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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~十二の預言詩篇~
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363話 ナグザ・ロッサにて 1


「サルー――えっと、サルビアさん! 貸してくれたからって、素直に着ることないのよ!?」

「そうです! せめて、それはやめるのです!!」


 ミシェルとルナは止めたが、サルビアは平然と着ていた――グレンから借りた、漢字Tシャツを。彼女は、表に豚骨――裏には、一石二鳥と書かれた真っ赤なTシャツを着、下はグレンのスウェットを借りていた。もちろんぶかぶかゆるゆるであり――なんと彼女はバスタオルで腰まきをつくり、ズボンが落ちるのを止めていた。


 うしろで、グレンが吹き出すのをこらえている顔を見て、ふたりは悟った。

 わざとだ。


 ルナとミシェルは、断固として着替えさせるべきだと思った。

 かつてサルーディーバとしてL03を睥睨(へいげい)し、生き神と(おそ)れ敬われていたひとが、「豚骨」。

 それは、いただけない。


「わたくし、贅沢(ぜいたく)はしないと決めましたの」

 さわやかに微笑むサルビアだったが、服装はさわやかではなかった。


「そうだ。贅沢は言うな」

 焼け残った最後の一枚だぞというグレンに、「一枚も残さず滅びればよかったのに」と言ったミシェルの襟首は、グレンがつかまえた。

「もういっぺん言ってみろ、ミシェル」

「贅沢というかそれ以前の問題であって!!」

 ルナはグレンに抗議したが、さいわいなことに、サルビアの豚骨人生は五分で終わった。


「じゃ、行ってくるね」


 ルナとミシェルが豚骨についてぶつぶつ言っているうちに、セルゲイがドアから出て行こうとしていたからである。


「どこ!」

「どこ行くの」


 部屋に閉じこもりっぱなしで、ストレスマックスのウサギとネコは、たちどころにセルゲイに飛びついた。


「おおっと!」

 セルゲイは前につんのめりそうになった。

「昨夜言ったはずだけど……ナグザ・ロッサ海域を見てくるって」

「ナグザ・ロッサ?」


 ナグザ・ロッサ海域は、ケンタウルの南からサザンクロスにかかる西側の海域の名称だ。クルクスからはかなり遠い。飛行機を使っても、往復の航路だけで二日はかかるだろう。

 シャインが使えたらいいが、まだすべては復旧していないはずだ。


「シグルスさんに電話したら、屋敷が出来上がるのはほんとに出航ギリギリだってことで――ちょっと、行ってくるよ」


 この数日間、彼は行こうか行くまいかずいぶん悩んでいたのだが、決行することに決めたのだ。

 セルゲイは、このツアーが終わったあとは、カレンのもとへ帰る。役員にはならない。となると、よほどのことがなければ、ふたたびアストロスに来ることはないだろう。

 二度と来ることはないアストロス。今行かねば、次はないのだ。


 ミシェルが、あわてて叫んだ。


「あたしも行く! ダメ?」

「いいけど――じゃあ、クラウドも行くの」

「ミシェルが行くなら、行こうかな」

「俺もヒマだから行く。行くか、サルビア」

 グレンまで、行く姿勢を見せた。

「え――え? わ、わたくしも?」


 ミシェルは再びサルビアのTシャツを見――それから、ルームサービスの電話へ走った。女性物の服をひと(そろ)い、用意してもらうために。


「アズも行くってゆったら、噛んでやるから!!」

 ひとり行けないルナは歯をむき出したが、アズラエルは「おお、怖ェ」といって肩をすくめただけだった。

「ペリドットの話じゃ、昨日のフライヤとサルビアで最後だ。もう訪問客はいねえって話だったが?」

「へっ?」


「ひととおり、みんなに会ったよね」

 クラウドもうなずいた。


「つまり、おまえも行けるってことだ」

 アズラエルがルナの頭を撫でると、ルナのウサ耳が嬉しそうに立った。

「行く! 行く行く――あたしも行く!!」


 アストロスに来て、はじめて観光らしき観光をすることになった。

 この一ヶ月の間、城の中は、マイホームかと思うくらい知らないところはないまでに探検しつくしたルナだったが――もっとも、ここは三千年前、ルナのマイホームであった――クルクスの街もまともに回れなかったルナは、外に出られることをずいぶんはしゃいでいた。


「ほんとに期待を裏切らねえお嬢さんだ」


 グレンは笑いをこらえたが、ダメだった。彼は今度こそ吹きだしてしまった。

 ルームサービスによって届けられたサルビアの衣装は、ひざ丈の、金の刺繍が入ったベージュのワンピースで、品のいいグレーのコートとスカーフ、あまりヒールの高くない、オープントゥの靴――セレブのお嬢様を彷彿(ほうふつ)とさせる、ブランドのひと揃いだったが、着こなしがまずかった。

