367話 大ゲンカと涙と雨降って地固まるまで 4
「もファ~、なんかまったりしちゃう。アパート帰りたくない。あたしもここでルーム・シェアしたい……」
食事を終え、次回の訪問のために積極的に片づけを手伝ったシシーは、大広間でゴロゴロ転がった。
「シシー、君、船客の家で気を抜きすぎだ」
同じく後片付けに参加したテオドールは、スーツに絨毯の糸くずをつけるシシーが信じられないようだった。
もっとも、この屋敷はpi=poがしっかり掃除しているため、糸くずという糸くずも残っていなかったが。
「残念だったな。俺たちが入ったから、もう部屋は空いてないんだ」
メンズ・ミシェルがビールのプルトップをあけながら、テオとシシーにも同じものを手渡した。
「遅かったかあ――」
おいおいとシシーが泣きマネをするのに、テオが呆れ声で突っ込む。
「船客の家に役員がルーム・シェアするなんて聞いたことがないよ。許可されるわけないだろ」
「テオは固い! 固すぎ!! 二週間放置した食パンみたいだよ!!」
「分かるう! あれパサッパサになって、口の水分全部取られるんだよね」
キラが叫び、起き上がったシシーと意味不明なハイタッチをした。
「食パンはちゃんと密封して、冷蔵庫に入れれば持つよ」
テオの返答に、シシーはケッという顔をした。
「やっぱり、役員って、船客と仲良くしちゃいけないの」
セルゲイが聞くと、テオは言った。
「そういう決まりはありません」
「ほら~」
シシーが口をとがらせたが、テオは、シシー限定で、厳しめに言った。
「決まりはないんですけど、暗黙の了解で、なるべく船客とは親しくしないほうがいいってことにはなってます」
「やっぱりそれは、仲良くなりすぎると、不都合が起きてくることがあるから」
「そうですね――やっぱり、そういう傾向があるみたいです」
大広間にいるメンバーの頭に真っ先に浮かんだのは、フローレンスの一件だった。あの場合は株主と役員だったが、癒着して犯罪化したいい例だろう。
「ソフィーもそういう役員だったな」
クラウドは言った。彼女も生真面目な方で、パーティーに誘ってもことごとく断られた。アストロスの大戦がキッカケで、かなり彼女とは打ち解けられたと思うが、お茶の約束を果たすまえに、彼女はエーリヒを送るために旅立ってしまった。
「でも、あたしらなんかは、カルパナさんにずいぶん助けられたよ?」
セシルは、カルパナが役員として距離を置くのではなく、親身にしてくれたから、助けられたことも多くあると言った。
「俺としては、どっちがいいとは言えないですね。セシルさんのような例もあるし、ソフィーさんはソフィーさんで正解だと思うし」
テオは「いただきます」と断って、缶ビールをあけた。
「シシーは緩みすぎだと思いますけど」
キラリを寝かしつけたロイドが、大広間にもどってきた。
「パットゥさんも、バーベキュー・パーティーに誘っても、一回も来なかったもんね」
「あのひとも、キッチリ線引いてたな」
でも、すごく頼りになる人だ。メンズ・ミシェルは言った。
「どんな船客と当たるかは――俺たちにとっても、これはご縁ですから」
テオはつぶやき、
「それより、アニタさん、さっき食事のときに仰ってたこと」
「ほ?」
食いすぎた、と腹をさすりながら仰向けになっていたアニタは、ゆっくり起き上がった。
「リズンで、あなたに失礼なことを言った三人組ですが」
「え? あ、いや、失礼なことっていうか、」
「具体的に、特徴を教えていただけますか?」
「……はい?」
アニタは、さっき、食事の席で、三人の船内役員に後ろ指を指されたことを話した。アストロス停泊前に、リズンで会った、アパレル関係であろう三人組だ。直接そう言われたわけではないが、「一回目のツアーで地球に行けるひとはヒマ人だ」と言われたこと。それに傷ついたこと――そういうことが、取材先で数々あったこと。
