355話 アマゾネスとフィルズ 2
皆は呆気にとられて見ていたが、強敵そうに見えた敵の駒が一撃で粉砕されたので、飛び上がって喜んだ。
だが、勝負はここからだった。
モハのルフが、h-3に動いた。ニックの「天馬」がピンされている。
ベッタラの「剣士」が動いた。フィルズ(将軍)を取りに――。
だが、先ほど、名勝負を繰り広げたベッタラは、フィルズの刀に、一撃で破壊された。
「――!!」
歓声に沸いていたフライヤたちも、静まり返った。
そこには、黒煙を噴き上げるフィルズ(将軍)がいた。
口から耳から、兜からも噴き上げる猛炎――恐怖さえ与える相貌だった。まるで、今アストロスの兄弟神と戦っているラグ・ヴァダの武神が、駒となって盤上に現れたようだった。
夜の神の星守りを持つ最強の将軍ツァオは、他の駒の二倍もある大きさで、とてつもない強さを誇っていた。
フィルズ――ツァオが、黄金盤に黒い足跡を残し、地を揺らしながら、e-5に進んだ。
アストロスの星守りを持つ天馬、ニックの圏内だ。まるで挑発しているようだった。おまえがかかってきても敵ではないと。
エーリヒは挑発に乗らなかった。ノワを、d-2へ下げた。
モハのルフが、f-3へ、ニックを取りに動いた。戦車から身を乗り出したモハの一撃は、ニックの天馬を捉えることはできなかった。横へ凪いだ槍は、空中を斬っただけだった。ニックの駒は、天空にあった。
モハの頭上から、真っ白な槍が振り下ろされる。それは、ひと突きにモハの胸を貫いた。
「モハさま……?」
クルクスの病院にいたヒュピテムは、モハの呼びかけを聞いた気がした。
これで、シェハザール側は、シャー(王)とフィルズ(将軍)を残すのみとなった。
デビッドの駒が、a-2から5へ。フィルズをピンする。
デビッドのアーチャーは特別で、その場から動かなくても、自分の進む先に敵駒があれば、矢を放てるようになっていた。しかも、ワンカウントはされない。
「ペガサスをe-5へ」
エーリヒは、ニックをフィルズ取りに動かすと同時に、デビッドのアーチャーから矢を放った。
だが、その二ヵ所からの攻撃も、フィルズには効かなかった。
フィルズは放たれた何本もの矢を刀剣で防ぎ、さらに一本の矢を掴みしめ、アーチャーに向かって投げ返した。
『うおあっ!?』
デビッドのアーチャーは破壊され――デビッドは、駒から投げ出された。アーチャーの形をした空色の駒が、煙になって消えていく。
フィルズの攻撃はそれだけにとどまらなかった。返す刀で、ニックのペガサスを一刀両断にしたのである。
二つの駒が、一斉に消えてしまった。
「デビッド! ニック!」
クラウドは思わず叫んだが、エーリヒが止めた。
「見たまえ! 死んではいない」
どうやら、敵側と違い、こちらの駒は、中にいる人間が無事だ。対局盤から見える映像では、倒れたデビッドとニックが、それぞれの星守りの光に守られたまま、意識を失っている。
エーリヒとクラウドはそれを確かめて安堵の吐息を漏らしたが、ふたつも駒が取られた痛手はぬぐえない。
フィルズは、d-4へ進んだ。エマルの駒の隣に。
(フィルズでは、キングを「シャー・マート」できん)
進めるマス上に、キングはいないから取れない。
(だが、クイーンは取られる)
クイーンを取られたら、どうなるのかエーリヒにもわからなかった。宇宙船にいるミシェルは動けなくなるのか。――そうしたら、計画は台無しになる。
だが、残った駒では、フィルズは倒せない。
ノワでは、同じ夜の神同士――同じ星守りの駒は取れない。イシュメルをぶつけてみるのも手だが、そうなれば、キングを守る駒がなくなる。
エマルの駒では、すれ違ってしまって、フィルズと対決できないのだ。
いちかばちか、エーリヒは、イシュメルの駒を動かした。
「守護者」を、d-4へ!」
イシュメルは進んだ。ふたたび、三十分にもわたる攻防が繰り広げられたが、やはりエーリヒの予想は当たった。イシュメルは負けた。
「ああっ、また、味方の駒が!」
総司令部からも、絶望の声が漏れた。
エーリヒも、腕を組み直して盤を睨んだ。
やはり、「守護者」としてなら存分に力を発揮するが、攻めに転じると力が半減する。
フィルズは、c-3に進んだ。どうすることもできない。このままでは、クイーンが取られる。
駒だけの力の強さで行けば、ラグ・ヴァダの女王の星守りを持つ、ミシェルのクイーンでは、刀剣の勝負に勝てはしない。
さすがに、エーリヒの無表情顔にも、イヤな汗が流れた。
だが、エーリヒとは対照的に、じっと対局盤を見つめていたクラウドは言った。
「これは、賭けなんだけど」
「なんだと!? ノワのビショップと、エマルのビショップを入れ替える方法!?」
