366話 ララの隠し子 2
そもそも、この子はだれの子だという話だった。
ステルシアとていうべきところはない。モデルの男と幸せな家庭を築きますと公言しながら、ララとの関係もつづけていた。さきに釈明しておくが、ララが立場を利用して彼女を縛ったのではない――彼女が、ララから離れられなかっただけだ。
ララの取り巻きは、ララへの愛情を自分の中で十分に整理整頓できるまでは、総じてそういう傾向になる。ララがたったひとりを見ないので、ララへの献身に疲れ果てた時期に真実の愛を探そうとし、やはりララ様が一番よともどってくる。
ステルシアも、その例に漏れなかったというわけだ。
彼女は子どもを産む気でいた。
ステルシアはモデルの男の子だと言い張っていたが、ララの子だと言う可能性もあった。
ララは、だれとも結婚はしない。ステルシアもそれは分かっている。
モデルの子であるなら母子とも面倒を見るが、ララの子であれば、面倒は見ない。
ララがそう告げるのにも理由があった。
そして、彼女の腹から現れたのは、ララには似ず、どう見ても、モデルの男とステルシアの子だった。
なぜなら、彼女を難産に陥れるほどの巨大さと、白い肌に金髪――百九十センチを超える金髪碧眼の男の遺伝子をパーフェクトに受け継いだだろう容姿だったからである。
だが、ステルシアは、赤子の顔を見るなり言った。
「この子は、ララ様の子だわ」
アストロスでのゴタゴタがすんで、顔を見に行ったシグルスも、「あ、これぜったいララ様の子ですね」と保証した。
ララとしては、まったく自分にも、ステルシアにも似ていない子を自分の子だと言われても、納得いかなかった――それよりも。
「あたしは、子をつくるなと、アンジェリカに言われてる」
「――え?」
「あたしの子は、五歳になる前に死ぬといわれていてね。あたしは、一代で巨額の財を築く代わりに、実子には恵まれないってことだ」
「――!」
「妻も持たない。持てば伴侶は、早死にするだろうって話でね」
その言葉が本当かどうか確かめるにも、アンジェリカは今ここにいなかったが、ZOOカードで占われたことに違いなかった。
「まあ、だから、子ができないようかなり注意は払っていたんだが――」
「払うわりには、これまでも、三度ほど失敗されましてね」
シグルスが、メガネのフレームを押さえた。ララはそっぽを向いた。
「……」
「どうしても、女たちは、ララ様を愛するあまりに、子をなしたいと思ってしまうようで――」
「ステルシアは大丈夫だと思っていたのに」
ララは言ったが、なんの説得力もなかった。本人も誰かを納得させるつもりはなかった。
「ララ様の子をなした方々は、ひとりは母子ともに、死産で亡くなられまして、あとふたりは、子を生かしたら母親が死にまして。まったく、罪深いお方です……」
ルナたちは息をのんだが、シグルスの嘆息は、まったくララには響いていなかった。
ルナとミシェルがだれのことを思い出していたか――だが、ララもシグルスも、その名をここで出そうとはしなかった。
「生き残ったお子様がたは、ララ様のお子としてではなく、まったく親が不明の孤児として、白龍グループの孤児院で成長しております。いずれ、傭兵になるでしょう」
シグルスは、ピエトの膝ですやすやと眠る赤ん坊を見つめた。
「その子は、船内の孤児院に置くか、白龍グループの孤児院にしようか、話し合ってはいたのですが」
ここで、ピエトのほうに話が移った。
そのころ、ピエトは四人部屋の普通病棟で、ケガの完治を待っていた。ルーム・メイトは、ひとりは病気のおばあさんで、もうひとりは寝たきりのおじいさん。ふたりとも寝てばかりだったので、ピエトはいつも静かな時間を過ごしていた――そこへ入ってきたのが、ステルシアだった。
彼女は、大きなおなかを抱えていた。
「明後日、予定日なのよ」
ステルシアは気さくなたちで、ピエトにもずいぶん話しかけた。
E005で、ずいぶん大きなメルーヴァの宇宙船が見つかり、戦闘になった。アストロスは入星できない状態であり、L20の軍人で大ケガをした重傷患者がE353まで流れてきて、病室の空きが少なくなり、移動させられたのだと彼女は言った。
「仲良くしてね、ピエト」
「うん!」
毎日リサとミシェルが来てくれるが、さみしい思いをしていたピエトは嬉しかった。
