375話 プラン・ウェディング 2
アニタは結局、翌日まで起きなかった。
日付をまたいで次の日、「しまった! 寝過ごした!」とベッドから跳ね起きたのは、午前十時も過ぎたころだ。
キッチンに飛び込むと、ダイニングテーブルには、たくさんのサンドイッチとおにぎりが乗った皿が、半分以上なくなった状態で置いてあり、クシラとアルベリッヒが座ってテレビを見ていたのだった。
「やっと起きたか」
「おはよ、アニタさん」
「お――おはよ」
アニタは席に着こうとしたが、クシラが遮った。
「メシを食うまえに、顔ぐらい洗えよ」
きのうもおとついも、暴れて醜態を晒したアニタは、さすがにおとなしくなっていた。しずしずと洗面所に向かい、顔を洗って、ジャージ姿のままキッチンにもどってきた。
「みんなは?」
屋敷がずいぶん静かだ。いつもなら、この時間帯はルナやセシルもいるはずなのだが、みんなでかけてしまったのか。
「先に、ルナからの伝言を」
クシラは、クジラのイラストがついたマグカップを手にしていた。
「あんた、そのカップ、」
「ルナがくれたんだ。可愛いだろ」
この屋敷によく来るメンバーの分は、専用マグカップがある。アニタも、ルーム・シェア初日に、ルナにマグカップをもらった。真砂名神社の大路の店で買った、美しいツルの絵がついた和柄のカップだ。今ではすっかりお気に入りのカップになっている。クシラの分まであるということは、クシラもこれから、ちょくちょく顔を出すようになるのだろう。
「あたしの精神的平和が……」
「なにか言ったか」
「いいえええ――あ、ありがと、アル」
「どういたしまして」
アルベリッヒが、自分のベージュ色ウサギの絵がついたマグと、アニタのマグに、コーヒーを注いで持ってきてくれた。
「それで、伝言って?」
アニタは、さっそくサンドイッチをつまんだ。
「おまえはメシを食ったら、風呂場で全身磨いてヘタクソな化粧はせずにいつものこぎたねえTシャツとジーンズで、応接間におとなしく座ってろとよ」
「いや、どう考えても、ルナちゃんが“こぎたねえ”とか言わないよね?」
「おれの個人的見解も混じっている」
「あんた、店どうしたのよ」
「船客がほとんどいなくなったんだ――昼間は恒常的にヒマだよ。客なんかこねえ。ニックのコンビニといっしょだ」
ニックの名に、アニタはいきなり熱っぽいためいきを吐いて肩を落とした。アルベリッヒとクシラが、アニタの見えない位置で顔を見合わせる。
昨日、料亭まさなでは、いつも通りの、なんの変哲もない別れのあいさつを交わして帰路についたが、鈍いアニタにも、さすがに多少の変化はあったということだろうか。
「アニタさんはさ――」
アルベリッヒが、何気なさを装いつつも、微妙に緊張しまくった、固い声で聞いた。
「ニックのことは、好きじゃないの?」
アニタはむしゃむしゃとサンドイッチを頬張り、深い深いためいきをついた。
「いや、もう、あのひとは“王子様”」
「――え?」
意外な言葉に、アルベリッヒは目をぱちくりさせた。クシラも真顔になった。
「王子様よ――あんなステキな人。みんな、口をそろえてニックさんはどう? なんていうけど、あたしに釣り合うわけない。マジでそう思う」
あのひとのことを考えると胸がいっぱい、と言いながらアニタは、さらに一口サイズのサンドイッチを一気に五つ、口に押し込んだ。
「顔はキレイで、背が高くって、明るくって、話し上手で紳士的でしょ? おまけにサイコーに優しくって、女の人が喜ぶ言葉とか、してほしいことが分かって――女の人がって言うより、あのひと、きっとすごく人を見てるのよね。だから、だれが何をしてほしいか、必要としているか分かるんだわ。天使の星のひとだっていうけど、ホントに、あたしには天使様なの。絵本に出てくるような、理想的な天使様。昨日は本気でビックリした。あの世に行くかと思った。助けに来てくれるなんて――もうなんていったらいいの? 王子様よ、王子様としか言いようがない。助けに来るタイミングがマジ神。もう、好みとか突き抜けて、つきあいたいとかなんて思わないよ――あたしじゃ釣り合わない。わかるでしょ? ボンクラと神よ? クシラだって、そう思うでしょ?」
「……そうか、そういうことか」
