ資格取ってない」


「じゅうぶんだわ……ふたりともすごいよ」

 アニタは、感嘆しつつ鏡を見た。


「おお、アニタさん、ずいぶん変身したね」

 ミシェルが顔を出した。

「ミシェル、塗り入るよ~」

「おっけ」


 リサとミシェルふたりが、鏡の前に立った。


「あたし顔やるから、ミシェル、ネイルお願いできる? 足もね」

「まかせて」

「アニタさん、眉くらい整えようよ~」

「肌ガサガサ。キラ、なんかいいクリームない?」

「ちょっと待ってて」

「いやこれだめだわ。毛穴から対策しなきゃ」

「あたしの秘蔵の、すんごいスクラブ、持ってくる? 一気に消えるよ」


「あの、いや、マジでもう、じゅうぶんなのでは……」


 遠慮がちに言ったアニタに、サルビアが笑顔でセロハンテープを掲げたので、アニタはあきらめた。

 



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