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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~カサンドラ篇~
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43話 マリアンヌの死と、謎のパスワード  1


 クラウドとヴィアンカは、静かに眠るカサンドラ――マリアンヌ・S・デヌーヴの顔を眺めていた。なにをするともなく。


 徹夜の看病疲れで、カサンドラの担当役員であるヴィアンカの目もとには、はっきりクマができていた。この宇宙船に乗ってから、カサンドラをほんとうの家族のように見守り、面倒を見てきた彼女は、いまどんな気持ちなのかクラウドには伺い知れない。


 乗船したときから、もう長くはないと言われていたカサンドラ。こうして終わりを間近にして、ヴィアンカは、仕事ではないなにかに突き動かされて、ここにいるようだった。


 四十二歳の彼女にとっては、カサンドラは娘のような年ごろだ。ヴィアンカは結婚していないし、娘もいなかったが、もしかしたらカサンドラを娘に重ねているのだろうか。

 なぜここまでできるのだろうとクラウドは思ったが、ヴィアンカにそれを尋ねても、詮無(せんな)い気はしていた。


 椅子に座ったままのヴィアンカの肩が、がくりと揺れる。限界だったのだろう。

 クラウドは、自分の上着を彼女の肩にかけ、それから自分は、カサンドラのベッド脇の椅子にもどった。

 カサンドラは、眠り続けている。


 宇宙船内の中央役所区画内の総合病院の病室は、個室でそこそこ広く、ゆとりがあった。付き添いの者が寝泊まりできる設備も整っている。


 クラウドはブラインドを下げた。窓は大きく、日差しは十分に差し込む。多少雪はふったが、快晴だった今日の夕日は、手をかざしても(まぶ)しいくらいだった。

 冬日に、この陽光はめずらしい。冬の季節が特に長く厳しいL18で育ったクラウドには、この陽光ですら奇跡的だった。


 カサンドラの枕元には、ヴィアンカが買ってあげたウサギのぬいぐるみがある。水を飲むためのガラスのコップにも、小さなウサギの絵がついていた。そのガラスコップは、カサンドラと一緒に乗ったパートナーが買ってくれたものらしい。


 大きな水差しには、毎日、華やかな花が――色鮮やか過ぎる花が、毎日看護師の手によって替えられていた。


 その花は、ヴィアンカが持ってくることもあれば、クラウドのときもあったし、カサンドラのパートナーだったときもある。クラウドは、カサンドラのパートナーとは鉢合わせたことがない。


 もう、この二、三日が山場だろう。

 そうヴィアンカから連絡をもらって、クラウドはここ三日ばかり、徹夜でこの病室に詰めていた。元軍人である自分には、三日ばかりの徹夜など、たいしたことはない。


 そう――ミシェルに嫌われてしまったことに比べたら、たかが三日の徹夜など。


 ミシェルとは、「あれ以来」会っていない。部屋も別々にとって、クラウドがいくら謝っても、ミシェルは返事すら返してくれない。


 ミシェルは、一晩だけ浮気をした。しかも、アンジェラに(おとしい)れられたのだ。

 もとはといえば、ミシェルを止められなかった自分が悪い。アンジェラの性格を考えれば、こういったことも十分予測できたはずなのに。


 悔やまれることばかり――そのことをさらに、カサンドラにも責められている気がした。この少女をめのまえにして、クラウドは、ひたすら自分がミシェルにしたことを後悔した。


 カサンドラの口調と、マリアンヌの口調は別物だ。二十一歳の女の子にしては、時代がかった物言いをすると思っていたら、やはりカサンドラは多重人格だった。

 クラウドは、それを見舞いに来るようになってから、気付いた。


 カサンドラはだいじょうぶだが、マリアンヌは男性を怖がる。

 無理もない。マリアンヌはカサンドラという別人格を作ることで、崩壊からは辛くも免れていた、というのは、カサンドラの担当の女性医師の見解だ。それは、クラウドの見解とほぼ一緒だった。