クシラは、なぜか納得したようにうなずき、
「そうは思わねえが――ニックとおまえは、お似合いだと思うけどな」
「あんたは、いつもさんざんあたしのこと“うすぎたねえ”とか“下品”とかおとしめるクセに、なんでこんなときだけ真顔でそんなこというのよ」
アニタは睨んだ。
「で、でも、俺も、ニックさんとアニタさんはお似合いだと思うけど――」
「アルまで!!」
アニタは絶叫した。
「そうまでしてあたしを片付けたいの! うるさいから!? でも、ニックさんがあたしを恋人にするわけなんか、ないじゃない!」
ニックも似たようなことを言っていたことを、ふたりは思い出した。
『アニーちゃんは明るくて、しっかりしてて、元気いっぱい。いっしょうけんめいなところが、ほんとに可愛いよ。宇宙船に乗ってから、無料パンフレットを毎号毎月、かかさず発行し続けるなんて、ふつうはなかなか、できないよ。たったひとりになってもやってきたなんて――そういう、健気で努力家のところも、支えてあげたくなっちゃう。僕は、そういうアニーちゃんが大好き。でも、彼女は魅力的だし社交的だから、モテるんだろうなあ……』
「おまえらは、互いにフィルターがかかりすぎだ」
クシラは言った。
「ふたりとも、モテねえくせに、互いがモテると思い込んでいやがる」
「ニックさんの悪口は許さない。ね? いくらあんたでも、許さない」
アニタは念を押し、クシラのマグカップを凝視した。さいわいなことに、例のエプロンは身に着けていない。
「ところで、あんたまでこのお屋敷に住むとか言わないよね?」
「するかバーカ。おれは他人にあわせて生活するのなんざ、まっぴらゴメンだ」
「よかった。あたしの精神的安定は守られる」
アニタがホッと肩を落とした。
「なんだ。互いに好きなら、なんの問題もないわけだ」
アルベリッヒが言ったところで、応接室のほうが急に騒がしくなった。みんなが帰ってきたのだ。シャイン・システムの扉の開閉音のあとに、人の話し声が聞こえた。
「あ、みんな帰って来――」
アニタが立ち上がったところで、今度はアルベリッヒが言った。どことなくウキウキした顔で。
「アニタさん、早くお風呂に入って。ちゃんと髪も洗ってキレイにして、応接室に行こう」
アニタは、ずっとクエスチョンマークを頭にくっつけたまま、浴室に移動した。
(なにかイベントでもあるの?)
だれかの誕生日とか?
アニタは考えたが、わからなかった。昨日、料亭まさなで、ルナが「プランW」とか言っていた気がするけれど。アニタは聞かされていない。
(やっぱり、だれかの誕生日パーティーかな)
しかし、風呂に入ることを強制される意味が分からなかった。
(あたし酒くさい? におう?)
たしかに昨夜はシャワーも浴びずに寝たから、風呂に入りたかった。いつもアニタをきつい汚い着たきりスズメの3Kだというクシラなら、風呂に入れというのはわかるが、アルベリッヒまで。
(やっぱ、酒くさいかも)
アニタはジャージの匂いを嗅ぎ、言われたとおり、いつもより念入りに身体を洗って、髪を洗い、浴室を出た。そこにはリサがいた。
「リサちゃ、」
「ハイ♪ 出張サービスの美容師、リサです♪ ご指名ありがとうございまァす♪」
アンジェリカの「出張ホステスの間違いじゃ」という言葉にツッコミを浴びせながら、リサは呆然としているアニタに、さっさとジャージを着るよう促した。アニタはやはり、不思議そうな顔をしながらジャージを着た。
洗面所に、椅子とワゴンを置いて、即席の美容室をつくりだしたリサは、
「アニタさん、髪、ちょっと切ってもいい?」
とアニタの洗い上がりの髪を触りながら聞いた。
「ええっ?」
「こだわりとかあって、このヘアスタイル?」
「う、ううん?」
金と時間をすべて無料パンフレットの作成に使っているアニタは、髪も伸ばしっぱなし、放置しっぱなし。以前美容室に行った日が思い出せないほど過去だった。こだわりなど、それくらいむかしに捨ててきた。
「じゃあ、あたしが勝手にアニタさんに似合う髪型にしちゃっていい?」
「う、うん」
そこからはリサの独壇場だ。アニタの伸ばしっぱなしのボサボサ髪をカットし、整え、トリートメントして、ブローする。
いつしかアニタは、気持ちが良すぎて、寝ていた。
「アニタさん、起きて!」
