352話 夜の太陽と真昼の月 4
ケンタウル・シティ陸軍本部に呼ばれていたザボン市長は、シャトランジ盤が広がるにつれ、クルクスにはもう戻れなくなったことを悟った。そこで、ケンタウル・シティ中央にあった空軍本部に移動した。奇しくも、陸軍本部にガクルックス総司令部への撤退命令が出されたのは、ザボンが空軍本部へ発ったあとだった。
もはや、アストロスの地と運命を共にするほかあるまい――と達観していたザボンが、自分は、空軍本部に「呼ばれた」のかもしれないと気付いたのは、到着してすぐ、背の高い銀色の髪の男の後ろ姿を見たときからだった。
Tシャツにカーゴパンツ、ゴツいブーツ。まるで傭兵のような恰好の彼が、もとはL18の陸軍少佐だったなど――しかも名家の出であったなど、言われなければだれも気付かないだろうし――言っても、信じてもらえなかっただろう。なにしろ、どこぞのパンク・バンドのように銀髪で、両耳はピアスだらけなのである。Tシャツの袖からのぞくタトゥも、由緒正しき名家のお坊ちゃまとは言えない。
彼は、電話でだれかに怒鳴っていた。「まだ来ねえのか、アイツは!」と叫んでいた。だれかを待っているのか――ザボンは思わず駆け寄り、「あの」と声をかけた。
銀髪の男は――グレンは振り向いた。
ザボンには分かった。なぜか分かった。
ザボンは、彼の帰りを、ずっと待ち続けていたのだ。
三千年もの長い間――。
それは、ザボンだけではない。クルクスの民、すべての願いだった。
ザボンは、込み上げる涙をこらえながら、胸を詰まらせ、言った。
「おかえりなさいませ」
グレンは不思議な顔をした――だが、ザボンに返ってきたのは、ふたりの男の声だった。
「「ただいま?」」
グレンは、重なった声に驚いて、思わず隣を見た。アズラエルが真顔で――「ただいま」と言っていた。
「遅かったじゃねえか!!」
グレンが叫び、アズラエルは顎髭を掻いた。
さっき、電話で「うさちゃん入れ墨のイカレあごひげクソ傭兵野郎」と罵っていた男が、ようやく来た。
「悪いな。なんだかアストロスがやべえってンで、ジュセのほうに降りてからこっち来たんで、時間がかかったんだよ」
上空から見るととんでもねえことになってるぞ、とアズラエルはいつになく真面目な顔で言った。
「地獄の審判より、ひでェことなんざあるもんか」
アズラエルの後ろから、聞き覚えのある声がした。バーガスだった。
「おまえら、メフラー商社の連中と一緒じゃなかったのか」
最初のプランではその予定だった。
「アストロスに降りて、メフラー親父とアマンダに合流するはずだったんだが、もう作戦もクソもないってンで、俺たちは、いったん地球行き宇宙船にもどれって」
「それで手持無沙汰にしてたら、アズラエルがもどってくるって話になって、E002まで行って、アストロスに連れて来たのさ」
レオナは肩をすくめた。グレンは聞いた。
「カダックとアマンダはどうしたんだ」
「サザンクロスにいるよ。バスコーレン大佐に頼まれて、サザンクロスを調査してたんだ。でも、メルーヴァは見つからなかったって。それなのに、いきなりバスコーレン隊に突っ込んできてさ……」
レオナは嘆息した。
「ふたりは無事だよ。サザンクロスでそのまま待機してる。北半球はもうだめだから、南にいる方がいい。それより、シャトランジとかいうヤツの中にいるエマルとデビッドは、無事なのかな……心配でならないよ」
レオナは不安げな顔をし、それから、と付け加えた。
「クルクスだけが、無事らしいんだ」
「クルクス……」
アズラエルとグレンは顔を見合わせた。ルナとセルゲイ、カザマがいる場所だ。それを聞いたとたんに、「あ、だいじょうぶだろうな」という妙な確信があった。ルナはともかく、カザマとセルゲイにかかっては、ラグ・ヴァダの武神のラの字もクルクスには入れてもらえないだろう。
レオナの言葉に、ザボンが目を潤ませた。
「はい――おかげさまで、無事でございます」
四人は、謎の五人目を見つめて、彼はいったいだれの知り合いだったろうかと、一瞬、頭を悩ませた。
「で、えーっと、だれだっけ」
アズラエルが真顔で聞いたのに、グレンが「知り合いじゃねえのかよ!」と突っ込み、「おまえこそ!」と突っ込み返された。
ザボンはふたりのやり取りに笑い、
「失礼いたしました。私は、クルクスの市長、ザボン・A・MAJH・サルーディーバと申します」
「クルクスの……」
「ええ。ルナさんたちとは、すでにご挨拶をさせていただきました」
「あんた、じゃあなんでこんなとこに……」
「すみません、お話の途中で」
空軍の軍人が割り込んできた。
