368話 スカウト 3
「ようグレン、おまえ、船内役員になってルシアンのオーナーにならねえか」
グレンがルシアンに入り、めずらしくカウンターに姿を現しているオーナーカブラギに、開口一番言われたのはその台詞だった。
「まだ引退にゃァ早いだろ」
「もちろんまだ先の話だ――十年後、いや、十五年後?」
「先すぎる」
「有能な人材には、今からツバをつけとくんだ」
カブラギは、得体のしれない笑みを浮かべた。
着崩したスーツ姿、といえばいいだろうか。黒いジャケットにパンツ、革靴。いつも胸元をあけたシャツで、ネクタイをつけている姿は見たことがない。
髪の毛を撫でつけているヘアスタイルはエーリヒと同じだったが、いささかグレーが混じっていた。コワモテと怜悧の中間の顔で、細いフレームのメガネをかけている。
背はあまり高くないが、肩幅は広く、ガッシリとしている。以前の職業がいまいち分かりにくい人物ではあった。役員になる前はマフィアとも、警官ともいわれている。対極だ。
だが、どちらでも想像できるようなあいまいさが、カブラギにはある。マフィアだと言われても、「そうだと思った」と言われ、警察官だったといっても、「そんな感じだよな」と言われるくらいの。
「俺がこのあいだから、何人にそれを言われたか分かるか?」
グレンは先日、オルティスに、「おまえ、地球まで行ったら、船内役員になって、俺の店で働かねえか?」と真剣な顔で聞かれた。
オルティスは傭兵時代に足を悪くしているし、六十代を過ぎたら、長く店で立っているのは難しいかもしれないとも言った。
さらには、「いずれは、おまえに店を預けてえ」と言われ、グレンは仰天し――「まあ待て、考えさせてくれ」とその場は納めた。
護衛術の講師をしているスポーツセンターの役員からも、「地球到達後は、船内役員になって、講師として働きませんか」といわれたばかりだった。
グレンはとりあえず、地球行き宇宙船に残る気はない。地球に行ってから、先のことは考えるつもりだ。
「ところで、おまえゲイだって、ほんとなのか」
カウンター席に着いたグレンは、役員うんぬんの話から逃れようとして、カブラギの顔を見たとたんに思いついた質問を遠慮なくして、カブラギを驚かせた。ほんとうに驚いていた。
「だれに、それを?」
「アニタ」
グレンの正直な返答に、カブラギは特に機嫌を損ねはしなかった。
「あの女は、社会部の記者だったくせに、ひとを見る目がねえ」
個人情報を横流しされた報復でもあるかのように、カブラギはアニタの素性を口にした。
「社会部の記者? アイツが?」
「ああ。ところで、俺はゲイじゃねえ。残念ながらな――信じる信じないは、おまえ次第だが」
「そうか」
「だから、おまえの求愛にはこたえられない」
「俺もゲイじゃねえよ」
グレンは絶望的な顔で首を振った。
「クシラは正真正銘のゲイだが、俺は女しか抱けねえし、おまえにも興味はねえ」
「安心した」
グレンは肩をすくめ、ハイボールを注文した。なにしろ、このクラブにはカクテルしかない。そばにビールばかり置くバールがあるために、ビールを置かなくなったのだ。シンプルな酒は、ハイボールあたりが限度だった。
「アニタが、俺とアズラエルはカブラギの好みだから気を付けたほうがいいっていうもんだからな」
「あの女は無料パンフなんぞつくってるより、週刊誌の記者やってるほうが合ってるんじゃねえか」
カブラギは、今度来たら覚えてろ、とおそろしい笑みを貼りつかせた。手元のショットグラスに、小瓶を逆さまにしている――それがタバスコだとグレンは気づくまで五秒。
「ファイア・ショット・フィーバー。ベースはウォッカ。客からリクエストがあってな。最近メニューに加えたカクテルだ。今度アニタが来たら、無料でごちそうしてやろう」
「……」
このクラブは、奇怪なカクテルばかり売り物にしている。グレンは、一連の失言を後悔した。心の中だけでアニタに謝った。
「あの女は、好きになる男が総じてゲイだって確率が高いから、振られると相手をゲイだと思いたがるんだ――気の毒に」
「なんだ、おまえにフラれたのか」
「フッたつもりはねえ。俺の女になりてえのかって聞いたら、及び腰になったから、やめておけと言っただけだ」
「――そういう聞き方は、よくねえんだな」
「よくねえみてえだな」
L7系あたりの女性にそれはよくない。グレンは経験者なのでよくわかった。
「相変わらずにぎやかだな」
「クラウド」
やかましくないクラブなどあるわけはないが、クラウドはそう言った。グレンの隣のカウンター席に座ったのは、クラウドだった。店内の騒音で、近くに来るまでわからなかった。
「どうしたのグレン。サルビアと食事の予定は?」
「ああ――カブラギが、大切な話があるとか言って、俺を呼んだから」
「大切な話は済んだ」
カブラギはあっさり言った。グレンは拍子抜けした。
「え? じゃあ、さっきのアレか?」
「アレだ」
ルシアンのオーナーにならないかという話だろう。
「なんだ。済んだならとっとと帰るぞ俺は。久々に、夜があいたのに」
