361話 フライヤの来訪と、いつも通りのルナ 3
上司たちが消えたリビングで、スタークはようやく羽根を伸ばしたようにソファにふんぞり返って、紅茶を三杯と、マフィンを立てつづけに五つ、食らった。
「ったくもうサンディのヤツ、頭かてェったらねえよ!」
最終的にはずっと失神してたくせに――スタークがぶつくさ言うのに、グレンが笑った。
「サスペンサー大佐の後任として気を張ってるんだろ。おまえみてえなヤツがフライヤに着いてるんだったら、引き締める役が必要だ」
「おまえみてえなヤツとは、言ってくれるよな……」
スタークは肩を落とした。グレンの言葉に落ち込んだわけではない。そんな繊細な神経は持ち合わせていない。
サスペンサー大佐のことを思い出しただけだった。
「サスペンサーは無事だったって、ホントか」
グレンの言葉に、顔を上げた。
「ってか、知ってんの」
「ああ。このあいだここにきたヤツが教えてくれた。顔見知りだったもんでな……。俺は、アイツの部隊と戦争に出たことがあるんだ」
「マジで!?」
スタークは、グレンを見つめた。
「今夜発っちまうよ? 会いに行く?」
「許されるならな」
サスペンサーは、片足をなくしたと言えど、数日の入院のあと、もう義足をつけて動いているので、彼女の隊はフライヤたちとともに帰路に就く。
マクハランはまだ出立できる状態ではないので、アストロスの復興のために残るアズサの部隊とともに帰ることになる。
「う~ん、あんた、マジで軍じゃ顔パスだからな」
スタークは悩んだあと、
「――たぶん、地球行き宇宙船の特殊部隊だっていえば、今は問答無用で通してくれるよ。今夜二十二時、出発ギリギリならごまかせる。その時間に、ケンタウルのスペース・ステーションに来な。できれば変装して」
俺が、連れて行くよ。
スタークは約束した。
「ところでおまえ、マルコとはどうなった」
兄の言葉に、スタークがものすごい顔をした。歯をむき出すというか――とにかく、すごいとしか言えない顔をした。
「俺はぜったい、L02になんか行かねえ! マルコの嫁になんかなるかよ!!」
軍人をやめる気なんかねえぞ――唸るスタークの歯茎に向かって、ミシェルが言った。
「でも、ルナは、ぜったいスタークさんとマルコっていう人は結婚するって言ってたよ?」
「へ?」
どうしてルナちゃんが、と言いかけたスタークに、ミシェルは畳みかけた。
「これぜんぶ、ルナが言ってたことだからね?」
と言い置いて。
「スタークさんが傭兵じゃなくて、L20で軍人を志したのは、のんびり安定した生活がしたいから」
スタークは紅茶を吹いた。
「それはあってるよな」
アズラエルはうなずいた。
「ほんとは、総務みたいなところで呑気な生活したかったけど、特殊部隊なんかに回されちゃって、忙しいわ、傭兵と変わらない仕事だわで、じつは不満タラタラ」
「……ルナちゃんは、何者ですか」
スタークは震えながら自分を抱きしめた。
「でも、スタークさんはあのアダムさんにアズラエルと、強い上にけっこうなイケメンに囲まれて育ったし、彼らを超える男性はいないと思っているから、男には興味がない――」
「怖い!」
「マルコさんのところで専業主婦――父と兄より強いイケメンの旦那様持って、スタークさんが望んでいた、安定してのんびりした生活ができるけど、いかがですかって」
「ルナちゃん、実はマルコに買収されてんじゃねえのか!?」
スタークの絶叫が、とどろいた。
そのころ、ルナはフライヤを連れて、「メルーヴァ姫」の部屋まで来ていた。
「ここ! ここがメルーヴァ姫のお部屋です!!」
「うわあぁ……!!」
フライヤの感激と言ったらなかった。彼女は、目を潤ませ、両手を組んで、おそるおそる部屋に入った。
「しんじられない――これがメルーヴァ姫の部屋! ウソでしょ、入れるなんて――」
