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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~決戦篇~
855/918

349話 古代都市クルクス 1


(終わった)


 時間にしては、ほんの三十分ほどだった。

 まだ、真夜中だ。カザマは、寝息も立てず熟睡している。

 身を起こしたルナは、隣のベッドで、同じように起き上がったセルゲイを見つめた。


「終わったの」

「――終わったね」

「ほんとに、終わったの」

「終わったんだよ」


 セルゲイは、静かに涙を流していた。ロメリアの手を離したときと、抱きしめたときと、同じ涙を。

 ルナも涙を流していた。ふたりは、抱きしめあった。

 

 ――今度こそ、終わったのだ。

 




 眠っていたのか、気を失っていたのか分からない。病室で横になっていたリサは、ミシェルが涙をこぼしながらリサを覗き込んでいるのに気付いた。


「リサ、ごめんな」


 ミシェルはなにを謝っているのだろう。

 牢屋から、アリサを出してあげられなかったこと?


「――助けに来てくれたじゃん」

 リサは笑った。


「たすけられなかった」


 顔をくしゃくしゃにして泣くミシェルは、同じ夢を見ていたのだと、リサは分かった。ミシェルが愛おしくて、しかたがなかった。


「助けに来てくれたの、ほんとにうれしかったよ」





 アズラエルの、顔を覆っていた手のひらも、涙で濡れていた。

 ただただ、勝手に流れあふれていく涙は、アズラエルの悲しみの残骸(ざんがい)のようであった。

 夜があけようとしている。廊下にはだれもいなかった。アズラエルは、涙まみれのご面相が、だれにも見られていなかったことに安堵し、洗面所で顔を洗った。


「――ルナ」


 ずっと。

 別れてからずっと、口に出すまいと決めていた名前を、口にした。

 とたんに、こらえきれない愛おしさがこぼれ落ちた。


「ルナ」


 暗い廊下に、ICUの明かりが落ちている。

 ガラス戸の向こうに、ピエトが眠っている。アズラエルは、ピエトに言い聞かせるように、つぶやいた。


「ピエト――俺は、先にもどるぞ」


 ガラスの向こうで、ピエトが微笑んだ気がした。





「俺は、俺のそばに、最初から――たいせつなひとがいたのに、ずっと気づかなかったんだな」

 ミシェルはきまり悪げにそう言い、リサの手を握った。

「地球行き宇宙船にもどろう、リサ」

「――え?」

 リサは目を見張った。

「裁判は?」

「もう、いい」


 もう、いいんだ。

 

 ミシェルは、リサの手を取り、額に当てた。


「アズラエルとピエトと一緒に、地球行き宇宙船にもどろう――」

 




 アズラエルは走っていた。


(ルナ!)


 何度も、ルナに謝りながら。ルナのそばを離れたことを、詫びながら。

 アズラエルの俊足(しゅんそく)に、カリムは、ついていくのが精いっぱいだ。


「悪いな! カリム!」

「いいえ! 急いでもどりましょう!!」


 ピエトとミシェルたちは、ヤンに任せてきた。彼らも、ピエトが動けるようになったら、いっしょに地球行き宇宙船にもどってくる。

 アズラエルは、猛スピードで、ルナのもとにもどるだけだ。

 アストロス直通の、地球行き宇宙船の特別便に乗ったアズラエルは、すぐさまペリドットに連絡した。


「ペリドット――すまん! 今からアストロスに向かう!」


 電話向こうで破顔し、『百人力だ』と言ったペリドットの笑顔が、アズラエルにも見えるようだった。





「――なにが起こってる」


 グレンは、苦しくて目が覚めたのだ。息苦しいはずだ。クラウドが、グレンにしがみついて泣いていたのだから。男泣きどころか、迷子になった幼児が親を見つけたときのような、(はばか)りもない大泣きだった。


