358話 終息 1
「ルナちゃん! ――兄貴!?」
街の方から駆けてきたのは、スタークだった。
「スター「スターク!!」
アズラエルが、久々の弟との邂逅に目を丸くしたが、彼より先にスタークの名を呼び、両腕を広げたのはマルコだった。
だが、両思いとはいかないらしい。スタークは、三メートルも手前で急ブレーキをかけた。
「ヨッホー! 兄貴! ひさしぶり!!」
スタークが飛びついたのは、大好きな兄貴の方だった。マルコの、隠しもしないガッカリ顔。スタークは兄貴との再会を短く喜び、すぐにウサギのほうへ興味を移した。
「ルナちゃん! ルナちゃんだよな? 生身でははじめまして! 俺、スタークだよ」
「スタークさん!!」
ルナのウサ耳がぴょこたんと立った。
ルナとスタークは、もうずいぶん前にテレビ電話でお目見えしている。ペリドットに、カエルのように張り付いていたルナは、ようやく降りて、スタークと握手をした。
「E353じゃ、俺だけ会えなかったもんな。会えてうれしいよ」
「あたしもでしゅ!!」
「いっや~、本物見ると、マジでうさこちゃんだな。犯罪だぜ兄貴」
アズラエルは聞こえないふりをした。いまさらというやつだ。どうせ、グレンと並んでも、セルゲイと一緒でも、犯罪なのだ。
「ツキヨばーちゃんが、メンケント・シティにいるぞ」
「うん。できれば会っていきてえけど、どうなるかな……」
フライヤ総司令官はそういうところ甘いから、頼めば一日くらい時間をつくってくれるだろうけど、とスタークは笑い――すぐに表情が消えた。
スタークが何を見ているかは、アズラエルにもわかった。
今までは霧で見えなかった、腐食した入り口の街の様子をだ。再会のなごやかな空気を吹き飛ばし、一気に現実に呼びもどす、無残な光景だった。
「俺は、ヒュピテムたちを――ええと、エタカ・リーナ山岳で遭難してた、王宮護衛官たちを救助してクルクスに来てから、一歩も外に出られなくなっちまって。まるで事態が把握できてねえんだが、ようするに――終わったんだよな?」
「ああ、終わった」
答えたのは、ペリドットだった。
「そうか」
スタークは、兄そっくりの顔でうなずいた。
「兄貴たちともゆっくり話したいのはヤマヤマだが、とにかくフライヤ総司令官に合流しねえと――」
「さっき、ここまで来たんだぜ」
「え!?」
「メルーヴァの遺体を、連れて行った」
「……」
兄の言葉に、スタークは一瞬だけ神妙な顔をし、それからマルコに向かって怒鳴った。
「マルコ、行ける?」
「ええ」
マルコが嬉しそうに微笑んだ。
スタークは、私用機にでも乗るように、勝手知ったる調子でマルコに乗った。
「しばらく兄貴たちは、クルクスにいるんだろ」
「ああ」
「じゃあ、あらためて、また来るよ」
「スタークさん、天使さんたち、気を付けてね!」
「うん」
ルナも手を振った。マルコとスタークは、地上を離れた。天使たちも、ルナたちに一礼し、あとを追って羽ばたいていく。
「なんだかんだいいながら、仲は良さそうじゃねえか」
アズラエルが、顎髭を撫でながら、それを見送った。
そこへ、入れ違いのように、軍のジープに乗ったザボンが現れた。
彼は、ルナたちを――ルナとアズラエル、グレン、セルゲイ、ペリドット、シグルスの顔を順番に見つめ、深々と礼をした。
「ありがとうございました」
ルナたちは、そのままアストロスの軍ジープに乗せられて、城まで帰った。
カザマが、城の手前で待ち構えていた。
アストロスの女王が、騎士と娘の帰還を待ちかねていたように、ルナたちが車から降りるのも待たずに、ハイヒールで門前の坂道を駆け下りてきた。
ルナは、カザマに抱きしめられ、「ルナさん! 無事でよかったわ――メルーヴァ姫のお部屋からいなくなっているものだから、心配して――ルナさん!?」
ルナは、カザマの顔を見て安心しきったのか、オチるように眠っていたのだった。
城のホテル――VIPスイートルームに通されたアズラエルたちも、ザボンが「お食事のご用意はどうされます?」と振り返ったときには、みんな行き倒れのように寝ていた。
シグルスとふたりで苦笑し、あとはシグルスに任せて、ザボンは退室した。
