352話 夜の太陽と真昼の月 2
その様子は、ガクルックス総司令部にいるフライヤたちにも確認されていた。
フライヤが持つ観戦盤には、「ジャマル(らくだ)」であるメルーヴァ隊の動き、そして、メルーヴァ隊から突如現れ出でた、ラグ・ヴァダの武神本体の黒雲の発生も、すべて写しだされていた。
「クルクスが一番安全とは、こういうことだったのか……!」
サンディがうめくように言った。
クルクスが――クルクスだけが、シャトランジの膜からも、黒雲からも守られている。
不思議な空白地帯になっている。
シャトランジの黄金幕を空色の光が弾き、ラグ・ヴァダの武神の黒雲を、同じくらい真っ黒で恐ろしげな黒い炎が、クルクスの内側から噴き出て止めている。
「あそこには、真昼の神様と夜の神様、月の女神さまが待機されていると、ザボンさんからはお伺いしてます」
フライヤの言葉に、サンディやオリーヴは絶句した。
「夜とか月とかって――」
「それって、マ・アース・ジャ・ハーナの神話のことですか!?」
フライヤはうなずいた。
「そうらしいです。だから、クルクスは安全なんだそうです」
サンディはもはや、口をパクパクさせるのみだった。オリーヴとベックも同じだ。
「じゃ、じゃあ、あそこにいるルナちゃんは、とりあえず無事なんだな」
オリーヴとベックは、ほっとしたような、安心したような、情けない顔をした。彼らは当然、ルナが「月の女神さま」だということは知らない。
「アストロスの陸軍本部の撤退完了!」
フライヤたちが観戦盤から目を離せないでいるあいだにも、続々と、アストロス中の軍が、ここ、ガクルックス南端に集まってくる。
「シャトランジは、ケンタウル中央まで覆いました!」
「マクハラン少将の隊は、半分が撤退完了しています!」
「バスコーレン隊、先着隊があと三十分で到着予定です!」
次々にもたらされる報告を、サンディが確認した。フライヤは、観戦盤を見つめたきり動かない。
突然、はっと、天使隊隊長のヴィクトルが耳を澄ませた。
「ヤーコブが……!」
長老は、そばにいたふたりの天使に言った。
「シュバリエ、アンリや。ヤーコブが死の危機に瀕している。助けに行きなさい」
「ヤーコブが!?」
二人の若い天使は、「はい!」と叫んですぐに飛び立った。
入れ替わりに、別の報告が飛び込んでくる。
「ケンタウル中央のアストロス空軍は、――えーっと、“アストロスの武神”両名が到着次第、こちらへ合流するとのことです!!」
サンディは、もはや開き直った。「武神」だろうが、神話の神様だろうが、この状況をなんとかしてくれるなら、すがるしかない。
「了解!!」
船内では、すでに予言の絵の一枚目が燃え尽き、ミシェルが描いた二枚目の、地球行き宇宙船の絵が燃え尽きようとしていた。
拝殿ではアントニオが燃えつづけ、イシュマールたちは祈祷をつづけている。祈祷が始まってから、絵が燃えるスピードが遅くなった気がした。
ミシェルは、不思議なものを見た。
炎の中で、溶けるように宇宙船の絵だけが燃え尽き、ラグ・ヴァダの女王の絵姿が、現れたからである。
今度は、ラグ・ヴァダの女王の姿絵が、端からゆっくりと燃えはじめた。
「――!」
ミシェルはそれを見て、何回も塗りつぶして悔しかったけれども、この絵を描いておいてよかったと心底思った。
この絵が、宇宙船が燃えてしまうのを防いでいるのだ。絵が、船内に燃え広がった炎を吸い込んでいくのを、何度も見た。
ミシェルは、決意した。
たしか、おじいちゃんの休憩部屋に、道具があったはず。それを借りてきて、もう一枚――そう思ったミシェルのまえに、ベストタイミングで「偉大なる青いネコ」が現れた。
「青いネコ! あたしを手伝って! もう一枚描こう!」
ミシェルはそう言って駆け出したが、青いネコはミシェルの言葉には答えず、彼女をギャラリーに向かう小径に招いた。
「――?」
青いネコに導かれるまま、小径を駆け抜ける。休憩部屋があるあたりを過ぎた。ミシェルは戸惑ったが、ネコは、まだ先だというように、振り返っては先に進む。
この先は、ギャラリーしかない。
「ネコ? なにがしたいの?」
ギャラリーまでたどり着いてしまった。まだこのあたりに火は来ていない。
