371話 恋の回転木馬 Ⅰ 1
ルナは久方ぶりに、遊園地の夢を見ていた。
空は満天の星空。
かなたに見える白い光源に向かっててくてく歩いていくと、それはいつぞや、ペガサスとの出会いがあったメリーゴーランドだった。
周囲にはだれもいなくて、陽気な曲にあわせて機械式の馬が回転しているだけだ。
ルナは近くまで走り寄った。
「ん?」
機械式の馬の動きが、なんだか妙にたどたどしい。前来たときは、まさしく本物の馬が駆けるかのように、滑らかに上下し回っていたはずの機械馬たちは、ガッシャンガッシャンとぎこちない動きで上下している――回転する速度も、遅くなったり速くなったり――故障でもしているのだろうか?
ルナはやがて、一頭だけ、本物の馬が混じっているのに気付いた。
真っ白な機械馬たちに混じって、一頭だけ――焦げ茶色で、黒いたてがみを持つ立派な馬。なんと、胸元に蝶ネクタイをしている。
その馬は、ほかの機械と同じようにギクシャクと動きながら、回っている――周囲の馬に合わせるように、わざとぎこちない動きをしているようにルナには見えた。
『郷に入っては郷に従え』
本物の馬は、ルナを見て、生真面目な顔で言った。
『これも礼儀だよ。俺は紳士だから、礼儀に反した行動はとらない』
背中には、小さなリスが乗っていた。リスは、あたりをキョロキョロ見回しながら、必死で木の実を口に押し込んでいる。
本物の馬に見とれていたルナだったが、ほかの馬の背にもだれかが乗っていることに気づいた。
赤いバッグを肩からかけた真っ白なツルと、真っ白なタカが、対角線上の馬に乗って、手を振りあっている。
ルナは唐突に気づいた。真っ白なタカは見覚えがある。
(ニックだ)
タカもツルも、まるで馬と同化しているように真っ白なので、ルナはタカが持っている長い槍と、ツルが肩から掛けた赤いバッグがなければ、二羽の存在に気づかないところだった。
(あのカバン――もしかして、アニタさん?)
ツルが持っている赤い肩掛けバッグは、アニタの持ち物と同じだ。では、このツルはアニタだろうか。
それにしても、タカとツルはいちいち手を振りあってはいるが、距離が離れすぎていて、なんだか見ている方がおかしくなってくる。
二羽はひっきりなしにしゃべりあい、手を振り、笑ったり、ジェスチャーしあったりしているのに、ものすごく離れた場所にいるのだ。
(どうせなら、隣同士で乗ればいいのに)
二羽で、一頭の馬に乗るとか。
ニックの後ろの馬には大きなウサギがいた。
ベージュ色の――体長三十センチはあるだろうかというウサギがアルベリッヒかもしれないと思ったのは、腕にあったトライバルと、一緒に乗っているサルーンと思わしき茶色いタカの存在からだった。
アニタであろうツルは、アルベリッヒウサギにも手を振っている。
「――!?」
ツルは、白いタカとは気さくに話していたが、ベージュウサギにはほっぺたを染め――なんだかぎこちない喋りかたをしている。そう――このギクシャクと回転する木馬たちのように。
ツルからは、たくさんのハートマークが飛んでいる。ウサギは、ツルとにこやかに話してはいるが、ハートマークの存在に気づいてはいなかった。
まさか、アニタは、アルベリッヒに恋を――。
「これはたいへんだ!」
ルナが叫んだ瞬間、三羽はふっと消えた。かわりに、一頭のシャチがクローズアップされる。
物憂げな顔で、なにかを見つめているシャチ。
(あ、この子)
ルナは、すぐにだれか分かった。以前見たときよりグンとおとなっぽくなってはいるが、たしかにこのシャチはネイシャだった。
ネイシャの「勇敢なシャチ」は、らしくもなく沈鬱な顔をしている。
彼女が見ているほう――二、三頭うしろには、傷だらけのシャチと美しいイルカが寄り添って馬に乗っている。これはベッタラとセシルだろう。
そして彼女の乗る馬と対角線上にいるのは、ピエトだった。
間違いなくチョコレート色のウサギ。導きの子ウサギ。たくさんの本を馬に積み、だれにも気づかず、熱心に本を読みふけっていて、ルナにも気づいていないようだ。
ネイシャのシャチは、せつなげな顔で、じっとピエトウサギを見つめている。
(ネイシャちゃん)
ルナはK27区の屋敷に引っ越したその日、ネイシャに、「相談に乗って」と言われたのだった。だがあれきり、ネイシャはルナに秘密を打ち明けるような話はしなかった。
めのまえの光景は、そのことに関係があるのだろうか。
ギクシャク、ギクシャク、ガッシャン、ガッシャン。
馬たちの動きは、彼らの背で繰り広げられる、ぎこちない恋愛模様のようだ。
やがて、シャチとウサギたちの姿は消え、最初の光景にもどった。機械式の馬たちの中に、一頭だけ本物が紛れ込んでいて、その背にリスが乗っているという光景。
おだやかに、馬はほかの馬たちに合わせて回転していた。リスを背に乗せていることすら気づいていないように――だがリスは別だった。用心深く周囲を見回し、なにかから隠れるように、次から次へと口に木の実を詰め込んでは――。
(泣いているの?)
