375話 プラン・ウェディング 1
「きたねえから、早く拭け」
「ホゲッ、オゴッ、ホッグ、……」
アニタは階段から降りても、クシラにいじられながら、ナキジンから借りたタオルで顔面を拭いていた。
「ホグア……だって、嬉しくって」
お姫様なんて言われたの、あたしの人生ではじめてだもん、とアニタは、やはり目と鼻と口から迸り泣いた。泣きすぎで、目はすっかり腫れぼったかった。
「すげえブスだな」
「お茶ぶっかけるよ!?」
クシラとアニタは、傍目から見ても仲がいいとは思えないが、アズラエルとグレンも似たようなものだ。
アニタたちが拝殿でお参りを済ませ、階段を降りてくるころには、雪が降りだした。
夜の神はいつのまにかいなくなり、ルナは天秤とZOOカードを紅葉庵に避難させ、みんなそろって降りしきる雪を眺めながら、暖かい店内に入った。
セルゲイは、夜の神がお帰りになられたとたんに、その場に卒倒した。だれも支えがなかったために、休み場の番傘を巻き込んで、ベンチの後ろにひっくり返った。
すぐ目は覚めたが、セルゲイは思い切り打った頭を撫でながら、
「こういうのって、神様にご意見してもいいのかな? 頼むから撤収するときは現在地を考えてくれって」
アストロスでは、海のど真ん中で撤収されたセルゲイである。彼はうらめしげに、頂上の拝殿に向かって言った。
「アニタは、社会部の記者だったって、ホントなの」
クラウドが聞いたことがきっかけではあったが、アニタは、宇宙船に乗る前のことをぽつぽつと話しはじめた。さすがの「元気な」ツルもくたびれたらしい。いつも軒並み急上昇のテンションは、平行になった天秤皿のように安定していた。
「ホゴッ! どこから聞いたの」
「カブラギ」
「ああ――そっか。うん。あたし、ほんとに社会部の記者だったよ」
「らしくねえよな」
ふふっとクシラが笑う。
「うっさい!」
アニタは全身でどついた。細いクシラは吹っ飛ばされそうと思いきや、揺らぎもしなかった。
アニタは、たしかに社会部の記者だった。L56の新聞社で記者をやっていた。ルナたちも知る、有名な新聞社だ。
「でも、あたし、社会部の記者になりたかったわけじゃないんだ」
ベンチに座って、足をぶらぶらさせながら、言った。
「漠然と、世界旅行に行ってみたいなって夢があったくらいで」
「それって、俺の夢と似ているね」
アルベリッヒが言うと、一時的にアニタのテンションは復活した。
「そう! そうなのよ――だからてっきり、アルは運命の相手かと――あああああ」
アニタは全身で悲しみを表現してから、もらったお茶に集中力をもどした。「やかましいヤツじゃのー」というカンタロウのぼやきは聞き流して。
「学校出てからすぐ、出版社に入ってね、ファッション誌の編集のほうにいたんだけど、」
「「「「ファッション誌!? アニタさんが?」」」」
遠慮のないツッコミに、アニタは分かっていたと言わんばかりの顔をし、
「それ、だれにいってもそういう反応だからね~、まあいいや。あたしはこのとおり、むかしっからかまわない性格だったから。すこしはセンスが身に着くかなって思って入ったんだけど、その会社にいたの、結局三ヶ月だからね」
「あわなかったの?」
キラが聞くと、
「入社してすぐ、先輩に連れてってもらった合コンで、カレシはできなかったんだけど、おもしろいヤツだってあたしを気に入ってくれた人がいて。あたし物怖じしないし元気だし、体力ありそうって――それだけが取り柄だけどね。それで、そのひとの勤めてる新聞社の社会部の記者になったの」
「……その先輩が、アニーちゃんが地球行き宇宙船に乗る理由になった、先輩?」
「うん」
アニタは、ニックの言葉にうなずき、
「あたし、それなりに記者やってたんだけど、その先輩に失恋して、会社辞めたの」
「その先輩が、ゲイだったと」
クシラが笑い、
「っそおおおおおなのよおおおおおおお!!!!!」
アニタは自分と体格が変わらないクシラを、ぶんぶんぶんと揺さぶった。
