368話 スカウト 1
新しい生活が始まって、そろそろ二週間が経過しようとしていた。
庭の木々は、一気に色づき、瞬く間に葉が落ちて、冬眠の準備をしはじめた。
ピエロが屋敷に来た翌日、アズラエルとルナ、ピエトが養子縁組のために、シグルスとともに区役所へ向かったが、今度は簡単に許可が下りなかった。役員が視察に来たのだ。
ルーム・シェアをしているすべての人間に話を聞き、実際にピエロの面倒を見るのはだれなのか――それはルナだったが――メンバーに問題はないか、本当に養育できるのか、ともに暮らしている子どもたちが健康に育っているかなど、かなり細かに生活の様子を観察していった。
ピエロの兄になるピエトも、L85にいたころの生活からさまざまに聞かれて、応接室から出てきたときには、尋問が終わったあとのように疲弊していた。
ともかくも最終的に、ピエロは無事アズラエルの養子となったわけだ。
「とり天っえび天っお野菜にちゃまご天っ♪」
「ルナちゃん、タマゴはすぐあげていいの」
「うん♪ 衣が固まったらいいよ。なかは半熟のまんまね」
「うまそうだなァ。これ、うどんに乗せるんだろ」
「そうだよっ! ちゃまご終わったら、そこの玉ねぎと白魚、サクラエビと枝豆でかきあげね」
「わかった」
今日の昼食は、てんぷらうどんである。ルナはアルベリッヒといっしょにキッチンに立っていた。
「お出汁つくったらおネギを刻むからね――サルーン! 頭に乗らないの! とり天にしちゃうよ!?」
「ぶふっ! とり天!」
兄弟がてんぷらにされようとしているというのに、遠慮なく笑うアルベリッヒに、サルーンは傷ついたらしく、なにやらピイピイ怒鳴った。
油物はことごとくアルベリッヒに任せていたが、ピエロを背負い、大鍋に出汁をつくっているルナは、頭にサルーンが乗るだけで危うい。叱られた彼女が次に飛んだ先は、おいしそうに揚がった鶏のてんぷらのそばだった。
「サルーン、それ熱いからね!? 冷ましたらあげるから――ちょっと待つの!」
さっそくとり天をくわえようとしたサルーンに、またルナの叫びが飛んだ。アルベリッヒも、「待ちなさい! サルーン」と叱ると、タカは拗ねたように飛び立ち、テーブルのど真ん中に羽根を降ろした。ふたりに背を向け、しょんぼりと丸まっている。
「かまってもらえなくて拗ねてるんだ――キラちゃん、まだ帰ってこないかな?」
「そうゆうときのために」
ルナは、ずいぶん大きなエプロンの前ポケットを広げた。
「ほい! ここに入るのですサルーン!!」
ルナの言葉と同時に、サルーンは、喜び勇んでルナのポケットにお邪魔した。アストロスで購入したエプロンは、大変に便利だったということになる。まさか、こうした用途につかわれるなどとは、製造者も思わなかっただろうが。
「カ、カンガルーみたいだ……アチッ!!」
アルベリッヒは耐え切れなくて笑い、油が飛んで、あわてて水に手を突っ込んだ。
大きなタカが、ルナのお腹のポケットに半分ほど身を入れ、羽根を外に出しておさまっている姿は、あまりにもおかしかった。
玄関のベルが鳴る。
背中に赤ちゃん、おなかにはタカ。シュールな格好のルナは、キッチンのインターフォンに飛び、「ゆうびんやさんだ!」と叫んで玄関に駆けていった。
『ちこたんが出ます!』
いつも通りのpi=poの叫び。
本日は、ちこたんのほうが早かった。
「どうもこんにちは。キラ・E・マクファーレンさんにお届け物です――!?」
配達用pi=poは、ダンボール箱からちこたんに目をやり、それから機械の後ろにいたルナに目を移し――一時停止した。
背中に巨大な乳幼児を背負い――おそらく三歳児ほどの大きさである――エプロンの前ポケットには、タカが入っていた。
配達pi=poは二度見した。タカはどうやら、ぬいぐるみではなさそうだ。
「……ここに、サインを」
『はい』