 いまだに、カサンドラがどこで、なぜそんな目に遭ったのかクラウドは知らない。

 彼女の担当役員であるヴィアンカにそれとなく聞いたことがあったが、「それは乗船者のプライバシーだから」とすげなく返された。


 普通の乗船者とは違う「プライバシー」だ。必然、役員の口も固くなる。


 しかし、ヴィアンカは、クラウドがカサンドラの見舞いに来ることを厄介に思っている節はなかった。それどころか喜んでさえいた。よけいなことに首を突っ込まなければ、クラウドは歓迎されていたのだろう。


 カサンドラのパートナーとして乗船した男は、カサンドラのそばには寄れない。近づいても大丈夫な男性がクラウドしかいないこともあって、クラウドが泊まり込むと知ったとき、ヴィアンカは、そのクールな顔にわずかにほっとした笑みを浮かべた。


「――ママ?」


 カサンドラが、目覚めた。いや、目覚めたのはマリアンヌだろう。マリアンヌは、ヴィアンカをママだと思っている。恐ろしいほどの速さでヴィアンカが立ち上がり、マリアンヌに駆け寄った。


「起きたの。……ママはここよ」

 ヴィアンカは、マリアンヌの手を握る。

「ママはここよ」

 ヴィアンカはもう一度言った。


 マリアンヌが、ようやく呼吸器の中で息をし、ヴィアンカを見る。


「……カサンドラが、クラウドと話したがってるわ。ふたりにしてくれる?」

「ええ。ええ。分かったわ」


 ヴィアンカが、何度目かしれない、目尻をぬぐう動作をした。


「ママ、ありがとう。お医者様を呼んでちょうだい。あたしは、もう眠るわ……」


 それは、永遠の眠りに就く、という意味だったのか。

 ヴィアンカが目を見張って、それから、必死で泣くのをこらえた。部屋を出ていく。


 マリアンヌの目が、がらりと変わる。まるで別人にだ。

 L03の予言師である、老獪(ろうかい)なカサンドラの目に。


「なにを落ち込んでいるんだい。クラウド」

 クラウドは、少し笑った。

「落ち込んでなんかいないよ」

「あたしの目をごまかせるとでも思ったのかい。どうした。ガラスの子ネコとなにかあったのかい」

「……君にはなにも、隠しごとはできないの」


 クラウドは苦笑し、おおざっぱに、ミシェルとのことを話した。カサンドラの身体が少し揺れた。笑ったのだろう。


「俺はさ、ほんとはミシェルには相応しくないんじゃないかなって、そう思った」


 今死ぬかもしれない少女になにを言っているのだろう。クラウドは自嘲(じちょう)した。


「L系惑星群に名をとどろかす著名な芸術家、か。……俺には、できることなんて、なにもない」


 たかが一軍人に、できることなんてなにもない。手助けどころか、ミシェルが遠くに行ってしまうような気がして、その事実だけにも押しつぶされそうになるのだ。

 嫉妬と焦燥(しょうそう)で、ミシェルの足を引っ張ることばかりしてしまいそうだ。

 現に、自分が追い詰めたのに、たった一度の過ちさえ許せずに、今こうして後悔している。


「“真実をもたらすライオン”」


「え?」

 カサンドラのしゃがれ声をクラウドは聞きとれず、思わず聞き直した。

「今、なんて言ったの?」


「心配おしでないよ。真実をもたらすライオン」

「真実をもたらすライオン? なんだかカッコいいね。それが俺なの?」


 カサンドラはミシェルを「ガラスで遊ぶ子ネコ」、アズラエルを「傭兵のライオン」と呼んでいた。ロイドや、ほかのみんなもそれぞれそういう呼び方をしていた。L03の占い師の言葉だ、意味があるのだろう。


