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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~十二の預言詩篇~
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357話 逢瀬の霧 1


 だれも口を利かなかった。


 アストロスの兄弟神が現れて、ラグ・ヴァダの武神と戦いだしたときは、声を上げて応援していたと思う――だが、イアリアスの勝負が始まるなり息をつめて観戦し――エマルの駒の(ほむら)が最大火勢に燃え上がり、敵方のフィルズの駒を打ち倒した、そのとき。


 もう一度、歓声が上がった。


 バンビもジェイクやルシヤらと――ヨドやレイーダともハイタッチをし、皆と勝利の喜びを分かち合った。


 そのあと、閃光がエタカ・リーナ山岳を貫き、氷河の崩壊を見、ラグ・ヴァダの武神の首が飛ばされるまで――だれも、ひとことも発しなかった。


 ほとんど一瞬のことだったように思う。

 そして、すぐに濃い霧があたりを覆い始めたかと思うと、映像は切れた。


「えっ!?」


 ルシヤが、島の子らと観戦盤に駆け寄ったが、揺らそうが叩こうが、もうプロジェクターは映像を映し出さなかった。


「もう、終わったのよ」

 我知らず、バンビはそう言って、子どもらの肩に手を置いた。

「戦いは終わったの」


 観戦盤も、役目を終えた。


「どっちが勝った!?」

 ルシヤの叫びに、「そりゃもちろん、アズラエルたちのほう」


 バンビはL系惑星群の共通語でしゃべったはずなのに、なぜか島の人たちは湧いた。

 今まで一番の大歓声だった。


 ふとバンビが窓の外を見ると、島を覆いつくしていた雨の壁は消えていた。まだ曇り空だが、もう少しすれば晴れるかもしれない。

 

 自分で言っていてなんだか――現実味が湧かなかった。

 ほんとうに、終わったのか。

 自分の役目は、終わったのか。

 みんなの喜びようを見ていると、目頭は熱くなってくるけれど、バンビはまだ呆然としていた。

 あのとき、「回顧録」を送ってよかった。エーリヒ宛てではなくちこたんにしたのはなぜだったのか、いまだにバンビ自身にもわからない。だがきっと、エーリヒには届いた。

 イアリアスの試合中に起こったキャスリング。あれを見て、バンビは届いていたと確信した。


「終わりましたね」

 ひとり廊下に出ていたバンビの背に、声をかけた者があった。スペツヘムだった。

「一時期は、どうなることかと思いましたが……」


 スペツヘムの目は濡れていた。それで、バンビは察した。どうして気づいてあげられなかったのだろう。


 彼は、アストロス軍の総司令官だった人間だ。使命があってセパイローの遺跡に(もう)で、死を覚悟して任務に挑んだけれど、ずっと気がかりだったに違いないのだ。アストロス軍のことを。


 家族はとっくにジュセ大陸に避難しているとは言ったが、一度はこのジャマル島もシャトランジの膜内に入ってしまった。もしかしたらジュセ大陸まで広がっていたかもしれない。そうなったら、彼の家族だけでない――もっと多くの民間人に悲劇が訪れていたはずだ。


 最終的にL20の駐屯地に集合したアストロス軍も、おそらくあの不思議なペガサスに守られた。そのことで、どれだけスペツヘムも救われたことだろう。


「ほんとうね……ほんとうによかった……」


 バンビもようやく(こぼ)れてきた涙をぬぐい、スペツヘムの肩に手を置いた。

 ふたりで、晴れてきた外の光景を眺めた。





「――ふひ」


 ルナは、目覚めた。

 夢は、見なかった。

 夢みたいな現実は、確かにあったが――。


 ほんのちょっと、寝ただろうか。からだは気怠かったけれど、目はさえていた。

 横を見ると、アズラエルが眠っていた。

 ここはどこだろう。

 アズラエルと再会してから、この部屋に入るまでの記憶がない。

 枕もとの時計を見ても、あれからどれだけたったのかわからなかった。

 ひと晩は、過ぎたのだろうか。


 ルナは、客用のバスローブと柔らかい生地のガウンを羽織って、ベッドを降りた。

 クルクスの入り口付近は、観光案内所と宿泊施設が立ち並んでいて、この緊急事態に備えて、だれでもすぐに入って利用できるように、解放されていたことをルナは思い出した。たしか、ここを車で通ったときに、ザボンに説明してもらった。

