368話 スカウト 2
「アルベリッヒさんは、どこへ行ったの?」
リンファンが尋ねると、ルナは「お料理教室」と答えた。ツキヨは手を打った。
「料理教室に通ってんのかい! どうりで美味しいものをつくると思ったよ」
アルベリッヒは週五日、料理教室に通っていた――いや、この屋敷に来てから、通えるようになったのだ。
実は、アルベリッヒはずっとずっと、船内の料理教室に通いたかった。だが、それができないでいた。
なぜなら、サルーンを連れて料理教室に通うことはできないし――なにしろ、料理教室はペット不可だし、あのとおり、彼女はずいぶん落ち着きがないのである――サルーンひとりを残していけば、彼女はさみしがって追いかけてくる。
繊細な飼いタカの彼女にも野生の友人はいるが、野生とペット――なかなか話が合わないというらしく――真偽のほどはアルベリッヒしか知らないが。
だがこの屋敷に来てから、サルーンはルナが気に入ったのか、ルナに預けておけば、多少アルベリッヒが姿を消しても捜しまわることはなくなった。なので、アルベリッヒは、ようやく念願の料理教室に通うことができるようになったのである。
「そうかいそうかい――そりゃよかったねえ」
ツキヨはサルーンを撫でながら、何度もうなずいた。
ルナはサルーンにちょっとだけエプロンから出てくれるように言い、ピエロを抱っこした。
「さてと――ピエロをベビーベッドに寝かせて、お茶しない? おばあちゃん、今日は病院じゃないの?」
「病院は明日だよ」
ルナは、そばにあるベビーベッドにピエロを寝かせた。リンファンが、ちこたんとなにか話しながら、お茶の用意をしにキッチンへ向かう。
「こんなにおだやかなら、最初から同居していればよかったねえ」
ツキヨが大広間のシャンデリアを見つめながら嘆息した。
「夜は相変わらず騒がしいよ」
ルナはシグルスが持ってきてくれたクッキー缶を開け、ちこたんが紅茶を――サルーンには水を、ワゴンに乗せて運んできた。
エマルはドラマを見ていたが、みんながソファに集まると、テレビを消し、クッキーをつまんだ。サルーンもルナのエプロンから出て、ソファに羽根を降ろした。
「あたしは、そうそうぶっ倒れることはないし、寝たきりにもならないし、夜はともあれ、昼間はこんなに静かなんだろ? ピエロを連れて、河川敷を散歩するのもいいし、テラスでサルーンといっしょに、読書としゃれ込むのもいいねえ」
リサたちが入って部屋は埋まってしまったが、部屋が空いていたらここに住んでいてもよかったかなというツキヨに。
「……ララさんに頼めば、増設してもらえる――かも?」
ルナがちょっとだけ期待した目で言ったが、ツキヨは首を振った。
「そこまでするこたないよ! いいんだよ。中央区のアパートだって、そりゃ居心地がいいし」
「アズがあたしといっしょは、ぜったい嫌がるって」
エマルは五枚目のクッキーの包み紙を破りながら、つぶやいた。
「でも、女ばっかりで、こうしてお茶を飲むっていうのはいいね。こいつはうまいよ。エルドリウスさんが、フライヤによく贈ってきたクッキーに似てるわ」
フライヤがウチにいたころは、よくオリーヴとフライヤと、三時にはお茶は飲んでね、とエマルが語りだし、
「フライヤさん、アダム・ファミリーにいたんですか!?」
とルナが驚いて聞くと、エマルは大げさにうなずいた。
「そうそう! エルドリウスさんから毎日貢ぎ物が届いてさあ――フライヤあてに! 菓子や食い物だったときはみんなで食って。あのときは、高級な菓子ばっかりで、ぜいたくだったなあ」
四人はしばらくほっこりと、思い出話をしたりして、テーブルを囲んだ。
新しい屋敷での、新しいルーム・シェアメンバーとの生活が始まって、それぞれのリズムがつくられてきたころだった。
アニタは今日、セシルとベッタラに連れられて、目を輝かせながらK33区を取材しているはずだ。
アンジェリカは本格的にお腹が大きくなって動けなくなるまではと、サルディオーネの仕事に復帰し、サルビアは、サルーディーバとしての特殊能力はなくしたが、サルーディーバとして学んできた知識や経験を活かし、アンジェリカの仕事を手伝うために同行している。
セルゲイは、「そろそろ、お医者さんにもどろうかな」と、タケルの紹介で、K19区の小児病院に、非常勤の医師として出勤している。
グレンは、あいかわらず、ルシアンにラガーに護衛術の講師と、掛け持ちが忙しい。
以前とすこし変わったことと言えば、ピエトがあまり傭兵の訓練をしなくなり、部屋にこもって勉強することが多くなったことだった。
