347話 百三十年前から届いた写真 1
「私の弟が、地球行き宇宙船にイル。ニックと言って、大きさがあなたくらいで、とても可愛い。いい子です」
「あんたらは、二メートル以下はみんな可愛いんだな」
スタークは、ニックがどんなヤツかは知らないが、天使の価値基準は、だいたい分かってきた。
さっきから、スタークがどんな悪態をつこうが、彼らはニコニコ笑っているだけだ。
L02は、L系惑星群の中でも、かなり鷹揚に地球人を受け入れたことでも知られている。
三メートルの巨躯にして、温厚な天使たちは、今スタークを相手にしているように、地球人が来たときも、「あ、なんかちっちゃくて可愛いのが来た」という感覚で受け入れたのだろう。
L02に住むことを選んだ地球人は、天使に憧れる者がほとんどだ。なんとか仲良くしてもらおうと、敬うだけ敬い、失礼をしないようにものすごく気を配った。天使のほうも、礼儀正しく、自分たちの文化に馴染もうとする地球人を可愛がった。共存がうまくいったよい例であった。
そもそも、地球人が悪意を持って――まさかも支配しようなどと――そんなことを言ったら、天使の星に住んでいる地球人に袋叩きにされるだろうが、たとえ天使たちの星を攻めたとしても、あっけなく負けていただろう。
彼らは身体が大きいだけのハリボテでは決してなく、身体能力も抜群に高いし、知能も高い民族である。不思議な能力も兼ね備えているのだ。
そのころ――晴れ渡ったガクルックス・シティの空。
モハら王宮護衛官の捜索のために、エタカ・リーナ山岳に向かう天使二名とスタークは、追いかけてきたもうひとりの天使と空中で合流したところだった。
「フィロストラト、おまえも来たの」
「ヴィクトルさまが、僕も行けって」
フィロストラトと呼ばれた金髪巻き毛の天使は、うれしそうに言った。
眼下に街を見下ろしながら空中散歩というのは、なかなかイケてると、スタークも機嫌よくなってきたところだったが、なにせこの天使たちは、よけいなひとことが多かった。
「いいな――いいな――マルコだけ、お姫さま連れてる!」
スタークを抱いて飛んでいるマルコは、ふたりの天使、銀色長髪のテッサと巻き毛のフィロストラトに羨ましがられていた。
「L20じゃゴリマッチョの部類に入ってる俺がお姫様なんて、世も末だぜ……」
さすがのスタークも、空を仰ぐ始末だった。
「だってあなた、生まれたときは女デショ」
マルコだけではなく、他の二名も、うんうん、とうなずいた。
「なんでわかンの!?」
スタークの生まれたときの性別を、今現在の姿を見て、見破ったヤツははじめてだった。
「地球人は、カンタンに性別を変えちゃうけど、遺伝子まではなかなか変えられないだろ」
テッサが言うと、「遺伝子レベルで俺を見てるの!?」とスタークは胸を隠すしぐさをした。だが、無駄だった。
「あなた子宮残ってるし」
「生々しいな!! ハダカ突き抜けて内臓かよ! 見るなよスケベ!!」
「スケ……?」
マルコのクエスチョンマークに、テッサがふたたび耳打ちする。マルコは真面目な顔で、
「スケベは認めル。でも、あなた、女にもどって、コドモを産んだほうがいい」
「認めんのかよ! イヤだよ、せっかく男の人生満喫してんのに!!」
「あなたの母親、三人産ンダ。あなたもそれくらい産めるよ。あなたのお兄さんは産めないし、妹さんもキットひとりしか産まナイ」
「兄貴が産めるかよ!!」
「違うよ、マルコが言いたいのはね、お兄さんの奥さんになる人は、子どもを産めないってこと」
「――え?」
テッサの通訳に、スタークが急に真面目な顔になった。
「あなたのお兄さんの奥さんになる人は、それはたくさんの子どもに恵まれるのだけれども、自分は子どもを産めない」
「――ルナちゃんが?」
「そういう、気配がアル」
マルコもうなずいた。
