361話 フライヤの来訪と、いつも通りのルナ 2
「え? ソフィーは今日発ったの?」
『そうよ。だって彼女、エーリヒさんの担当だもの』
クラウドは、ソフィーに聞きたいことがあって中央区役所に電話を掛けたのだが、不在だった。バグムントがバーガスたちの帰路について行ったこともあって、クラウドとアズラエルの担当はヴィアンカになっていた。だから、自然と電話はヴィアンカに回されたのだった。
「あ、いや――まあ、そうだね。そういや、ソフィーはエーリヒの担当だった」
だが、エーリヒとジュリが発ったときには、彼女はふたりに着いてはいなかった。
『役所もけっこう忙しくてね――そいで、あの混乱のどさくさで、ベンさんは降船したでしょ? とりあえず、あなたとエーリヒさんが、ベンさんと別れを交わしたと聞いて、ソフィーはベンさんの降船手続きをしたわけ。それに、ソフィーはちょっと上層部に呼ばれてね――エーリヒさんも急いでいるようだったから、先に発ってもらったの。彼女、きのう、追いかけて行ったわ』
「――ソフィーが呼ばれたのって、“イノセンス”?」
クラウドは失言をした。それは、彼にもわかった。電話向こうのヴィアンカが黙り――急に恐ろしい声になった。
『クラウド、あんたはいい友達よ』
彼女は、クラウドと初めて会ったときの厳格な役員の声にもどっていた。
『でも――言ったわよね? いくらあんたがすごい頭脳を持ってても、この宇宙船の中枢に近づくことはできないって。それを望むのなら、あたしは担当役員の権限を持って、いますぐあんたを降ろすことも――』
「悪かった、興味本位じゃないんだ」
クラウドは、あわてて謝った。
『あんたは、なんでもかんでも知ろうとする。それはいけないことだわ』
「本当に悪かったよ――エーリヒにも言われたばかりだ」
『レオンのことは忘れて』
ヴィアンカはぴしゃりと言った。
『あたしは、ルナちゃんやミシェルちゃんに言ってるんじゃないわ――クラウド、あんたも、グレンも、そういう世界で生きてきたはず。グレンさんには気の毒だと思う。だけど、クラウド、あんたが知ることじゃない』
「……」
たしかに、クラウドはぐうの音も出なかった。――だが。
「……相手はきっと、俺が声帯から相手を特定できることも知っていたはずだ」
『なんですって?』
たしかに、この部屋に電話をかけてきた時点で、だれが出るかはわからなかった。アズラエルか、グレン、セルゲイの場合もあったろう。だがそれは逆に、クラウドが出る可能性もあったということだ。
相手は、こちらの素性をすべて承知している。アズラエルたちが出たなら心配はないが、クラウドが出たなら、「正体」が見破られることも、わかっていたはずだ。
正体を知られたくないならば、クラウドが、一度も「会ったことがない」人間が電話をかけるはず。
(俺は、誘導されているのか?)
