354話 イアリアス Ⅳ 1
「エーリヒとクラウドが、イアリアスに着いたぞ!」
アンジェリカとペリドットが待機する、奥殿の部屋一面に現れたムンドでは、遊園地内の「イアリアス」アトラクションの上に、タカとライオンのカードが現れたところだった。
二人は待ちかねていた――このときを。
「よし、アンジェ、回帰術を始める!」
「はい!」
背を合わせて座り、それぞれにZOOカードを展開していたふたりは、同時に指を鳴らした。
ペリドットのまえには、「傭兵のライオン」、「孤高のトラ」、「強きを食らうシャチ」、「天槍を振るう白いタカ」、「盲目のイルカ」のカードが。
アンジェリカのまえには、「月を眺める子ウサギ」、「パンダのお医者さん」、「高僧のトラ」、「母なる金色のシカ」のカードが浮き上がった。
「“八転回帰”」
「“千転回帰”」
ふたりが唱えたのも、ほぼ同時だった。
ペリドット側のカードが、太陽の輝きをまとい――アンジェリカのほうは、黒い星の光を散りばめながら、変化した。
アストロスでは、まず、遊園地が消えた。
フライヤたちは、急に消えた遊園地に目を見張った。気づけば、ハイダクを止めていた海の生き物たちも、アノール族の武人の姿で、本部に戻ってきた。
ルナは、月の女神となって顕現した。メルーヴァ姫の部屋から月の光が迸り、対局盤にある月の女神の星守りがいっそう煌めいた。
「エーリヒ!」
「うむ」
クラウドとエーリヒも、イアリアスの対局盤にある、神々と惑星の星守りが強く光を放って輝きだしたのを見た。
もちろん、エタカ・リーナ山岳にいるシェハザールもそれを見ていた。
カザマが真昼の神になった。カザマのスーツが、空色のドレスに変化し――女王の間から放たれていた空色の光は、ますます威力と質量を増して、空に広がっていく。
そして、クルクス入り口にいたセルゲイが夜の神となったとたんに、空がまっぷたつに割れた。
「うっお!?」
窓にずっと張り付いていたスタークが、叫んだ。
空に、昼と夜が同時に現れたのだ。
天は二つに割れ、片側は宇宙がきらめき、地球行き宇宙船という名の太陽が燃えている。
晴れ渡った青空には、だれにも見えない月が浮いていた。
ずっとクルクスの上空で、果ての様子を探っていたマルコとフィロストラトも、息をのんで天を見つめ、夜の神の邪魔にならないよう、ようやく地上に降りた。
地球行き宇宙船が燃えだしてから、彼らはずっと空にあり、仲間や、フライヤたちの声を聞いていた。
だが、ラグ・ヴァダの武神の黒雲がアクルックスを覆い始めてから、まったく声が聞こえなくなってしまった。
「ヤーコブと、アンリとシュバリエの声が聞こえた気がしタが……」
マルコは、気がかりでならなかった。圧倒的な黒雲の向こうで、彼らの声が――叫びが、聞こえた気がした。助けに行こうとしたが、夜の神がそれを許さない。マルコとフィロストラトを、クルクスから出してはくれない。
「行ってはならない、マルコ」
フィロストラトも止めた。だが、マルコが飛び出せば、おそらくフィロストラトはついてくる。天使たちは、だれもが勇敢だ。この黒雲に触れるだけでさえ、芯まで凍り付くような恐怖が襲ってきたとしても、立ち向かっていくだろう。
ヤーコブたちも例外ではない。
先日、エタカ・リーナ山岳でマルコが追い払ったラグ・ヴァダの武神は、カケラである。
今、メルーヴァ姫をこの手に得ようと――アストロスそのものを飲み込もうとするかのように迫ってくる武神は、気配だけでも、エタカ・リーナ山岳のものとは桁違いだった。