話の流れだった。他意はない。
アニタの言葉に同意したのは、同じくらい交友関係が広いリサだった。
「あたしもあるわよ? K12区の美容室で、コンコンと諭されたことがあるもの」
リサは、いますぐ宇宙船を降りて、L55で美容師としての腕を磨くよう言われたが、それはそもそも、彼女に命令されることではなかったし、リサを地球に行かせたくない態度が見え見えで、リサは二度とそこへは行かなくなった。
リサの話を聞いたとたん、テオが、「それはどこの美容室です?」と追及したのだ。
「げーっ!! 今期の調査員、おまえか!!」
シシーが後退った。テオは呆れと冷却が混在した目でシシーを見下ろした。
「君のことなんて、報告すべきことは何もないよ。ただ、よく食うしよくしゃべるってことぐらいだろ」
「あ、あーっ!! よが、よがっだ……!!」
シシーは自分に与えられたビール缶を、おずおずとテオに差し出したが、さらなる冷たい視線が降ってきただけだった。
「賄賂が効くとでも?」
「ちょ、調査員って?」
アニタが聞くと、シシーが説明した。
「役員を調査する調査員。たいてい、派遣役員にも船内役員にもコッソリ紛れ込んでるんだけど、コイツに“失格”判押されると、役員の資格取り上げられるの!」
「ええっ!?」
「大げさだな。それに、誤解を招く表現はよせ。ちゃんと説明しろよ」
テオは深々とためいきをつき、きちんと説明した。
テオドールは、役員を調査する役員である。その役員は、ツアーごとに変更。役員が、きちんと役員としての責務を果たしているか、船客に迷惑をかけていないか、極秘に調査する役員である。特別にその仕事が割り振られるのではなく、派遣役員や船内役員の仕事の傍ら、調査員も行うというわけだ。
「ママも、一度調査員になったことがあるわ」
「カザマさんが?」
ほとんどしゃべらないミンファが、今日初めて「うん」と「いいえ」以外を口にした。
「うん。まえのツアーのとき」
テオは肩をすくめた。
「アニタさんやリサさんみたいなケースは、多いんですよ」
地球行き宇宙船の目的地は、地球である。
役員は、もちろん、船客を地球までご案内する役目がある。
しかし、リリザを過ぎたあたりから、なにかと理屈をつけて船客を帰らせようとする役員が、想像以上にいるらしい。
そして、役員の言葉が原因で、宇宙船を降りた船客も、少なからずいる。
「リサさんの、その美容師の方は、もう完璧レッドカードです。『宇宙船を降りなさい』という命令形の言葉が出た時点で、それはアウトです」
「き、厳しいのね……けっこう」
リサも、引き気味につぶやいた。
「そのあたりは厳しいです。ただ、徹底的に調査はします。船客を装った調査員が、その美容師さんに接触して、同じ言葉を引き出そうとします。それで、美容師さんがその言葉を発しましたらアウトです。証拠は取ります」
「でも、あの、あの子たちは、たぶん、悪気はなかったし……」
アニタは、三人組をかばう日が来るとは思わなかった。
「安心してください。リサさんやアニタさんの名は出ません。その三人組は、調査上、さっきの言葉が出ればアウトでしょうが、厳重注意勧告は出るでしょうね。つまりイエローカード。イエローカードが三枚そろえば、資格はく奪と、降船です」
「それって、苦労して取った資格が、取りあげられるってわけ?」
キラが大げさに飛び跳ね、リサと顔を見合わせた。
「き、気を付けることにする」
「その調査員って、もしかして、カブラギも入ってる?」
クラウドの問いに、テオは苦笑した。
「カブラギさんって――ルシアンのオーナーですか? 分かりませんね。調査員ってことは、周囲にバレないようにしてるはずなんで、俺のほかにだれが調査員なのか、俺はわかりません」