 クラウドは体育会系でないにしろ、180センチ越え、それなりの体格も筋肉も持っている男である。重いことこの上ない。


 チャンが呆気にとられた顔でこちらを見ているし、エーリヒも、実に表情豊かな目で――なにもかも分かっているんだと言いたげな目で、見ていた。


「君が先に起きるべきだったんだ」

 クラウドは、鼻をかみながらグレンを責めた。

「死んだかと思ったじゃないか」

「……その話は、ずっと昔にすんだはずだったろ」


 椿の宿で殴り合って、謝って、終わったはずだ。だが、クラウドの気持ちも、グレンは分かった。きっと、三人そろって同じ夢を見たのだから。

 まさかエーリヒも関わっていたのだとは、グレンもクラウドも思わなかった。


「おまえの反骨精神は、前世からか」


 グレンは、エーリヒとベンが、ルナたちが死んだあと、クーデターを起こしたことを言ったのだが、エーリヒは肩をすくめた。


「あれは、地の利が悪すぎた。あんな凍土でなければ、われわれのクーデターは成功していたよ」


「こんな夢を見るなんて、第二次バブロスカ革命の記録を発見したからかな」

 クラウドは、もう一度盛大に鼻をかみ、

「――アズも見たかな」


「見ていたら」

 エーリヒは、小さくつぶやいた。期待を込めて。

「きっと、もどってくるだろうね」





 レディ・ミシェルは、イシュマールの部屋の隣の部屋に敷かれた布団で、身を起こしていた。


「――これ、もしかして、リカバリってやつかな?」


 どうも、身体に力が(みなぎ)りすぎている。緑と青の光が、自分を取り巻いているような気がするし――今すぐ、錫杖(しゃくじょう)でラグ・ヴァダの武神をぶん殴りに行ける気がするほど、ミシェルは元気だった。

 椿の宿のわかめうどんが恋しいなあ、と思った瞬間に、ミシェルは悟った。


「百五十六代目の、サルーディーバだ」





 イマリは、まだ真夜中だというのに荷物をかき集め、身支度をして、フロントに降りていた。

 ホテルのフロントは24時間体制だったが、「チェックアウトします!」と叫んだイマリは、さすがに呆れ顔をされた。なにせ、午前三時である。


「お客様……こちらの大陸は、だいじょうぶでございます」

「そうじゃないの! メルーヴァのことじゃないの――急いで、あたし、ここから逃げ、い、いいえ! でかけなきゃならないの! あ、あの、バーダン・シティから、E353に行く便は出てるのよね!?」

「ええ。ですが、宿泊チケットは、まだ五日分もございますが……」

「いいのよ! いいの、キャンセルして!!」


 イマリの顔は蒼白になっていた。

 こんなところにグズグズしてはいられない。ベンからもらった指輪を取りにもどるだなんて、バカなことをしようとした。宇宙船に置いてきた荷物は、あとから電話すれば送ってもらえるはずだ。

 とにかく、すぐにここを離れないと。

 ベンが運命の相手だなんて思っていた自分は、なんと浅はかだったのだろう。


(――ベンから逃げなきゃ)


 イマリは、ホテルから飛び出て、タクシーを捕まえた。


(あたし、殺されちゃう――!!)





 ルナがテントから出たのは、午前五時半――霧が濃かった。

 だまって立っていると、凍えそうな寒さだった。ルナは手袋をした手をポケットにつっこみ、足踏みをした。

 潮の香りがする。ここからは見えないが、もう少し歩けば、海が見えてくるはずだ。

 ――ジュエルス海が。


 荷物を整理したカザマが、テントから出てきて、ルナの肩に手を置いた。


「なつかしい――気がしませんか」

「します」


 ルナは、うなずいた。

 アストロスに降り立ってから、ずっと、そんな感じがしていた。


 かつてルナは、メルーヴァ姫として、この星で暮らしていた。

 地球から来た神と呼ばれたアントニオ――当時は、地球外に居住区を見つけようとしていた天文学者だった彼と、この星の女王だったカザマの娘として。 

 兄弟神と呼ばれたアスラーエルとアルグレンは、幼馴染みだった。

 メルーヴァ姫の記憶なのだろうか。

 三千年前とは、あまりにも様変わりしている風景のはずなのに、この大気が、空気が、ルナに、郷愁を思い起こさせる。


 昨夜、ついに第二次バブロスカ革命のリハビリが為された。


(うさこは、最後のリハビリだって言ってた)


 第二次バブロスカ革命の時代は、ルナの前世で、新しい方から数えて二番目だ。一番近い前世は、リサが母親だったときのあの夢。


(みんな、終わった)


 あたしは、ロメリアで終わった。

 アズラエルも、アシュエルで終わった。

 セルゲイも、アレクセイで終わった。

 グレンは、グレンの名を持って、終わった。


 三千年前よりずっとまえ――太古から背負い続けてきた、四人の悲しい宿命が。


(ああ――今度こそ)