しかし彼女は、産むまではおだやかだったのに、出産がすんだら豹変した。泣きふさいでばかりで、赤ん坊には触れさえしなかった。張る乳房をもてあまし、ヒステリックに泣きわめきながら、看護師が連れてくる我が子を、「あたしに見せないで!」とわめく始末――それでいて、赤ん坊の顔が見えないと、「どうして連れて来てくれないの」と、再び泣くのだ。
けれども、赤ん坊を連れて来ても、決して抱かない。顔を見るのも嫌になるようなのだ。そのときの様子を見ていたリサは、言った。
「マタニティ・ブルーにしたって、ひどかったわ」
それで、ピエトがついに手を出した。母親に抱いてもらえず、泣きわめく赤ちゃんがかわいそうで。
リサが赤子に触れようとするのは、彼女は嫌がった。ミシェルもダメだ。けれども、ピエトはだいじょうぶだった。
ケガが治っていないピエトは、赤子を抱くことは叶わなかったが、彼女のそばまで行って、ベビーベッドに寝かされた赤子をあやした。それを見て、ステルシアはほっとしたように涙をこぼすのだった。
ステルシアは、自分が赤子を抱くことはできないけれど、ピエトが赤子をそばに置いてあやしてくれているのを見るのは好きなようだった。
ある日、ステルシアは、ピエトが寝ているうちに、ベビーベッドごとピエトのベッドそばに赤子を移動させ、自分は姿を消した。
ピエトも仰天したが、看護師たちも仰天した。事情を知った、リサとミシェルもである。
ララたちが病院に顔を見せたのは、ステルシアがいなくなったその日だった。
「おまえ、ピエトじゃないか」
「あっ! ララさん!?」
ふたりは、病室で思いもかけない邂逅を果たす。
ステルシアが消え、ピエトのもとに赤子が残されたと知ったとき――ララは運命を感じた。
赤子の行く末は、ララの中で最悪の方向からシフトチェンジした。
「サイアクの方向って――」
ルナが青ざめた声で言うのに、ララは重い口を開いた。
「さっき言っただろ? あたしの子じゃなかったらいいが、あたしの子だったら、母親の命か、子どもの命か選ばなくちゃならない。子どもの命を選択すると、母親は確実に――自殺する」
「それで、ステルシアさんは?」
焦ったリサの問いに、ララは「無事だ。ちゃんと保護してる」とだけ言った。
「赤子の顔を初めて見たとき、あたしは当然、その子はステルシアと――その、アイツの子だと思っていた」
ララが口に出した男の名は、ルナたちも知る世界モデルの名だったので、みんなはびっくりした。それで分かった。たしかに、ピエロは――ピエトの腕に抱かれる赤子は、特徴だけで言えば、彼にそっくりだ。金髪碧眼に白い肌。
「ステルシアは焦げ茶色の髪だ。アズラエルの髪色に近いね――目の色もブラウンだ。あたしはこのとおり、産まれたときからどっちも真っ黒。ぜったいアイツの子だと思っていた。だが、ステルシアもシグルスもあたしの子だって聞かないから、DNA鑑定はした」
「――そうしたら、ほんとうに、君の子だったと」
クラウドの言葉に、
「残念だが」
ララは、めずらしくも、深い深い嘆息をこぼした。
「先祖返りってヤツかもな。だいたい、両親が金髪なのに黒髪が生まれたりってのは、ザラにあるしな」
「めずらしいケースではありますけどね」
シグルスも嘆息した。
「あたしは今回、母親を選んだ」
ララは告げた。
「だからもしかしたら、その子は――五歳になるまえに、死ぬかもしれない」
座が凍り付いた。だれもが、ピエトと、彼が抱く赤ん坊を見つめた。
ルナだけは、ララの視線の意味が分かっていた。
(ピエロは、K19区の子どもと同じだ)
――最初から、死を宣告された子ども。
うさこが、助ける方法を知っているかもしれないはずの子ども。
どうして、ピエトがこの子を導いてきたのか、ルナはぼんやりと認識した。
(K19区の役員になるまえに、まずはこの子を助けるのね? うさこ)
「ピエトが、ルナならきっとなんとかできるって言って、連れて行くと言い張った」
ララの言葉に、ふたたびリサの顔がしかめっ面になったが、だれも気が付かなかった。
ピエトはうつむき、掬い上げるような目で、ルナを見た。
ルナは、自分の膝頭を見つめていたが、決心したように言った。
「ピエト、“ピエロ”を貸して」
「う、うん!」
ルナは、赤子の名を呼んで、ピエトから預かった。ルナが赤子の名を呼んだことに、ピエトは嬉しそうに返事をした。
ルナは、ものすごく重く、どこも悪いところはなさそうな、健康そのものの赤ん坊を、じっと見つめた。
(君は、生きたくて、生まれて来たのだもんね?)
