356話 バラス 2
「これは、いったいなに!?」
ソフィーが困惑顔で寿命塔に触ろうとし、「ちょっと待った」とバグムントに止められた。
「まださわるな。寿命を取られる」
「え!?」
真砂名神社に避難したソフィーにフランシス、アルベリッヒとサルーン、チャンとバグムント、ヴィアンカは、寿命塔を見上げた。室長と副室長は、ここにはいない。二度目の火災で火傷をしてしまい、ハッカ堂で手当てを受けていた。
「これが、寿命塔」
ヴィアンカはソフィーたちに説明した。地獄の審判にいたメンバーは知っている。
「わたしがみんなを呼んだ理由は、これよ」
「この寿命塔に、分けたい寿命の年数だけ言って、腕を突っ込むと、寿命を分け与えることができるんじゃ」
「寿命を……」
ナキジンの説明に、アルベリッヒがごくりと喉を鳴らした。
この塔は、「地球行き宇宙船」の名を表示しているが、残りの寿命数のところに、数字はなかった。
「ようするにこれは、地球行き宇宙船の“寿命”を伸ばすって、考えていいのか?」
アルベリッヒが聞くと、ナキジンはうなずいた。
「ね、みんな。一年くらいでいい。協力しない?」
ヴィアンカは、皆に告げた。バグムントだけはたいそうイヤな顔をしたが、彼がなにか言う前に、ナキジンが「ダメじゃ!」と遮った。
「わしらは、長生きばかりだからええが、おまえさんらはせんでいい」
ハッカ堂の主、カンタロウも、ヴィアンカたちを止めた。彼らを寿命塔に寄せ付けないように、腕を広げて妨害した。
「わしらは、三百年から、五百年の寿命がある。それは、寿命塔に表示されたから知っておる」
「おまえさんらは、百年そこそこだろうが、そのまえに病気で亡くなったり、事故で亡くなったりするひともおるじゃろ? 皆が皆、百年生きるわけじゃにゃい。やめておきなされ、今、寿命塔で、ひとりひとり確かめとる時間はないでね」
紅葉庵の看板娘も、反対した。
そのあいだにも、商店街の若者たちは、「五年!」だの「三年!」だの言って、腕を順繰りに入れて行く。
「あたしもやるわ」
ソフィーが腕まくりをした。
「バカ! ちょっと待て!」
あわてて、フランシスが止めた。
「三年くらいいいじゃない! きっとわたしだって、八十年は生きるわ!」
レスキュー隊時代ならまだしもこの宇宙船にいるなら大丈夫よと、ソフィーは突拍子もないことを言った。
「いや、いや、でも、おめえ、さすがに寿命は――」
おばあさんが言ったように、いくら平均寿命がそれだけあったとしても、人の寿命はそれぞれちがう。
「寿命を与えても、もどってくるってンなら、話は別だが」
バグムントがぼやいた。
ロビンの地獄の審判があったとき、チャンやバーガスには寿命がもどってきた――今度も、そういうシステムなら、協力しないでもない、と彼は言外にいったが。
「バカタレ! 神さんはよう見とる。見返りのない純粋な思いだから、神さんは受け取られるんじゃ」
「寿命がもどってくると思うて手を突っ込んだら、もどってこんぞ」
「じゃから、無理にやらんでええというとるじゃろうが!!」
ナキジンとカンタロウがバグムントに牙をむくのをしり目に、いつのまにかアルベリッヒが、商店街メンバーに交じって腕を突っ込んでいた。サルーンも、クチバシを突っ込んでいた。アルベリッヒが代表して、「三年!」と叫んだ。
「コラーっ!!」
ナキジンがあわてて駆けつけたが、遅かった。アルベリッヒとサルーンは、馴染みすぎていて、気づかなかった。
「おまえさんらはよしなさい!」
アルベリッヒとサルーンは、腕とクチバシを抜き取った。すべてが済んだあとだった。
「いや、俺たちはけっこう長寿だよ? 百歳はざらにいる」
アルベリッヒはあっけらかんと言った。
「サルーンも俺と同い年まで生きるからね」
「ねー」とでもいうように、タカは、アルベリッヒの腕で首をかしげた。
ヴィアンカとチャンも、シャツの袖を捲りだした。
「おまえさんら!」
カンタロウもあわてたが、ヴィアンカは首を振った。
「やらせて」
「やらせてって、おまえさん、」
「あたしは見返りなんて求めてない。協力したいだけよ。宇宙船の危機なのよ? あたしにもやらせて。あたしの命はね、この宇宙船にもらったようなものなのよ!」