百年前、星外から攻めてきたケトゥインの、千を越す大軍勢をひとりで追い払い、L02の「アスラーエル」の名をもらったマルコが、敵わないほどの圧倒的な武神。
ラグ・ヴァダの武神。
フィロストラトは、はやる心を抑えて黒雲を睨むマルコを、心配そうに見つめていた。
「スターク殿!」
「ヒュピテム!? まだ寝てなきゃダメだって!」
病院の窓から光景を見ていたスタークは、フライヤたちがいる総本部の心配を一等先にしたのち、母親やデビッドの顔もよぎって、頭を振った。心配ばかりしている場合ではない。外にいるマルコたちに合流しようとしたところで、病室から、ヒュピテムが出てきた。
包帯だらけの格好で、松葉づえにすがり、スタークを呼んだ。
「私も、外に、連れて行ってください!」
「バカ言え!」
ダスカはまだ意識不明であり、ヒュピテムも絶対安静の身だ。
「あなたが私なら、黙っていられますか!?」
「黙っちゃいられねえけど、ダメなモンはダメだ!」
スタークは言ったが、突如、黒雲が爆発して天を覆い隠した。もはや、夜の神が守る障壁なのか、ラグ・ヴァダの武神そのものである黒雲なのか、判別がつかない。
「ああ――」
ヒュピテムとスタークは、なにも見えなくなった窓の外を見て、絶句した。
「いざというときは、城のほうへ避難することになりますが、今は病室にいてください!」
看護師がそう叫んで、廊下を過ぎていった。
割れた天空の様子は、ジュセ大陸の方からも見えた。サザンクロスにいるメフラー商社メンバーにも。
イアリアスのほぼ中央にいる、フライヤたちにも。
「信じられない……」
フライヤの隣で、サンディが腰を抜かした。透明なペガサスから透けて見える、ふたつの天空世界に。
「なにが起ころうとしてるの?」
すこし遅れて、アズラエルとグレンも、太陽の光に包まれた。ふたつに割れた天に、だれもが目を奪われていた。
その間隙に、アクルックス側から迸った閃光――皆は悲鳴をあげて目を瞑った。
次に目を開けたときには、だれの目にも見えた。
アクルックスでラグ・ヴァダの武神と戦う、アストロスの、二柱の武神の姿が。
クルクスの門を守る兄弟神が、ラグ・ヴァダの武神と戦っていた。
兄弟神も、だれの目にもはっきりと姿が捉えられるほど巨大だったが、ラグ・ヴァダの武神は、もっと巨大だった。
すでにアクルックスは、すべてが完全に、ラグ・ヴァダの武神である黒雲に覆われていた。その黒もやの中に、太陽の火をまとった兄弟神の姿が見える。
黒雲は、武神の姿を成し、兄弟神を蹴散らそうとしている。
一方でクルクスの方めがけて、さらに爆発して巨大化した黒雲を、皆は見た。
「あれは」
「おそらくメルーヴァが、クルクスに向かっているんです」
バスコーレンが、黒雲から目をそらせないまま、つぶやいた。
「メルーヴァの進撃を阻止しようと、兄弟神は戦われていらっしゃる……」
ザボンも、感極まった声で言った。
黒雲は空を夕焼けのように紅くし、雷鳴さえ轟いた。クルクスから来る、黒紫の光と交じって、異様な世界をつくりだしていた。
「総司令官! あちらに!」
フライヤは、自分たちのいる場所からはるか後方に味方の駒が現れたのを、観戦盤ではなく、肉眼で捉えた。
シャトランジの膜は、ジュセ大陸にかかる寸前で止まっていた。アンブレラ諸島は、すっかり範囲内にある。
しかし、その中のジャマル島だけは、守られていた。
ジュセ大陸からも、真白い巨大な駒が、ずらりと横一列に並んだのが見えた。
「なにがはじまったんだ……」
ジュセの海岸沿いに集まった避難民は、海に浮かぶ金色の膜と駒を、不安と興味と、恐怖がないまぜになった視線で見つめた。