「家具とかなくなっちゃってるけどね」
「だって、このお城が観光できる期間でも、メルーヴァ姫のお部屋と、女王の間は立ち入り禁止だって聞きました!」
「すごい! なんで知ってるの」
「パンフレットは、丸暗記するぐらい読みました!」
「……!」
「アストロスの史記もほんと魅力的です! うわあーっ、わあ……! この部屋で、メルーヴァ姫様は暮らしてたんですね……!!」
フライヤの顔はこれでもかと紅潮し、興奮気味に部屋を見回した。
オタクを舐めるなといわんばかりに、フライヤの口からメルーヴァ姫に関する伝承がつぎつぎ飛び出て、ルナはぽっかり、口を開けて三十分、話を聞いた。はっとしたフライヤがあわてて、やめるまで。
「す、すみません――つい、わたし、夢中になっちゃって、」
いつもなんです、としょげ返るフライヤに、ルナも言った。
「あたしの話も、いっつもカオスってゆわれます」
「カ、カオス?」
「うん。カオス」
ルナは「うんしょ」と踏ん張って、ベランダの窓を開けようとした。この窓は錆び付いていて、なかなか開かないのだ。フライヤが後ろから、あっさり窓を開けてくれた。
「すごい!」
「わたし、これでも力はあるんです」
フライヤは微笑んだ。
「素敵な景色――!!」
ベランダから見渡せるクルクスの街並みと、碧いジュエルス海。広大なアストロスの大地――。
ほぼひと月前まで、この地で想像を絶する戦いがあったなどとは、信じられないおだやかさだった。
ルナは、ポケットからマフィンをふたつ、取りだした。そして、さっき来る途中に買ってきた、温かい紅茶も。
「お茶しましょ♪」
ルナとフライヤは、ベランダから足を投げ出して、アストロスを見下ろした。ふたりですこしずつマフィンを食べ、甘い紅茶を飲んだ。
フライヤは、景色を見ては、ルナを見た。でも、言葉を紡ごうとしては、押し黙る。彼女はなにか言いたいことがあるようなのだが――ずっと、この調子だった。
メルーヴァの遺体を引き取りに来たときも、ルナになにか言いたくて、何度も振り返り、結局呼ばれて、去っていった。
「あの――」
なかなか話が進まないので、ルナのほうから、声をかけた。
「は、はい!」
景色を見下ろしていたフライヤは、あわててルナのほうを向いた。
「あたし、すごく、あの、うまくいえないけど、軍隊の親玉さんが、あなたでよかったです」
「(親玉……)えっと、」
「あたし、メルーヴァは、すぐ連れて行かれちゃうと思ったから」
「――!!」
フライヤは、なんとなく、決戦直後にアストロスを包んだ霧の意味が分かった気がした。
あれは、“逢瀬の霧”と呼ばれるものだった。
そう――フライヤでさえ、にわかには信じがたかった。
メリッサや、天使、アノール族たちが「メルーヴァ姫」と呼んでいた女性は、フライヤの目の前にいる、この栗色の髪の、自分とほぼ年齢も変わらない女性なのだ。
しかし、フライヤは会って分かった。
なぜと言われても答えかねた。
たしかに、この人はメルーヴァ姫なのだ。
メリッサが、「メルーヴァ姫が助けてくれます」といったあと、不思議な遊園地がアストロスの大地に現れ、アノール族が海の生き物になり、天使が鳥となって羽ばたいた。そして、シャトランジに閉じ込められていたL20の軍隊を助けてくれた。
総司令部を覆ったペガサスを呼んでくれたのも、メルーヴァ姫だということは、わかっていた。
フライヤにも、まだあのときのことが信じられない。
しかし、どんな方法だったかは知らないが、彼女が助けてくれたのだ。
それは間違いなかった。
「ずっと、ずっと、アンジェはね、メルーヴァに会いたがっていたから――でも、この戦いで、……戦いが起きるずっと前からも、たくさんの人が死にました。それを考えると、無理もないと思ったの。でも、あなたは、礼を持って埋葬するって言ってくれた。その言葉、アンジェたちがどれだけ嬉しかったか……」