「高校のとき好きになった先輩もゲイ! ぜったい運命の相手だと思ってた、その社会部の先輩もゲイ! アルもゲイのクシラに取られた――ぜったいなんか呪われてるのよあたし――!!!」
「ゲイの呪いは解けたよな、とりあえずは」
メンズ・ミシェルの言葉に、皆はうんうんとうなずいた。
「ホントに、呪い解けたのかな~、あたしの運命の相手はいずこ」
アニタのつぶやきに、全員が「!?」という顔をし、隣のニックを指さすのだが、自分の世界に入ったアニタは気づいていなかった。ニックはニックで、「お茶おかわり~!」と呑気な声をあげている。
アニタは、勝手に話しはじめた。
「そうそう――先輩に振られて、ドン底で。あのときはもう、五年越しの恋が破れた瞬間だったから。ものすごいメンタルやばくて、会社辞めて、マンション引き払って、実家にもどったの。そいで、地球行き宇宙船に乗った」
「ずいぶん飛んだな――チケットが当たったってことか?」
アズラエルが聞くと、アニタは首を振った。
「ううん。叔母さんが買ってくれたの」
アニタの言葉に、ほとんど全員が仰天した。
「マジ!?」
「アニタさんって、セレブ!?」
「あ、でも、L56出身だもんね」
キラやリサが口々に言うと、アニタは苦笑しつつ首を振った。
「うちは――てか、うちの両親は、そんな貧乏でもなければ、裕福でもないっていうか――L5系では下のほうかも。実家っていうか、本家はL66。あたしんちはたいしたことないんだけど、パパのお姉さんふたりが、ものすごい実業家なわけね」
アニタは気を取り直して話をつづけた。
「L55に本社があって、L06とか、主にL6系でリゾートホテル経営してるの。あたしのパパは末っ子の弟で、お姉さんふたりに甘やかされて育ってるから。会社も、上のお姉さんの会社に籍を置かせてもらってて、あんまり、仕事ができるってタイプでもない。でも、そのふたりのお姉さん、つまりあたしからしたらおばさんね、すごいんだ。あたしが住んでたうちは、下のおばさんに買ってもらった物件だし、固定資産税とか家のメンテナンスも、みんなおばさん持ち。ママの誕生日にって、高級車とか、避暑地の別荘とか、ポンとくれちゃうようなひとたちなの」
「す、すごいわね」
リサが羨ましそうに言ったが、アニタはうんざり顔でつぶやいた。
「あたしは、そんなパパとママが、思春期のときはものすごく嫌いでさ……自分では、なんの努力もしない人たちなの。ママは、生まれてから一度も働いたことがないお嬢様。家事もpi=poや家政婦さん任せだよ? あたし、ママの手料理なんて食べたことない。パパだって、遊んでばっかり。いつからだったかな……このひとたち、おばさんたちがいなきゃ、まともに暮らしていけないんじゃないかって、不安になったのは」
「……」
「まあ、ウチの親の話はいいけど、それで、あたしが会社辞めて家に帰ったら、上のおばさんがいて。会社辞めたならちょっと旅行でも行ってきなさいよって、地球行き宇宙船のチケットをくれたの」
「ええっ!?」
「それって、ちょっと旅行行ってきなさいって感覚なの」
さすがに、ルナも声を上げた。アニタはふたたび苦笑した。
「おばさんたちのなかでは、そういう感覚なの。おばさんたちだって、何度か乗ったことあるんだよ、この宇宙船に。パパとママは、地球行き宇宙船に乗って、リリザまでが新婚旅行だった。もちろん、地球に行くのが目的じゃないよ? あ、あとね、上のおばさんは、数年に一度、カレシとこの宇宙船のレストランに食事にくるの。数年に一度しか予約が取れないからね。記念日っていって――」
「ちょ、ちょい待ち! レストランで食事するためだけに宇宙船に乗るの!?」
キラが叫び、リサが湯呑を落とすところだった。
「億単位のおカネ払って!?」
「や、ううん? なんかね、この宇宙船の株主と知り合いだから、株主優待とかで、半額?」
「それでも、四千万超だよね」
アンジェリカもつぶやいた。
「いるよ? そういうひと。けっこうザラにいる」
サルディオーネとして、富裕層の人間と関わることが多いアンジェリカは、分かっていた。
