367話 大ゲンカと涙と雨降って地固まるまで 2
「ルナたち大丈夫かなあ。すげえケンカの声が聞こえたぜ?」
ピエトは、応接室を心配しながら大広間をうろついていたが、アズラエルに止められた。
「女のケンカに首つっこむと、痛い目見るぜ」
「そうそう――止めに入るだけでも、こっちのダメージ半端ねえぞ」
グレンも言ったので、ピエトは仕方なくソファに落ち着いた。同時に玄関扉がものすごい勢いで開いた――ネイシャが帰ってきたのだ。
「ピエト!」
「ネイシャ!!」
ネイシャは屋敷に入るなりバックパックを放り投げ、ピエトに飛びついたが、ピエトはネイシャの筋肉豊かな胸に押し付けられながら、「げーっ」と情けない声を上げた。
「おま、どれだけでかくなってんだよ! すこしは遠慮しろよ!!」
「ピエトだって、それなりにでかくなったじゃん」
「それなりにな!」
ピエトは、セルゲイに向かって肩を落として言った。
「セルゲイさん、マジで何食ったらそんなにでかくなるの。俺に教えて」
セルゲイは苦笑しつつ、首を傾げた。
「私は、特に変わったことはしていないよ」
ただ、ピエロみたいに、生まれたときから大きかったらしいけど。
「見てよこれ」
ロイドが吹き出しそうな顔で、ソファに並べたピエロと、わが子キラリを見て言った。
覗き込んだ皆が、そろって笑う――なにせ、ひとつき経ったくらいのピエロのほうが、そろそろ一歳児になるキラリより大きいからである。
「キラリはほかの子と比べても小さめだけど――それでも、これはないよね」
「生まれたときからでかかったけど、日に日にでかくなるってお医者さんもびっくりしてたんだ」
重いったらないよ、とピエトは口をとがらせた。
「ピエロを抱えて三キロ走ったら、かなり鍛えられるぞ」
グレンの言葉に、ピエトはやる気を見せた。
「俺、それやろうかな」
「哺乳瓶の中身はプロテインじゃないの?」
アニタの冗談に、笑い声が起こった。
「え? なに? ピエトの新しい弟? ――ついにルナ姉ちゃんが産んだの?」
ネイシャもびっくり顔で、巨大な赤ん坊を見つめた。
「ピエトの弟ってとこは、正解だね」
「さて、きっと話し合いは、落ち着くところに落ち着いたと思うから、俺たちは荷物を取ってくるよ」
ミシェルが席を立ち、ロイドも、「ごめん。ちょっとキラリを見ていてもらってもいい?」と言って立った。
「荷物?」
ピエトとネイシャが聞くと、アズラエルたちおとなと目配せして、メンズ・ミシェルは言った。
「俺たちも、今日からここに住む――よろしくな」
ロイドも笑顔で礼をした。
「よろしくね」
「ここで、セシルさんが、宇宙船が燃えないように、がんばったんだ」
四人は、応接室のシャイン・システムから、K25区へ飛んだ。太陽の火で、いったん全焼したとはまるで思えないほど、街は約二ヶ月前の姿をとりもどしていた。砂浜まで、段々畑のようにつづく白い街並み――向こうには、ホテルと灯台も見える。
「宇宙船が太陽みたいに燃えてたのは、あたしもメンケントから見たよ」
キラも、思い出しながら震えた。
「セシルさんのおかげで、宇宙船は無事なのね」
リサは感慨深く、景色を眺め渡した。
セシルだけではなく、マミカリシドラスラオネザやサルビア――真砂名神社の面々も、たくさんの人間が、宇宙船を守ったのだ。
「言ってくれれば、あたしも一年くらいなら、寿命をあげられたのに」
キラはひとつ嘆息した。
観光客は少なかった。店は開いていたが、客と呼べる人の姿はほとんどない。やはりここは、セレブの株主が多く来る区画だったのだろうか。
アストロスの大戦以降、株主たちは、ほとんどが降りてしまったと聞いた。ルナたちは、砂浜まで降りながら、とめどもなく話をした。
彼方まで広がる砂浜には、ひとっこひとりいない。
「一気にぜんぶは話せないわ――いろいろありすぎて」