八転回帰に集中していたペリドットのもとに、クラウドからの電話を運んできたのは、神官のひとりだった。
「知らんぞ! そんな方法!」
いくらペリドットでも、イアリアスのシステムは専門外だ。だが、クラウドは食い下がった。
『ルナちゃんが、最初の対局のときに、キングを宇宙船からアズに入れ替えてる!』
「――!?」
『もしかしたら、ZOOカードでなんとかできるんじゃないかと思って。君たちも大変なのは承知してる。でも、このままじゃクイーンが取られる!』
クラウドの焦り声に、ペリドットは唸った。
「ええい――くそ、どうするか――おい、電話は切るなよ――よし、」
彼はやけくそで、片手で八転回帰を、もう片方の手で、ムンドのイアリアス盤に向かって手をかざした。
「エマルの駒とノワの駒を“移動”!」
だが、駒はぴくりとも動かなかった。
「ええい! 交代! チェンジ! “召喚”! ノワのアサシンとエマルのアマゾネスをムダールセ――動いたか!?」
『ぜんぜん!』
奥殿の世界の様子も、変わらない。
ペリドットは、いつぞやのルナのようになった。そう――はじめてZOOカードが与えられたときに、箱のふたを開けるため、おかしな呪文を唱え続けたウサギと変わらぬ様子に。
「移動! 移動移動移動! 交代! 交代しろ、早く交代だ! どうしたらいい――分からんぞ――変更しろ! 位置を! 交代だ! 変化、入れ替え! ええと――」
「b-2のアサシンと、c-4のアマゾネスを“キャスリング”!」
エーリヒの言葉とともに、駒が入れ替わった。
「なんだと!?」
ふたたび盤に拳を叩きつけたのはシェハザールと、ペリドットだった。
『ペリドット、動いた! ありがとう!』
クラウドは電話を切った。ペリドットの大慌てはなんだったというのだ。
「人騒がせな!」
アンジェリカが、後ろで大笑いしていた。
「エーリヒ、どうやって方法を見つけ――」
電話を切った彼がエーリヒを見ると、彼はルール・ブックを手にしていた。ふたたびクラウドの眼球は、眼窩からおでかけした。
「書いてあったの!?」
「いや、君が最初に言った言葉だ。ルナがキングをshipからアズラエルに入れ替えた――」
エーリヒは、クラウドにルール・ブックを預けた。
「イアリアスの内容は、この冊子に微塵も書いてはいないが、“アヘドレース”のルールにキャスリングはある」
ルールとしてはこうだ。
エーリヒ側は、キングが動けない。そして、クイーンも一度きりしか動かせない。そのかわり、キャスリングが二回つかえる。
そのキャスリングは、通常のチェスのルールとは違い、ルークとキングだけにとどまらず、他の駒も入れ替えることができる。駒と駒の間に、他の駒があってもよい。入れ替える駒は、二基まで。
シェハザール側のシャトランジは、キングが動けない代わりに、フィルズが絶大なる力を発揮する。フィルズを止めることができるのは、太陽の神の加護がある駒のみ。
「まったく、ちこたんさまさまだ」
この冊子があってよかった。
クラウドは、冷や汗をぬぐった。どちらにしろ、ツァオのフィルズは、太陽の神の加護を持つエマルの駒しか取れなかったのだ。
「ほんとうだ。アレクサンドルにもバラを送らなければ」
「喜ぶかな? 研究費用のほうが喜ぶんじゃない?」
「では、寄付しよう」
エーリヒも汗をぬぐっていた。暑さのせいか、緊張のせいか。
「道理で、キャスリングというルールがこちらにあるわけだ」
対局してきて分かったが、星守りの加護だけでいえば、おそらく太陽と夜の神の力がトップなのだ。次点に「アストロス」。
だが、この「イアリアス」は、神の加護だけで勝負が決するのではなく、駒となった人物が持つもともとの技量も加味される。それには、本人の戦う意志に士気、役割も加わる。そして、守りとなる神との相性も。
イシュメルの「守護者」などは、守りに徹すれば最強だが、攻撃に転じると、力が半減した。
強引に駒とされたモハの士気は、低かった。ニックの駒に簡単にやられてしまったわけは、そこにあったかもしれない。
「勝負に出るぞ」
エーリヒは対局盤に目を移した。
これも賭けだ。
「キャスリング」したとしても、フィルズがクイーン取りに向かえば、意味がない。
(シェハザールならば――“賢者の青ウサギ”ならば、クイーンを取りに来る)
エーリヒとクラウドの目が合った。その一瞬の交差に、ふたりの考えは同じだと汲んだ。
(だが、ラグ・ヴァダの武神は、強いほうを取りに来る)
ふたりの読みは当たった。フィルズは、クイーンの方へは行かず、キャスリングされて入れ替わったエマルの「女闘士」を、取りに動いた。
「フィルズ(将軍)を、b-2へ」
シェハザールの宣告。
エマルと、ツァオの戦いがはじまった。




