359話 賑やかな別れと、密やかな別れ 3
それから数日もせず、今度はエーリヒとジュリが帰路に発つ日になった。
クラウドとエーリヒは、アストロスのスペース・ステーションにいた。今度は、だれも見送りがいない。それもそのはずだ。エーリヒは、本当の出立の時間を、こっそりクラウドだけに告げた。
「ほんとに、だれにも告げずに行くの」
「ああ」
「ルナちゃんにも?」
エーリヒは顔を上げた。
「私が一番別れがたいのがだれか、分かっているような言い方だね」
エーリヒは、ルナとミシェルには別れをすでに告げた、と言った。
あの日、ふたりに、来年渡すはずだったプレゼントを渡した日、三人で、活気を取り戻しつつあるクルクスの街中を歩いた。
お茶をして、ショッピングをするという、実に平凡で、貴重な時間を過ごした。
エーリヒのネクタイには、黒いタカのネクタイピンが光っている。プレゼントのお礼にと、ルナとミシェルがお金を出し合って、エーリヒに贈ってくれた宝物だった。
「私にタカのモチーフを贈るなんて、宇宙船でともだちになった彼女たちしかいないだろうね」
「君は、なぜかいつもバラばかりだったね」
エーリヒのバースデイに、彼の机に上がっている数少ないプレゼントは、たいていバラの花束か、菓子か、キャンドルであった。
「まっすぐL18へ?」
「いいや」
エーリヒのそばには、大きな黒いキャリーケースがひとつと、黄色の花柄のキャリーケースがある。黄色い方がジュリのものだ。
この宇宙船に乗って、あまりにも生まれ変わった人間は、ジュリをおいてほかにないだろう。彼女の荷物が、これだけのキャリーケースにおさまりきるとはだれも思わなかった。ジュリはカレンたちと暮らして変わり、ルナたちと暮らしてさらに変わり、エーリヒと婚約して、劇的な変化を遂げた。
「ジュリのたいせつな人だというエレナに会いに行って、L22へ向かおうと思う」
構内のショッピング・センターに直行したジュリは、まだもどってこないが、放っておいて平気だろう。
「今のジュリを見たら、エレナは仰天するだろうな」
「そうなのかね? だとすれば私は、宇宙船に乗ったばかりのころのジュリに会いたかったなあ」
「いやあ、それは、君でも苦労したと思うよ」
「そうかな――そういえば、ベンは今、どのあたりだろうね」
「さあ。無事にイマリと合流できたかな」
ベンとは、宇宙船の中央区役所で別れたのが最後だ。無事に宇宙船から脱出できたかどうか。エーリヒもクラウドも、まさか、宇宙船から出られなくなっているとは思いもしなかったし、ベンの任務はたしかにあの時点で終わっていた。
だが、船内にベンの遺体も存在も残っていないし、イマリの存在も宇宙船からは消えていた。イマリは、なんと、アストロスで強制降船のレッドカードを発行されていた。
実際、船内の大火災で、株主も多く宇宙船を降りたし、この時期にはほとんど船客も残っていない。
「別れの挨拶とはいいがたかったが、さよならは交わすことができてよかった」
「ああ」
ベンとも、いつかどこかで会えるだろうか。
「ルナちゃんは怒るだろうなあ。君が突然いなくなってたら」
「――ルナが私を必要としたなら」
エーリヒは、間髪入れず告げた。
「すぐに駆けつけよう。無論、君もだ」
クラウドは、少し驚いた顔をし、
「エーリヒ、俺はさ、ひとつだけ確かめたかったことがあるんだけど」
もしかしたら、ピーターは、クラウドがあんな真似をしてオルドを帰さなくても、もとから呼びもどすつもりだったのでは?
「君はとことん、“真実”にたどりつかねば、満足しないのだな」
クラウドの言葉に、エーリヒは安易な言葉を返さなかった。彼はため息をつき、それはだいぶ良くない癖だ、とたしなめた。
「――エーリヒ」
「なんだね?」
「……アーズガルドが、L22に拠点を置きはじめたのは、俺の推測にすぎないが、ピーターの父サイラスのあたりから、だった気がするんだが」
「ピーターの代には、ドーソンの衰亡とともに、L22、つまり軍事惑星の玄関口は、完全にアーズガルドの手中にあるね」
「――!」
ドーソン派のアーズガルドの人間が、ドーソンの監獄星送りとともに、巻き添えを食うようにして、いっしょに流刑された。
オルドは、そのためにアーズガルドの人材が半数になり、家の力が脆弱になって、ピーターには傭兵グループと対決する器も力もないと懸念してもどった――クラウドも、オルドのそんな心のスキを、揺さぶった。
(だが)
そもそも、ドーソンがかつての罪を裁かれはじめたキッカケ――L19のロナウドの尽力と表ざたにはなっているが、あのバブロスカの本を書いたバンクスを、保護していたのは――アーズガルドだ。
エリックを牢からいち早く出し、バンクスとともに本を書ける環境を用意したのはロナウドだが、彼の晩年を看取ったのはアーズガルド。
しかし、あのバブロスカの本には、一字たりとてピーターの名は記されていない。サイラスの名も、だ。
ピーターの名は、オトゥールの影になって、いつでも表には現れない。
けれども、アーズガルドはドーソンとともにL18を拠点にしているから、L19のロナウドよりは、ずっと早く動けるはずなのだ。
クラウドは、ララの言葉を思いだした。
