42話 ジャータカの黒ウサギ 1
リリザからの帰路の宇宙船で、アズラエルが思い出したのは、そんなことだった。
なぜかふと、思い出した。ルナと出会うまえのできごとを。
あのカサンドラという女はどうしたのか。死んだのか。あれからひとつき経っていることを、アズラエルは思い出した。
(ルナが、サルーディーバに会った)
偶然にしても、それはおもしろくない偶然だ。
カサンドラという占い師が「マリアンヌ・S・デヌーヴ」というのなら、今L03を騒がせている革命家メルーヴァ・S・デヌーヴとなにか関わりがあるのか。
(俺がかつてメルーヴァと会ったとき、マリアンヌという女はいなかったはずだ)
宇宙船に乗っているのは、L03の王である現職サルーディーバではなく、その跡取りのほう。アズラエルがかつて「会った」ほうだ。
(まさか、亡命か)
それも考え得る。
L03では、まさしく政変が起こっている。革命家メルーヴァが、現政権を打ち倒すために立ち上がったのだ。
L03の象徴である生き神サルーディーバを擁し、腐敗した政治の中枢、長老会をL03から追い出した。
L03の政治中枢の役人たちが、こぞって他星へ亡命したというニュースを聞いたのは、ほぼひとつきまえだ。
カサンドラと名乗る、マリアンヌと出会ったころ。
マリアンヌは、アズラエルがかつてサルーディーバと接触したことを知っていて、近づいてきたのか?
(それはない)
そんな話は、ひとこともしなかった。第一彼女は、マリアンヌの名を名乗らなかった。
どちらにしろクラウドは、マリアンヌを見舞いに、病院を訪れているかもしれない。
(サルーディーバは、アントニオとも知己だ)
ルナは、まさなという料亭で、アントニオにも会った。
――サルーディーバと、いっしょに。
(なんなんだ、あの辺のつながりは。なぜ、ルナに接触した?)
ルナの話では、真砂名神社の麓でアンジェリカと会ったとき、彼女はルナを待っていたような口ぶりだったという。
(ぜんぶサルーディーバの手のうちだったらどうする?)
それは、なかなかおもしろくない状況だ。
「あ、アズ! おかえり――うきょ?」
「ルナ、リズンに行くぞ」
アズラエルは自宅に帰るなり、ただいまも言わず、洗濯物を干していたウサギを持ち上げて、リズンに向かった。
まだ早朝だ。
アズラエルは、開店前なのに遠慮なく木の扉を叩いて、でかい声で店長を呼んだ。
「アントニオ、いんだろ? ここ開けろ」
ルナは小さくなっていたが、「はいは~い、なんだよ、まだ開店前ですよ~」という、呑気な声が聞こえ、新聞を丸めてつかんだ、髪も跳ね放題のアントニオが出てきて、鍵を開けてくれた。
アズラエルの巨体の後ろから、ルナがひょこ、と顔を出すと、とたんに崩れた笑顔になる。
「あっ、ルーナちゃーん、おーはよ♪」
「お……おはよございます……」
アントニオは、もう一度アズラエルを見て、肩をすくめた。
「やっと来たか」
「なんだと?」
早朝に叩き起こされたわりに、おまえを待っていたんだというような言葉を返されて、アズラエルは眉をしかめた。
「いつ来るかと思ってたんだけどね俺は――」
「やっぱり、サルーディーバが黒幕なのか?」
サルーディーバ?