「そうか……」
クラウドは、なにか考えるように、腕を組んだ。
「あんたいま、あたしにバラしたじゃない!」
「君は、俺が調査員だとわかったから、これ以上愚かな行動はしないだろ?」
そこへ、大はしゃぎでじゃれあいながら、ネイシャとピエトが飛び込んできた。身体は大きくなっても、子どものままだ。
「いや。思春期という食い盛りに入ったってことだな」
アズラエルは、真顔で言った。炊飯ジャー一升炊き三つがカラッポになったのだ。あれだけのおかずを並べてでさえ――。
おまけに、哺乳瓶二本のミルクをたいらげる新生児が現れた。
「アニタ姉ちゃん、シシー姉ちゃん! アイス食べる?」
「食う食う!!」
「あ、あたし、もうはいんない……」
手を挙げたのは、シシーだけだった。
「コラ!! 先に着替えなさいパジャマに――お風呂は入ったの!?」
セシルの絶叫がこだまする。
シシーはついに叫んだ。
「あたし帰りたくない! 今日泊まっていい? そしてあした、焼鮭つきのおいしい朝ごはんを食べてから、役所に向かっても?」
「シシー、君、俺が調査員だって明かした理由が分かってないだろ!?」
「べつにいいが、ゲストルームがねえよ。応接間のソファに寝るか?」
「ゲストルームが欲しいって、ララにいうべきだったね」
「だって、まあ、部屋がぜんぶ埋まるとは、思ってもみなかったもんね」
「お風呂、先にいただきました♪ 次、だれが入る?」
湯気を立てたアルベリッヒが、サルーンとともに大広間へやってくる。
「にぎやかだなあ」
ルナは、ピエロとともに、三階から大広間を見下ろしていた。ピエロは、「うく、きゃ、きゃ」と目をいっぱいに見開いて、階下を見ている。
「楽しそうだもんね」
「きゃ、ぷ、うきゃ、」
「まだ寝たくないの、困ったなあ」
ルナは、ピエトがこの赤ん坊にピピと名付けなかったことが不思議だった。ピエトがこの子を連れて来たのは、弟のピピに重ねているのだと思っていた。
だが、ピエトが名付けたのは「ピエロ」。
L系惑星群の言葉では「道化師」だが、ラグ・ヴァダの言葉では、「龍」を意味する――らしい。
「君は、身体も心も、おっきくなるよ」
(絶対、死なせないからね)
この子のZOOカードは銀色の光を迸らせ、「死神」を背負って表れた。
「八つ頭の銀龍」。
天秤を背負ったハトほどとはいえないが、ララの金龍を彷彿とさせる、巨大な龍だった。
――ララの、後継者。
「でもダメです。お子ちゃまは寝るのです」
ピエロは「あー」と不満げな叫びを上げたが、ルナは部屋に連れ帰った。
薄暗い部屋のベビーベッドに寝かせると、たちまちすやすやと眠りに落ちた。
『心配するな、わたしが見ていよう』
いきなりイシュメルが現れたので、ルナは飛び上がるところだった。ノワも、のっそりと現れた。
『ルナ。おまえの神様に酒をそなえてくれ』
ノワは酒をあおる仕草をした。
「もう! お酒くさくなってたら、ピエロが酔っ払っちゃうよ!」
ルナはそう言いつつ、いつも部屋に常備してあるワインの瓶を開けて、ノワに渡した。彼は嬉しそうに受け取った。
「ルナーっ、いっしょに温泉はいろ!」
アンジェリカが呼びに来て、ベビーベッドを見て慌てて声を低めた。
「今行くよ」
ルナはそっと、部屋のドアを閉めた。
おっさんがふたり、ワインを飲みながら赤ん坊を見ている。あとで部屋に来たアズラエルが絶叫することは請け合いだ。
「イシュメルとノワに見守られた赤ちゃんなんて、死ぬ気がしないよ」
アンジェリカにもサルビアにも、ふたりの姿が見えていたらしい。
「お背中の流しっこをするのです」
サルビアは、使命感に満ち溢れた声で言った。
「うん! します!」
大広間の賑やかな声を聞きながら、ルナは、サルビアとアンジェリカとともに、リサたちも待っているお風呂に向かったのだった。