ミシェルは伸びをした。
「そうだね。ZOOカードのことから聞かないと」
「ZOOカードって、アンジェがあたしにくれた、美容師の子ネコのカードのことよね?」
リサは言った。
「そう」
「まあ、いいわ。急がないから。毎日、すこしずつ、聞いていけばいい」
あれほど知りたがったリサとキラは、言いたいことを言ったらスッキリしたのか、質問攻めにはしてこなかった。
四人は砂浜につき、波の音を聞きながら、腰を下ろした。
「――ここが、地球に着いたら、いちばんはじめに降りる街ね」
リサが、海風にあおられながら、曲げていた足を伸ばした。
「ねえ。夢で言ったこと、覚えてる」
「夢?」
キラがクエスチョンマークを掲げた顔で聞き、それからすぐに思い出した。
「第二次バブロスカ革命の記憶ね」
ルナの言葉に、リサとキラは目を見開いた。
「あれ、第二次バブロスカ革命っていうの?」
「バブロスカ――」
リサが思い出して絶叫した。
「リンデンの森があったとこ!?」
「うん」
ルナがうなずいた。
「クルクスにいたとき、すごくヒマだったからずっとZOOカード使ってたんだけど、リサの前世も出てきたの」
「……!!」
「リサが、ミシェルとユピネルの花トンネルを通ったのは、このあいだの夢じゃなくて、もういっこまえの前世。ミシェルが傭兵で、リサが軍人さんのおうちのお嬢様。結ばれる間柄じゃなかったから、あのトンネルをくぐって、きっと来世は結ばれようって誓ったんだけど、そのあとすぐ、ミシェルが戦争で死んじゃったの」
ルナは淡々と言った。
「それは、リサの魂の“美容師の子ネコ”がいってたから、ほんとだとおもう」
リサとキラはにわかに絶句して唇を舐め――やがて、リサが納得したようにうなずいた。
「そうかも」
リサもキラも、リンデンの森で、ユピネルの花トンネルをくぐったときのことを思い出していた。
ミシェルは――メンズ・ミシェルは、二百年前、リサとユピネルの花トンネルをくぐった。永遠の愛を誓って。
そして生まれ変わって、今度は花トンネルのあった場所を走り抜けて、バブロスカ監獄へ、ホックリー先生を助けに向かった。
だが、間に合わなかった。
リサは、二百年前のことは、夢を見てはいない。でも、みんなとK02区に旅行へ行ったとき、ユピネルの花トンネルで見たデジャビュは、おそらく二百年前の愛の誓いだった。
今は不思議と、せつない気持ちも込み上げてこない。
あのときすっかり、癒されたような気がするのだ。
バブロスカの夢を見たときに。
「バブロスカのことは、地名とか調べると出てくるよ」
ミシェルも言った。
「あれって、やっぱり、前世の夢なのね――」
キラは、砂まみれになるのもいとわず、砂浜に仰向けになった。リサは口をとがらせた。
「だから、覚えてる? そのバブロスカ革命の時代のとき、あたしたち、みんなで、卒業旅行は地球行き宇宙船のツアーがいいなあ、なんて話したじゃない」
「――あ」
ルナも、思い出した。
「今、あのとき約束した仲間と地球に向かってるのよ。すごいことじゃない?」
リサが大興奮で叫び――ふと思い出した。
「イマリはいたけど、……あれ? おかしいな。ミシェルはいなかったよね?」
どこにいた? 先生だっけ、と首を傾げるリサとキラに、ミシェルはふて腐れてつぶやいた。
「あたし、ひとりだけサルーディーバなの。百五十六代目のサルーディーバ」
「ええっ!?」
ふたりは飛び上がった。
「あれ軍事惑星の話でしょ。なんでサルーディーバが関わってくんの」
「リサとキラは、最後まで夢を見なかったの?」
「最後まで?」
話を聞くと、どうやらリサとキラは、自分たちが死んだところで夢は終わっているようだった。
ルナとミシェルが、かわりばんこにその後起きたことを話すと、ふたりの目はみるみる潤み始めた。
「そ、そっか――アズラエルも監獄で――グレンは、自殺しちゃったのね」