「……」
フライヤは言葉を失ったが、やがて、言った。
「――途中から気づいたんです。わたしだけじゃない、総司令部にいたみんなが」
あれは、メルーヴァというよりも、ラグ・ヴァダの武神との戦いだったんだと。
それに気づいたのはいつだったか。
「天使隊やアノール族の皆さんは、最初から、“区別”がついていた。区別がついていなかったのは、L20の軍だけだったんです」
メルーヴァ、と、ラグ・ヴァダの武神の区別がついていなかった。
それは大きなことだったとフライヤは語った。
「アストロスに着いてから、わたしはクルクスでザボン市長やバンビさんというひとの話を聞きました。その時点で、わたしたちにできることはないと気付いたんです。あのとき、きっと強引でも全軍撤収していれば、もっと犠牲は少なかったかもと思います……」
しかし、それは無理だっただろう。ルナにもわかっていた。グレンが、ルナに説明してくれたからだ。一戦も交えないうちに撤退することは許されなかっただろう。
フライヤは、名目上総司令官とはいえ、マクハラン少将にアズサ中将ほか、将位の高官がたくさん後ろに控えていた。彼らがそれを許さなかっただろうし、現にマクハランは、動きのない彼女に業を煮やして出張ってきた。
もし、フライヤがあのまま初期に全軍撤退していたら――軍法会議で、フライヤは軍人としての地位を追われていた――この戦が勝利となっても、確実に。
それだけではすむまい。もと傭兵であるフライヤには、さらに過酷な処罰が待っていたかもしれない。
ルナは、彼女にかける言葉を見失って、黙って見つめていたが、彼女は沈んでいたのではなかった。
ふいに、ルナのほうを向いてうつむいた。耳まで真っ赤だった。
「へ、へんなこというけど、笑いませんか……」
「わ、笑わないよ?」
ルナのほうが、よほど言語的におかしなことを言っている自覚はあった。
「わたし――あなたに、はじめて会った気がしないんです」
フライヤは、思い切ったように言った。ルナは首を傾げた。フライヤがずっと言いたかったのは、この言葉だったのだろうか。
「うん。あたしも」
ルナの言葉に、フライヤはほっとした顔をし――そして、次の言葉ですべてを悟ったのだった。
「フクロウさんとしたお茶会のチーズケーキ、美味しかったね」
フライヤは、愕然とした。
「白いウサギはね、シンシアちゃんだよ」
「――!?」
「シンシアちゃんはずっと、フライヤさんを見守ってたよ」
カペーリヤの港――灯台で見た二羽のウサギ。白い方がシンシアで、――ピンクのウサギが、ルナだ。
フライヤは、口を覆った。
夢でピンクのウサギに出会ってから、自分の運命は信じられない方向に進んできた。
アダム・ファミリーに拾ってもらい、エルドリウスに出会って、思いもかけない結婚をして、L20の軍に入り、アイリーンと出会い、ミラの秘書室に入って――。
フライヤは、ルナと会うためにアストロスへ来たのかと、錯覚するほどだった。
「シンシアちゃんがゆってたです」
ルナは、先日、ZOOカードで、「真っ白な子ウサギ」と話したばかりのことを、フライヤに告げた。
「フライヤさんは、自慢の親友だって」
フライヤの喉が、鳴った。――嗚咽に。
ルナは、それから、迷うようにうつむき、シンシアに、「フライヤに告げて」と頼まれたことを告げることにした。
「グレンを、恨まないでって」
彼も、たくさん、苦しんだの。
「シンシア――!」
肩を震わせて嗚咽するフライヤの背を、ルナの手が、いつまでも撫で続けていた。
「わ、わた、わたし――シンシアっていう、親友がいたんです」
「うん」
「は、はな、はな、話しても――いいですか?」
ルナは、うなずいた。