ルナのウサ耳がぴょこたんと立ったが、アントニオは苦笑するのみだった。
「まさか。サルちゃんが黒幕なんてことはないよ。彼女は“迷える子羊”だからね」
「迷える子羊?」
「ちゃんと話すよ。っていうか、あんまり来てくれないから、そのうち、俺が君を訪ねようと思っていたんだ」
「おまえが?」
「うん。ともかく、入って」
アントニオは、新聞のかどで背中をかきかき、厨房へ入っていく。アズラエルもルナをうながし、一緒になかへ入った。
コポコポと、アンティークのコーヒーサーバーの中で、黒い液体が揺れる。
アツアツのコーヒーを、アズラエルにはブラックで、ルナにはカフェオレにしてくれた。アントニオも、自分の分をマグに注ぎ、「あー、やっぱ、この一杯がないと、朝がはじまらないよね……」と恍惚顔をしている。
だまっていれば美形なのに、緊張感のないこの顔が、三割以上アントニオの評価を下げていることは間違いない。
自分はカウンターのスツールに腰掛け、アズラエルとルナには店内の椅子を引っ張ってきてすすめた。
「朝ごはん食べた? ホットサンドとか作ろうか」
「メシは食った」
ルナがなにかいうまえに、アズラエルが言った。
アントニオは、「ふうんそう。うまいんだけどね、俺のホットサンド」
「アントニオ」
アズラエルの、早く本題に入らせろという目つきに、アントニオは肩をすくめ、小声で「……短気な男ってイヤだよね」とぼやいたが、それははっきりアズラエルに聞こえていた。アズラエルに足をガツンと踏まれ、悲鳴を上げた。
「信じらんねえ! このマッチョ傭兵! 体重考えろよ!」
「避けろよ。そのくらい」
アントニオは踏まれた足を痛そうにつまんだ。
「先に、君が来た理由を聞こうか。でも、ま、なんとなく分かるよ――サルちゃんのことだろ」
ルナのウサ耳がぴょこんと立った。ルナは、なにも教えられずにここまで連れてこられたのだ。
「それもそうだが、俺が聞きたいことは、また別だ」
アズラエルは言った。
「おまえとサルーディーバの関わりは、いったいなんなんだ。どうしてルナに接触した?」
アントニオは困った顔で小さくためいきをつき、そして言った。
「俺とサルちゃん姉妹は、むかしからの知己だ。それは、ひと口では言えない、一族の関わりがある。それから、サルちゃんがルナちゃんに会いたがっていたのは、理由がある。それはあとで話す。そして、俺は、あの姉妹がルナちゃんに会うのはまだ早いと反対した」
「早い?」
「そう、まだ早いってね」
「早いもクソも、俺はもう、あの辺に関わりたくはない」
「気持ちはわかる」
アントニオは苦笑いしつつ、言った。
「でもサルちゃんやアンジェが黒幕、というのは違う」
「いったい、何が起こってる」
「う~ん、どこからどう、説明したもんかな……」
アントニオは悩んだあと、ルナに聞いた。
「ルナちゃんは、L03のことを、どれくらい知っているかな」
ルナがアズラエルを見ても、苦虫を噛み潰した顔をしているだけだ。コーヒーをすすりながら、アズラエルがぼそっと言った。
「コイツ、本はよく読むが、新聞読まねえからな」
新聞?
そういえばこの宇宙船に乗ってからは新聞を取っていないので、読んでいないかもしれない。アズラエルと暮らし始めてからは、彼が取っている新聞があるが、そちらはアズラエルの部屋に届くので、見ていない。
「ニュースも見ねえし」
テレビ自体、最近は、食事をするときくらいしか見ていなかった。しかも、リサやキラが好きだから、バラエティ番組ばかり。
そんなルナに、アントニオはさっき持っていた新聞を広げて見せた。
「あ~、今日のには載ってないかもな」
「そいつには載ってねえ。軍事惑星の新聞には載ってる」
「さすが、プロの傭兵だね。新聞もしかして、ぜんぶ取ってんの」
「この宇宙船で取れる分はな」
「ヒュウ。企業人並みだな」
アントニオは感心して口笛を吹き、ルナに、新聞を渡した。
「ルナちゃん。今、L03で政変起こってんの知ってる? 知らないでしょ」
政変?