「フゴッ……」
アニタは、めのまえの鏡を見て目を疑った。そこには、自分のものとは思えない、ツヤツヤサラサラの黒髪を持った女がいた。
「!?」
「アニタさん、髪、相当いたんでるよ! 最後に美容室行ったのいつ?」
「記憶にありませんわ……」
「だろうね」
リサは、アニタをつついて、椅子から立ち上がらせた。
「次、あたしの番ね」
美容室セットの後ろには、簡易ベッドの用意があり、キラが腕をまくっていた。
「即席エステ、全身脱毛&お肌ピカピカ潤いコースでーす!!」
「ええっ!?」
アニタが驚く間もなく、さっさとキラのエステがはじまった。そのあいだにも、サルビアとセシルが、せっせと美容室セットを片付けていく。切りっぱなしの髪を片付け、小道具をしまい、今度はワゴンにメイク用具が並べられていく。このワゴンは、いつもキッチンで使われているものだ。
アンジェリカがリサとキラの助手役のようで、彼女は今度、キラのそばで脱毛クリームを用意していた。
「アンジェ、パッチテストしてからね」
「うん」
「い、いったい、なにがはじまるの」
アニタはようやく聞くことができた。一度も手入れしたことのない肌に、脱毛クリームが塗られていく。
エステなど、初体験だ。
脱毛が終わり、いい香りのするオイルが背中に垂らされるまで、アニタは口を開けたまま、されるがままになっていたのだが、さすがに聞いた。聞くしかなかった。
「無料パンフレットの表紙撮影」
キラがウィンクした。
「は!?」
「アニタさんなら飛びつくと思ったんだけど。アストロスのお姫様と、天使の結婚式がテーマ!」
「……!!」
アニタは涎が垂れそうだった。取材ネタなら、まさしく垂涎ものだ。だが――。
「お姫さま役は、セシルさんでお願いします!!」
「なにいってんの。あんたが身体を張りなさいよ」
メイク道具を用意していたセシルが、寝そべったアニタの額を小突いた。
「あだじ!?」
アニタは目を剥いた。
「あだじがおびめざまなんで――ムググググ!!!」
「あなたはおとなしく、黙らねばなりません」
サルビアが笑顔で、アニタの口を封じた。セロハンテープを、口の上に、バッテンの形に張る。
「サルビアさん、けっこう容赦ない……」
「姉さん、締めるとこは締めるからね」
伊達にサルーディーバじゃない、とアンジェリカは重々しく言った。
「ハイハイ~♪ 時間がないからシャキシャキ行くよ!」
リサがメイク道具を装備したワゴンを引きずってきた。
「エステ完了!」
「ホゴッ……! すごい、自分の身体じゃないみたい……」
自らセロテープを取り、立ち上がったアニタは、身体を眺めて感激した。
「あとで衣装着てから、ボディ用のラメつけるから」
せっかく艶めいた肌となったのに、一週間洗っていないパジャマ用ジャージに袖を通すのをさすがにためらったアニタに、ルナがちょうどよいタイミングで、バスローブを持ってきた。
「あ、ルナちゃん」
「お着替え!」
「はい」
そしてふたたび、ぺぺぺぺぺと浴室を去っていく。
「はあ……なんか、セレブみたい」
「アニタさん、セレブ拒否症候群かもしれないけど、セレブとはほど遠いわよ。あたしたち、まだプロじゃないし」
リサは言った。キラがつけ加えた。
「リサは美容師としてはプロだよ! まだ旅行中だから働けないだけでさ。美容師試験は受かったんだから。でも、あたしはまだエステティシャンの講習残ってるし、リサも、メイクはまだ資格取ってない」
「じゅうぶんだわ……ふたりともすごいよ」
アニタは、感嘆しつつ鏡を見た。
「おお、アニタさん、ずいぶん変身したね」
ミシェルが顔を出した。
「ミシェル、塗り入るよ~」
「おっけ」
リサとミシェルふたりが、鏡の前に立った。
「あたし顔やるから、ミシェル、ネイルお願いできる? 足もね」
「まかせて」
「アニタさん、眉くらい整えようよ~」
「肌ガサガサ。キラ、なんかいいクリームない?」
「ちょっと待ってて」
「いやこれだめだわ。毛穴から対策しなきゃ」
「あたしの秘蔵の、すんごいスクラブ、持ってくる? 一気に消えるよ」
「あの、いや、マジでもう、じゅうぶんなのでは……」
遠慮がちに言ったアニタに、サルビアが笑顔でセロハンテープを掲げたので、アニタはあきらめた。