セルゲイとクラウドに勉強を見てもらっている。ルナは、遅くまで勉強しているピエトの部屋に、夜食を差し入れるのが習慣になっていた。
ネイシャも、エマルとアズラエルを教師にして、本格的にコンバットナイフを習っている。ベッタラとも格闘演習をしているらしいし、たまに地下のジムで、グレン相手にも汗を流していた。
ツキヨとリンファン、エマルもよく顔を出すようになったし、カルパナやカザマの娘ミンファが夕食に――シシーとテオドールも、ほとんどルーム・シェアしているのと変わらないくらい、毎日会うようになっていた。
「アズはそれで、どうしたんだい。早々に育児放棄かい?」
エマルが思い出したように言い、ルナは噎せた。
「う、ううんっ! ちがうの。昨日から、区役所に通いはじめたの」
「区役所?」
「うん。あのね、担当役員の推薦があれば、いまから役員になるための講習を船内で受けることができるんだって」
「へえーっ」
リンファンもエマルも、興味津々で身を乗り出した。
「それでアイツ、勉強しに行ってんのかい」
「そう。アズだけじゃなくてクラウドも。あとね、エルウィンさんもリサもキラも、ロイドもミシェルも行ってる」
「ルナ、あんたは行かないの」
リンファンが尋ねると、ルナは困った顔をした。
「じ、じつはね……」
ルナも、ほんとうはその講習に通おうとしたのである。
「カザマさんが、あたしはまだ、行かなくてもいいって、ゆって」
「カザマさんが?」
おばさんたちは声をそろえて聞き、ルナはうなずいた。
「あたしはね、とにかく、地球まで行けばいいんだって」
「それだけでいいのかい」
ツキヨも、身を乗り出した。
「派遣役員になるための講習は受けなきゃいけないんだけど、実質一ヶ月なんだって。筆記試験はあるけど、ちゃんと真面目に講習を受けてれば、小学生でも合格するほんとうにカンタンな試験なんだって。あとは、K19区の役員になるには、保育士かベビーシッターの資格があるといいみたい。で、それでね、」
ルナはさくさくさくさくと、ウサギみたいにクッキーを齧った。ルナがエプロンにこぼす粉を、自分の分を食べ終えたサルーンが片っ端から拾っていく。いいコンビだった。
「ふつうは、K19区の役員になるには、派遣役員になってから、十年以上の実務経験が必要なのに、あたしは、カザマさんとヴィアンカさん、あとメリッサさん、それからK19区役員のタケルさんが署名した推薦状がすでにあるらしくって、一足飛びにK19区の役員になれるらしいの」
「――!?」
三人は顔を見合わせた。ルナの眉はへの字だった。不安げな顔だ。
「いきなりだよ? だいじょうぶかなあ……」
「こんにちは、ご無沙汰しています」
パットゥは椅子から立ち上がって、整った姿勢を歪めず、直角に礼をした。
「こちらこそ――お忙しいところ、すみません」
ミシェルもリサも、そしてロイドも、あわてて礼をし、彼に座ってくれるよううながした。機械のように正確なしぐさで、パットゥは椅子に座った。
ここは中央区の、区役所近くのカフェだった。昼も過ぎ、ひと気はまばらで、混んではいない。パットゥは、ロイドが抱いているキラリに微笑みかけた。
「お子さんは、そろそろ一歳になりますか」
「ええ――お、覚えていてくれたんですか」
「記憶力はいい方でね。元気なお子さんだ」
キラリは、差し出してきたパットゥの指を握った。
「人見知りしませんなあ。うちの子は、これくらいのころにはひどくてね」
「パットゥさん、お子さんが?」
「ええ。もう成人してますが」
パットゥの家族のことを聞くのは、これが初めてだったかもしれない――pi=poのウェイトレスが注文を取りに来たので、四人はコーヒーを注文した。
「船内役員の講習はどうですか」
「なんとかなりそうです。真面目に受けてりゃ、L55に帰ってからすぐ資格は取れそうだ」
「それはよかった。こっちも、ひととおり済みましたよ」
「ほんとですか。……なにからなにまで、申し訳ありません」
パットゥが差し出した書類は、完全に裁判が終了したことを示す書類だった。ミシェルはファッツオーク社に対する上告を取り下げ、ホックリーは最初に課せられた懲役分、服役することになる。
「それで、あなたの探偵事務所の物件も、差し押さえられまして、残っていません」
パットゥは、二枚目の書類を提示した。
「ですが、自己破産もすみまして、警察も介入するので、もうマフィアはあなたを追いかけることはできません。あなた名義につくられた保険も、解約されました」
