358話 終息 2
ラグ・ヴァダの武神との決戦が終わって一週間。
ルナがボケウサギだったどころか、アズラエルたちもボケライオンに、ボケタイガーだったわけだが、のんびり過ごしたわけではなかった。なにせこの一週間、ひっきりなしに仲間の合流と、訪問客があったからだ。
その日のうちに、ミシェルとクラウド、エーリヒが合流し、ミシェルとルナは抱き合って再会を喜び、やっとルナはボケウサギではなくなったし、ミシェルも元気を取りもどした。
ルナはしばらく、エーリヒにべったりひっついて離れなかったのだが、エーリヒはジュリを迎えにいかなくてはならないので、ウサギはアズラエルに引き取られた。彼は、ケージに入れられたウサギを尻目に、メンケント・シティに向かった。
次の日には、ララが「10分しかない、10分しかない!」と叫びながらルナとミシェルの無事を確かめに来て、ふたりに口づけし、嵐のように去っていった。
「屋敷のことは、あたしに任せておくれ!」
という謎の言葉を残して。
その日のうちに、バンビたちが――ハンシックの仲間がクルクスにやってきた。ルシヤはルナにくっついて離れなくなった。
クラウドは、エーリヒの代わりに、ルール・ブックの礼をバンビに言い、お互いに、空白の時間を語り合った。
さらに翌日には、ベッタラとニックが合流し、セシルとネイシャが来て――スイートルームは大所帯になった。
ベッタラは、ずいぶん落ち込んでいた。
「――ワタシが、フィルズを倒したかったのです!」
たくましい肩をすっかりしょげ返らせて、彼は言った。大好きなネクターにも手を付けず。
ベッタラの駒「剣士」は、あっさりフィルズに砕かれてしまった。あれにはチラ見していたアズラエルたちも驚いたのだ。
「仕方ないよ。俺たちも、ルール・ブックのおかげで分かったんだけど、フィルズは、どの道、太陽の神の星守りを持った者しか倒せなかったんだ」
クラウドがそう言って慰めた。
「そうなの!?」
「そうだったのですか!!!」
ニックとベッタラは仰天し、「では、ワタシが太陽の星守りを持って、戦いたかった……!」とあきらめきれずに叫んだが、太陽の星守りはエマルだったと聞いて、急に黙った。ベッタラも、エマルの迫力には敵わないものを感じたらしい。
ベッタラは言った。
「エーマルさんが、アノール族でないことが、不思議です」
「それより、さっき、お兄ちゃんに会って来たんだけど」
ニックは言った。
「グレン、アズラエル――シュバリエたちの敵を取ってくれて、ありがとう」
ラグ・ヴァダの武神にやられたシュバリエとヤーコブ、アンリ。身体に大穴があいたアンリは助かったが、ヤーコブはダメだったという。シュバリエの遺体も見つからなかった。残ったのは首だけだ。
シュバリエが死んだと聞いて、顔色を変えたのはハンシックのメンバーだった。
ルール・ブックを運んでくれたのは、シュバリエだ。
「シュバリエは、幼馴染みのお兄さんでね。僕をすごく可愛がってくれたひとだ」
勇敢な、ひとだった。
ニックは目を潤ませ、
「さっき、別れの挨拶を済ませてきたよ――僕も、すこしは敵を取れたかな」
ニックは、モハの「ルフ(戦車)」を打ち破った。十分に彼は活躍したのだ。ニックを励ますように、彼の肩にベッタラの分厚い手が置かれた。
ニックはしばらく黙っていたが、やがて、思い出したように言った。
「そ、そうだ。敵方の駒は、みんなすでにエタカ・リーナ山岳で死んでいたっていう話なんだけど、実は、僕が倒した――モハ? さんだっけ。彼だけは無事だったらしいんだ」
「ホントかい?」
クラウドが興味を示した。
「うん――モハさんだけは、無事だった。僕たちみたいに、駒が倒された場所で意識を失っていた。L20の軍に救助されたよ。――どうして彼だけ生きていたのか、これから調査するって、お兄ちゃんが」
「お兄ちゃん?」
さっきから、ニックの口から出るお兄ちゃん、がだれなのか分からなくて、グレンが聞いた。
「あれ? お兄ちゃんは、みんなのこと知ってたよ」
ニックは首をかしげた。
「マルコっていうんだけど、会ってない?」
「マルコ――俺のこと、お義兄さんって呼んだやつか」
アズラエルは膝を打った。ニックもすでに聞いていたようだ。