「そうだよ。真実をもたらすライオン。おまえさんには大切な役目がある。いくらガラスの子ネコがL系惑星群で著名な芸術家になると決まっていても、L系惑星群が滅びてしまったらなんにもならないだろう? 芸術どころではないさ」

「うん――まあ、そうだね」

「おまえさんがいなければ、L系惑星群は滅びてしまうんだよ? おまえさんがもたらす真実が、ひいてはL系惑星群を救うことになる」


「俺が?」

 クラウドは、目を瞬かせた。

「でも俺、なにも――“真実”なんて、知らないよ?」


「いずれわかる。おまえさんにしかできないことがある。そう――あたしはね、きっと、マ・アース・ジャ・ハーナの神におまえさんに出会うように導かれた。おまえさんに会ってから、ラガーに行けという啓示はなくなった。だからもうこうして、ゆっくり寝てられるんだけどね」


 カサンドラは、ごほごほと咳き込んだ。


「さあ――あたしはもう眠るよ。マリアンヌもね。あたしたちの役目は終わった」


 カサンドラの声は徐々に弱々しくなっていく。クラウドは、あわてて呼び出しのベルを押した。


「さあ。さよならだクラウド――最後のおみやげだ。アンタなら覚えられる。紙に書いちゃいけない。アンタの頭の中で、ちゃんと覚えておくんだよ――」

「カサンドラ。苦しいの。今、呼んだから、」


「『夜の神』、『月の女神』、『船大工の兄』、『船大工の弟』――」


 カサンドラは、目を閉じながら、三度ほど繰り返しつぶやいた。

 クラウドは、うなずきながら聞いた。涙があふれてくる。止められなかった。


 パスワードは、“マ・アース・ジャ・ハーナ”。


 ママ、クラウド、ありがとう。

 最期の言葉は、マリアンヌの声だった。


「ヴィアンカ! ママ! 入ってきて!」


 クラウドは、ドアの向こうに叫んだ。ヴィアンカと、幾人かの看護師がなだれ込むように入ってきた。ヴィアンカの顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。カサンドラに駆け寄り、こと切れていたのがわかると、声をあげて泣いた。


 クラウドは、ヴィアンカに肩を貸し、自分もしばらく泣いた。


 医者の告知が遠く聞こえる。ヴィアンカが泣きやむまでの時間が、途方もなく長く感じられた。


 クラウドが病室を出たのは、三十分ほどあとだった。それでも、クラウドには半日たった気さえした。


 カサンドラの頬に別れのキスをし、最後にもう一度だけ手を握って、ヴィアンカの肩を抱いて励ました。


「ヴィアンカ。俺は一度出るよ。電話番号は教えたよね。協力できることがあったら、連絡して」

「ええ……」


 ヴィアンカは、涙に崩れた化粧をハンカチで拭きながら、それでも思い切り泣いたのがよかったのか、すでに役員の顔にもどっていた。クラウドが病室を出る間際、ふいに呼びとめたが、それは、慰めを欲している顔ではなかった。


「クラウド」

「なに」

「マリーのことは、依頼人から、すべてわたしに一任されているわ。葬儀も、内々で行おうと思うの。あなたにも連絡するわ。それから」

「うん」

「一度、あなたとゆっくり飲みたいの。どうかしら」


 それは、ナンパでも、故人を一緒に(しの)びたいのでもないのは、クラウドは百も承知だった。

 ヴィアンカは、なにかを決心した、冷徹な目をしていた。それは、クラウドが初めてここに見舞いにきたときに受けた、頑強(がんきょう)で感情のない目だ。クラウドを足から頭の先まで値踏みする、その目。

 ヴィアンカは、もとL43出身の、原住民の血が入った革命軍の一団の出身だ。並みの経歴の持ち主ではない。だからこそ、カサンドラの担当役員に抜擢(ばってき)されたのだろう。


「じゃあ、マタドール・カフェはどう」

「明日でもかまわないかしら」


 クラウドは承知した。


「わかった。では、十九時にマタドール・カフェで」



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