パットゥの言葉に、リサが一番ほっとした顔をした。これでもう、ミシェルが保険目当てに、マフィアに狙われる心配もなくなったということだ。
「こっちは片付きましたが、――問題が少々」
「想像つくな」
ミシェルは苦笑した。
「破産しましたので、あなたが希望するように、船内で探偵事務所は開けないんです」
ミシェルには想定内のようだった。彼は腕を組み、残念そうに、「そうですか」とだけ言った。
「ど、どうして?」
ロイドもリサも尋ねた。パットゥは説明した。
「探偵事務所をひらくには、――すなわち探偵になるには、資格がいるんです。警察官か弁護士の資格を持っていて、三年以上の実務経験が必要です」
「で、でも、ミシェルはL25で探偵事務所を――」
「L25では、探偵になるのに資格は必要ないんです。だから、ミシェルさんは、L52で活動してらしたのに、離れたL25に探偵事務所をつくったんです」
「そうなの!?」
リサもロイドも驚いて叫んだ。ミシェルは決まり悪げに苦笑し、パットゥも、同じような笑みを浮かべて続けた。
「この宇宙船は、L55の法律が適用されます。ですから、船内で探偵事務所をひらくには、L55の法律に法って、資格が必要なんです。でも、破産宣告を受けた以上、ここでは警察官にも弁護士にも、なりにくいかもしれません」
「……どうして、L25じゃ資格がいらないの」
あそこ、警察星でしょう? L55より、そういうところが厳しいんじゃあ――とさらに聞いたリサに、パットゥは律儀に返答した。
「まあ――L25で探偵事務所を開いても、まず、商売できないでしょうね」
「うん、パットゥさんの言うとおり」
ミシェルはうなずいたが、リサとロイドにはさっぱり意味が分からなかった。
「つまりですね、L25は警察星ですから、警察官だの弁護士だの、調査員だの、探偵がする仕事はあそこにある職業で間に合ってますから、わざわざそんなところで探偵事務所をひらいても、飛び込む人間はいないんですよ」
「――!?」
「だから、探偵事務所をひらく許可はだいぶ緩いんです。そのかわり、探偵を見極める目の厳しい人間ばかりがいる星ですから、おそらく商売にはならない。私はL26の出ですが、警察星全体で、探偵事務所というのはほとんど見たことがありません」
「そうなんだ。俺も、べつに、ほんとうに探偵をやりたかったわけじゃなくて、ホックリーさんの冤罪を証明するために、法律の内側から探ろうと思って、事務所をひらいただけなんだ。あのころは、まあ――自分でも、常軌を逸してたとは思うよ」
ミシェルは多少肩を落とし気味だったが、つづけた。
「ほんとうにあっさり許可が下りて、最初はこれでいいのかってびっくりしたけど、パットゥさんの言うとおり――まったく、客が入らねえんだ。まあ、その分ヒマで、弁護士になれそうなくらい、法律の勉強はできたけどな」
その経験を活かし、本気で弁護士の資格を取って、船内で探偵事務所をひらこうとしたが、どうやら難しいらしい。
「それで、私からの提案なんですが」
パットゥは言った。こちらが本題だったようだ。
「ミシェルさん、派遣役員になられてはどうでしょう」
「派遣役員ですか?」
すでにミシェルは、「船内役員」の講習に通っている。
「今からでも変更できます。どうでしょう? K30区か、K31区の派遣役員の資格を取られてみては」
「K30区かK31区……」
「ええ。弁護士にならずとも、法律の勉強はできます」
K30区は中小企業経営者がおもに住む区画で、K31は、最初にミシェルとロイドが入った区画――就活中の人間が入る区画だ。
「私の経験から言わせていただくと、この二区画は、法律上の問題を抱えた船客の方が乗ってこられることも少なくありません。あなたのスキルは十二分に活かせるのではないでしょうか」
ミシェルはかつて公認会計士として働いていたし、法律の勉強もしている。
「そういう方が派遣役員になってくださると、われわれとしても頼もしい。どうですか?」
ミシェルの顔に、笑顔がもどった。頼もしいと言われて、調子に乗るのがミシェルだった。
「そういう道もありますね――なら、そっちをがんばってみるかな」
「では、よかったらこちらの資料に目を通してみてください」
「用意がいいな」
ミシェルに派遣役員用のテキストと資料を渡し、パットゥは立った。ミシェルも立って、彼と握手を交わした。
「ありがとう、パットゥさん」
「いいえ。私にできることでしたら、微力ながら、お手伝いさせていただきます」