ルナは馬に触れるほど近くまで寄り、やっとそのことに気づいた。
そして、一回転し、ふたたび本物の馬がルナのほうまで巡ってきたときだ。
たくさんの動物が、大挙してメリーゴーランドに押し寄せた。
イタチにコヨーテ、キツネ――なんだか、とてもあくどい顔をした動物たちが、いっせいになにかわめきながら、リスめがけて押し寄せた。リスは泣きながら馬にしがみついた。
――そのときだった。
馬は前足を高々と上げて、コヨーテたちを追い払った。
そのまま、リスを乗せて駆けていく。馬はメリーゴーランドから離れて、遊園地の暗闇へ消えた。
ルナが呆気にとられてそれを見ていると、急に光景が変わった。メリーゴーランドは消え、遊園地も消え、空は満天の星空から、快晴の青空に変わっていた。
鼻腔をくすぐる潮の匂い――ルナの視界は、一面の大海原だった。
ルナは、真っ黒な地面に立っていた。見たことがない海だ。ここは、どこの海だろう。船内でもないし、アストロスの海でもない――右を見ても左を見ても、果てない大海原で、自分がどこにいるのかもわからなくなるほど、海も空も果てしなかった。
海風にあおられながら水平線を眺めていると、突然、ブオー! とものすごい音がした。
ルナが立っている真っ黒な地面は、動いているのだった。おまけに、いきなり潮を噴き上げた――ルナはようやく気付いた。自分が、それはそれは――それはものすごく大きな、クジラの背に乗っていたのだということを。
このクジラは見覚えがある。
セパイローの庭で助けてくれた――。
『よう、月のお姫様』
クジラがしゃべった。若い男の声だった。
真珠や貝がくっついたシッポが真っ赤な、オシャレにも見えなくはないクジラだ。
『おれはこのとおりでかすぎて、おまえらみたいに小さな生き物はなかなか見つけにくいんだ。しかも海の生き物なモンだから、陸で生活しているおまえらとは、なかなか接点がない』
ルナは、なんのことを言われているのかさっぱりわからなかった。ルナは走り、懸命に走り――ようやくクジラの目があるあたりまで来た。クジラは、ルナよりも大きな目をぎょろりとルナに向け、言った。
『おれの乗り心地は最高だろ?』
「……うん」
ルナはうなずいた。自分が巨大なクジラに乗っているなんて、ぜんぜん気づかなかった。
ルナは、アストロスで購入したエプロンを身に着けていた。大きなポケットには、さっきのベージュ色のウサギが、サルーンらしきタカといっしょに入っている。ベージュ色のアルベリッヒウサギは、ぴょこん! と顔を出した。
『俺は君を捜していたよ――毎日海を見ていたんだけど、俺が乗っているのが君だったなんて! てっきり、君は大きな島だと思っていたんだよ!』
ウサギはおかしげに笑い、ふたたびクジラもブオーと潮を噴いた。
『おれだって、おまえは色も砂浜と同化しているし、ちっぽけすぎて、視界に入らなかったのさ!』
タカが、ルナのポケットから飛び出て、ウサギを背に乗せて、クジラの背に乗った。
『ありがとう、月を眺める子ウサギさん』
ベージュ色のウサギが、目を潤ませて言った。
『俺が旅をしたかったのは、君に会いたかったからなんだね』
クジラも、幸せそうだった。
『俺はやっと、運命の相手に出会えた。だから、これからはもっと、君の手助けをするよ!』
「ぷぎゅっ!?」
