44話 革命家のライオン
L47の北地区は、まともに出歩ける環境ではない。
吹雪がやむことは滅多になく、氷点下の大地はたちまちにひとの生命を奪う。
だがメルーヴァには――メルーヴァと、その仲間達には、この気候が肌にあっていた。
故郷、L03も極寒の砂漠、ガルダがある。この雪、風、大地のにおい、ことごとくが故郷と似ていた。メルーヴァが、潜伏先にこの地を選んだことを、シェハザールもツァオも、さすがメルーヴァ様と感嘆したものだ。
メルーヴァは、L4系の風土や気候にくわしいわけではない。
「予言」に従ってここへきたら、風土が故郷と同じだった、それだけだ。L4系は寒い星ばかりではない。L42などは、太陽に近いため、こちらとは違って灼熱になるのである。
今日の夜は、吹雪が止んだ。
メルーヴァは、故郷の冬でそうしていたように、厚くストールを着こんで、朽ち果てた神殿の外で本を読んでいた。この神殿は、古くからあった遺跡だろう。L系惑星群の原住民たちの。造りもどこかL03の建物に似ていてなつかしい。
彼は、座っていても、上背があることが伺い知れる。アズラエルやグレンが、メルーヴァに会ったときはまだ少年だったが、二十一の齢を迎えた今は、おさないころの容姿を思い出せないほど、たくましい青年に成長していた。
L47で厳しい肉体労働をしてきたために、身体は丈夫な筋肉で覆われていて、その武骨な手は、故郷の予言師によくある白魚の手ではなくなっていた。
オアシスの水脈に映る宝石のように澄んでいた目は健在だったが、それは苦難を経た鋭いまなざしに変わっている。苦難のあとは、その頬にも表れていた。頬にはまっすぐ走った傷跡。
それだけではなく、美しい黒髪の色は、まったくなくなっていた。肩まである長い髪は、真っ白になっていた。
想像を絶する苦悩のため、彼の髪は色を失った。
泣き枯れた声は、変声期を過ぎるまえにしゃがれ声となった。ソプラノの、かわいらしかった声は、ひと夜で変貌していた。
マリアンヌの――ように。
アンジェリカが私を見ても、だれかわからないかもしれない。
メルーヴァは、何度、そう自嘲したかしれない。
すくなくともメルーヴァは、親が決めた婚約者のアンジェリカを愛していた。
頭がよく、明るくて、叡智にあふれた彼女を。
メルーヴァはどちらかというと美しいほうだったから、アンジェリカと並ぶと、みんなが顔をしかめた。不似合いだといわんばかりの態度だった。
でもメルーヴァは好きだった、アンジェリカが。
もう、会えないかもしれないけれど。
満天の星で、夜空は美しいほどだったが、こういう日こそ、温度は下がる。唯一外気にさらされている頬が感じるつめたさは、だんだん感覚が鈍ってくるくらいだ。
彼は本を閉じた。仲間が近づいてくる気配を察したからだ。
L03を出てから、彼の予言の力、そして不可思議な力は、純度を増している。
「メルーヴァ様。お呼びですか」
来たのはシェハザールだ。――マリアンヌを愛していた、優しい、われらの乳兄弟。
「シェハ。マリーが死んだ」
シェハザールは、ビクリと身体を揺らし、それから、両の手の力を落とした。
「……お亡くなりに」
「宇宙船で、綺麗な病室が見えたよ。花が飾られていた。毎日、だれかが花を置いていく。あの担当役員はとても親切だ。最期までマリーを看取ってくれた。おそらく彼女は、マリーの遺体をL03に送ることはしないだろう。マリーは、宇宙船で埋葬される」
「そう、ですか……」
お互い、もう涙は出なかった。マリアンヌがL18に「売られた」と知ったとき、ふたりでひと晩中泣き明かした。マリアンヌの惨い結末を知ったときも――。
「さみしくは、なかったのですね……」
それならいい、とシェハザールはつぶやいた。
最期くらい、やすらかに逝けたのなら。
「シェハ。マリーの死とともに行動を起こすよう、予言を受けていた。いよいよ、動くぞ」
