364話 新しい家と新しい同居人 Ⅰ 1
「おはようございます」
シグルスがやってきた。ついに、ルナたちの家が出来上がった――地球行き宇宙船がアストロスを出航する、まさに当日であった。
昨夜、ルナたちは港町マーシャルからクルクスの居城に帰ってきた。二泊三日の小旅行ではあったが、みんなぐったりくたびれていた。
「――ずいぶん濃い三日だったぜ」
最後の夜が極め付け。グレンの台詞は、皆の言葉を代弁した。やっとラグ・ヴァダの武神を倒したかと思ったら、一番厄介な事態が残っていた。
「私たちに、安穏の日はないのかな」
セルゲイもぼやいたが、ルナとミシェルは、電車内でも気持ちよく寝ていた。
「のんきな寝顔しやがって」
アズラエルは、ルナのほっぺたを、むに、とつまんだ。
「ほんとだよね」
セルゲイも恨みがましく、反対側の頬をつまんだ。ルナは「うう~ん」と顔をしかめたが、男たちはほっぺたをぷにるのをやめなかった。
「このアホ面に軍事惑星の命運がかかっているとか、考えたくもねえな」
グレンも、ミシェルのほっぺたをつまんだ。そうすべき事態なのだと勘違いしたサルビアは、遅れまいと、ミシェルの反対側の頬をつまんだ。
「ふふ……柔らかいですね」
サルビアは楽しそうに言った。その笑顔があまりにも素直だったので、男たちは毒気を抜かれて、黙ったのだった。「ミシェルお触り禁止令」の立札を出そうとしたクラウドも、静かにひっこめた。
サルビアは、いつまでも幸せそうに、ミシェルのほっぺたをつまんでいた。
「もう、いいぞ」
とだれかが止めるまで。
翌朝、ルームサービスで朝食を取っていると、シグルスが顔を出した。カザマも一緒だった。
「皆様の住宅が完成しましたので、お移りいただきます」
「やったー!!」
「おうちができた!!」
ルナとミシェルは手を取りあって跳ね、
「やっと地球行き宇宙船にもどれるのか」
と、アズラエルも背骨を鳴らしながら立った。
ようやくVIPホテルを――アストロスを出発できる。
ザボン市長とインダ副市長をはじめ、大勢が、もしかしたらクルクスの人口全員が――ルナたちを見送るために城の外に集まっていた。城を管理する者たちだけでなく、クルクスの街からも、守ってくれた英雄たちを見送ろうと城につめかけていた。
そのあまりな人数に、ルナたちは怯んだ。城の入り口から、アストロスの武神像まで、大行列ができている。
「どうかふたたびアストロスを訪れたときは、この城にご宿泊してください」
ザボンは、一ヶ月の宿泊費をだれからも取らなかった。地球行き宇宙船からもだ。
クルクス総出の見送りに、気恥ずかしい思いをしつつ、ザボンたちと別れを告げ――ルナたちは、シグルスが手配したリムジンで古城を出た。
「お元気で!」
ザボンは、いつまでもいつまでも、手を振っていた。
この一ヶ月、訪問者と会うのが役目だと言われたルナは、ほとんど城の外に出られなかったわけだが、それでも、城内にいることを条件に、ジュエルス海沿岸まで散歩に出たりした――そのジュエルス海とも、しばらくおさらばだ。
ルナは車の窓にべったり貼りつき、ふた柱の武神像を見送り、海を見送った。
役員になりでもしなければ、二度と来ることはないだろうアストロス。
(またくるね。アスラーエルに、アルグレン)
ルナだけではなく、皆が感慨深い気持ちで、クルクスを出発した。
来たときのようにジュエルス海を船で渡らず、ガクルックスの空港から、飛行機でケンタウル・シティへ入った。
戦いが終わって一ヶ月――建設工事中の建物だらけだったが、ひとは大勢いた――街は、すっかりもとの活気を取りもどしていた。ほかの星へ避難していた住民が、もどりはじめているのだった。
ケンタウルの中央街オルボブは、最先端都市だ。この地の修復が一番早かった。
ルナたちが先日来たときは、もうシャインが復旧していた。
空中には入り組んだ通路が混在していて、飛空車が停車場で大勢を乗せて運んでいた。マルカで見たスクアーロ型の空中浮遊バスもたくさん運航している。
宇宙港のロビー壁面一列に並んだシャイン・システムからは、ぞくぞくと人が押し寄せる。
肌が青かったり赤かったり、頭に髪がなくて、とげがついていたり――S系惑星群や、L系惑星群の少数民族にいる、ルナたちとはちがう人種も混在していた。
大勢の観光客でにぎわうスペース・ステーションは、これが本来の姿なのだろう。
ルナたちはまっすぐ、地球行き宇宙船直通の小型移動用宇宙船が停車する出航ロビーへ移動した。
ルナは、青空をボケっと眺めていたので、容赦なくアズラエルに所持されて、先へ進んだ。
(さよなら、アストロス)
役員になって、また来ます。
ルナは、アズラエルに運搬されつつ、誓った。
移動用宇宙船に乗り、遠くなっていくアストロスを見つめながら、ルナたちは地球行き宇宙船に向かった。
ここからは見えないが、アストロスの八つの衛星は、陰ながら、ルナたちを助けてくれていたらしい。
アズサが心配していた軌道の変化や、異常は見当たらなかった。
大きな宇宙船が数機、アストロスと衛星の間を行き来している。アズサの軍は、しばらくアストロスに残って復興支援をするのだとか。すでに、フライヤの隊はL20に向かったと聞いたが――。
(ありがとう。アストロス。バンヴィ。そして、衛星のかみさま)
ルナは、衛星があるほうを見つめながら、お礼を言った。
すぐに、地球行き宇宙船の機体が見えてくる。
果てのない宇宙を進む灰色の機体は、このあいだ太陽となって燃えていたのがウソのように、なめらかな外壁を取りもどしていた。
十五分ほどで、懐かしいK15区の玄関口通路に降り立つ。アナウンスが、繰り返し放送されていた。
『アストロス出航は今夜21時38分――次の停車は、エリアC153――エリアC153――三日後の到着となります。一般船客の降船はありません』
シグルスは、通路内のシャイン・システムに皆を案内した。彼がK27区のボタンを押すのを、ルナとミシェルは見逃さなかった。
(K27区?)