ルナは飛び起きた。午前五時に三分前。
「夢だった……」
アズラエルは寝ている。隣のベビーベッドから、ピエロがじーっとルナを見つめていた。
「さっき、ミルクあげたばっかりだよね」
「だ」
「おでぶになるよ?」
「だ」
ピエロの顔が、不満げにしかめられていく。あ、これは泣くな、と思ったルナは、アズラエルを起こさないように、あわててピエトを抱えて気づいた。ちこたんがオムツを用意して、部屋に入ってくるのが見えた。
「おトイレでしたか!」
宇宙船のカレンダーは、四年目に突入していた。
ついに、今年の五月には、地球にたどり着くのだ。
年を越してたった五日、外はすっかり雪景色――先日、みんなと真砂名神社に初もうでに行ったばかりである。
昨年のクリスマスも年越しも、それは盛大だった。みんなで記念日を迎えるのはこれで最後だというメンバーもいるから、全員そろうように日づけをずらせてパーティーをしたのである。
もちろんハンシックのメンバーも、ラガーの店長も、マタドール・カフェの三人も来た。
ペリドットも、はじめてナキジンとカンタロウ、イシュマール、フサノスケと三羽烏ら、大路の馴染みのメンバーも来た。
そうして、信じられないバカ騒ぎをして、夜通し騒いだのだった。
楽しい日は瞬く間に過ぎて、新年。
ルナはきっと来年にはムキムキマッチョになっていると思ったのだが、残念ながらたいして筋肉はついていなかった。
でも、ほんのすこし――力こぶができるようになった気がする。
ルナはいつか、アズラエルみたいなムキマッチョになるのだと言ったら、やつが失笑したので、ルナは頭突きをした。新年初の、記念すべき頭突きであった。
ピエトは、傷もすっかり治って、朝はピエロを背負ってネイシャと一緒にK27区を走ってくるようになっていた。最近勉強ばかりで体力が落ちたと、ピエトは白い息を吐きながら笑った。
相変わらず、月を眺める子ウサギは現れない。ルナは、黄金の天秤をクローゼットに収納したままだった。
(あたしが役員になってから使うのかな?)
ピエロが来てからというもの、ルナの生活はほとんどピエロ一色だ。なかなか、ZOOカードをゆっくり見る時間がつくれない。
ちこたんとヘレンにベビー・シッターのアプリを足したので、夜の間は、どちらかがオムツを変えてくれたり、ミルクを飲ませたりしてくれる――のだが、こまごまとした用事で終わってしまう日が多々ある。
食事担当のメンバーも増えたし、掃除はサルビアとpi=poが熱心にやってくれているので、こちらも助かっているが、家事というものは尽きない。
「今日はまだ、ツキヨおばーちゃんは来ませんからねえ」
ルナがピエロをベビーベッドに降ろし、凝った腕や首を回しつつ、ZOOカードを床に置き、動物図鑑と日記帳を用意していると、ドアがノックされた。
ひとの手がドアを打つ音ではない。コツ、コツ、と独特のタイミングで、二回。相手は分かっていた。
「はいはいっ!」
ルナが開けると、サルーンが立っていた。アルベリッヒがでかけたらしい。
「入っていいよ」
今日のリボンは、キラがつくってくれたサテンの青い水玉模様だ。
サルーンは不思議と、ルナがZOOカードを使っているあいだはおとなしい。まるでZOOカードの読み方をいっしょに勉強しているかのように、ルナの隣でじっとカードを見つめている。