メルーヴァの声に、シェハザールの両手に、力がもどった。
保身と、見せかけの大義のためマリアンヌを売った、L03の腐った中枢を、われらは追放する。
そして――マリアンヌを惨い目に遭わせた、L18をも、滅ぼす。
それが、マ・アース・ジャ・ハーナの神の導く、われらが使命。
「L03のツァオに連絡しろ。革命は、いったん収束したかに見せかけるのだ」
「――収束、ですか」
「そうだ。できるかぎりの人数をL03から離れさせろ」
「そろそろL18の介入があるころでしょうな」
「L18には、L03の革命に手出しはさせん」
我らがここを発った瞬間に、L4系の惑星のあちこちで、戦争が勃発する。
鎮圧に、軍事惑星は手を割かれる。収束しかかった辺境の惑星の鎮圧など、後回しだ。
すでに、長老会の老人どもは、L05に亡命している。奴らは、自分の身に害さえ及ばなければ余計な騒ぎだてはすまい。自分たちは安全な場所にいるのだから。
それに、ただでさえ、L03は面倒な星として、L18には疎ましがられている。放っておかれるだろう。
「おお――メルーヴァ様!」
シェハザールは、感嘆の声を上げた。
「同志たちはすべてこのL47に結集させる。そうして、L4系の戦争の火種を煽るのだ。そしてシェハ、おまえはL03で同士を集めろ。屈強な者で、意志の固いものを十人選んで、L22で私と合流だ」
「L22!? 敵の懐に飛び込むようなものですぞ」
「心配いらない――すべては?」
「マ・アース・ジャ・ハーナの神の、ご意志のままに」
「そうだ。行け、シェハ」
「は」
シェハザールが身を翻そうとしたとき、メルーヴァからぽんと投げられて、あわててそれを受け取った。さっきまで、メルーヴァが読んでいた本だ。
「バブロスカ――我が革命の血潮? L18の本ではありませんか」
「読んでおけ。ツァオにも読ませろ」
「われらの革命を、L18の革命に習おうというのですか」
「そうではない。――いつか、その本の意味がわかるときがくる」
「分かりました。皆に読ませます」
シェハザールは、本を懐にしまい、消えるように立ち去った。
メルーヴァは大空を見上げた。星は、鮮やか過ぎるほど煌めいて見える。
私が習うべきは、その志だ。
メルーヴァは思った。
ユキト・K・アーズガルドよ。L18ではあなたの星葬が行われたそうだな。
いつか、ロメリアたちの名誉回復も行われるだろう。
L18では消え失せた、英雄の名。
バブロスカ革命の英雄たちよ。
われらもそうありたいと願う。
“ロメリア”がそう願ったように、我らの代で革命がならなくても、きっとあとに引き継ぐ者がいる。
ロメリアのあとに、ユキトがあったように。
我らの名は消え失せても。
本当なら、この革命が私怨から発する私には、あなたたちを畏敬する資格もないのかもしれない。
神は私に選ばせた。
L03の中だけで革命が収束し、L03が改革される――。
それには、サルーディーバ姉さまを宇宙船に乗せず、彼女を頭にして、革命を起こす。
われらが追放すべきは長老会のみだ。現職サルーディーバさまはご高齢であり、そろそろ引退したいと願っておられた。お姉さまにであれば、あっけなく君主の座を譲りわたされたであろう。
革命はなんなく成功しただろう。戦争にはならず、長老会は無血開城され、革命はL03の中だけで収束し、あと三年ほど待てば、イシュメルが生誕し、すべては平和のうちにおさまっていただろう。
だが、私は許せなかったのだ。
たとえ、L03の中で革命は終わり、平和が訪れるとしても、マリーは帰ってこない。
マリーをL18に売った者も、マリーをあれほどむごい目に遭わせた者も、裁かれることはない。
そして、マリーは宇宙船にも乗せられず、L18のどことも知れぬ場所に朽ち捨てられるかもしれなかったのだ。
あれが、運命の分かれ道だった。
私は、サルーディーバ姉さまを宇宙船に乗せた。
いいや――彼女が宇宙船に乗ることを、止めなかった。
