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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~十二の預言詩篇~
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357話 逢瀬の霧 4


「サルーディーバ様、アンジェリカ様!」

「メリッサ!」

 メリッサが、一行の姿を見つけて駆け寄ってきた。

「船はどれもオダブツだな」


 ペリドットが呆れ声で言い、「クルーザーでも持ってくるべきでしたね」とシグルスの舌打ち。

 引き返して、クルーザーを持ってくるか、アクルックス方面に向かうか――急がねば、せっかくの「霧」が晴れてしまう。

 選択を迫られていた彼らのまえに現れたのは。

 

「クルクスへは、わたしたちがご案内します」

 天使たちが、胸に手を当ててお辞儀をし、あいさつをした。


「あなたたちは――!」

「サルーディーバさま、お会いできて、光栄でございます」

 三人の天使は、サルーディーバの手を取り、口づけをし、ペリドットにも挨拶をした。

「ラグ・ヴァダの女王さまの末裔であらせられる御方に、サルディオーネ様、こんなところでお会いできるとは思いませんでした」

 テッサが代表して言った。


「まだくわしくは聞いていないが、今回のいくさでは大活躍だったそうだな」

 ペリドットが親しげにテッサの肩を叩くと、彼はにっこりと笑った。

「まずは――メルーヴァ姫様がお待ちです。急ぎましょう」

「ルナが?」

「はい」

 アンジェリカの問いに、テッサはうなずいた。

 

 サルーディーバとアンジェリカをテッサが。ペリドットとシグルスをフィロストラトが。メリッサと運転手を抱えようとしたマルコには、運転手が怖気づいて、「わ、わたしはここで待っています!」と遠慮したので、マルコはメリッサひとりを連れて羽ばたいた。


 彼らがクルクスの門前まで着くのは、すぐだった。

 アンジェリカもサルーディーバも、ふた柱の武神像を見上げ――それからすぐに気付いた。

 門の向こうにいる、存在に。


「――ルナ」

「アンジェ」


 ルナはずっと、膝に乗せた人間の頭を撫で続けていた。いたわるように。

 慈しむように。

 ルナは立ち上がろうとしたが、無理だった。長い間座り続けていたせいで、足が固まって動けなかった。そっとメルーヴァの頭を地面に置いて、アンジェリカがこちらへ来るのを待った。

 動けないルナ本体は、アズラエルが、ひょいとウサギの子でも抱きかかえるように持ち上げた。


 ――アンジェリカも、サルーディーバも、ようやく、悟った。

 この霧の意味を。

 そして、ルナが膝に抱いていた人物が、何者なのかも。


「メルーヴァ!!!」

 

 アンジェリカの叫び。

 彼女は、小さな身体を目いっぱい伸ばし、駆けた。そして、飛びついた。

 つめたくなった、婚約者に。

 ――かつての、幼馴染みに。


「メルーヴァ……メルーヴァ」


 アンジェリカは、かつて抱え込めるほど小さかったメルーヴァが、こんなにも大きくなっていたことに驚いた。頭しか、抱え込めない。

 メルーヴァは、シェハザールのように、大きく凛々しい、おとなの男になっていた。

 最後に会ったのはいつだったのか、アンジェリカにももう思い出せない。

 アンジェリカの記憶にあるのは、自分と背も体格も変わらない、小さな少年だった。


(メルーヴァ)


 顔は、眠っているように安らかだ。

 左頬に一直線に走ったキズと、ボサボサの白髪が、メルーヴァのここまでの道程をアンジェリカに思い知らせた。

 アンジェリカはそっと、メルーヴァの唇にキスをした。

 昔、飛び上がって喜んだ彼。

 だれもが醜いと言ってはばからなかった自分とのキスを、天に舞い上がるかのように喜んだメルーヴァ。

 唇が触れるようなキスを、たった一度だけ。

 

 ――唇は冷たかった。

 だけれども、彼は少し、微笑んでいる気がした。

 錯覚でもいい。

 見たときから、メルーヴァの顔は安らかだった。

 それだけで、よかった。


「おかえり、メルーヴァ」

 アンジェリカは、やっと、言えた。


「メルーヴァ……」

 サルーディーバが、アンジェリカごとメルーヴァを抱きしめて、泣いていた。

「よく――がんばりましたね。よく――ここまで」

 先は、言葉にならなかった。


 そのまま、アンジェリカは、メルーヴァの胸に顔を埋めて号泣した。(ほとばし)るように彼女は泣いた。ルナも泣いた。

 アンジェリカの慟哭(どうこく)を、白い霧が包んでいく。

 白い世界に、ふたりの――いや、三人の小さなすすり泣きと、泣き叫ぶ声がつづいた。


 天使やペリドットたちが見守る中、霧は晴れていく。

 サルーディーバもアンジェリカも、メルーヴァから離れようとはしなかった。だが、逢瀬の時間は永遠ではなかった。


 ずいぶん――ずいぶん長い時間が経ったようにも思えたし、十分ほどしか経っていない気がした。


 ルナは、視界にL20の軍人が立っているのをとらえた。

 けっこう大柄な女性だ。黒髪をまとめ、眼鏡をかけている。おとなしそうな顔をしているが、きっと意志は強いひとだ。部下を連れている。

 でも、持つ雰囲気は、軍人という厳めしさとは対照的だった。

 ルナはどこかで、この女性を見たことがあると思った。


「L20陸軍――メルーヴァ、いいえ、“ラグ・ヴァダの武神”討伐隊総司令官、フライヤ・G・メルフェスカです」


 彼女は言い直した。だれもが驚いた。

 彼女の言葉から、敵視されているのがメルーヴァではなく、ラグ・ヴァダの武神だとわかったからである。

 