(38区じゃなくて?)
数秒も経たず開いた扉の向こうには、オープン前の巨大ショッピングモールが現れた。ルナたちは、一瞬、K12区に降り立ったのではないかと勘違いした。
「K27区にこんなのができたの!」
ルナとミシェルは、背を伸ばして広大な敷地を眺めた。
「少し歩きますが、よろしいですか?」
出た場所は、モール駐車場のシャイン・システムだった。シグルスは、新しい街並みを見せたいようだった。
「ここ、どこかわかります?」
オープン前で、ひと気のない駐車場を歩きながら、カザマが聞いた。ルナたちは本当に分からなくて、首を振った。
「ここは、ルナさんたちが最初のころ住んでいたアパートがあったあたりです」
「ほんと!?」
言われなければ気づかなかった。ルナたちが宇宙船に入ったときに住みはじめたアパートの近辺らしい。近くにあったスーパーやコンビニエンスストアなどはすべて撤収され、この巨大複合施設ができている。
「ここは、K21区との境界線なんですよ」
シグルスは、広大な駐車場に運び込まれていたリムジンに、もう一度皆を乗せた。そして、森がある方に向かって走り出した。
「ここ、南地区では、一番大きな複合施設になります」
川を越え、見覚えのある公園が見えてきた。――リズンも見える。
シグルスは道路を右折し、住宅街のほうへ回った。公園沿いに、小さなアパート群や、住宅が立ち並んでいた。
「このあたりは、住宅街になったんだな」
かつて、大型スーパーや商店街があったあたりだ。セルゲイはすっかり変わった景色を眺めながらつぶやいた。
「知らないラーメン屋さんができてる……」
「おそばやさん、おそばやさん!!」
「リサが前、通ってた美容室だ」
「毬色ってどこに移転したの」
ルナたちは、せわしなく窓の外を指してわめきあった。
「あっ! マタドール・カフェだ!」
住宅街にまぎれるように、マタドール・カフェは、もとの店舗の姿を保ったままそこにあった。
「ほんとだ!」
「リズンはすこし遠くなりますが、マタドール・カフェは近くなりますね」
カザマの言葉が終わるか終わらないかのうちに、リムジンはまた右折した。
住宅街の奥まった通り――並木道を過ぎ、河川に面した通りはそこだけ道路も広く、標識が立っていて、「227ストリート」と書かれた、洒落た看板がかかっていた。
あきらかに、他の住宅街とは建物も光景も、一線を画していた。
一気に、視界に入る緑が増えた。
227ストリートの道路は幅広く、通りには、四件しか屋敷が建っていない。そのどれもが広大な敷地だった。
リムジンは、一番奥の、左手の屋敷まえに停まった。
「これが新しい住居です」
シグルスが車のドアを開け、外へ促した。
「は……!」
「わ……!」
ルナたちは、口を開けてお屋敷を見つめた。アズラエルたちも、口を開けた。
「おいおい――マジかよ」
「グレードアップしてる……」
K38区のお屋敷と、ほぼ変わらない豪邸がめのまえに建っていた。しかし、K38区の屋敷とは比べ物にならないほど敷地は広い。
広めの庭と野外プール――庭は、子どもたちが全力ではしゃぎまわれるほど広く――というより、ちょっと、玄関までの道路が長い。長すぎる。ていうか屋敷内に道路。その道路は、左右を花々と庭木に囲まれていた。
プールは二十五メートルプール。目が痛いほど真っ白なプールサイドがここから見える。K38区の屋敷では暖炉があった側が、一面ガラス張りになっていて、プールサイドへ移動できるようになっている。
はなれにある車庫は、地下と一階で四台収納可能、車庫の上に、バーベキューができるテラスがあるのは、まえの屋敷と同じだ。
屋敷の二階には、テラス側に広いベランダがあった。
周囲には、似た形状の屋敷が三軒建っている。家々を区切るのは、白いガーデンエッジとレンガ、小川、そして豊かな木々だ。家々のすきまには、小さな森ができていた。
家々の側面を流れる小川のせせらぎと、小鳥の鳴き声。
ルナとミシェルは、デジャヴュを感じた――そう、グリーン・ガーデンに似ている。