地球行き宇宙船は、大幅なメンテナンスのために、一ヶ月あまりアストロスに停泊することになった。
船内下部の操縦室は、完璧と言えるまでに無事だったが、そのために、船内上部の街は壊滅的打撃を受けたのだ。
ほぼすべての街は焼失した。奇跡的にも、比較的無事な景観を保っていたのはK13区の「ルーシー&ビアード美術館」のみである。
ララが、すさまじいまでの念には念の入れようで、美術館自体を強固な外壁で覆い、千近い数のpi=poでもって守るという尋常ではない真似をしたので、貴重な文化財は失われずに済んだ。
地球行き宇宙船は、来年の4月地球到着予定が一ヶ月ずれこみ、5月到着予定になった。滞在期間も延長され、地球を出るのは8月になる。
壊滅的打撃を受けたのは地球行き宇宙船だけではない。アストロスのナミ大陸も同じであった。E353やマルカまで避難した住民たちが徐々にもどりはじめるのは、ルナたちがアストロスを出航したあとになる。
今は、アストロス軍とL20の軍――E002に待機していたアズサ中将の大隊も入星し、復興作業に入りはじめたところだった。
結論からいうと、味方の駒となったニックやベッタラ、エマルたちは無事だった。
イアリアス盤がなくなって、一番先に目覚めたのはニックだった。
陸地にいた彼は、まず自分が五体満足であったことを喜び、それから、激戦の地を、呆けたように見つめた。それからあわてて飛び立った。おそらく盤の位置では、海に沈んだ仲間もいるはずだ。
ベッタラはすぐ見つかった。彼は陸地にいた。だが、エマルとデビッドは、確実に海の中だ。
「エマルさあん! デビッドさあん!」
ニックは、くたくたの体に鞭打って羽根を羽ばたかせ、海の方へ向かった。
エマルは――フィルズを取ったエマルは、やられたわけではないので、意識は失っていなかった。足元の黄金盤が消えた時点で海に放り出されて驚きはしたが、アンブレラ諸島が近くに見えていたので、パワフルママは、自力で泳いで島に到着し、救助を待っていたのだった。
「うおーい! こっちだよ!!」
「エマルさん!!」
エマルを見つけたのは、ミシェルを乗せたセプテンおじいさんだった。
デビッドは、海上に浮いていた。まるで、星守りが浮き輪にでもなったかのように、仰向けになって浮いていた。
デビッドを海からすくい上げ、泣きながらふたりを捜していたニックと合流し、ベッタラも乗せて、フライヤたちがいるガクルックス総司令部に到着したのは、ルナたちがクルクスで意識を失っている真っ最中だった。
もちろん彼らは、英雄として迎えられた。
意識不明のベッタラが、アノール族に囲まれてやいのやいのと担がれて医務室に運ばれていった。太鼓の盛大な音で祝われながら。
「ニック!」
「ぼにーじゃんんんん!!!!!」
ニックは、天使隊の中にマルコの姿を見つけて、どばびしゃと顔中から涙と鼻水を飛ばしまくった。連絡は取りあっていたが、まさに百年以上ぶりの、兄弟の再会であった。
「ぼんどにぎでぐれだの!!!!」
「ニック、よく頑張った」
マルコは、ずいぶんたくましくなった弟の背を、ぽんぽんと叩いた。
「があぢゃんんんん!!!!!」
「エバブざああああんんn!!!!」
こちらでも、オリーヴとベックが、涙と鼻水まみれで飛びついてきたのを見て、エマルは大笑いした。
「なんだい!? ものすごい顔しやがって!!」
「があぢゃああああ!!!!!」
息子がもうひとり、エマルの無事を認めて飛びついてきたので、エマルはさすがによろめいた。
「まったくおまえら! ママのおっぱいが恋しい歳じゃねえだろ!!」
エマルは呆れ声で叫び、
「それより、アズのアホを叩き直してやらなきゃ! あたしだったら、ストレート五発で、あんなモン沈めてたね!」
アストロスで最強だったのは、このメスライオンだったかもしれなかった。
「おふォ!?」
アズラエルは、戦慄して飛び起きた。ラグ・ヴァダの武神より恐ろしい母親が、ゴキボキと指を鳴らしてこっちに来る夢を見た気がした。
「お目覚めですか」
シグルスが、ソファに座っていた。
「おう……」
ルナは、アズラエルが寝室へ運んだ。カザマも寝室で休んでいるのだろう。セルゲイとグレンは、床で行き倒れている。ソファでいびきをかいていたはずのペリドットの姿はなかった。