 ルナが目を閉じ、朝霧の匂いを吸い込んだとき、サンディ中佐の声がした。


「おはようございます」

 出発の時刻が来たらしい。

「これから海を渡り、クルクスに入ります」

 彼女は、白い息を吐きながら、腕時計を見た。

「午前七時半には、クルクスに入れると思います。市長がご用意されているとのことでしたので、朝食はそちらで」

 

 ルナたちは、海岸まで歩いた。だんだん、霧が晴れてくる。

 塵となった水気が去るのと同時に、風景も、はっきりと見えてきた――濃い群青色の海が、見渡せるようになる。

 静かな波の音が、聞こえる。

 そして、彼方に、ジュエルス海の沿岸を覆うように建てられた長い城壁の姿が、うっすらと見えた。


(メルーヴァ姫が、あそこで待ってる)


 風光明媚な海には似合わない軍事用の船に、ルナたちは乗った。寒いから中に入った方がいいと勧められたが、ルナは鼻の頭を真っ赤にして、甲板に立っていた。

 クルクスの城壁が、徐々にはっきりと、形を成してくる。

 ふた柱の、巨像の姿も。


「不思議だな――私も、ここからの風景に覚えがある気がする」


 セルゲイは、当時、ドーソンの名を持ち、地球の軍を率いてこの地に降り立ったのだ。

 カザマもセルゲイも、ルナとともに、不思議なほどなつかしい、この海の光景を、飽きることもなく見つめていた。


 ジュエルス海を越えると、すぐに二柱の巨像が立つ、クルクスの玄関口についた。

 ついに、アストロスの古代都市、クルクスに到着した。


 ルナたちは、甲板から、陸地へ降りた。

 まだ早朝で、ひともまばらだ。観光地であるはずのこの街は、いつもはたくさんの人で賑わっているのだろうが、今日はまったくひと気がない。

 ルナは人にも自動車にも気兼ねすることなく、広い道路のど真ん中で、巨大な二神の像を見上げた。


(こっちがアスラーエルで、こっちが、アルグレン……)


 ルナにはすぐに分かった。あまりに巨大すぎて、顔すら見えないのだけれども。

 アズラエルとグレンそっくりの、ムキマッチョ兄弟神は、鎧を着て、険しい顔で、空を見据えている。刃を下に向けた刀剣を地に立て、柄を握って。

 彼らの頭は、雲の中に隠れるかどうかというくらいの高さだ。


(ひゃくめーとるの石像ってナキジーちゃんがゆってたけど、ほんとだ)


 ルナは、アスラーエルの足元に来て、自動車より大きい小指を見つめた。


(じつは、アズの小指にもいたずらがきをしたのです……)


 ルナは、一瞬しょげた顔をしたが、もう、泣きはしなかった。アズラエルが出て行ったときの悲しみは、もうどこにもなかった。


(アズ、ごめんね)


 いたずらがきをしたことにではない。

 アズラエルの悲しみに、気づいてあげられなかったことを――ルナは、詫びた。


(アズ、震えてた)


 ルナを嫌いになったなんて、思う方が間違いだった。アズラエルははっきりといったではないか。

 ――おまえを傷つけるかもしれないことのほうが、怖いと。


(もうだいじょうぶだよ、アズ)


 もうぜんぶ終わったんだよ。

 アズがあたしを、その手にかけることは、もうないんだよ。

 そして、誓うように、つぶやいた。

 あたしも、この地でがんばる。みんなと一緒に、ラグ・ヴァダの武神から、アストロスを守るために。


「ぜんぶが終わったら」


 ルナは、雲に隠れて見えない、アスラーエルとアルグレンの顔に向かって言った。


「今度はあたしが、迎えに行くからね」


 ――あたしは生きて、アズラエルを迎えに行く。





「われわれは、ここまでです」


 気づけば、サンディ中佐がルナたちに向かって敬礼していた。クルクスの街の方から、大きな黒い自動車がやってきて、止まった。


「え?」 

「迎えが来ています」


 自動車から、スーツ姿の人間が、五人出てきた。最後に後部座席から出てきた、メガネをかけた細身の中年男性が、帽子を取って挨拶をした。


「市長の、ザボン・A・MAJH・サルーディーバです」


 彼は、どこか懐かしい笑顔で、微笑んだ。


「クルクスへようこそ」


 兄弟神が、「おかえり」と言ってくれたような気が、ルナにはした。




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