二人目の夫も、もう望めないと思っていた子どもも授かった。なにか、恩返しがしたいのだとヴィアンカは言った。
「わたしも、このあいだ、五年ほど寿命を頂いたそうですから」
チャンも譲らなかった。
「もらった分をお返しするだけです」
ふたりは、呆然とするカンタロウをのけて、寿命塔に腕を入れた。それぞれ、「五年分、お返しします」と、「五年分あげるわ! あたしの命をつかって!」と叫んだ。
「ったくよう。しょうがねえなあ」
女房がやって、俺がやらねえわけにいかねえだろ、とフランシスも、ソフィーといっしょに、太い腕を突っ込んだ。
「よし! 持ってけ三年!」
「あたしは五年、奮発するわ!」
「おまえさんら……」
寿命塔が、虹色に輝いた。ソフィーとフランシスが腕を抜いた瞬間に、くすぶっていた大路の炎が、あとかたもなく消えた。
「――おお!」
「よしみんな、後に続け!」
それを見ていた商店街の者は、次々に腕を入れる。
「五年!」
「あたしも五年!」
「ボク、まだ三十二歳だから、八年あげましゅ」
五歳くらいの子どもが、紅葉色の手のひらを、寿命塔にぺったりとつけた。
最後まで迷っていたのはバグムントだった。彼は、そっぽを向いて、タバコに火をつけていたが、三十二歳の幼児が手を入れたとき、さすがに苦々しげにつぶやいた。
「俺は、三十まで生きねえと言われたんだ」
「あんた、もうすぐ四十になるじゃない」
ヴィアンカのツッコミに、バグムントは怒鳴った。
「ああそうだよ! おめーと一緒で、この宇宙船にもらった命だよ!!」
バグムントも、銜えたばこスタイルで、腕を振るった。まるで、右ストレートでも突っ込むような勢いで。
「持ってけドロボー! 三年でも五年でも!!」
寿命塔は、次々に、寿命を吸い込んでいく。「三年!」「五年!」「八年!」――掛け声が続いた。
「わしゃ、三十年や!」
「カンタ!」
周りから制止の声が上がったが、カンタロウはためらいもなく腕を突っ込んだ。寿命塔に異変が起こった。虹色ではなく、灰青色の光がカンタロウを取り巻いた。
「うおー!!」
寿命塔から、他の人間が腕を入れたときとはちがう光が、カンタロウの身体全体をつつんだ。
光が消えたとき、カンタロウはぜいぜいと息を切らして膝をついたが、不思議なことに、三十年も寿命を分けたというのに、外見的には何も変わっていなかった。
だが、身体には負担が大きかったらしい。
「あんた! そんな無理をするから――」
カンタロウが腕を抜き取ると、急に、船内の火が、一斉に鎮火した。
セシルもサルーディーバも、マミカリシドラスラオネザも、自身の身体にかかる負荷が、ひどく軽くなった気がした。
「火が、消えた――」
「すげえ、やっぱ寿命塔は、」
そのときだった。
いままでとは比べ物にならない、最大級の火勢が、階段上から、唸り声をあげて降りかかってきたのは――。
「――なにが起こった」
クルクスの上空から、黒煙が消えた。マルコとフィロストラトは、ふたたび上空へ向かった。今まで黒雲にさえぎられて見えなかった果てが、見渡せる。
病院の窓から見ていたヒュピテムとスタークが、真っ先に、原因に気づいた。
「夜の神様が、消えた」
ヒュピテムが、つぶやいた。
「――ほんとだ」
クルクスの玄関口にいた、黒衣の神がいなくなっている。
「ええっ!? うおあ!? どこ行ったんだよ!?」
焦ったのはスタークだった。クルクスの上空を覆っていたのはやはり、夜の神の力だったのか。それがなくなって、今ははっきりと、燃える地球行き宇宙船が、スタークたちの視界にも入った。
夜の神がいなくなったせいで、ラグ・ヴァダの武神の黒雲が、玄関口から入ってこようとしている。
――ぞぶり、ぞぶりと不気味なうねりを湛えて、入り口の街並みを飲み込みながら。
「うげーっ! こっち来る!」
「……!」
スタークは焦り、ヒュピテムも汗をにじませた。
「なにしてんだよーっ! どこ行ったんだ! 夜の神様は!!」
「あれは――マルコどのと言ったか」
クルクスの正面道路を、入り口に向かって飛んでいく二人の天使がいる。
「マルコ! フィロー!!」
スタークは窓に張り付き、それから、看護師がいないのを確かめて窓を開けようとしたが、厳重にロックがかかっていて、開かなかった。しかたないので、スタークは、窓の内側から叫んだ。