ミシェルは息を整えて、青いネコを見た。ギャラリーはがらんどうだ。飾ってあった絵は、ララがぜんぶ、保護のために運び出した。ここには、何も残っていないはず――。
「ウソ!?」
ミシェルは思わず絶叫してしまった。
ネコに導かれるまま、室内に入って、とある絵が飾られていた場所に行くと、なんと、その絵だけ、残っていたのだ。
――バンヴィの絵が。
『これだけは残すよう、アンジェを通じて計らっておいた』
ようやく、青いネコは口をきいた。ララの悲鳴と号泣が、想像できるようだ。よく承知したものだ。ミシェルは青ざめた。
『ま、そのうち、描きなおして提供するほかあるまい』
「描くのあたしですけど!?」
『なんとかして拝殿へ運ぶぞ』
ネコが言うが早いか、神主が数人、ギャラリーの庭を横切っていくところだった。ミシェルは思わず叫んだ。
「すみません! この絵を運ぶの、手伝ってください!」
「これは……」
ちょうどそのころ、アズサ中将の大隊が、アストロス太陽系から少し離れたエリアの調査を終えて、地球行き宇宙船が停泊する座標までたどり着いたところだった。
地球行き宇宙船と、アストロスが――。
映し出された映像は、操縦室の皆を絶句させるものだった。
想像を絶する光景が、めのまえに広がっている。
地球行き宇宙船が炎上し、アストロスが――おそらくナミ大陸付近の様相が様変わりしている。暗黒の大気が、宇宙からでも見えるほどに、球体の半分を覆っていた。
美しかった緑色の球体が、なかば腐り落ちた果実のように。
「ああ……っ」
冷静を保っていたのはアズサくらいのもので、周囲の側近からは、口々に絶望の悲鳴が漏れた。
「アストロスに降りた本隊は――」
「一時間前から、フライヤ隊と連絡が取れません!」
「バスコーレン大佐、およびサスペンサー大佐もです!」
「マクハラン少将が、アストロスに降りた報告が!」
「それは軍令違反では」
「アズサ様、――わが隊は、どういたしますか」
「まずは、オルトワと連絡を取れ」
皆が皆、動揺を隠しきれなかったが、アズサは冷静に告げた。
オルトワ――オルトワ・B・ソレン大佐。地球行き宇宙船の護衛艦の艦長である。
こちらから通信する前に、オルトワの艦からの通信を受け取った。
「オルトワ、そちらは無事か」
アズサの声は、冷静ではあったが、強張っていた。
『はい。こちらは、ほとんど損害ありません』
オルトワの声も揺れていなかった。
「地球行き宇宙船は――」
アズサは言いかけて、はっと気づいた。眼前の映像の、奇妙な部分に。
『地球行き宇宙船は、燃えてはおりません』
オルトワの言葉に、全員が全員、耳のほうを疑った。
燃えている。幻ではない。たしかに、地球行き宇宙船が燃えている。火に包まれている。
この目に映っているのは、炎上する機体の姿。
だが、すぐに皆も、アズサが気付いたように――その「不思議な」光景に気づいた。
燃えてはいるものの、崩壊しないのだ。船体の崩壊がない。これほどの火に包まれたら、爆発炎上でもするはず。それがない。しかも、炎に包まれているのは、上部だけだ。下部は、まるでそこだけくっきりと切り取られたように、火に包まれてはいない。
「――何が起こっている?」
アズサは尋ねた。
オルトワもまた、言葉を探しあぐねるかのように一度黙したが、やがて言った。
『この“炎上”は、地球行き宇宙船の特殊部隊においては、想定内とのこと』
「想定内?」
『こちらを、ご覧ください』
オルトワの言葉とともに、映像が切り替わった。アストロス太陽系の全容が映し出されている。アストロスを中心にして、八つの衛星が取り囲んでいる形だ。
アズサたちにもそれが見えた。八つの衛星に、それぞれ、異変が現れている。遠目からでも見えるほどに――。
ひとつひとつの衛星が、順番にピックアップされて拡大されていく。おそらく映像は、衛星に放った小型無人機からだろう。
ある星では、空を暗雲が覆い、雷が雨のように降り注いでいる。ある星では地鳴りとともに、山岳が崩壊している。ある星ではすさまじい活火山の活動が見られ、ある星では、海の水位が上がり、うねりを上げて大嵐を巻き起こしているのだった。
「なんだこれは――」
『アストロスで起きている“異常事態”を、衛星が肩代わりしているのだそうです』
「なんだと?」