『ヴォールドも周りも、ピーターが頼りないと思ってる。それがくつがえりゃ、状況も変わる。なにせアーズガルドは、存在感がないと言われながら、なんだかんだいって、三つの名家に隠れて生き残ってきた老獪な一族だってことさ――』
アーズガルドは、半数がいなくなって脆弱になったのではなく。
ドーソンに組みする者がいなくなって、ピーターの思いどおりになるアーズガルドに作り替えられたのだとしたら。
ピーター自らが、あの状況をつくりだしたのだとしたら。
ピーターとアイゼンが、幼いころ、この宇宙船で「地獄の審判」を乗り越えたことも、クラウドの中には、ずっと引っかかっていた。
「まさか、エーリヒ」
「君の推測は、当たりだ」
エーリヒはうなずいた。
「私は、きっと失業後は、L22の諜報部に在籍することになるだろう」
――また会おう、クラウド。
もどってきたジュリとともに、ステーションの人ごみに消えていくエーリヒを、クラウドただひとりが、見送った。
ジュリはエーリヒと腕を組み、クラウドに手を振った。
エーリヒとジュリが乗った宇宙船が出航するのを窓越しに眺め、クラウドは階段を降りた。
エーリヒが、「第二次バブロスカ革命の記録」を所持していることは、だれも知らない。
彼がそれを、アーズガルドに渡すのか、ロナウドに渡すのか、それもクラウドは知らない。だがエーリヒに任せておけば、ほぼ間違いはない。
『私は、きっと失業後は、L22の諜報部に在籍することになるだろう』
エーリヒはそう言った。L22と言ったのだ。アーズガルドではなく。
アーズガルドの戦略下にあるL22であることはたしかだろうが、諜報部が、L22の軍部につくられるということか。
(L18は、どうなるっていうんだ。まさか、ほんとうに――)
ララの計画が、成るというのか。
エーリヒはあのあと、クラウドに言い含めた。
「私は、こうなったからといって、オトゥール坊ちゃまやバラディア公に対して、腹に一物あるというわけではない。ましてや、裏切りや敵対なんて言葉は死んでもつかってほしくはないね」
クラウドの言葉を待たず、エーリヒはつづけた。
「私のポリシーは一貫して変わらんよ。――心理作戦部という部署に、私情を一切挟まないという点では」
「……たしかに、君のポリシーは揺らがない」
クラウドも認めた。変人ではあったが、エーリヒは心理作戦部の人望厚き隊長だったのだ。彼の変わらない姿勢を畏敬し、部下はついてきた。
「心理作戦部の存在意義は? クラウド、心理作戦部は本来なら、どの名家の影響も受けない中立地帯であらねばならない。軍事惑星の存続のためにね――そういう意味では、アーズガルドに籍を置くというのはもっともよい状態なのだよ。私は、ピーター氏を、オトゥール坊ちゃまたちほど人間として信頼しているわけではない。けれども、彼が目指す方向は、すくなくとも、その方向と合致している」
「……」
「ピーター率いるアーズガルドが、ヤマトとつながっていることに不安を覚えるかねクラウド? ピーターは、ヤマトの言いなりではないかと?」
エーリヒは自分で言って、首を振った。
「ピーターが、ヤマトの現頭領に協力的かといえば、それはそれで、ちがうのだよ」
「――え?」
「ピーターはどちらかというと、ヤマトの現頭領の意志には沿っていない。敵対ではない、協力関係にはあるが、お互いの意志と目的は、それぞれちがう」
「……」
「“軍部”の意志と、“傭兵”が望むものとは、まったく違うのだよ」
エーリヒとまったく同じことを、シグルスもかつて言った。
その上で、クラウドには、「中立」でいてほしいと。
ララに着くこともせず、だからといって、エーリヒの傀儡になることもなく。
すくなくとも、クラウドは自由だった。エーリヒは、ベンもクラウドも解放した。
「エーリヒ、俺は……」
「これからの軍事惑星群は、もっとも、“バランス”というものが求められる時期に入るだろう。揺れ動く軍事惑星のバランスをとる――軍部と、傭兵のバランスを――おそらくそれを、アーズガルドが担うのではないかと、私は考えている」
クラウドの迷いを見抜いたように、エーリヒは言った。
「君の居場所は、心理作戦部ではないよ――それだけは、言える」
「俺の居場所は、ミシェルのそばだ……」
「君は、この宇宙船という、大局が見える場所にいて、“真実をもたらす”べきだと思うが? 軍事惑星における、あらゆる真実をね」
クラウドは目を見開いた。
「オルドの真の“望み”を見抜いたことでさえ、オルドに対して、真実をもたらしたものだと私は思えるが――それとも、軍事惑星群の未来に対してかな――すくなくとも、オルドが帰ったのは、オルドの意志だ」
「……」
「人の言葉に流されるような人間は、ピーターのもとにもどったところで、なにひとつ成し遂げられはせんよ」
「もしかして、俺をなぐさめてる?」
「そう聞こえるならば、そうなのかな? ともかくもクラウド。後悔したところで、なにひとつ前に進みはしない」
(俺は、後悔していたのかな)
ライアンたちとオルドを引き離したことにずっと、罪悪感を?
(ルナちゃんは、宇宙船の役員になるって希望しているみたいだけど――だとしたら、ミシェルも同じことを言いだすかな)
クラウドの揺らがない意志は、たったひとつ。ミシェルのそばにいること。
(だとしたら、俺の永久就職先も、この宇宙船なのかもな)




