360話 サルーディーバから、サルーディーバへの手紙
――前略、アンスリーノ様。
この手紙があなたに届くころには、わたしはもうこの世にはおりませぬ。しかし、わたしの死がニュースとなってあなたに届くことも、あなたの周囲の者が気づいて、あなたに知らせるということもありませぬ。
わたしの死は、だれも知ることがありません。知るのはあなたと、あなたが話すがゆえに知るアンジェリカと、哀れな名無しの娘、アンジェリカの姉だけでしょう。
なぜなら、わたしの死は秘されるからです。おおよそ、十二年のあいだ。
現在のL03の状況を鑑みるに、それが可能だとサルディオーネたちは判断した。
わたしの死は秘される。そう、十二年の間――あなたとアンジェリカの子が、L03にやってくるそのときまで。
わたしは死にます。この身を焼き、ラグ・ヴァダの武神の亡骸を葬りましょう。
L05から来たすべての神官は倒れ、数少ない王宮を守る神官たちも焼かれた。太陽と真昼の神の神殿の大僧正であった御方も、武神の亡骸によって粉々にされた。
なんという力、なんという恐るべき執念。カケラとなった亡骸でさえ、絶大なる力を誇る悪神よ。
だが、まだわたしがいて、パウルと申す僧がいて、サルディオーネ二名がいる。
パウルとともに武神のもとへ向かいます。おそらく、二度と帰ることはないでしょう。
思えば、わたしは、先だっての王宮封鎖の際に生きながらえたことが不思議でした。
けれども、今ならそれが分かります。
わが命は必要であった。
ヒュピテムはあなた方の子に仕えるよう、ユハラムとモハにL03の近代化を、ふたりのサルディオーネに、古きものと新しきものをつなぐ役割を託すため。
新しき世についていけぬものは、いつでも大勢いるものです。その者たちをも、不幸にせんがために。
わたしと長老会があなたに送った手紙に、あなたがお怒りになったことはよくわかっています。大層失礼なお手紙をさしあげたと、わたしも思っています。
あなたの妻とすることによって、あの子をサルーディーバではなくしていただきたい――そうして欲しいと願ったのは、長老会ではなくわたしでございます。
長老会の者どもは、放っておけば、あの哀れな娘の正気がなくなるまで利用しつくし、貶めたことでしょう。あなたが想像するより、ずっと長老会は残虐で、ひとの感情を持たない組織であります。
そう、まるでラグ・ヴァダの武神の手先のようでありました。
あの子を宇宙船に乗せたことを、わたしは後悔しておりません。
あなたに、ぶしつけで、下劣なことを申しましたことも。
けれども、わたしは下劣とは思いませなんだ。なぜなら、あなたが必ずあの子を慈しんでくださると、知っているからです。
真実、あの子を愛してくださると、わたしは知っていました。
そこに真実の愛が育まれれば、下劣ではないとわたしは考えました。なにせサルーディーバという者は、ひとの感情を越えるように要求される。あの子は恋もできぬ身でありますし、その想いの持て余し方すら知らぬ。
あなたに、あの子を、ひとに戻してやってほしいとわたしは思ったのです。
けれども、あなたがアンジェリカを選ばれたことも、また運命。
どうか、どうか、アンジェリカを幸せにしてやってくだされ。
あの子もずっと、自分の容姿に苦しみを持っていた子でございました。どちらかを選ばねばならなかったことは明白。
それでいいのでございます。
でもどうか、アンジェリカの姉にも幸せがあるよう導いてやってくださいませ。
アンジェリカの姉はあわれな娘でございます。
もはや、サルーディーバ以外に、あの子を呼ぶ名はございません。
サルーディーバとして、赤子のころから育てられ、女であるがゆえにサルーディーバにはなれぬ。
いいえ――もっとも惨いことは、サルーディーバという存在が、偽物であると知ることです。
われわれサルーディーバが、かならず通らねばならぬ道。
歴代つづいてきたサルーディーバというものの存在が、無意味であると知ること。
われわれは、まず、自分をすら否定せねばならぬのです。
もはや象徴ですらない――主権もなく、長老会に立てられ、操られる存在。
ひとでもなく、神でもなく、それでは自分とは何なのか。
サルーディーバとなる者は、生涯ずっと、自分という者の存在に悩み続けるのです。