クラウドは、そう思った。
(誘導されているのなら、もう一度くらいアクションがあるはず)
『とにかく! もう一度この話を持ち出そうものなら、問答無用であんた、降船よ! レッドカードが郵便ポストに入るわよ――いいわね!』
「わ、わかったよ、ごめん」
電話は、荒々しく切られた。
「クラウド、なにヴィアンカさん怒らせてるの」
ミシェルにも聞こえていた。クラウドは、肩をすくめた。
「彼女、短気だから」
アストロスから、地球行き宇宙船が出航する三日前になった。ルナたちのもとに、ララからの連絡はない。
「あたらしいおうちは、ララさんがつくってくれてるの?」
「そう。だから、ララから報告が来るまで、俺たちはここで待機」
ルナの問いには、グレンが答えていた。
「ふうん……」
ルナは先日、「E353にピエトを迎えに行く!」と言って荷物を持って飛び出した。あわてたアズラエルが荷造りしてあとを追いかけようとしていたところへ、ペリドットがウサギの襟首をひっ捕まえてもどってきた。
「ちゃんと飼い主がケージに入れておけ」
ペリドットは、ウサギをアズラエルへ放り投げた。
「ルナ、おまえはここにいろ。訪問者が後を絶たんはずだ。おまえはそいつらと会うのが役目だ。いいな?」
ピエトは必ず、無事にもどってくる。
そう言って、ペリドットは帰っていった。
不満げなウサギは、座った目でウサ耳をぴこぴこさせていたので、「いくら部屋ウサギでも、たまには外へ出してあげなきゃ」とセルゲイが散歩に連れ出した。
ペリドットの言うとおり、毎日のように訪問客がある。ルナというより、大方「地球行き宇宙船の特殊部隊」に――だ。
先日は、ザボンがやってきてほぼ一日がつぶれたし、L20のバスコーレン大佐や、アストロスの軍隊の幹部も挨拶に来た。
ヴィアンカやメリッサ、アンとオルティス――エヴィとデレク。
とにかく毎日交代で、だれかれがこの部屋に来る。
だから、ミシェルと違って気分転換に街に繰り出すこともできず、部屋にこもりきりのルナは、ストレスが溜まっているようだった。
ピエトも心配だし、エーリヒもいなくなったし、ハンシックの連中も、店が元通りになったので、いち早く宇宙船に乗ってしまった。
黙ってZOOカードの前でおとなしくしているかと思えば、そわそわとその辺をうろつきまわっているので、アズラエルは自分の足に乗るように言った。ウサギは、ぴょこたんと跳ねて、アズラエルの足に飛び乗った。
「うっさぎっの気持ち、うっさぎのきっもち、骨身にしみるぅ~♪ ウサギのきもち」
さっそく、カオスな光景ができあがった。アズラエルがソファに座り、ルナが乗っている片足が、ひょこひょこ、上げ下げされている。
(骨身に沁みる……)
(ウサギの気持ち……)
セルゲイとグレンは、新聞に気をそらした。突っ込んでは終わりである。
「ルゥ、その歌やめろ。ストレッチの邪魔だ」
「だって、ひまなんだもの!」
「それと、その歌とは、なんの関係があるんだ」
「いっちうさにーうさ、さんうさ、よんうさ、はちうさ、じゅううさ、」
「数えるなら、ちゃんと数えろチビウサギ」
「ぴぎっ!!」
「カオス……」
クラウドではなくセルゲイが言い、ユージィン関連しか放送していないニュースをつけようと、立ったときだった。
部屋のドアがノックされた。
「はい」
クラウドが、インターフォンで相手をたしかめた。このホテルはVIPしか入れないのでセキュリティは完璧だ。危険はないだろうが今日はだれだ。
『突然の訪問、失礼いたします。L20陸軍総司令官、フライヤ・G・メルフェスカです。ルナさんにお会いしたい。いらっしゃいますか?』
ドアの向こうに、サンディ中佐とスターク、そして厳めしい軍人たちが、十人以上も立っていた。
クラウドは「ん?」と思った。今までの訪問客は、ルナに、というより、「宇宙船の特殊部隊」に挨拶に来たという方が正しかった――つまり、「ルナだけに」というわけではない。
だが、今日の訪問は、「ルナ」と名指しした。
(ペリドットが言っていたのは、これか?)