ルナは、以前グレンが話していたことを思い出し、グレンを見たが、グレンは「だろ? そういう奴もいるんだよ」と言わんばかりに肩をすくめただけだった。
「あたしは、おばさんたちからは、ほとんどプレゼントをもらわないできたから、かわいくない子だと思われてた。でも、そのときばかりは、ありがたく受け取ったの」
世界を回りたかった夢もあったが、親への反抗心もあって、地に足の着いた生活をするために出版社へ入社し、新聞社に移籍した。学校を卒業して、L5系の人間なら、だいたいエスカレーター式で入る大学にも行かずに仕事につき、九年目。
転機かなあと、アニタはぼんやり考えた。
「いつものあたしだったら、ぜったい反抗心で『いらない』って言ってたかもしれない。でも、失恋でけっこうダメージ受けてたし、傷心旅行に行きたかった。あたしがいらないって言っても、どうせ親が行くか、おばさんが食事に行くだけなんだって思ったら、なんか、ハラが立ってきて」
アニタは熱弁した。
「ふつうに新聞社で、朝から晩まで働いて――徹夜で取材先につめてフラフラになってさ――それで、この宇宙船のチケットを買える金額まで貯めるの、どれくらいかかると思う? 何十年単位だよ?」
「……」
ルナは、アンをこの宇宙船に乗せるために、金を貯めつづけたオルティスのことを思い出していた。
「それを考えたら、意地を張るのもバカらしくなって」
リリザに行きたいだけの両親、食事をしに行くだけのおば。どうせ、おばにとっては、こづかいでも渡すような感覚なのだ。だったら自分が行こうと思った、とアニタは言った。
むかしから、世界を見てみたかった自分。地球に興味がある自分が乗ったほうが、チケットにとってもいいような気がして。
「でもあたしは、ひとりで乗りたかった。ゆっくり自分のことを考えるひとり旅がしたかったから。一席分売ったの」
「一席分、売ることなんてできるの?」
ロイドが聞いた。
「できるみたいよ。やっぱり、貴重なチケットだから、ほんとうにいっしょに乗る方はいませんかってしつこく聞かれるけど、どこまでもいないっていえば、一席分だれかに譲渡するのは可能みたいで――それは、最初のあたしの役員が手配してくれてる。だれに渡ったかは、聞いてないなあ」
そいつは、クシラの話によればクビになったそうなので、もう話は聞けないだろう。
「なんか、いろいろ大変なことが終わったあとに、こんなところで身の上話してるなんて、あたし殺人ドラマの犯人みたいじゃない……」
ふごっ! とへんな音がしたかと思ったら、ロイドが吹き出していた。
昼をだいぶ過ぎたころではあったが、まだランチの時間には間に合う。みんなそろってぞろぞろと料亭まさなに移動して、遅い昼食を取った。もちろん海鮮丼ランチを。
ここで海鮮丼ランチを食べてアニタとデートをするのは、ニックの夢だったのだ。
ピエロとキラリは爆睡中――帰ったら、おなかがすいて盛大に泣きだすことは間違いなかったが、おかげでおとなたちは、ゆっくりと食事をすることができた。
アニタもニックも幸せそうだったが――ルナたちには、特にリサには分かっていた。
ふたりは、まだまだ、仲のいい友達の域を出ていない。
さっきのアニタの台詞もある。
――あたしの運命の相手はいずこ。
階段を上がれなくなっていたのを助けてくれて、お姫さまあつかいしてくれたニックに多大なる好意は持っているが、まだ、うらめしそうにクシラとアルベリッヒを見ているのだ。
「う~ん、まだ、くっついたとは言えない」
「そだね。まだだね」
ルナも座った目でふたりを見つめていて、アンジェリカにマグロをくすねられたことにも気づかなかった。
「どうして? ニックの押しが弱いから?」
「ニックがああいうほんわか系で、アニタさんも色気ってものに98・08パーセント欠けてるからよ」
「リサ、その中途半端な数字、どこから出てきた」
レディ・ミシェルとリサは、観察しつつも、手際よく箸で刺身を口に運んだ。旬の魚が彩りよく並んでいる海鮮丼を――。