 サルビアは見事――ファスナー側を前にして着、皆のまえに現れた。


「着苦しくねえのか? それで?」

「――着方が、わからないのです」


 サルビアは困り顔で言った。すべての品物は、届けられるまえにタグを取ってもらっていたことだけが幸いだった。彼女はスカーフもコートも、途方に暮れたように手にしたままだった。

 ルナとミシェルは顔を見合わせ、奥の寝室へサルビアを連れて行った。


「ジュリやエレナとは違うタイプの“まっさら”ってヤツだな」

 グレンがおかしげに笑った。


「昨夜も興味深かったね」

 クラウドも言った。


 昨夜、皆で夕食を取ったときも、サルビアは食べられないものだらけで大変だったのだ。


「宗教的には特に制限がないみたいだけど、肉類はあまり食べないのかな――ハンバーグは見ただけで敬遠してたね。でも、添え物の野菜は美味しそうに食べてた。デミグラスソースは嫌いじゃない。シーフード・ピザはオーケー。サラミ・ピザはダメ。パンはあまり好きじゃない。ごはんも少し――パスタは首をかしげてた。うどんは好きだけど、揚げや天かすがのっていると食べない。カルパッチョはふつうに食べてた。フルーツ全般はだいじょうぶ、ミルクは飲まない。だけどミルクが入った紅茶は好き」


「だいたい、食わず嫌いだろ」

 サラミはダメなくせに、グレンが切りわけたチョリソは、辛いと言いながらも美味しそうに食べていたのである。

「ピザは初めて食べたけど美味しいって言ってたしね。アレルギーはなし。問題は少なそうだ」


「ウチじゃ、食わず嫌いはなしだ」

 アレルギーや、理由があるものは別として――アズラエルは言った。


「だいじょうぶじゃない? とりあえず、勧められたものは、恐々(こわごわ)でも口に入れていたし」

 セルゲイも笑った。


 すくなくとも、彼らの中で、これからサルビアと暮らす用意はできていたわけである。


 やがて、ファスナー側を背に、スカーフを上品に巻き付け、コートを着たサルビアがお目見えした。グレンはようやく言った。


「似合ってるぜ」


 サルビアは、頬を赤らめた。





 ナグザ・ロッサ海域に面するケンタウル・シティの南、マーシャルまでの航空チケットは、ホテルで手配してくれた。そちらで一泊するロイヤル・ホテルの予約も。


「なにからなにまで、すみません」

 セルゲイは、礼を言った。そもそも、マーシャルに行くのは仕事でもなんでもないのだが、ザボンはセルゲイからも、だれからも、金を受け取らない。


「クルクスもアストロスも、皆さまに救われたのですよ。すこしはご恩返しをさせてください」


 一ヶ月の滞在費だって、バカにならないはずである。セルゲイたちは固辞したが、ザボンも、どこまでも受け取らなかった――根負けしたのは、セルゲイたちだった。


 五泊六日。だいたい一週間の予定だ。せっかくの観光でもあるし、皆はリムジンを断って、城からクルクスの入り口まで、街並みを眺めながら歩いた。


 けっこうな距離ではあったので、途中でタクシーを使ったが、ろくに外に出られなかったルナは楽しそうだったし、サルビアも、商店街のめずらしい品物に目が釘づけだった。


 履きなれない靴に靴擦れをつくったらしいサルビアが、何度も歩みを止めるようになったところで、タクシーを使った。


 目的地はケンタウルの南港マーシャルだ。ここでのんびりしているわけにはいかない。


 ラグ・ヴァダの武神に浸食された街の入り口と、武神像の足元は、すっかり元通りになっていた。


 街の外に出ると、ジュエルス海沿岸に、観光用の大型クルーザーが数隻停泊していた。ルナたちは、クルーザーに乗ってジュエルス海を渡ることにした。


 船内には入らず、甲板の席に座った。ひとはまばらだったが、ルナたちが乗ってまもなく、船は出航した。


「セルゲイ、どうしてナグザ・ロッサ海域なの?」


 ミシェルが、海風に(あお)られながら聞いた。

 ミシェルは、さっき地図を見せられて、初めてそんな海域があることを知ったのだ。ナグザ・ロッサ海域というのも、ケンタウルの南からサザンクロスにかけての海域をざっくり、その名称で呼んでいるのであって、地名ではなかった。

 マーシャルは大きな街のようだが、観光だったら、ケンタウル・シティの中央とか、ジュセ大陸のメンケントとか、いろいろあるのに。


「ちょっと、気になることがあって」

 存外強い風が目を刺す。セルゲイはサングラスをかけた。


「ナグザ・ロッサ海域は、カレンが――ええっと、ミカレンが、沈没したところで、しゅ」

 ルナが、風に吹き飛ばされそうになりながら、自分のバッグから日記帳を――小花柄のほうを取り出して、叫んでいた。


「そう。そうなんだ」


 セルゲイはうなずいた。これで皆は理解した。セルゲイは、カレンの前世であるミカレンが、最期に沈んだ海域を見に行こうとしているのか。


「それもあるけど、ホントの目的は、ちがうんだ。まあ――行ってみないと分からない」


 セルゲイは、このジュエルス海を渡ってクルクスに入ったときから、ずっと気になっていたことがあったという。





 ジュエルス海を渡ってケンタウル・シティへ入り、沿岸の街から、電車でケンタウル中央の街オルボブへ。


 昼食は、電車の中で売っていたサンドイッチで済ませた。サルビアは、サンドイッチからハムを抜こうとして、「食ってみろ。食えなかったら、俺が食うから」とグレンに言われて、恐る恐る口にした。そして、笑顔になった。