「お兄ちゃんはね、理想が高くって、なかなか結婚できなかったんだけど、まさか、こんなところで、運命の相手に出会うなんてびっくりだよ!」
ニックは嬉しげに両腕を広げ、
「それがまさか、アズラエルの妹さんだなんて! スタークさんとお兄ちゃんが結婚したら、僕とアズラエルは親戚か~」
ニックは、今の時点では気づきもしなかった。
兄弟そろって、運命の相手と出会ったということを。
彼の魂は、ラグ・ヴァダの武神を倒すまで妻帯しないと決めていたのだ。けれども、ニック自身もすでに、運命の相手と出会っていたのである。
アントニオが来たのは、五日後だった。
ペリドットと一緒に、エタカ・リーナ山岳の様子をたしかめて来たらしい。
エタカ・リーナ山岳の西側はすっかり崩落し、地形も変わっていた。大規模な崩落のおかげで、ジュセ大陸のハダルの街の三分の一が海に沈んだというのだ。
ハダルの街の住人は、皆バーダンに避難していて、犠牲者がなかったことだけが幸いだった。
シェハザールも、シャトランジの対局盤も、ラグ・ヴァダの武神の墓碑も、完全に海の底へ沈んだ。しかし、残ったエタカ・リーナ山岳の中央あたりの洞穴で、王宮護衛官三名の遺体が発見された。おそらく、シャトランジの駒となった人間だ。調査はこの先もつづけられるという。
アントニオは、皆の労をねぎらい、「じゃあ、また宇宙船で」と言って、帰って行った。
ルナたちがでかけることができたのは、一週間後だった。
宇宙船にもどることができるようになった日と、ちょうど同じ日であった。
「――ルナ!」
「おばーちゃん!!」
ジュセ大陸のメンケント・シティの大学病院で、ツキヨとルナたちは感動の再会を果たした。
「よかったわ、無事だったのね」
席を外していたリンファンも病室に戻ってきて、「ママ!」と飛びついてきたルナを抱きしめた。
「まったく、ひとっことも連絡を寄こさないで。心配したじゃないか!」
ツキヨは、タオルで目頭をぬぐいながら、アズラエルに怒った。
「悪かったよ。俺は非常事態で駆り出されていたし、それどころじゃなかったんだ」
「ご無事でよかったです」
エマルとリンファンの担当役員、シシーもほっとしたように言った。
ルナとアズラエル、クラウドとミシェルは、バーダン・シティにいたことになっている。
メンケント・シティもバーダン・シティも、シャトランジの盤が敷かれてから、厳重な警戒態勢に置かれて、街を出るものも入ってくる者も、その場に留め置かれた。街の境界線にはバリケードが敷かれ、自由に出入りはできなくなっていた。
それは、ルナたちが連絡を取れなかったことのいい理由にはなったが、ふたりに心配をかけたことは否めない。
メンケント・シティにいた住民は、ほとんど不思議なほど、ナミ大陸で起きた戦いのことは知らなかった。
バーダン・シティからは、イアリアスの駒が見え、海岸線に出た者たちは、ラグ・ヴァダの武神の黒もやを目にしたが、彼らの目には自然現象としか映らなかった。
もちろん、ニュースの記事にはならなかった。
なぜなら、勢い込んで、スクープとばかりに撮った記者たちのカメラには、なにも映っていなかったからである。
彼らがこの目で見たイアリアスの巨大駒も、その戦いも、黒いもやが武神の形を成すところも、まったく映っていなかった。彼らがカメラに収めたのは、ただの曇り空と海であった。
最初のメルーヴァ軍の攻撃こそは放映されたが、その後の、太陽のごとく燃える地球行き宇宙船の様子は、カメラにも、映像にも映っていなかった。
「昨日、エマルがね、オリーヴとスタークを連れて来てくれたよ」
ツキヨの顔色はよかった。
「スタークに会えるなんてねえ……! あの子には、E353じゃ会えなかったから」
「スタークちゃんは、さすがにあたしのことはうろおぼえだったわねえ……でも、無理もないわ。ちいさかったもの。そうそう! 未来の旦那様にも会ったのよ」
リンファンが興奮気味に話すのに、ルナとアズラエルは顔を見合わせた。アズラエルは昨日、正式にマルコから、「スタークさんを妻にしてもいいですか」と聞かれたばかりだったのだ。
エマルときたら、スタークが男になったことを残念がっていたものだから、
「ええ、ええ、どうぞ! こんなどっちかわからないモンをもらってくれるなら、だれだって!」