ちこたんは、荷物のバーコードをスキャンして、受け取りを済ませた。
「どうも……」
配達pi=poは何か言いたげな様子で――pi=poに感情をインプットすることは禁止されている――帰っていった。
入れ替わりに帰ってきたキラが、「さっきのpi=po、なんだかタカと赤ちゃんに着いてぶつぶつ言ってたよ」と言ってルナを見――「うん。これじゃなにか言いたくもなるわ」と、友人のずいぶんな姿にうなずいた。
ピエロとサルーンを装備したルナは、これ以上なにも持てそうになかった。ちこたんが、大広間のソファに荷物を運び、キラが開けた。荷物の中身は、エプロンだった。もちろん、ルナがしているエプロンとおそろいのものだ。
「キャー☆ カワイイ!! これでやっとあたしたちもルーム・シェアの一員って感じがする!」
キラはさっそくエプロンを身に着けた。真っ白なデニム地である。箱の中には、あと三着入っていた。黒が二枚、赤が一枚――ロイドとミシェル、リサの分である。
「あたしがマーシャルで見たときは、白と赤はなかったよ」
ルナはあたしも赤色がよかったなと、ほっぺたを膨らませて言った。ルナが買ったものはネイビーである。
「通販だと、黒、赤、白、ネイビーとベージュと茶色があったよ」
キラとリサは、自分たちだけエプロンがないことに不満の声をあげ、リサは「アストロスまで引き返して買ってくる」とまで言い張ったが、キラが通信販売で同じものを見つけたのだ。
キラは、白いエプロンを眺めながら、「これ、蛍光ピンクに染めなおすんだ」と、じつにキラらしいことを言いだした。
「こんちは~♪ お邪魔します!」
「どうも。いつもすみません」
応接室から、シシーとテオドールが出てきた。正確に言えば、応接室のシャイン・システムからだ。来客があると、どの部屋にもあるインターフォンのシャイン・システムの部分にランプがつく。相手を確かめたあとこちら側でロックを外せば、入室できる。
シシーは陽気に、テオドールはいつもどおり生真面目に。キッチンに入って、入り口のところにある小鳥の巣箱の形をした貯金箱に、お金を納めた。いわゆる食事代というものである。これを設置したのは、テオドールかと思いきや、シシーだった。
ふたりは先日から、夕食だけではなく、昼食にも顔を出すようになっていた。
「いつも申し訳ない。俺たちの分まで」
テオドールはやはり気真面目に言ったが、
「いいんだ。つくるのは大勢の分がつくりやすいし、俺も趣味の延長だから」
アルベリッヒは、揚げたてのてんぷらを山盛り皿にのせて、テーブルの真ん中に置いた。
「ウヒョー! おいしそう!!」
シシーが歓声を上げてテーブルを見つめ、両手を組んでいるとシャイン・システムのランプがふたたび点く。キラがロックを解除すると、出てきたのは、ツキヨとエマルと、リンファンだ。
「あら~いい匂い♪ 今日はてんぷらうどんなのね~」
リンファンはテーブルの山盛りてんぷらに目を輝かせ、出汁のいい匂いに目を細めると、さっさとお茶の用意をしにワゴンへ向かった。
「これどうすんの? え? ヌードルに乗せて食べるの? 肉はある?」
エマルが肉の所在をたしかめ、とり天があることを知って笑顔になった。
「ルナ、ルナ――あれ? ルナは? ピエロはどこだい?」
ツキヨはさっそく孫とひ孫の姿を探した。サルーンとともにキッチンに入って、食器の用意をしていたキラも、ルナの姿をさがした。
「あれ? いっしょに来たはずなのに……」
あわてて大広間にもどると、ルナは広間のど真ん中に行き倒れていた。
「お、おも……」
ルナは力尽きてうつぶせに倒れ、背中では、ピエロがキャッキャとはしゃぎ、サルーンが焦った様子で、ルナの上空を旋回していた。
「重くて動けないでしゅ……」
様子を見に来たキラとツキヨ、アルベリッヒが目を剥いた。
「ルナ――!?」
「まったくこの子は! 四六時中おんぶしてやることはないんだよ!」