ルナに訪問者があるという――。
「失礼――」
先日、L20の代表としてバスコーレン大佐の訪問があったが、まさか、総司令官直々のお出ましとは。
驚いたのは全員だった。
ルナうさは、すかさずアズラエルの足から飛び降りたし、ソファにだべっていたミシェルもシャキーンと立って、シャツの裾を整えたりなんかした。
部屋が広くてよかった。だらけていた姿勢をもとに戻す時間くらいはあった。
クラウドは、フライヤと参謀ふたりを、皆がいる部屋まで案内した。
「おまえたちは、ここで待て」
サンディの言葉で、護衛の兵士たちは、手前のドアの向こうに待機した。
「先日は、失礼いたしました」
スタークが、とりあえず真面目な顔で紹介した。
「あらためまして。こちら、総司令官、フライヤ・G・メルフェスカ大佐です」
一歩うしろにいた、顔の半分を覆いつくすようなメガネの大柄な女性。身体は大きいが、この中で一番厳めしさから遠い顔立ちだ。
ルナは思い出した。
このあいだ、クルクスの入り口で会った――。
「L20陸軍メルーヴァ討伐隊司令官参謀、アリア・M・サンディ中佐です」
「司令官参謀スターク・A・ベッカーです!」
サンディは生真面目に敬礼し、スタークは敬礼のあとにウィンクひとつと舌を出して、サンディに小突かれた。
「このたびは、ご協力ありがとうございました」
フライヤが目を潤ませて言った。クラウドが、席を示す。
「まあ、どうか――座ってください」
フライヤは座った。サンディとスタークは後ろに控えた。
セルゲイが、ルーム・サービスのワゴンを押して、温かい紅茶を三人分持ってきたのはそれからすぐだ。連日来客があるために、お茶と菓子のセットは、毎日定時に届けられるようになっていた。
フライヤの向かいには、ルナが座った。そして、コの字型のソファを、残りの皆で埋めた。
「たくさんお礼の言葉を用意してきたのに――ここに座ったら、なんだかぜんぶ吹っ飛んでしまいました」
フライヤは苦笑しながら言った。彼女もずいぶん緊張していたのだろうが――おそらく、めのまえのルナを見て緊張が解けた、そんな感じだろう。
無理もない。このアホ面を見れば。
「バスコーレン大佐が、こっちがかゆくなるほどのお礼を置いて行かれましたよ」
クラウドが言うと、フライヤは恐縮した。
「言い足りないくらいです。わたしは直接お礼を言いたくて――」
フライヤは、顔を上げ、皆を見渡した。そして、いきなり驚いて飛び上がったので、ルナたちも驚いた。
フライヤの視線の先には、セルゲイがいた。
「あ、ああ――そういえば! 忘れてた!! その、セルゲイさん――セルゲイさんですよね? は、はじめまして!」
「……」
セルゲイは、呆気にとられてフライヤを見ていたが――やっと気づいた。
「あっ、そうか」
「なんだ、あっそうかって――あ!」
グレンも気付いた。
「そ、そうですね――あの、はじめまして。セルゲイです。お義父さんから、話は……」
「わ、わたしも、エルドリウスさんから――い、いえ、あの、お、おおおおお夫から、話は――」
フライヤの口から「夫」という語句が出るのに、たいそうな苦労があったことに、サンディはともかくも、スタークは「ブーっ!!」と遠慮なく吹いた。
ふたりは――義理の母になった女性と年上の息子は、ぎこちなく握手を交わした。セルゲイは、迷い顔だったが、言った。
「お、お義母さんとか呼ばなくても、いいですよね……?」
「え!? お義母さん!?」
フライヤはがく然とし、どう見ても自分より年上のこの男性が自分の息子に当たるのだと絶句し――「で、できれば、名前のほうで」と言い置いた。
セルゲイのほうもほっとしたようだった。
さらにフライヤは、「あっ! おひさ、お久しぶりです……!」
とアズラエルにあいさつしたが、こちらは首を傾げられたので、ちょっぴりしょんぼりした顔でうつむいた。
「兄貴、覚えてねえのか? フライヤは、――いって! フライヤ大佐はオリーヴの友達で、むかし、家に遊びに来たことあったんだってさ」
そのとき、兄貴に会ったことがあるはずだ。とサンディにつねられたスタークがいうので、アズラエルは、なんとなく思い出したような顔をしたが、やっぱり思い出せなかったようだった。
「……」
「……」
なんだか急に、居心地が悪いような、落ち着かない空気が部屋を満たし――次にフライヤが口を開いたのは、サンディに対してだった。
「ご、ごめんなさいサンディ中佐、夜には帰りますから――その、わたしだけ、ここに置いて行ってもらえませんか?」