ルナは新聞を覗き込みつつ、首を振った。
「まあ、政変起こってるったって、ほとんどニュースでやらねえし。今日の新聞も、たいしたこと書いてなかったよ。こう着状態だっていうからな」
アズラエルの言葉に、アントニオが乗っかった。
「まあね。ルナちゃんが興味なくてもしょうがない。ルナちゃんの母星からは遠い星の出来事だし」
政変。ルナは、その言葉で、見当がついた。
「サルーディーバさんが、その政変に関わってるの?」
アズラエルはコーヒーを吹いた。ぐほっという吹き方だ。吹いたあと、ごしごしと乱暴に口を拭って、アントニオにお代わりを無心する。アントニオは、サーバーからコーヒーをついだ。
そんなにあたし、へんなこと言ったかな。
ルナは、アズラエルのひどい呆れ方に、あんまりだとふくれた。
「たまに、あまりの価値観の違いにびっくりするぜ」
L77ってよっぽど平和なんだな、とアズラエルは嘆息した。
アントニオも苦笑する。
「しかたないよ。L77でL03の政変に興味あるのってジャーナリストくらいだろ。ルナちゃんくらいの年の子が知らなくたって、無理もない。――えーと、ルナちゃん。L01からL09までの、辺境の惑星群のことは、どれだけ知ってる? L77の教科書って、どれだけ教えてんのかな」
「えっと……。L03って、辺境の惑星群の中でも特殊なんだよね」
「L03は、マ・アース・ジャ・ハーナの神話にあるサルーディーバを祀る者が住む星ってだけじゃなくて、科学技術をすべて放棄した者たちが住んでいる星なんだ」
科学技術をことごとく放棄した者たちの星。
アントニオの説明によると、L03は単にサルーディーバを祀る星というだけでなく、科学技術が全否定されていて、星の民は、地球でいう古代レベルの生活習慣だということ。
地球の化学汚染を非常に嫌悪し、憂いていた者たちがL03に居住した。その際、人類は自然に帰るべきだという名目で、一切の科学技術を拒否したのだという。
L系惑星群内での連絡手段のために、ある程度の科学技術は残してあるが、通信、あとは交通手段程度で、それも中枢の、L系惑星群と連絡を取る部署のみ。
この時代だというのに、一般の住民に至っては、コンピュータどころか、自動車、電話すら見たことのない人間がほとんどなのだそうだ。
L系惑星群の中でも、L4系に次いで、経済レベルや文化レベルが圧倒的に低い星。
辺境といっても、L05や他の星は、L5系やその連番ほどではないが、ある程度の科学技術を容認している。
L03だけが、異種であり、地球の古代人の生活に近いそうなのだ。
L系惑星群にもともといた原住民との関わりもあって、祭祀を中心とした君主制で、内戦も多く、独特の文化を保っている。もちろん、政治も法律も、ルナたちL7系や、L5あたりとはだいぶ違う。
「抗生物質もない星だ。大ケガした人間は、ほかの星に運ぶしかねえ。薬も、薬草練ったようなやつばっかだ」
アズラエルは、見てきたようなセリフを吐いた。アズラエルの腕に残っている傷のあとを見て、ルナは、これがもしかしたら、L03で作った傷なんだろうか、と考えた。
「ルナちゃんは、サルーディーバの名の意味を聞いた?」
ルナはうなずく。それは、サルーディーバ本人から聞いた。
偉大な者、という意味。
「L03には、五つの伝説の名がある。
サルーディーバ、サルディオーネ、メルーヴァ、カーダマーヴァ、イシュメル。
その代表がサルーディーバ――偉大なるもの。
いわゆるルナちゃんたちの星でいうと大統領とか首相。星の代表だよね。
サルーディーバは、生まれる前から決まっているんだ。予言師たちが、サルーディーバが生まれることを予言する。
生まれた子は生まれた時からサルーディーバ。ルナちゃんの会ったサルーディーバ、サルちゃんは、今のサルーディーバの跡継ぎなんだよ。今代のサルーディーバは、L03にいる。御年百十二歳になられるそうだ。まだ二十年くらい生きそうな、元気なおじいちゃんだよ」
「ひえ……」
百十二歳。ルナはびっくりして変な声を出した。
「そしてサルディオーネ――星を読む者。これは、占術師の代表者だ。まったく新しい占いを生み出したものがその名を授かる。だから、サルディオーネはひとりだけじゃない。
アンジェリカ以外では、ふたりいる。宇宙儀の占術を生み出した、おじいちゃんのサルディオーネと、水盆の占いをする、おばあちゃんのサルディオーネ。
ルナちゃんがこのあいだ会ったアンジェが、サルディオーネの中で一番若い。ルナちゃんもよく知っている通り、彼女は、“ZOOカード”を作り出したサルディオーネ」
「ZOOカード……」
特別な占術師だと、彼女も言っていた。
「それからカーダマーヴァ――語り継ぐもの。これは、歴史を記述している一族の名前。ルナちゃんたちの担当、カザマさんだろ? あのひと、その一族の出なんだよ。L系惑星群の共通語にすると、カーダマーヴァがカザマ、になるんだ。ミヒャエル・D・カーダマーヴァ、またはカザマ。カザマさんの名前」
「カザマさんって、L03の出身だったんだ!」
ルナのウサ耳が、ぴょこん、と立った。