始まったのは、アストロスだけではない。
千転回帰と同時に、今までよりはるかに大きな火勢が地球行き宇宙船を襲った。
「うおおあああっ!!」
「イシュマール様!!」
イシュマールが、血を吐いて倒れ伏した。
「きゃああっ!!」
ミシェルも巻き込まれるところだった。アントニオを覆っていた火の塊は二倍の大きさに膨れ上がり、バンヴィの絵が、一気に焼失してしまった。
「あああああ!」
サルーディーバは、K27区のビル屋上で、火炎に包まれた。だが、彼女はすぐに体勢を立て直した。火の中で祈りの口上を繰り返していると、サルーディーバの足元から、たちどころに火は消えていく。
サルーディーバは、冷静さを取り戻した。皮膚がひりつく。多少の火傷はしたようだが、術式は消えていない。まだ続けられる。
はじめは足元のビル、K27区――そして船内の東南地区と、サルーディーバは範囲を内側から広げるように鎮火していった。
彼女も気付いた。今までの火勢とはレベルが違う。
「千転回帰が、始まったのですね……!」
「……なんという火だ!」
マミカリシドラスラオネザも、額に脂汗と青筋を浮かべ、K33区中を一瞬で燃やし尽くした火を、なんとか鎮めていた。
彼女と一緒に祈祷していた神官たちが、バタバタと倒れていく。
無理もなかった。マミカリシドラスラオネザたちは今、太陽の中にいるも同然なのだ。
「消えゆけ! 業火よ!!」
マミカリシドラスラオネザの気勢とともに、K08区の湖から、水しぶきが噴水のように立ちのぼり、あたりの火を消していく。彼女の担当である西北地区の炎は、なんとか消えた。
「はあ、はあ、はあ、……」
マミカリシドラスラオネザも、だいぶ消耗していた。
アントニオが太陽神となってから、どれくらい経った? 予定では、千転回帰が始まってから、祈祷を始めるはずだった。
すでに十二時間以上、祈祷をつづけているのだ。
「うう……!」
「マミカリシドラスラオネザさま!」
倒れ掛かった彼女を支えたそば付きの者は、「あれを!」と怒鳴った。
侍女のひとりが、クラウドからプレゼントされた小型音楽機器を持ってきた。マミカリシドラスラオネザの汗を拭いてやりながら、再生ボタンを押す。機器から大音量で流れてきたものは――クラウドの声だった。
『ラーヤラーヤ・パジャトゥーラ・マミカリシドラスラオネザ・ラージャラージャ・モヘンダリ・マミーカリーシドラスラーオネザ・エラドラシス……』
彼女の名を繰り返すクラウドの声が響いたとたん、マミカリシドラスラオネザはうっとりと頬を赤らめた。
「はああ……!」
とたんに、喜色満面でよみがえった。
「太陽の火など、わたしひとりで鎮火してくれる!!」
一方、燃えるままに任されていた宇宙船西南地区。セシルとカルパナは、燃え広がる炎に恐れをなして、海の中にいた。
ふつうならば、燃えるはずのない、なにもない砂地が燃えている。
海岸に打ち上げられる枯れ木などが燃えているのではない。なにもない場所で――砂地に、炎が立っているのだ。
岸辺に上がる海水すらも蒸発していく炎。
二人はもはや、陸地には居られず、海に避難していた。
だが、「八転回帰」が始まったとたんに、一瞬ですべての砂地から炎が消えた。
「セシルさん……!」
カルパナは、美しい盲目の女魔術師の姿を見た。カルパナを水中に残し、セシルひとりが海岸に上がっていく。海岸の炎はすっかり失せ、白い街を包んでいた炎もたちどころに消え去った。
セシルが持っているのは巨大な水瓶だった。炎はまるで、その中に吸い込まれるように、次々と消えていった。