「マジかよ――ルナちゃん、ガキ産めねえのか?」
「お兄さんが、子ダネ少ないというのでなく、ルナちゃんが、子を宿せないというのでなく、そういう星周りになっていル」
「――!」
スタークが、目を見開くと、マルコはさわやかに笑った。
「だから、アナタ、女にもどって、私の子を産む。それでイイと思う」
「よくねえよ!?」
なんだ、結局口説き文句かよ、と呆れたスタークに、さらに暴言が降ってきた。
「それにね……アナタ、ちがう。ゴリマッチョちがう。つかいかた間違ってル」
まさか、たどたどしい共通語の男に、共通語を正されるとは思わなかった。
「ゴリマッチョは、アノール族のタロくらいで、やっとゴリマッチョ」
応援のためにやってきたアノールは、腕が丸太なみの連中ばかりである。スタークは叫んだ。
「あれはとくべつ!! 俺だってL20じゃゴリマッチョ!!」
女系惑星のL20では、スタークも逞しいと憧れられるほうだ。
「世間がせまいねえ~。L20でゴリマッチョでも、ステーキはぜんぜんゴリマッチョじゃない」
やれやれといったふうに首を振るマルコの首を、スタークは締め上げてやろうかと思った。
「いちいちムカつく野郎だな……っ!! うお!!」
首を絞めるまえに、いきなりマルコが急ブレーキをかけたので、スタークもびっくりした。
「なんだよ!?」
見れば、ふたりの天使も空中で止まり、マルコと同じ方向を向いていた。
エタカ・リーナ山岳のほうを。
「なにか――イヤなものが迫ってくる」
「え?」
フィロストラトの言葉に、マルコが、耳を澄ませるしぐさをした。
「ホントだ」
「すごく、イヤなものだ。ラグ・ヴァダの武神かな?」
「武神の気配とはちがウ――でも、とても気味が悪いな」
マルコは苦い顔をし、さらに、耳を澄ませた。
「――うん。やっぱり遭難はしてイルよ。雪の中にだれかが埋もれていて、助けを呼んでル。中腹の、雪の中にふたり、山頂に――ひとり?」
「こんなとこからでも分かるのかよ!」
「助けに行かなキャ、死んでしまうヨ」
今スタークたちがいるのは、サムルパ街の上空だ。その先に、ガクルックスからケンタウルの北にまたがる、そう標高の高くないマルメント山脈が見える。マルメントに雪は降っていない。
マルメント山脈の向こうに、サスペンサー隊が陣を敷くエタカ・リーナ平原があり、エタカ・リーナ山岳はさらに向こうだ。
「彼らの声は、ステーキほどうるさくないから、耳を澄まさないとわからない」
「おまえはなんなんだ? 俺にケンカ売ってんの? わざとなの?」
「うん。ちょっと黙って」
マルコは、悩んだ顔をした。
「どうしよう。――助けに行きたいけど、あの山の向こうに、なにかとても、とてもイヤなものがあるな」
「――なんだよ、これ」
マルメント山岳に待機していたオリーヴとベック、ボリスは、エタカ・リーナ山岳のほうから降りてきた金色の幕が、平原に敷かれていくのを見た。
得体のしれない光の幕に、サスペンサー隊が、クモの子を散らすように崩壊していくのを、見た。
音も立てずに、金色の薄膜が地面に沈み――いきなり、幕が沈んだ地面から、金色の壁が出現した。最初に降りてきた膜と同じ、向こうが見渡せるほどの薄い壁面――。
横だけではなく、縦にも。薄膜は、エタカ・リーナ平原に、巨大な市松模様の盤をつくりあげた。
逃げていたサスペンサー隊の兵たちは、今いる場所にできたマス目に閉じ込められた。ほとんどの隊員が、真ん中あたりのマス目に閉じ込められて、それ以上先に逃げられないでいる。
ここから、エマルとデビッドの姿は見えない。かろうじて、軍の大混乱が見える程度だ。
「――っ! かあちゃ、」
オリーヴが崖を駆け下りようとするのを、ボリスとベックが、慌てて止めた。
「バカ! 待て!!」
マス目は、狭いわけではなかった。ひとつひとつが、ずいぶんな広さを持っている。