と大歓迎でマルコとの結婚を許し、オリーヴは、「えーっ!? いいないいな! だれかあたしと寝てみたい天使はいない!?」と騒ぎだして、テッサやフィロストラトあたりが手を挙げるまえに、エマルのゲンコツを食らった。
ボリスと、「今度こそ一生離れないから……♡」と熱く誓った舌の根も乾かないうちにこれだ。
ボリスは「毎度のことだ」とあきれてなにも言わなかった。
すさまじいしかめっ面だったのは、当のスターク本人である。ああ、これは、納得はしてねえな、と思ったアズラエルは、しかたなくスタークの味方をしてやることにした。
「まずは、スタークを完全に攻略してから、俺のところに来いよ」
とアズラエルは言ったのだが、マルコは認められたと思ったのか、輝くような笑顔になった。
「スタークちゃんが、天使さんと結婚したら、どんな大きな赤ちゃんが生まれるのかしら……」
「旦那様はとんでもない長寿だっていうから、どんなものかねえ」
「でも、マルコさんは、L02に来れば自然と長寿になるからスタークちゃんだって、長生きするって言ってたわよ?」
「仕事はどうするんだい? あの子は、総司令官さんの子飼いの部隊だっていうじゃないか!」
「そうね――仕事ね――でもあたし、もっと心配なことがあるの! 赤ちゃんがあんまり大きかったら、出産のとき、大変よ」
「それはそうだね。あたしも、エマルを生むときは大変だった!」
あの子は、5千グラムもあったのさ! とツキヨは言い、ルナとシシーは目を丸くした。
「でっかくなるひとって、やっぱ、赤んぼのときからおっきーんですねえ……」
シシーの呑気な声。
久しぶりの穏やかな時間に、ルナは、やっと日常を取りもどしたように笑い続けていた。
そのころ、戦後処理に追われていたフライヤは、ひとつの朗報を受け取っていた。
「なんですって……!!」
サスペンサーとマクハランが生きていた、というのである。
正確には、サスペンサー隊の一部が、サスペンサー大佐とともに生き残っていた。
そして、マクハラン隊の生き残りは――マクハランたったひとりだったが、生きていた。
サスペンサー隊はケンタウルの大病院で治療中。マクハランは、救助されて、近くの軍病院に運び込まれた。
報告を受け取ったフライヤは息を飲み――その場にいたスタークともども、まずは報告を聞いた。
エタカ・リーナ平原に最初のシャトランジ幕が敷かれたあたりから、連絡が取れなくなっていたサスペンサー隊だったが、彼女と、部下の一部は生きていた。
平原のあちこちに存在していた地下シェルターで、生き延びていたというのである。
「シェルター……」
スタークがつぶやいた。
「報告にはなかったわ」
そういうフライヤに、「報告は間に合わなかったのかもしれません」と部下は告げた。
サスペンサー隊は、調査をしていたとき、平原のあちこちに、不思議な「蓋」を見つけた。マンホールの蓋を三倍くらいにした大きな円形の蓋を開けると、地下シェルターにつながっていたのだった。
なぜ、こんなものが、なにもない平原に、と思ったが、シャトランジの概要を聞くにつけ、もしかしたら、最初にこの地でシャトランジが起動したあと、身を守るためのシェルターがつくられたのではないかという結論に達した。
そのため、サスペンサー隊は、すべてのシェルターの中を確認し、いざというとき、しばらく野営できるだけの食糧や水、救急箱、寝袋、また、銃火器などを置いておいた。
用意は、サスペンサー隊の皆を救った。
予想通り、あれはシェルターだったのだ。シャトランジの駒は、地下にいる者には作用しなかった。
シェルターに逃げ込んだ者たちだけが、助かった。
しかし、サスペンサー大佐は、部下を先にシェルターに入れて逃げ遅れたため、自分の片足を持っていかれたらしい。
けれども、生きていた。
今は救助され、部下とともにケンタウルの病院で治療を受けている。
瞬きもせず話を聞いていたフライヤだったが、やっとほっとした顔で「――よかった」とつぶやいた。
もう、死んだものと思われていたのだ。最初に、シャトランジの犠牲になって。
本人も、一度は死を覚悟したらしい。
ケンタウルの病院にいるので、すぐには会いに行けない。見舞いに行くため日程の確認をしようとしたとき、看護師が駆けこんできた。
「大佐! フライヤ大佐! すぐ来てください――!!」