クシラがアルベリッヒのほっぺたについたご飯粒をつまんでやるという、王道なイチャイチャが繰り広げられていたが、アニタは歯噛みするだけで、海鮮丼をがっついていた。二日酔いだろうがなんだろうが、いつでも食えるというのはほんとうらしい。
ルナがやっと気づいた。
「マグロがない!」
「かわりに、いくらごっそり置いといた」
「いくら!」
アンジェリカのどんぶりのいくらとルナのマグロがトレードされていた。ルナはしあわせそうにいくらを頬張った。
「ルナ、いくらで満たされてる場合じゃないわよ! まだ終わってないの!」
リサは言い、ルナにイカを分け与えた。
「イカあげるから! 頭を働かせてよ!」
ルナは遠慮なく、イカをもらった。
「うん! でわ、プランWを実行します」
「プランW?」
クラウドが真っ先に反応したが、ルナの言葉にうなずいたのは、リサとキラとレディ・ミシェル、サルビアとアンジェ、セシル親子とサルーン――つまり、アニタ以外の女子だけだった。
「待ってました!」
キラが立ち上がって叫び、
「プランWですわね!」
サルビアも嬉しげに言った。
「腕が鳴るわ!!」
リサもいきなり腕をまくり――なにも知らないアニタだけが、クエスチョンマークをかかげたまま、キョロキョロと周囲を見回していた。
「さーっ! 今日からこの部屋、男子禁制だからねっ」
リサが応接室のドアに張り紙をした。
「入っていいのは、ごはんをつくってくれる男性陣だけ! つまり、アルとアズラエルくらいね!」
「プランWの内容を、ぜひ聞きたいんだが……」
クラウドは粘ったが、断固としてリサは口を割らなかった。
「ぜんぶできたら分かるわ! とにかく、あとはよろしく!!」
そういって、これ以上の追及を逃れるように、応接室に入った。
「ピエト、今日だけピエロを見ていてくれる?」
「まかせろ!」
ルナがピエロを託すと、ピエトは威勢よく叫んだ。
「冬休みなのに、校長先生が俺を勉強漬けにするんだ。さすがにくたびれてきたよ……俺も休みてえ」
ピエトは言い直した。
「つまり、ピエロと遊んだり、ネイシャと遊んだり、ルシヤのとこに行ったりしてえ」
「うん」
ルナはうなずいた。
「勉強もいいけど、あまり無理しちゃダメだよ」
「おう! よーっし、ピエロ、大広間行こうぜ!」
「あー」
ピエロがルナに手を伸ばしたが、ピエトはさっさとピエロを抱え、大広間に向かった。
「冷蔵庫にプリンつくってあるからね!」
「あとで食べる!」
「さて、と」
ルナも応接室に入ろうとすると、セシルが二階から降りてきた。
「あ、セシルさん、アニタさんは……」
「だいぶくたびれたらしくて、今日は寝るって」
セシルは肩をすくめた。
「そっか」
「あたしも手伝うよ――入ってもいい?」
「もちろん!」
この応接室は、アニタも入室禁止になる。だから、セシルには、アニタを連れてK33区の取材に向かってもらうつもりだったのだが、その必要はなさそうだ。
「ほんとに一日でできるの」
「ミシェルとキラがね、たくさん人手があるから、明日には完成するって」
「ふふ……楽しみだね」
ウキウキ顔のセシルとルナが、応接室に入っていくのを見届けながら、アルベリッヒがセルゲイに聞いた。
「いったい、なにをしてるんだろう?」
キラとレディ・ミシェルが、大荷物を抱えて応接室に飛び込んでから、アニタ以外の屋敷の女子全員が、応接室にこもって、なにやらにぎやかに作業している。
「さあ――ところで、夕飯の買い物に行くって言ってなかった?」
「うん。今日は、女の子たちがあの調子だし、アニタさんもいつ起きてくるか分からないから、サンドイッチでもつくろうかなって」
「じゃあ、私も手伝おう」
「助かるよ! できるだけたくさん作っておこうと思うんだ」
「じゃあ行こうか――」
「あ、待って。アズラエルがまだ」
キッチンから出てきたのはアズラエルだった。
「ローストビーフの仕込みは終わった。じゃあ、行くか」
「買い物リスト持ってる?」
「ある」
セルゲイとアルベリッヒ、アズラエルは、買い物バッグを持って玄関を出た。ピエロがふたたび「あー」と絶叫しながら、大広間からパパを見送った。