ひとつのマス目に、サスペンサー隊本部の天幕が、すっぽり入るほどだった。
サスペンサー大佐は、金色の壁面に触ってみた。薄膜は、頑強なガラス壁のように、向こうは見渡せるが、固かった。
触れることはできるが、この壁を出ていくことはできない。
逃げ惑う兵たちが、金色の壁を叩いている様子が、サスペンサー大佐の目にもはっきり見えた。
サスペンサー隊は、金色の幕によって、バラバラに閉じ込められてしまった。
ズズゥン……と、マルメント山地のほうまで揺れる地響きがした。エタカ・リーナ山岳のほうで、なにか大きなものが動く音だ。
「オリーヴ!」
ボリスが怒鳴った。
「おまえ、フライヤに知らせに行け!!」
ジープに積んだ電子機器は、すべて役に立たなかった。あの金色の幕が電磁波の障害にもなっているのか、携帯電話も、無線も、コンピュータも、通信機器は全滅だった。
雑音が入って、どこにもつながらない。
「わ、わかった!」
オリーヴは、バイクに跨った。アントニオは、「生き残ったひとを連れて逃げてくれ」と言った。なにがどうなるかもわからない中で、ジープ二台と、バイク一台で待機していたのだ。生き残るもなにも――これではだれも助けられない。
「すぐもどるからな!」
オリーヴがバイクのエンジン音を吹かしたところで、ふたたび足場が大きく揺れた。
「今度はなんだよ!」
マルメント山地全体が揺れたのは、強大なビームのせいだった。
オリーヴたちは、平原が見渡せるガクルックス側の端の崖に陣取っていたのだが、そこからはるか向こうの、ケンタウル側のほうから、金色の幕めがけて、ビームが放出されている。
「光化学主砲か……!」
ボリスが唸った。あれは、マクハラン少将の旗印だ。ケンタウル側の山地に、少将の隊が陣を敷いたのか。
小さな山岳なら、一瞬で破壊してしまう主砲だ。だが、金色の幕は、エネルギーを吸い込むように、あっさり威力を飲み込んでしまった。
「――ダメか!」
ベックの悔しげな声が漏れる。
「行け、オリーヴ!」
「あいよっ!!」
オリーヴは、一気にバイクで、山道を駆け下りた。
まったくひと気の失せたサムルパ街の公道を、一台のバイクが、猛スピードで走っていく。スタークが空中からそれを捉えたのは、偶然に他ならない。
「オリーヴ!!」
スタークは叫んだ。
「ちょ――あそこ行って! 妹なんだ!!」
スタークは、マルコに頼み込んだ。
「スターク!?」
オリーヴは、まさか、兄貴が降臨してくるなんて思いもしなかった――車一台すらない大通りを、バイクで駆け抜けていたオリーヴは、道路のど真ん中に、羽根の生えた人間とスタークが降りて来たので、急ブレーキをかけた。
「轢くとこだったじゃねえか!!」
「オリーヴ、おまえ、どこにいくんだ!」
「兄貴こそ、ルナちゃんをクルクスに送る役目はどうなったんだよ!?」
兄妹は、同時に叫んだ。口のすばやさは、オリーヴが上だった。
「あたし、フライヤに知らせに行くところ!! ヤッベェよ! エタカ・リーナ平原にヘンな金色の幕が下りてきて、光化学主砲を飲み込んじまった!」
「あァ!?」
スタークは、叫んだ。
「サスペンダー大佐は!?」
「知らねえ――わかんねえ。平原にいた部隊は、ぜんぶ膜に閉じ込められちまったんだ」
スタークは息をのんだ。
「あれが、アントニオのいってた、シャラランランってやつか――? それより、ルナちゃんは!?」
「こっちも、予定変更どころの話じゃねえんだよ……」
スタークは、苦い顔をした。
「ルナちゃんは、サンディ中佐がクルクスまで護衛してる。俺は、エタカ・リーナ山岳で遭難してるかもしれねえ王宮護衛官を助けに行くところ」
まったく、こんな大変なときに人騒がせな連中だ、とスタークは吐き捨てた。
「と、とにかくあたし急いでフライヤに……あーっ!!」
「なんなんだよ!!」