結果としては、長老会がサルーディーバ姉さまを宇宙船に乗せたという形になったが、そうせざるを得なかった。若い世代に支持されている姉さまを、われらが革命の旗印に掲げれば、長老会は危うくなる。姉さまを宇宙船に追い払ったと言っていい。
われらは、姉さまには革命の話はしなかった。すでに長老会に反発し、蟄居を申し渡されて一切の情報を遮断され、部屋に閉じ込められていた彼女は、革命が起こり始めていることも知りはしなかっただろう。
さすがに、宇宙船に乗った今は、ある程度はご存知かもしれない。
だが、L03には、もう帰れはしない。
彼女が地球行き宇宙船に乗りさえすれば、すべての時間ははじまる。
時計は動き出す。
もうひとつの、選択肢。
L系惑星群が、戦火に巻き込まれようとも、――そう、L03の革命は為される。
姉さまもマリーも救われ、長老会は――L18は――ドーソン一族は、滅亡する。
長老会は、マリーを売った上に、マリーの言うことを、毛ほども信じはしなかった。
あれほど、L03の平和を願い、サルーディーバ姉さまを宇宙船に乗せてはならぬと、そうすれば神が示したもうひとつの変革の道が開かれる――L系惑星群までを巻き込む惨事になると、あれほど長老会に申し立てていたマリーの言は、聞き入れられなかった。
予言者の中でも位の低いマリーの言うことは、すべて、無視された。
われらの父母が、娘の末路を知り、後追いをしたことも長老会は無視した。
認めなかった。どこまでもマリーは、L03の名誉と大義のために死んだのだと、建前の言を崩さなかった。
――私は、おろかだった。
マリーが死んだのは、私のせいだ。
長老会のおろかを、私は知るべきだったのだ。姉さまのように最初から長老会にたてつき、革命を起こしていれば――マリーは死ななかっただろうに。
愚かなやつらは分かりもすまい。
メルーヴァの改革を避けようとしていながら、メルーヴァを革命に追いやったのは、みずからだということを。
地球の故事を知りながら――「カサンドラ」の予言を信じず、滅びたトロイのように。
長老会よ。おまえたちは、すでに腐敗したL03の中枢は滅びる。
メルーヴァの改革によって、すべては滅び去る。
メルーヴァが生誕するのは偶然ではない。
マ・アース・ジャ・ハーナの神がもたらす裁きなのだ。
これ以上、L03が腐敗せぬための。
マ・アース・ジャ・ハーナの神が、メルーヴァにもたらすは、裁きという名の審判。
イシュメルにもたらすは、平和とよみがえりの力だ。
だが、ほんとうの、マ・アース・ジャ・ハーナの神の力は――。
月を眺める子ウサギよ。
マ・アース・ジャ・ハーナの神の、真実の力を知る者よ。
ウサギのカードを持つものは、だれかを救うさだめにある。
マリーもそうであったように。
マリーは「ジャータカの子ウサギ」だった。
マリーは救った。その身をもって、L18の怒りから、L03を。
マリーは死んだ。月を眺める子ウサギ、あなたの知らないところで。
恋も知らずに。
シェハも、マリーも、互いに心を秘めたまま、ついに結ばれることなく終わった。
予言は予言。見えぬものなどなにもない。
私には、透き通るようにすべてが見える。
――アズラエル様、グレン様、申し訳ありません。
私は、あなたがたの愛する子ウサギを、この手にかけることになるでしょう。
だが私は、月を眺める子ウサギ、あなたが唯一の希望であることも知っている。
あなたがL18を救い、サルーディーバ様を救う。
予言によって、これほど先々が見えながら、私は予言に裏切られることを望んでいるのです。
神の一手が、あなたを救うことを願っている。
――さようなら、マリー。
どうか、やすらかに。
私も見たよ。
君がマ・アース・ジャ・ハーナの神から受け取ったもの。
壮大な、叙事詩。
未来の予言ではなく、過去の物語。
――ひとりの少女の、かなしい、輪廻転生の物語を。
第一部 【完】