「めずらしいな、デートか」
「デートだ」
グレンは、最近ソーセージが気に入ったサルビアを、ビールとソーセージが旨いレストランに連れて行ってやろうと思ったのだ。
「ほほう、デートか。なるほど、アズラエルが気に入ってるうさこちゃんが、フリーになったとか」
「いいや。新しい女だ」
「ほう」
カブラギが目を光らせたところで、グレンはコインを置いた。ハイボールをすっかり空け、「じゃあな、来週」と言って立った。
「クリスマスはラガーか?」
「さァな。今年は最後の年だから、屋敷で過ごすかもしれねえ」
「そうか」
グレンはジャケットをひっかけ、去っていった。
「ずいぶんご機嫌じゃねえか――どんな女だ」
カブラギはニヤニヤしながらクラウドに聞いた。
「そうだな。グレンにぴったりの、高貴な出自の女性だよ」
クラウドは、なにも嘘は言っていない。
「お坊ちゃまとお嬢様のお付き合いか」
「そう。なにせ、このあいだまで、自分ひとりじゃ服も着ることができないレベルのお嬢様だった」
「そりゃ、ずいぶんだな――注文は?」
「そうだな。アイリッシュ・ビールで」
「うちは、ビールは置かなくなったって言っただろ」
「でも、ビールベースのカクテルは出してるだろ。アイリッシュ・ビールとアイリッシュ・ビールを――つまりカクテルにしてくれ」
「そんなふざけた注文をするのはおまえだけだ」
言いつつも、カブラギは、ロンググラスに焦げ茶色のビールを半分注ぎ、泡が落ち着くのを待ってから、二本目をあけて、さらに注いだ。
「ステアしますかお客様。それともシェイク?」
「ステアにとどめておいてくれ」
ビールをシェイクしたら、カウンターは大惨事だろう。
「二本とも飲めよ――それで、ご用件は」
カブラギは、クラウドに、適当に混ぜたアイリッシュ・ビールを差し出し、半分ずつ残っているビールの瓶も添えた。
「用件があるのは、君のはずだ」
クラウドは、カブラギから目を離さずに、ビールを一口飲んだ。
「クルクスにいたとき、電話をしてきた“イノセンス”は君だろう?」
カブラギは答えなかった。
「正体を知られたくないなら、君じゃない男が電話してくるべきだった。俺が変装した人間を見破ることができるのと同時に、声帯から相手を特定できることも知っていたはず」
「ふむ」
カブラギは、顎に指をあてた。
「知っていたはずって――そりゃ、イノセンスの男がか?」
「そうだな。つまり、彼は、俺を招いた。俺が相手を特定できることも知っていた。特定できたら、接触してくることもね」
「……」
「“ご用件は?”って聞きたいのは、実際、俺のほうなんだが」
カブラギは笑みをたたえたまま、黙った。そして、イノセンスとは、関係がなく思えるような話題を振った。
「ところで、おまえはどっちの役員になるんだ。派遣? 船内?」
クラウドが、すでに講習会に通いはじめていることも熟知している聞きかただった。
「俺は船内。ヘインズ・クラブでピアノを弾くことが決まってる」
「なんだ、ピアノ弾きか。ずいぶん退屈な仕事をえらんだな」
カブラギはいきなりカウンターに手をつき、顔をギリギリまで近づけ、低い声で告げた。
「もしおまえがイノセンスから勧誘されたら、蹴った方がいいと、俺は思う」
「――!」
「おまえはエーリヒとつながり、ララともつながっている。イノセンスに入ったら、自由に動けなくなるぞ?」
クラウドは、カブラギの意図を探るかのように見つめ返したが、とりあえず、敵視も、警戒されてもいないことだけはわかった。
「……俺は、礼を言ったほうがいいのかな?」
「キスでもする?」
「そうか。君は、だからゲイ認定されたんだ」
クラウドは、真顔で言った。ようやく、カブラギの顔が離れた。
「ファイア・ショット・フィーバーを味見してみないか」
カブラギは新作のカクテルを勧めたが、クラウドは遠慮した。アイリッシュ・ビールオンリーのカクテルに注ぎ足す。カブラギは、一見すると人懐こい笑みを浮かべて、両手を広げた。
「わかった。アイリッシュ・ビールは切らさないようにしておく。なるべく頻繁に顔を出してくれると嬉しいな――おまえのハニーもいっしょに」
「俺は情報屋になる気はないよ」
「おまえの小銭みてえな情報なんぞ求めてねえ。俺がどれほど頼りがいのある人間か、知ったら驚くぞ」
「そうなの? じゃあ、なにかあったら頼りにするよ。今はとにかく、ビールを追加。あと、フィッシュ&チップスを」
クラウドは、もう一本ビールを頼んだ。ふと、クラウドは聞いてみたくなった。
「そういや、カブラギはルナちゃんに会ったことは?」
「アズラエルの女か? グレンがフリーになるのを狙っていたうさこちゃん?」
「そう」
カブラギが、口の端をニイっとあげて、不気味な笑い方をした。
「おまえの彼女はいいが、そのうさこちゃんには、俺は会いたくねえ」
「え?」
「悪いが、俺ァ怖くてビビっちまって、話もできねえだろうよ――カウンターの隅っこで、ブルブル震えてるさ。子ウサギちゃんみてえに」