あそこは母屋のまわりにコテージが乱立している感じだったが、ここはでかい屋敷が中央にドン! と建っている。そんな感じ。
「グリーン・ガーデンみたいだね」
ルナとミシェルがそんなことを思っていたら、クラウドが口にした。アズラエルも同意するように肩をすくめた。
「この河川敷をまっすぐあちらに降りていきますと、リズンのほうへ出られ――」
口を開けっ放しのルナたちに、説明を始めたシグルスだったが。
「ルウウウシイイイ!!! ミーシェルウウウウウウ!!!!」
「「ぷぎゅ!!」」
屋敷から飛び出してきたオーナーに、ウサギと子ネコは相変わらず羽交い絞めにされた。
「よくがんばったよ! 無事でよかった――ああ、よかった! あんたたちに何ごとかがあったなら、あたしがこのラグ・ヴァダやらなんやらの化石をぶっ壊しに行くところだったよ――顔を見せておくれ」
ララは、ふたりの顔を交互に見、
「肝が据わった顔になった気がするね! もちろん、可愛さはそのままで! さあさ、屋敷に入っておくれ」
クルクスで会ったときも、ララに同じことを言われた気がしたルナたちだった。
ララはせわしなく叫びながら、ドアを開けた。
「なにもかもというわけにはいかないけどね! だいたい、そのまんまだよ!!」
ララが言ったとおり、屋敷の中は、K38区のかつて暮らしていた屋敷と同じほぼ同じつくりだった。
入ってすぐの三階まで吹き抜けの大広間――ララが引っ越し祝いにミシェルにくれた絵画も、あらゆる置き物や家具が無事だった。ヘレンのおかげだ。
そして、大広間の壁には、見たことのない新しい絵画が増えていた。
以前暖炉があったほうは、ガラス戸になっている。暖炉があるのはガラス戸の真向かいだった。
暖炉の横にはセプテンの古時計があった。以前と違うのは、いくつかのアンティークの品物と一緒に、サイドボードに飾られていたことだった。
古時計は一応、ルナがクルクスに出立したとき持っていったのだが、ララとシグルスが来たときに、シグルスに預けたのだった。
天井に飾られたきらびやかなシャンデリアは、かつてアンジェラがデザインしたものだ。
ちなみに、ルナのノーチェ555も無事だった。多少修理には入ったが、綺麗なままで車庫におさめられている。
「同じだけど――同じだけど!?」
「なんかすごくなってる!?」
「気に入ってくれたらうれしいよ」
ララはふんぞり返りすぎて、真後ろに倒れそうだった。
「前の屋敷と同じ三階建てで、三階の部屋はロフトつきだよ。三階には六部屋、二階は五部屋。一階は、書斎と応接間、そうそう、シャイン・システムは応接間にあるからね――ふだんは自動でロックされるから、防犯のために――それから浴室とダイニングキッチン、この大広間はほぼ同じ作りだけど――個室も見てほしいね。各階にあったトイレはそれぞれの部屋につけたし、シャワールームもあるし、ミニキッチンもあるよ」
「ほぼアパートだよ」
ルナとミシェルは間取り図を見てつぶやいた。
「間取りにゃァ、地下室もあるぜ?」
アズラエルも、間取り図を覗き見て言った。
「ああ。地下はトレーニングジムを置いた。あとで見てみな」
ララは付け加えた。
「トレーニング・ルームにも、シャワー室がついてる」
「最高じゃねえか」
K07区まで通わなくてよくなる、とグレンは笑った。
ダイニングキッチンには、食器や調理用具もすっかりそろっていた。浴室といっしょになった洗面所には、全自動洗濯機が三台ならんでいたし、書斎にはパソコンが三台そなえつけられていた。
なによりも、最先端の様式とアンティークが混在したデザインは素晴らしいというほかなかった。口角が上がっていくのを、だれも止められなかった。
応接間は、大広間から続き、壁面がガラス張りで、ガラス戸を滝のように流れる水と音に、ルナたちは見とれた。応接室のガラス戸は開かないが、大広間は出入り自由だ。ガラスの向こうは森と小川。大理石の石が等間隔に並べられ、プールサイドまでの道をつくっている。
「しゅごいでしゅ」
一階の部屋をひととおり巡って、大広間にもどってくる間に、皆は感嘆のため息ばかり――ルナはそれしか言えなくなっていた。