「マルコーっ! やっちまえ! 勝ったら嫁になってやるから!!」
マルコが、満面の笑みでスタークを振り返るのが見えた。
「ウソ!? 聞こえてた!?」
そういえば、あの天使たちは、おそるべき地獄耳だったのだ。
「聞こえた? マルコ」
「もちロん!」
マルコの顔は喜びに火照っていた。
「マルコは理想が高すぎていつまでも結婚できなかったけど、やっとできそうだね」
「百歳そこそこのガキに言われたクない」
マルコはしかめっ面をしたが、めのまえのおぞましい漆黒の泥土に、顔を引き締めた。
「クルクスを守ルぞ、フィロストラト!」
「ああ!」
夜の神がいなくなったことで、クルクス内に浸食してきたラグ・ヴァダの武神を食い止めようと、ふたりが剣を構えたときだった。
銀色のきらめきが、城の方から、ゆっくりとこちらへやってくるのが見えた。
「――メルーヴァ姫様?」
フィロストラトのつぶやきが、それがだれかを示した。
メルーヴァ姫の姿が見えたとたんに、コールタールのようなラグ・ヴァダの武神の手が、形を成して伸びた――。
フィロストラトはギリギリでかわし、マルコは空へ逃げた。そして、空から一閃した。
太陽の炎が、武神の腕をぶった斬り、入り口の家屋をもまっぷたつにした。
「しまった!」
切り離されてもなお、武神の手は、姫をつかみ締めようともがき――銀色の光に弾かれた。
アストロスから見えた太陽――地球行き宇宙船の大きさが倍になったのは、アストロスにいた者すべてに見えた。
サルーディーバは、もはや持たなかった。自らの身体とともに、街が燃えゆく光景が、彼女の網膜に残った「最後」の光景だ。
サルーディーバは、火に包まれて、意識を失った。
「カルパナさん! 海に潜って!!」
セシルもダメだった。カルパナをかばい、海に潜るのが精いっぱいだった。
岸辺から、みるみる蒸発していき、海水の上にも火がある。海水の温度は、信じられないくらいに急上昇していた。まるで風呂のようだ。
セシルは海から、必死で、K19区の――遊園地の火だけを、自らがつくった水源に集めた。
マミカリシドラスラオネザは、神官全員を周りに集め、彼らと自分を守ることに徹した。もはや、それしかできない。火の玉につつまれた彼らは、マミカリシドラスラオネザの祈りが一瞬でも途切れれば、燃え尽きる。
イシュマールも、最後の力を振り絞り、ペリドットとアンジェリカのいる祈祷所だけは燃えないように、祈祷をつづけた。
「うぬっ……うぐ、ぐうううううう……」
ナキジンたちは、襲いかかってきた業火になすすべもなく頭を抱えていたのだが、業火はだれをも襲ってはいなかった。だが、すでに商店街はどの店も炎につつまれている。
階段下、寿命塔のまえで、業火を食い止めているのは、百五十六代目サルーディーバだった。さすがの彼も、両手で錫杖をかざし、歯を食いしばって踏ん張っている。
バチバチと爆ぜる大火。熱気だけで倒れそうだった。
「ばあちゃん!」
紅葉庵の看板娘が、倒れた。
寿命塔を囲む者たちも、つぎつぎと、商店街を炎上させる熱気にやられ――百五十六代目サルーディーバも、踏ん張った足が、一歩、二歩と下がってくる。
「もう、ダメなの……」
じわじわと、石の大地すら燃やす火勢が、皆を寿命塔へ追いつめていく。
絶体絶命だった。
皆が、大路で焼け死ぬのを、覚悟したときだった。
「こうなったら、大盤振る舞いじゃ!」
それがナキジンの声だと、皆はすぐには気づかなかった。
彼は、寿命塔にごっちんと頭をぶつけ――突っ込んだ。
「ナキジン!!」
カンタロウが叫んだが、間に合わない。
「わしゃあ、百年分じゃあーっ!!!!!!」
「ナキジーン!!」
だれも止めることができなかった。寿命塔から、ゴゴゴゴゴ、と唸り声がして、虹色の光が迸った。
「オヒョオオオオオオ」
ナキジンの悲鳴が大路に響き渡る。
業火が、ふっと消えた。
ナキジンのハゲ頭が寿命塔から出てきたときには――大路を燃やし尽くそうとしていた炎は――跡形もなく消えていた。
「ナキジン!」
「おお――しっかりせい!」
寿命塔から手を離したナキジンは、寿命塔のまえに、大の字に転がった。