バイクにまたがり直したオリーヴは、突如思い出した。
――「ルナちゃん」の名で。写真のことを。
あわてて、腕時計を確認すると、L系惑星群の日付は、10月10日を表示していた。
「10月10日って、今日じゃねえか!!」
オリーヴは目を剥く。
「ああーっ、どうしよ! でも、今はそれどこじゃねえ――フライヤに、ルナちゃんに、」
バイクから降りて、わたわたと足を踏み鳴らすオリーヴに、
「ちったァ落ち着け!!」
スタークは、アダムそっくりの口調で叫んだ。そして、オリーヴがポケットから出した、くっしゃくしゃの封筒を指した。
「そりゃなんだ」
「今日中に、ルナちゃんに届けなきゃいけねえんだ!」
「今日中!?」
もう、夜が迫っている。ルナは今ごろ、ケンタウル・シティの、ジュエルス海岸沿岸まで到着しているころだろうか。
スタークは瞬時に考えた。ここからジュエルス海岸まで、どれくらいかかるか。
だが、マルコの話がほんとうなら、雪の中で遭難している王宮護衛官を助けに行くのも、急がねば命にかかわる。
サスペンサー隊に、再度撤退命令も届けなければならないのに。
「その封筒、ぜったい届けなきゃならねえものか?」
スタークの問いに、オリーヴはどう答えたものか悩んだ。百年前とはいえ、クラウドが送れと言ったものだ。大切なものに違いないことは、オリーヴも分かっていた。
「金色とおんなじくらいわけ分かんねえけど、絶対届けなきゃだめ」
「そうか――」
スタークは決意した。
「モハたちの救出は、現地警察に――」
スタークが言いかけると、オリーヴは、
「エタカ・リーナ山岳に助けに行くの!? だから言ってんじゃん! 金色のなんかへんなのが降りてきて、あそこには行けなくなってるって!」
「金色のヘンなのってなんだよ!?」
「だって、それしか言いようがないもん! 変なのは変なのだよ!!」
「問題ナイ。だいじょうぶ」
マルコが、スタークの肩に、巨大な手を置いた。オリーヴは、三メートル弱の天使たちを見上げて、あんぐり、口を開けた。
「なんだこのイケメン!!」
「私、マルコと言いマス。フィロストラトが、ルナちゃんにお手紙届けます。テッサが、ものすごく羽根が速いので、あなたをフライヤ総司令官まで届けます。よくわかる?」
「分かる!!」
イケメンにヨワいオリーヴは叫び、スタークは「ほんとかよ」と唸った。
「ルナちゃんという子は、サンディ中佐の隊が守って、今、ジュエルス海岸にいるんだね?」
フィロストラトは、手紙を受け取って、位置を確認した。
「うん、栗色の長い髪の子で、ちっちゃくてかわいい子で、軍服着てないと思う。一般人だよ」
天使たちは顔を見合わせた。
「栗色の髪?」
「サンディ中佐が護衛している、一般人――」
「――! もしや、メルーヴァ姫様のことか!?」
急に天使たちは――約二名だが、騒然とした。テッサとフィロストラトのあいだで、「わたしが行く」だの「僕が頼まれた」だのとケンカが始まったので、マルコが一喝した。
「フィローがメルーヴァ姫さま、テッサがフライヤさまだ。決めたとおりに従え!」
天使にも上下関係はあるらしい。マルコの指示に、ふたりはしぶしぶ従った。
テッサは、片手にオリーヴ、片手にオリーヴのバイクをつかんだ。それを呆気にとられた目で見ているのはスタークのみ。
「ウッヒョオ!」
テッサにお姫様抱っこ――横抱きではなく片手で抱きかかえられたオリーヴは、歓喜の声を上げたが、すぐに絶叫にとってかわられた。
「ウッ――ギャー!!!!!」
天使という名のジェットコースターは、障害物のまったくない空中を、閃光のようにまっすぐ、飛んで行った。オリーヴの体感速度は、時速百二十キロはあったかもしれない。
「早いデショ?」
マルコがニコニコ笑って言うと、スタークも絶叫した。
「俺を抱えて、あのスピードで飛ぶなよ!?」