エマルはピエロに哺乳瓶でミルクを与えながら、豪快に笑った。
救助されたルナは、ためいきをつきつつ、うどんに半熟玉子のてんぷらを乗せた。
「なんだか最近、ムキムキになってきた気がします……」
ピエロを担いで歩くだけで、かなりの有酸素運動だ。クルクスで一ヶ月、部屋に閉じこもって贅沢な食事を取っていたせいで増えた体重は、一気に減った。
「おかげでいっぱい食べちゃうのです」
「ピエロとルナの体重が反比例してるのよね」
キラは言った。
「あたし、キラリは母乳とミルク半々で育ててるんだけど」
エビ天を二つ、うどんに乗せた。
「あんまり、母乳のほう飲んでくれなくてさ。だから最近、ピエロにあげてるんだけど、メッチャ飲んでくれるのよ。だから最近張らなくて助かってる」
「キラちゃんのお乳飲んで、哺乳瓶抱えて、まだ足りないってのかいアンタは!」
エマルは呆れた。
「おまえだってこんなもんだったさ」
ツキヨは、てんぷらは乗せず、ショウガとネギだけを入れたうどんを啜った。てんぷらは、かきあげを半分エマルの皿に乗せ、塩をかけて食べた。
「久しぶりだねてんぷらも。美味しいよ」
「でも、あんまりあたしのお乳はあげるなって母さんが」
「エルウィンさんが?」
とり天をおいしそうに頬張っていたリンファンが顔を上げた。
「うん。あたしのお乳飲ませたら、ピエロが破天荒な子になるからやめろって」
盛大な笑い声が、上がった。
笑いの絶えない昼食が終わり、テオドールとシシーは区役所へもどり、エマルは、ネイシャにコンバットナイフを教えるというので、ネイシャが帰るまで大広間でテレビを見ていると言った。
ピエロは、ツキヨが寝かしつけてくれた。
キラは本気でエプロンを染める気らしく、浴室になにやら持ち込んでやりはじめた。
ルナも慌ただしかった午前中を過ぎ、巨大なピエロからも解放され、伸びをしていると、ふたたびシャイン・システムのランプがついた。相手は分かっている。
「こんにちは――おや? 今日はもう、ご就寝でしたか」
シグルスが手土産を持ってシャインから出てきた。彼の目的であるピエロは、応接室のソファでツキヨに抱かれ、すっかり眠りについている。
「シグルスさん、毎日、お土産はよいのです」
「私にも関わらせてください」
ピエロの話をするときは、シグルスの顔はいつも柔らかい。
「ララ様のお子なのですから」
シグルスは、毎日やってくる。ほんの五分から十分、ピエロの顔を見てあやすくらいで、あっというまに去っていくのだが、そのたびに、ルナたちにお菓子を持ってきたり、ミルクやおむつ、ピエロの服など、さまざまな手土産を置いていく。
「ララ様も、自分がピエロのまえに顔を出せない手前、私がここへ来る時間を必ずつくってくださいます」
シグルスはおだやかに眠るピエロを愛おしげに見つめ、「それでは、また」とすぐに立った。
「もっとゆっくりしていらして」
リンファンは言ったが、シグルスは微笑んで、失礼した。多忙ななか、この五分の時間をつくるのさえ彼にはむずかしいのだろう。
「シグルスさん、お菓子、ありがとうございます」
ルナがシグルスを見送ったあと、応接室に顔を出したのはアルベリッヒだった。
「それじゃあ、今日も行ってきます。ルナ、ごめんね、サルーンをよろしく」
「あ、アル、いってらっしゃい!」
その言葉を合図に、サルーンがルナのほうへ飛んできて、エプロンのポケットにおさまった。それを見て、ツキヨが吹き出す。
「この子ったら! おもしろいタカだねえ」
「まったく。サルーンはこのポケットがお気に入りになっちゃったよ」
ルナも呆れ声で言ったが、サルーンは知らんぷりだ。
「あたまに乗られるよりは、いいのです」
そうはいっても、サルーンがポケットに入りたがるのは、ルナのエプロンだけ。アルベリッヒのエプロンは、いつもさまざまな道具が入っていて、サルーンが入るスペースはない。