「シャトランジの広がるスピードが尋常ではありません。あの黒雲が出てきてから異様に早くなりました。アズラエルさんが到着されましたので、このまま、ガクルックスの総司令部に向かいます」
「よし、じゃあ行くぞ」
バーガスとレオナ、ザボンが軍機の方へ行きかけたが、アズラエルとグレンは留まったまま動かなかった。
「俺たちは残る」
「は!? なに言ってんだい、あのヘンな金色は、ヘンな城が転がってきて、ひとを踏みつぶしちまうんだよ!?」
レオナがあわててグレンの腕を引っ張ったが。
「悪いな。俺は爆弾を手でもみ消せるんで」
グレンの今言える、最低ラインのジョークだった。
「ふざけたこと言ってる場合じゃないだろ――むぐ!」
「だいじょうぶなんだな?」
バーガスが、青筋を立てる女房を羽交い絞めにしていた。彼はめずらしく険しい目でふたりを見つめていた。
「だいじょうぶだ、心配するな」
アズラエルとグレンは、同時に言った。
「……」
バーガスはじっとふたりの目を見つめ、「分かった」とうなずいた。
「無事に帰還しろよ。俺たちは、この現状をサザンクロスにいる親父たちに伝えに行く」
「ああ」
バーガスは、まだ暴れるレオナを引きずり、ズンズンと飛行機へ向かっていった。
「(アスラーエル様、アルグレン様)」
ザボンの口から出たのは、共通語ではなく、アストロスの古代言語だった。アズラエルとグレンは、聞いたこともない言語なのに、意味が分かった。
「(どうか、アストロスを――)」
ザボンは、跪いて、祈る仕草をした。
「(アストロスを、お救いください。お願い申し上げます)」
「(任せとけ)」
自分の口から出たのが、謎の言語であったことに、グレンも驚いていた。
ザボンは微笑み、立ち上がり、何度も振り返り、礼をしながら、軍人たちとともに航空機に乗り込んだ。
ケンタウル中央の飛行場からすべての航空機と軍機が撤退したあと、飛行機を狙う黒雲が押し寄せてくるのを眺めながら、アズラエルとグレンは拳を突き合わせ――申し合せたように、同じセリフが口から出た。
「(よし、行くかブラザー)」
空軍本部から発った航空機が、ガクルックス総司令部についたのは、五分後だった。たいした距離ではなかったが、黒雲が航空機や軍機を追うように迫ってきたため、乗客は生きた心地がしなかった。
だが、不思議なことに黒雲は、突如として方向転換した。
「(アスラーエルさま、アルグレンさま)」
ザボンだけが、その理由が分かっていた。
「おい! あれ――」
軍機から降りた軍人たちは、こちらへ倒れ込んでくる、金色の、先が見通せるほどの薄膜を見た。
「クソ……シャトランジが、ついにここまで」
だれかの苦々しげな声がした。
ザボンは、地面に敷かれていく黄金の盤を、緊張の面持ちで見つめた。
ガクルックス総司令部に、バスコーレン本隊もようやく到着した。
「フライヤ総司令官! マクハラン少将の隊がマルメント山地に置き去りにされているというのは――」
司令室に駆けこんだバスコーレン大佐だったが、入った途端に、自分の身体を金色の光がすり抜けていくのを感じた。
「ああ……」
サンディがふたたび絶望的な顔をした。
ついに、この総司令部も、シャトランジの盤内に入ってしまったのだ。
「バスコーレン大佐、到着早々申し訳ありませんが、皆の動揺を鎮めてください! わたしもすぐに向かいます!」
フライヤは叫んだ。
「すぐに代表者を集めてください、軍議を!」
ボリスは、ケガをした腕と足を庇いながら、ようやくマルメント山地を降りた。スピードを上げすぎて、ジープは藪に突っ込み、真横に転倒した。
ボリスはジープから放り出された。頭はなんとかかばったが、頭を庇った腕を怪我した。足は骨が折れているかもしれない。腕からの出血が止まらない。
黄金幕のマス内は異様に広い。ボリスは、突き当たりに行きつく気がしなかった。だが、山地を降り、サムルパ街の標識が見えてきたあたりで、壁に行きついてしまった。
それ以上、先に行けない。叩いても体当たりしても、フィルムのような薄さの壁は、強化ガラスででもできているように、ヒビすら入らなかった。
「ちくしょう――」
ボリスは壁を背にして、座り込んだ。出血のせいで頭がくらくらする。
悲鳴のような声が聞こえるので、右手のほうを見ると、はるか向こうに人影が見える。逃げ遅れたマクハラン少将の隊か。
どこもかしこも黄金に覆われてはいるが、うっすらと空を流れる雲が見える。まもなく夜になる。
(俺は、死ぬのか)
ボリスがそう思いかけたとき、あの不吉な地鳴りがした。
ズズ、ズズズ……という不気味な音が。
バキバキと山地の木を踏みつぶして、ハイダクが、山地を滑り降りてくる。みるみる、めのまえに迫りくる小宇宙――。
「ちくしょう……」
ボリスは叫んだ。
「チクショーっ!!!」