「!?」
フライヤの声は遠慮がちだったが、彼女の尻はすっかりソファに根を張っていた。スタークだけが分かっていた。
フライヤが話をしたいのは、ルナなのだ。
「(一時間だけって、言ったじゃないですか!)」
サンディは小声で叱ったが、コの字型の狭いソファの空間で、隠し通せるものではなかった。
「いいじゃないッスかあ~、ちゃんと俺が、責任もって、連れて帰りますから」
スタークが、耳をほじりながらあっちの方向を向いて言うのに、サンディは顔を真っ赤にして怒った。
「スターク中尉!!」
無理もなかった。戦後処理がやっとひと段落したのだ。あとはアストロスの軍に任せて、フライヤたちも急ぎL20に帰還せねばならない。ユージィンの死がもたらした影響は大きかった。軍事惑星で、いつ大きな騒動が起きるかもわからない今、一日も早く帰らねばならないのだ。
フライヤたちは今夜、アストロスを出立予定だった。
彼女は、少しの時間でいいから、地球行き宇宙船の特殊部隊に礼を言いたいと、無理やり時間をつくってここへ来たのだ。
「夜まで――夜までには帰りますから……!」
「ならん! すべきことは、山ほど残っているんだ!!」
「だったら、サンディ中佐がフィローとこっそり会ってたの、バラしますよ!」
「貴様、わたしを脅す気か!!」
すでにバラしているじゃないか――という皆のツッコミは、口に出されなかった。
スタークとサンディのやり取りを聞きながら、フライヤはしょげた顔でうつむいた。
(やっぱり、無理か)
フライヤにも、現状はじゅうぶんすぎるほど分かっていた。わがままを押してここまで来たが、直接礼を言えただけでもよかったと思うほかないだろう。
フライヤが、ため息をつきかけたときだった。
「サンディさんは、お菓子あげるから帰るの」
サンディは、ルナが、隣で自分を見上げているのに気付いた。
「ちゃんと、夜には間に合うのです。シャインが直るからね。それから、フィロヒロフィロさんでなくて、サンディさんの運命の相手は、アンリさんです」
部屋は、一瞬で静かになった。フライヤの向かい席にルナがいないと思ったら、両手にたくさんお菓子を持って、サンディを押しやっていた。だれもが、口を開けてその光景を見つめた。サンディはうろたえつつ、入り口のほうへ押し戻されていく。
菓子を抱えたルナに、後ろ足で部屋を追い出されていくサンディの姿――シュール極まりない。
「ちょ、あの、わたしは! いや、」
「アンリさんあなたのこと素敵なお菓子なんです! でも、いちばん身分が低いから、声をかけられなかった。いま、からだがとってもたいへんだけども、あなたがそばにいてあげれば元気になる。フィロハレハラさんは、かっこよいし強いけどモテるから、あなたのほかにも声をかけてるでしょう? だからだめ。天使さんはああ見えてみたらしだんごですからねー!」
ついにサンディが、部屋の外へ出た。
「みたらし……」
フライヤがつぶやいた。
「女たらしって言いたいんだと思います」
ルナ翻訳機のミシェルが、重々しく告げた。
ドアの向こうから、菓子を配るルナの絶叫が聞こえる。みたらし! みたらし! と叫ぶ声が。ちなみにルナが持っている菓子は、高級マフィンやらクッキーの類で、みたらしだんごはなかった。
「フィロプレパラポンさんは、だめですからねー!」
ルナはどうやら、軍人たちを追い払ったようだった。かなり向こうのほうで、声が聞こえた。
「フィロプレパラポン……」
フライヤは、またも復唱した。
「細胞とかの名前じゃねえよな? フィロストラトのことだよな?」
スタークも、だれにともなく聞いた。
ルナは戻ってくるなりわめき散らした。
「あたし軍人さん相手で緊張しちゃってだめだった! 噛んだりとかしてなかった?」
「噛むとか噛まない以前の問題だったぜハニー」
アズラエルが言った。
「へんなことゆってなかった?」
「いつものルナちゃんだったよ」
セルゲイがすべてを超越した笑顔でうなずいた。
ルナは「そう! よかった」と言ったあと、
「フライヤさん、フライヤさん、いいところに連れて行ってあげる♪」
「え?」
まさか、ルナがフライヤの手を取って、逃亡するとは思わなかった。だがだれも、止めようとはしなかった。彼らにはすっかりわかっている。ルナが突拍子もない行動をするときは、ルナではない「なにか」が動いているのだ。
だれも止めないので、もちろんスタークも止めなかった。呆気に取られていただけともいうが。