「マリーも病気で……そういえば、マリーは、生まれ変わってないのかな」
マリアンヌは、アンジェリカやサルーディーバのそばに生まれ変わっていたことを告げると、またふたりの口から驚きの絶叫が飛び出た。
「じゃあ、マリーは生まれ変わってても、もう亡くなって、イマリは宇宙船を降りちゃったんだもんね」
「なんか、びっくりすることだらけ」
「さすがのあたしも、脳みそが追いついていかないわ……」
四人そろって、砂に仰向けになった。海鳥がピ――イと甲高い鳴き声を上げて青空をよぎっていく。
余談だが、屋敷にもどってから、ルナに、集合写真――第二次バブロスカ革命時代の写真と、クラウドの筆跡が残った手紙を見せられ、リサとキラが腰を抜かすのはもう少しあとのことである。
四人はもう、なにも話さずに、波の音と海鳥の声を聞いていた。
「あたしさあ、地球に着いたら、役員になろうかと思って」
いつのまにか起き上がっていたキラが、石を海に放り投げながら言い――三人は、「ホント!?」と叫んだ。
「うん。ママも、ロイドもなるつもり。ママは船内役員で、――まあ、デレクとの再婚は、ぜんぜん考えてないみたいだけど。ロイドは、介護士の資格取って、派遣役員をやるって」
「キ、キラは? キラも派遣役員?」
キラは、その問いに、待ってましたとばかりに叫んだ。
「ううん? あたしはね、じつは、船内役員になって、カレー専門の移動販売車をやろうかと思っているのです!」
「「「カレー!?」」」
キラが両腕を広げて言うのに、三人は声をそろえて叫んだ。
「い、意外――」
リサが驚きを隠せない顔で言った。
「あたし、店を出すなら、あんたはてっきり雑貨屋さんとかだと」
ルナとミシェルもすごい勢いでうなずいた。
「あーうん、雑貨屋も考えたんだけどさ」
雑貨店は、この宇宙船に星の数ほどある。
「できるなら、宇宙船にない店を出したいじゃない?」
たしかに、カレー専門の店はいくつかあるが、移動販売車というのはあまり見なかった。
「K06区の販売車はね、K06区の役員がやってる販売車と、船内役員の個人経営者がやってるのと二通りあるの。知ってた?」
「し、知らなかった」
フレンズ・ドーナツやハンバーガーなどのチェーン店はおもにK06区の役員が交代で、それ以外の手作り弁当や、コーヒーの車などは、個人でやっている移動販売車が多いのだという。
「個人経営で移動販売車ができる許可を取れば、K06区だけじゃなくて、他の区画にも行けるんだって。リリザやマルカにも降りて販売できるそうなのよ」
「それ、楽しそうじゃない!」
ミシェルが手を打って叫んだ。
「そういうミシェルはどうなの。まさか、地球まで行って、L77に帰るってンじゃないでしょ」
リサの台詞に、ミシェルは困り顔をした。
「あたしはね、キラみたいに具体的な形は、まだ見つかってないんだ」
悩むように腕を組んだ。
「でも、このあいだも思ったけど、L77にもどって、ロビン先生のガラス工芸教室にまた通い始めるかって言ったら、いまいちピンと来なくて」
しばらくは真砂名神社に通って絵を描く生活がしたいなあ、とミシェルが言うと、
「真砂名神社の巫女さんになったら?」
「紅葉庵でバイトするとか?」
「ミシェルの作るアクセサリーを、K08区で路上販売してみるとか――」
リサ、ルナ、キラが立てつづけに言ったので、ミシェルは呆気にとられたように、「……よく考えたら、それなりにあるもんだね」と言った。
「あたしはもちろん、この宇宙船に、美容室を開くわ!」
リサは、当然でしょという顔で胸を張った。
「船内でお店を開くのは、けっこう大変らしいけど、あたしやるわ!」
リサがやるといったらやるだろう。それは、三人ともそう思った。
「ルナは?」
キラが聞いた。
「あたし? あたしはね……」