われわれサルーディーバは、偽物です。
もともと、地球人がL03の民を従わせるためにつくった象徴。
この星にもとから住んでいたラグ・ヴァダの女王も、サルーディーバという御名であらせられた。
地球にもサルーディーバという永遠の命を持つ者がいた。
だから、その名をつかっただけのただの地球人に過ぎません。
われらL03のサルーディーバは、ほんとうの地球のサルーディーバの子孫にあらせられる、あなたの偽物です。
われわれはただの傀儡に過ぎぬことを。
不可思議な力とて、悪神ラグ・ヴァダの武神がもたらしているにすぎないことを。
だれよりも聖なる者であることを求められ、悪の力を借りる。
そのことに崩壊してゆくサルーディーバも少なくありません。
無論、本物のマ・アース・ジャ・ハーナの神もおられる。けれども、悪意に満ちた世界では、どうしても、ラグ・ヴァダの武神にあやつられることが大きかった。
そして、L03は、そのような世界だったのです。
けれどもわたしは、自分の生を無駄とは思っておりませぬ。
あわれなわたしの跡取りを、解放すること――。
新しいL03を導くこと。
そして、わたしの死によって、アンジェリカをも解放すること――。
思えば、それこそが、いまやラグ・ヴァダの武神が滅ぶ証なのかもしれません。
真なるマ・アース・ジャ・ハーナの神や、ラグ・ヴァダの女王の思し召しかもしれません。
すくなくとも、わたしはそう感じています。
アンジェリカに告げて下され。
どうかこれからは、腹に宿った、新たなるサルーディーバにお仕えせよと。
アンジェリカも、姉も、エルバ家の娘。
そう――三ツ星のきずなであるメルーヴァ姫の産んだ、イシュメルの正統なる子孫。
すなわち、ふたりの産んだ子は、イシュメルであると。
そして、地球のマ・アース・ジャ・ハーナの神話にある、永久に旅する老人、サルーディーバの子孫は、まぎれもなくあなた――アンスリーノさま。
アンジェリカとあなた様ふたりのお子は、イシュメルであり、真のサルーディーバであるのだということを。
これからのL03は、わたしには見えぬ。
ふたりのサルディオーネは見えているようだが、それでも複雑な糸が絡み合い、混沌としてはっきりとはわからぬようだ。
あなた方のお子が、成人したのち、どのようになるかはわたしにもわからぬ。
十二年――わたしの死が秘されるあいだ、L03がどう変貌していくのか。
サルーディーバという象徴はなくなるのか、象徴はまだまだ必要とされるのか。
けれども、今たちどころにL03から象徴が消えゆくわけにはまいりません。
それゆえ、わたしは死してもなお、象徴としてL03にありましょう。
もし、あなたのお子がL03に降り立ったなら、そのときこそ、やっと、本物のサルーディーバがL03を治めるときが来たと言えるのでしょう。
サルーディーバにすべてを捧げると誓ったアンジェリカ。
わたしが生きているかぎり、アンジェリカは、この地へもどらなくてはならない。
誓いは誓いです。守らねばなりません。
あの子の姉の幸せを願い、サルーディーバという立場から解放してやろうとすれば、アンジェリカがL03へもどるよりほかなくなる。
アンジェリカがL03にもどれば、あの子の姉の孤独は、深まりましょう。
わたしは、ふたりのあわれな姉妹に救いがないものか、ずっと考えておりました。
けれども、マ・アース・ジャ・ハーナの神は――真実の神は、お見捨てにならなかった。
歴代のサルーディーバの想いを汲んでくださった。
あなたとアンジェリカが地球行き宇宙船で出会ったことが、すべてのはじまりだったのでしょう。
これからアンジェリカは、腹の中の子に仕えればよい。
L03にもどる必要はありません。
アンスリーノ様、あなたと健やかな家庭を築き、幸せに暮らしていくことを、この老木は望んでおります。
ただ、心配なのは、あわれなわたしの跡取りだった娘。
運命よ、神よ――哀れな子羊を見捨てたもうな。
わたしは、それを願い、旅立ちます。
もうゆかねばなりません。
王宮を焼くわけにはゆかぬ。王宮から出られぬ二名のサルディオーネがいる。ではわたしは行きます。黒雲が、街に広がってゆく。いけません、止めねば。
どうぞ、お達者で。
アンスリーノ・マ・アース・ジャ・ハーナ・サルーディーバ様
サルーディーバ