「ペリドット様は、先ほど起床して、軍のほうへ向かわれました」
「そうか……」
「ザボンさんが、アストロス滞在中は、この部屋を自由に使ってくれと仰ってました」
アズラエルは、ほっぺたに残った絨毯の模様をなぞりながら、大あくびをした。
ここへ来てから、数時間しか経っていない。窓の外は、夕暮れだった。
「地球行き宇宙船には、まだもどれません。一週間後には入れると思います。――どうなさいます? 湯を使われますか。それとも、お食事を先に?」
「風呂、入るか」
アズラエルは、伸びをして、立った。
アズラエルが浴室から出てくると、二番目に起きて来たのはルナだった。ルナは目をこすりながら、アズラエルと入れ替わりに浴室へ入った。
だれかが浴室から出てくるたびに、だれかが起きる。
それを繰り返しているうちに、いつのまにか食事の用意がされていた。ルーム・サービスの豪勢なメニューが、テーブルに並んでいる。
だが、皆、なかなか食事に手をつけなかった。どことなく、ぼうっとしていた。
無理もない。
想像を絶する戦いが終わって、まだ、ひと晩も経っていないのだ。
ルナは、ソファに座っていながら、まだこっくりこっくりと頭を揺らしていた。グレンもアズラエルも、まだ夢の中にいるような顔をしていたし、カザマも、ひどく静かだった。疲れが抜けていない顔をしていた。
ルナは一週間もたって、ようやく気づくのだ。
丸五日、彼女は寝ていなかったのである。
彼女たちをここまでもたせたのは、セパイローの庭で食べたバナナのパワーだったが、ルナたちがそれを知るのはもう少し先である。
だれもがアホ面で、時の流れに身を任せていたのだが、アズラエルはようやく思い出した。
ルナに、一等先に言っておかねばならないことがあった。
「ピ、ピ、ピ、ピ、ピエトが!?」
シグルスがグラスについでくれたジュースを、ぼんやり礼を言って受け取ったルナは、アズラエルから聞いた話に目を丸くし――あやうくジュースを落としかけ、横のグレンがキャッチした。
そのままルナは立ち上がり、ぺぺぺぺーっとそこらじゅうを落ち着きなくうろつきまわり、「ピエト……」と床を見つめた。
「だいじょうぶだ、命に別状はない」
アズラエルは言い、
「うろたえるんじゃねえよ。――もしピエトが傭兵になったなら、」
テーブルにもどされたルナのジュースを、一気飲みした。
「この程度じゃすまねえことも、この先起きてくる」
「……」
ルナはウサ耳をぺったりと垂れさせたまま、ぽてぽてと、ソファにもどった。
「悪いニュースばかりじゃねえ。リサとミシェルも降船を取り消した。もどってくるぞ」
「ええっ」
ルナは、ウサ耳を跳ね上げた。
「このまま地球に行くそうだ」
「ほんとうですか」
嬉しげな顔をしたのは、カザマだった。
「ああ。ピエトが動けるようになったら、いっしょにもどってくる」
ルナの表情も、すこし明るくなった。
ルナがクルクスに到着する前、ジュエルス海の沿岸でひと晩停泊したときに実行されたリハビリ――最後のリハビリ。
第二次バブロスカ革命の、前世。
あれはおそらく、ルナだけのリハビリではなかった。
ウサギさんと、その仲間たちのお話だった。
第二次バブロスカ革命の仲間、全員のリハビリだったのだ。
(ミシェルの魂のキズは、癒されたんだろうか)
ルナは思った。
ミシェルが牢屋から助けたかった「先生」は、リサだった。
ZOOカードにあった通り、ミシェルは確かに、リサのことしか考えていなかったのだ。
(ミシェルは今度こそ、たいせつなぽっくりさんと、幸せになるんだ)
そして、ピエトも。
ルナのために、アズラエルを呼びに行ってくれた、ピエト。
「ピエトがもどってきたら……」
ルナにジュースがふたたび手渡されようとしたが、ルナは目を真っ赤にしてスカートを握っていたので、今度はグレンが受け取った。
「おもいきり、甘やかしてあげなくちゃ」
「おいおい」
アズラエルは苦笑し、シグルスは三度目の正直で、ルナのためにジュースを注いだが、浴室からもどってきたセルゲイに「ありがとう」と言って取られた。
シグルスは、肩をすくめて、四度目の正直でルナに手渡したのだった。