ピエロは、ルナの顔を見たとたんに、くしゃくしゃの笑顔になった。
「あ、笑った――!」
ピエトも笑顔になった。
腕の中に香る赤ん坊のにおい。生まれたてのにおい。ルナも自然と、笑みをこぼした。
(生きるんだよ? あたしも、うさこといっしょに、なんとかするから)
「ララさん」
ルナはピエロを抱きしめ、決意した。
「あたしの子どもにする」
ピエトの顔が輝き、皆の顔色は多種多様だった。心配そうな顔に、やっぱりね、という顔、純粋に驚いている顔――。
「心配いらないよ。地球に着くまでになるかもしれないけど、あたしがいっしょに育てるから」
セシルから頼もしい言葉が出たし、クラウドも言った。
「アンジェもいち早く子育て体験できていいんじゃない?」
「ツキヨさんとリンファンさんが、また卒倒するほど驚くわね」
セシルはおかしげに言った。
「チロルがいなくなってさみしかったけど、また張り合いがでてきたわ」
ララは、驚きこそしなかったが、ルナの言葉を当然と思ってもいないようだった――ただ、ものすごく大きな積み荷を降ろしたときのような顔をした。
「あたしの子を、育ててくれるの。ルナ?」
「だって、そのつもりで、ピエトに預けたんでしょ?」
ルナが言うと、ララの口が三日月形に釣り上がった。
「さすがルナだ! 愛してるよ永遠のあたしの恋人――」
「待てコラ。ルナの伴侶は俺だ――俺がまだ、許可してねえぞ」
ルナとピエトの真顔が、アズラエルに向けられた。
「いいか――ピエトは俺の養子で、ピエロもまず、俺の養子だ。ルナじゃおそらく認められねえ――そうだろうが、シグルス」
「そうですね。ルナさんのお気持ちはありがたいですが、ご結婚されているならまだしも、今の時点では、アズラエルさんのほうが、すんなり養子縁組は通るでしょうね」
「あっ!」
「なら、話をつけるのは俺が先だろ――でかいガキだな」
アズラエルが、ルナの膝からピエロを浚った。ルナは驚いた。赤ちゃんは壊しそうで怖いといって、近寄りもしないアズラエルが、自分から抱き上げたのだ。
ピエロは、アズラエルに抱かれても、キャッキャと笑顔を見せた。
「じょうぶそうなガキだな。ちょっとやそっとじゃ死にそうにねえ顔してるぞ」
「ララ様のお子ですからね」
「好き勝手いいやがっててめえらは」
ララは肩をすくめた。
「あたしも抱きたい。貸して」
ミシェルが手を出し、グレンやセルゲイにも赤ん坊は回されていった。
「新しいルーム・メイトか。よろしくね。俺はアルベリッヒ。こっちはサルーンだよ」
アルベリッヒが抱き上げて挨拶をし、サルーンが不思議そうに赤ちゃんを覗き込んでいる。
「二十七人目! よろしくね~! キミもいっしょに、地球に行くんだよ!」
アニタも、アルベリッヒの隣から、赤ちゃんをあやした。
「でも、今年の四月はじめで、船客の受け入れは終わっただろ――この子の立ち位置はどうなるの。船客? それとも株主の子だから――」
クラウドの疑問に、シグルスが答えた。
「この子が入船できたのは、ララ様のお子だからです。つまり、株主の子だからということになりますね。株主は、だれを連れて乗ろうがとくに審査も期限もありませんから。しかし、アズラエルさんとの養子縁組が成った場合は、船客となります。つまり、船客の条件が適用されます」
「月額三十万デルの報酬、降船時は三ヶ月宇宙船を離れると乗船資格を失う、そのあたりもか?」
メンズ・ミシェルの言葉に、シグルスはうなずいた。
「はい」
「なるほど……」
ミシェルは「やっぱ、二十七人目だわ」とつぶやいた。
「ずっとピエトと連絡が取れなかったのは、このことでてんてこまいしていたからなんだね」
ルナがピエトの頭を撫でると、なぜかピエトは困り顔をした。
「ちがうわよ」
剣のある声は――やはり、リサだった。
「あたしが連絡しなくてもいいって言ったのよ。どうせ、こっちの心配なんて、ルナはしてないんだから」
リサの様子が、どうもおかしい。それは皆にもわかった。メンズ・ミシェルが苦笑しながら言った。
「ルナちゃんのほうが正解だ。ピエロのことでバタバタしてて――」
「ルナは一ヶ月、やることがあってどこにも出られなかったのよ」
リサの苛立ちの意味がわからず、自然とレディ・ミシェルの声も刺々しくなった。
「ピエトを迎えに行こうとしたけど、部屋から出してもらえなかったんだから!」
「それ、どういうこと?」
「それは、言えないけど、いろいろあって!」
「どうせあたしには言えないんでしょ!? 分かってるわよ!!」
さすがにおとなたちは顔を見合わせたし、ピエトも緊張した顔でリサとミシェルが睨みあうのを見た。
「まあ――とにかく、世話をかけた」
ララの声で、固まった空気がゆるんだ。話は済んだといわんばかりに彼は席を立った。混ぜっ返されたことに、どことなく、リサが一番ほっとしているように見えた。
「もしよろしければ」
シグルスが玄関に向かいながら、アズラエルに向かって言った。彼の腕には、大きな赤ん坊が抱えられている。ピエロは、ふくふくの手で、アズラエルのほっぺたを叩いていた。
「いてえんだよ。食っちまうぞ」
アズラエルが大口を開けてピエロの手を噛むしぐさをすると、ピエロはますます喜んで笑った。
「さっそく養子縁組を済ませたいと思います。明日、アズラエルさんとルナさんおふたりに、中央区役所へご足労いただきたいのですが、かまいませんか」
「ああ、わかった」
「ルナ、アズラエル」
屋敷を去り際、めずらしくララが真剣な顔で礼を言った。彼が頭を下げるところを見たのははじめてだった。
「ありがとう」