 ここは、小奇麗なホテルの一室だ。


(すいません。勝手に利用してしまいました……)


 ルナはひとりで真っ赤になってうつむいた。

 まさか、メルーヴァ姫とアスラーエル将軍の逢瀬につかわれてしまうとは……。

 でも、“逢瀬を果たした”のは、ルナとアズラエルだ。


「ふひ……」


 ルナはにっこりと笑い、それから、ポロリと涙をこぼした。

 部屋の外は、まだ濃い霧で真っ白だ。道路すら見えない。

 ルナは、眠っている“恋人”の顔を見つめて、涙をこぼした。





 サルーディーバは、目覚めた。


 彼女の永久の眠りを妨げたのは、焦げ臭い匂いではなく、やたらやかましいヘリコプターの音でもなく、炭となった真月(しんげつ)神社の肌守りだった。


 サルーディーバは重すぎる腕を起こし、指先で、真っ黒な炭となったそれに触れた。着地したヘリコプターからの風圧が、彼女の命の恩人を、彼方に吹き(さら)っていく。


(生きている)


 サルーディーバは、あちこち痛む身体に目を配ることもできず、仰向けに寝そべったまま、空を見上げた。


(わたくしは、生きているのか)


 地球行き宇宙船も無事だ。なぜなら、気象部が写しだす人工の青空が眼前に広がっているからだ。


(なんて身体が重いのだろう)


 神秘なる力が完全に失われていた。サルーディーバは、腕の筋肉をつかってしか、体を起こすことができなくなっていた。今はそれすらもできそうにない。


「サルーディーバ様! ご無事ですか」

「……シグルスさん」


 ヘリコプターから駆けてくるのは、ララの秘書であるシグルスと、救急隊員だった。サルーディーバは寝そべったままだった。だが、さっそく彼女を担架に乗せようとした隊員たちを片手で(さえぎ)った。


「だいじょうぶ」


 サルーディーバは、隊員のひとりに肩を貸してもらい立ち上がった。ところどころ軽いやけどはあったが、重症とは言い難い。まったく無事であった。


(月の女神よ)


 サルーディーバは、己を守ってくれた月の女神の肌守りが消えて行った方角へ、深々と頭を下げた。





 カルパナとセシルは、支えあって海から上がった。もはや火はあとかたもない。あちこちから煙が上がっていたが、砂地を走り、水面を焼いていた火は、もはやなかった。


 海は一気に温度が上昇したが、高熱になることはなかった。火が引いていった直後から、本来の水温にもどりつつある。


「まるで温泉プールだったわ」


 冗談をいう気力もあった。

 ふたりは岸辺に上がって仰向けになり、空を眺めた。


「よく、無事にすんだものね……」

「セシルさん、ほんとうにがんばったわ」


 (きら)びやかな太古の呪術師の姿は失せ、Tシャツとジーンズ姿にもどっていたセシル。カルパナのスーツも焼け焦げ、ストッキングは破れ放題だった。彼女はいつのまにか脱ぎ捨てていたヒールを見つけて、拾ってきた。