 サルビアは、昨夜まで不安定で、今日もずっと――驚くほど無口だったのだが、彼女は落ち込んでいるわけでも、不安がっているわけでも、不機嫌なわけでもなかった。


 彼女は、見たことのない景色に、ただただ夢中だったのである。


 サルビアの心は、次々に変わる景色と、初めての世界に、晴れ渡った青空のように澄んできた。


「ひとりで、とは到底申せませんけれども」

 サルビアは、温かいミルクティーを手に、つぶやいた。

「おつきの者もおらず、こんなふうに、自分でお財布を持って、食べ物を買って、荷物を持って、旅行をしているなんて――行き先は自由で――なんて、素敵なのでしょう」

「そうだな」


 グレンは、いつもなら、一緒にいる女の財布をバッグから取り出すことさえさせないが、今日は黙って、サルビアが財布を出すのを見ていた。間違った紙幣と硬貨を出さないようにだけ気を付けて。

 彼女が買い物をしたがっているのに、気づいたからだった。


 側仕えの者が、勝手にサルビアの好みを選んで買い与えるのでなく――サンドイッチを自分で選んで買えたことが、これ以上もなく嬉しいのだとサルビアは言った。


 そもそも、買い食い自体が、サルビアの人生でほぼ二度目だ。船内で、ごくたまに、アンジェリカと「料亭まさな」などで食事をすることはあっても、いつでもサルビアは、アンジェリカに任せていた。というよりも、アンジェリカが率先して動いていた。


 アンジェリカにとってもサルビアは、姉というより、主君の意味合いが強かった。地球行き宇宙船に乗ってから、やっと、きょうだいらしくなってきたのだ。


「これがわたくしのお財布なのです」

「キレイなお財布!」


 ルナとミシェルは、歓声を上げた。

 財布というよりかは、横長のポーチのようだった。キラキラと輝く糸を使った、美しい刺繍が縫い込まれている。L03のある地方の、伝統工芸品だった。


「メリッサと一緒に買ってまいりましたの。宇宙船に乗ってすぐのことでしたかしら――でも、使ったのは、昨日が初めて」


 サルビアが口元を(ほころ)ばせて言うのを、ルナもミシェルも、サンドイッチをもふりながら聞いた。


「ひとりでメンケント・シティから飛行機で、ガクルックスまで出て、バスで、クルクスまで参りました。緊張しましたけれど、ひとりで来れたのです。ヒュピテムの病室も、ご親切に、看護師さんが教えてくださいまして――」


 なにもかも、はじめてのことだらけ。

 サルビアは、(きら)びやかな財布を、愛おしそうに見つめた。




 首都は、なんとシャイン・システムが復旧していた。これで、旅は短縮化できる。予定では、オルボブで一泊の予定だったが、なしになった。


 オルボブも、観光できるなら一泊くらいしてもよかったのだが、シャインは復旧していても、まだ町並みは、元通りには程遠く、高級ホテルも軒並み休業中。素泊まり宿くらいしかなかったので、先を急ぐことにしたのだった。


 シャインと飛行機で、ケンタウルの南町、マーシャルへ。

 旅は、二泊三日になった。


 飛行機は、港町マーシャルの空港に降り立った。このあたりは気候がクルクスとだいぶ違い――皆がコートを脱がざるを得なくなった。半袖でもいいくらいの暑さだった。


「だから、最初からTシャツを着ろと――」


 そういうグレンは、半袖の白シャツにスラックス、革靴にバカ高い腕時計で、どこからどう見てもセレブのお兄ちゃんだった。左右の耳の、多すぎるピアスをのぞけば。


「あれは滅亡するのです」

 ルナは断固として言い、グレンにウサ耳をつまみあげられた。


 漢字Tシャツは、そもそもがナンパよけに着はじめたものだった。ルシアンでバイトしていたころ、「イケてる」と評判だったグレンは、よくナンパされて仕事にならないこともあった。だから、わざと声をかけられなさそうな格好をしはじめたわけだが――K37区では逆効果だった。

「漢字Tシャツのイケてるお兄さん」となって、さらにピンポイントで有名になっただけだった。


「あの衣装は、なにがよろしくないのです?」

 真顔で聞いたサルビアの肩を、ミシェルはがっしりとつかんだ。


「まず、サルビアさんは、ファッションを一から学ぼう!!」

「はい」


 学ぶ、という言葉に、非常に敏感に反応するサルビアである。彼女は真剣な顔でうなずいた。



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