「革命家メルーヴァの身柄を、お預かりします」


「いや、やだ――メルーヴァ! メルーヴァ!!」

 アンジェリカは泣きすがったが、メルーヴァは担架に乗せられ、シートを被せられて運ばれていく。


「アンジェ」

 サルーディーバも泣きながら、アンジェリカを引き留めた。だがフライヤは、ふたりに向かって思いもかけないことを言った。


「メルーヴァの遺体は、礼を持って埋葬したいと思います。わたしの意見が通るか分かりませんが――できるかぎりのことは」

 フライヤの言葉に、ルナも目を見張った。

「ご同行なさいますか?」


 フライヤは、サルーディーバとアンジェリカに聞いた。なんと、このL20の総司令官は、メルーヴァとの別れの時間をつくってくれると言っている。

 全世界指名手配の革命家だ。遺体すら、どんなあつかいをされるか分かったものではなかったのに。

 メルーヴァが運び込まれていくジープの荷台に、サルーディーバとアンジェリカも乗った。メリッサもだ。


「ルナ」

 アンジェリカが、ジープに乗る前に、涙まみれの顔を上げて微笑んだ。

「ありがとう……」


 ルナは、それを見送った。

 フライヤは、なにか言いたげにルナのほうを見ていた。彼女は、先ほどまでの毅然とした態度がウソのように戸惑った様子を示し、やがて、ルナに声をかけようとして――だれかに呼ばれて行ってしまった。

 フライヤは、ルナを二度振り返り、会釈をし、あわててバスコーレン大佐というひとのほうへ向かった。


 霧は、すっかり晴れた。

 L20のジープが、広い道路を、クルクスの奥向かって何台も走っていく。

 ルナは、役目を終えたことを悟った。

 足がフラフラしたが、ようやくしびれも失せて立てるようになった。


「行けそうか?」

「うん」


 涙を拭き、パンパン、とスカートのすそを叩き、城にもどろうと顔を上げたときだった。


「おまえ、すごいアホ面してるぞ」


 ルナは、ずっと泣くのを我慢して、変な顔をしていたのだが、ついに限界を迎えた。

 ルナのほっぺたは最大限に膨らみ、それから――しぼみ、くしゃくしゃに歪んだ。


「あじゅ!」


 ルナが、アズラエルに飛びついた。アズラエルはしっかりと受け止めた。


 “逢瀬の霧”は、メルーヴァ姫とアスラーエルが出会える日だった。

 ほんとうだったと、ルナは思った。

 でも、この逢瀬は、最後ではない。

 もう、二度と離れないのだ。

 メルーヴァ姫とアスラーエルは、霧が晴れた今、そう誓うのだ。

 今日からは、きっと“誓いの霧”になる。


「あじゅ、あじゅ、あじゅ――」


 (ひじ)に、ウサギのいたずらがきをしてごめんね。

 ルナは号泣しながら謝った。昨夜は謝れなかった。そんな雰囲気ではなかった。

 鼻水と涙まみれの顔を拭いてやりながら、アズラエルは笑った。


「なんでもねえさ」

「足の小指に、ライオンかいて、ごめんね」

「まだ許せるな」

「かかとに、トラさんを描いて――」

「てめえ、いくつラクガキしてんだ!!」

「ぴぎっ!」


 さすがにアズラエルは怒り、ルナは襟首を捕まえられたウサギになったが――。


「アズ、あたしとつきあってくだしゃい!!!!!」


 顔中大洪水、涙と鼻水まみれのルナは叫んだ。


「「いまさら!?」」


 背後がなんだかやかましかった。

 アズラエルの目が、見たこともないほど、驚きに見開かれた。そして、すぐに呆れた顔に。


「どうすっかな――……」

「あじゅ!?」

「さんざん、つきあってねえって言われ続けたからな……」

「だからあたしがいうんでしゅ!! ちゅきあって!!」


「やれやれ……なんつう逢瀬だよ」


 姫と騎士の逢瀬にしちゃ、あまりに色っぽくねえ。

 呆れ声のグレンに、「ほんとそうだね」と大魔王の声が重なったので、グレンは飛び上がった。


「セルゲイ! おまえ、どこから出てきた」

「起きたら、ジュエルス海にぷっかり浮いてた俺の気持ちなんて、だれにもわからないよ」


 セルゲイは、全身びしょぬれだった。ラグ・ヴァダの武神にとどめを刺した、夜の神の最終形態がそれである。


「気の毒に……」

 すくなくともグレンは、海に浮かんでいるなどということはなかった。

 

「セルゲイ! グレン!!」


 アズラエルに抱えられていたウサギが、ようやく気付いてくれた。


「よお、ハニー。弟神と密会しようぜ」

「ここは、月の女神と夜の神の逢瀬も必要だろ」


 今回ばかりは、セルゲイも譲らなかった。なぜならふたりもがんばったのだ。ここはお姫様からの祝福が必要だった。

 アズラエルは唸った。


「俺に譲るんじゃなかったのか」

「おまえ、返事をためらってたじゃねえか」

「そうだよ。ルナちゃんの恋人候補はいくらでもいるんだから、もったいぶらないことだね」


 セルゲイは、黒いシャツを脱ぎ捨てて、絞りながら言った。


「みんな、がんばったのです! それからあたしも、がんばったのです!!」


 ルナの宣告に、セルゲイとグレンは、かわるがわるウサギの髪の毛にキスをした。便乗して天使たちも、「メルーヴァ姫」さまに祝福しようとするのを、アズラエルは威厳を持って止めなければならなかった。


 ペリドットとシグルスが、苦笑気味にその様子を見ているのに気付いたルナが、今度はふたりに飛びつくまで――あと、数秒。





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