 彼女愛用のブルーのハイヒールは、溶けてひしゃげていた。


「残念! これが一番履きやすかったのに」


 セシルは笑い――荒れ果てたK25区の海岸を、ふたりで見渡した。

 打ち上げられた流木も、すべて炭化していた。遠くに見えるホテルも――ルナがここへ来たときアズラエルと泊まったホテルも、無残に焼きつくされていた。


「セシルさん、歩ける?」

「え、ええ――」

「一番上の大通りまで出ましょう。ララ様の救助隊が来るはず――セシルさん?」


 セシルが、ホテルの方を見て目を見張っていた。彼女は、ホテルを見、自分の手のひらを見、それから三百六十度、あたりを見回した。

 そして最後に、カルパナを見た。


「……見える」

「え?」

「目が見える! 目が――」


 カルパナにもようやく分かった。かすかな薄青を灯していたセシルの眼球は、濃い黒と青の輝きを取りもどしていた。


「セシルさん!!」


 カルパナは、喜びに目を潤ませ、口を覆い、それから、セシルを抱きしめた。

 おそらく、完全に見えなくなるだろうと、マミカリシドラスラオネザにも言われていたセシルの視力は、もとに戻っていた。いや、セシルは生まれたときから目が悪かった。

 こんなにもはっきりと、様々なものが見えたのは、はじめてだった。


「カルパナさんの顔が、はっきり見える!」


 セシルは泣きながら――それでも目を見開いて、カルパナの顔を見ようとした。


「カルパナさん、ほくろがあるのね、おでこのところに、ちいさな――」

 カルパナも泣き笑いしていた。

「そうよ! 早く、ネイシャちゃんの顔もしっかり見てあげて」

「ええ――」


「セシルさんに、カルパナさんですか!」

 大通りのほうに、救急隊員がかけつけていた。





「クラウドの、生の声が聴きたい」


 マミカリシドラスラオネザは、指先にしたほんのちょっぴりの火傷の手当てを受けながら、ため息交じりにそう言った。

 ピンピンしていたのは、彼女ひとりかもしれない。

 K33区に来たララの救助ヘリに乗っていた救急隊員は、あちこちで倒れ伏している神官たちの手当てをしている。


「クラウドが、ずっとわたしのそばで名を呼んでくれていたなら、わたしひとりで宇宙船を火から守ったものを」


 側仕えの者は、はげました。


「きっと、ご褒美に、またクラウド様が呼んでくださいますよ」

「ふむ」


 マミカリシドラスラオネザは、当然のようにうなずいた。





「起きたのか」


 アズラエルの寝顔を、幸せそうな顔で眺めていたルナだったが、気配にさとい恋人は、すぐに起きてしまった。


「おはよう」


 アズラエルはすかさずキスをした。びっくりするほど自然に。

 まるで、ずっと昔から、恋人同士だったように。

 ついこのあいだまで、「つきあっていなかった」ことが不思議に思えるくらいに。


「もうすこしイチャつきてえとこだが、そうもいかないようだな」


 アズラエルも気配を感じているようだった。

 アズラエルは、ジーンズだけは履いていたので、ガウンを羽織って部屋の外へ出た。ルナもあとを追った。


 外の霧は、きのうより濃くなっていた。

 黒雲の代わりに、海からきた白い霧が街を覆っていた。その霧の中から――もうひとり、ルナの待ち人は、ようやく姿を現した。

 

 彼は、足を引きずるようにして、現れた。


 その人は、思っていたよりずっと大きかった。

 かつて、夢の中で見た、小さな少年の姿ではない。

 苦痛と苦悩にまみれ、百年分も生きたように髪は白髪化し、顔にはまっすぐ縦に、傷が走っていた。

 服も鎧も、ボロボロだった。城と薄青の衣装は破け、ほこりまみれだった。


 彼は、凛々(りり)しい顔を、最初は驚きに――次は、喜びに変えた。


「ルナ」


 ――ルナが、夢で聞いた声だった。


「ルナ、――アズラエル、さん」


 やっと、会えたね。


 彼はそう言って、ぐらりと倒れた。

 ルナは、受け止めた。

 ひどく重かった。

 彼が抱えて来たものの重さを確かめるように、ルナは抱きしめた。

 アズラエルが、そっと支えた。


 お帰り――それはきっと、アンジェの言葉だ。


 ルナは言った。

 メルーヴァの、重い身体を抱いて。

 一滴の、涙をこぼしながら。


「おつかれさま、メルーヴァ」


 ――ありがとう。


 メルーヴァは、眠りについた。

 ルナの声を聞いて、安心したように、微笑んで。




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