41話 カサンドラ Ⅱ 3
「ぼ、ぼくも行っていいの」
「いいんだよ。あっちは四人、こっちも四人。頭数あわせなきゃ」
ミシェルがロイドの肩を叩く。それは陽気に、ご機嫌で。
ロイドは慌てふためいていた――こっちも、生まれてこのかた、彼女なんてできたためしはないらしい。
最初の気弱はどこへやら、クラウドは飲み会にすっかり乗り気だ。ミシェルもどうやらそっち方面はご無沙汰だったようで、うれしそうだ。
(うまくいったと、考えていいのか)
なかば戸惑い気味なのは、アズラエルだけだった。トントン拍子に話が運ぶことに、ちょっと気味悪さを感じていたことも事実だ。
結局、カレンは「ジュリとつきあってるからパス」だったし、ルートヴィヒは、その日、別の集まりがあって断られた。
「美人ぞろいだって? サイコーだな」
「でも――ぼ、ぼく――」
ぼくを気に入ってくれる女の子がいるわけない、と顔を真っ赤にして戸惑っているロイドに、
「勇気を出すんだよ、ロイド」
ミシェルがロイドの肩をたたいた。
「この宇宙船に乗って、生まれ変わるんだって言ったじゃないか。引っ込み思案で、いじめられっ子のロイドはもういないんだ」
「う――うん」
「たかが飲み会だけどな」
ラガーの店長がそういって笑った。
「アンタは生まれ変わるよ。“裏切られた保育士”」
不気味な声に、やかましい店内のなかで、ミシェルたちのテーブルだけが凍りついた。
「一番背の高い、変わった化粧の子に話しかけてごらん。彼女が運命の相手だ。――ずっと、裏切られ続けてきたんだねアンタは。だから怯えている。でももうだいじょうぶだ。この宇宙船はあんたに幸福を運んでくれる。彼女は、アンタをまるごと包み込んでくれる。“エキセントリックな子ネコ”を離すんじゃないよ」
もう関わるなと言ったはずだ――アズラエルがすごもうとしたのを、ミシェルが片手で止めた。
「俺の裁判は勝つか、負けるか。どっちだい」
カサンドラは、嬉しげに指をさす。
「それは、“美容師の子ネコ”次第だね」
「いったいだれだ、それは」
「おまえさんたちがこれから会う、四人の中の一人だよ。彼女を大切におし。彼女はおまえさんの運勢を底上げする女神みたいなものだ」
「これから会う相手に、その子がいるんだな」
「アンタの運勢は大凶だ」
カサンドラの恐ろしげな声に、ミシェルの頬は神経質にひきつった。
「アンタの命運を底なしに下げているのは、その裁判に対する強いこだわりだ。過去を消しきれない悔やみが、おまえさんの運勢を下げている。彼女を大切にしなければ、たとえどんな強い傭兵を雇ったところで、裁判に勝ったところで、おまえさんは死ぬだろう。裁判の一年後に」
ミシェルは、「バカらしい!」と鼻を鳴らした。
「席を変えよう! 酒がまずくなる」
スーツの上着を引っ掛け、席を立った。
「カサンドラ」
クラウドが、悲しげに言った。
「どうしてそんなふうに言ってしまうの。みんな怒るよ」
「あたしはカサンドラだからさ。――どうせみんな、信じやしない」
クラウドは、深く、うなずいた。
「カサンドラって、名前の通りだったんだね」
「そのとおりさ。その名前はあたしが自分に、自分でつけた。あたしにはぴったりだ」
カサンドラは、曲げた背の中で胸を張った。
「さいごの忠告だよ、あんたには。アンタは、“ガラスで遊ぶ子ネコ”を大切にするだろう。でも大切にしすぎちゃいけない」
クラウドは、困った顔で首をかしげた。
「どうして?」
「彼女は、アンタを一番に愛さないからさ」
クラウドの顔が、さあっと青ざめた。
「仕方のないことなんだよ。アンタのその一途過ぎる思いが、彼女を困らせる」
「ミシェルは、だれかほかに好きな人がいるの」
「彼女が一番に愛しているのが人だったら、まだ救いはあったろうさ」
カサンドラは、指をさした。
「彼女が恋しているのは“ガラスの芸術”という名の、自分の才能だ。無理もない。彼女は、L系惑星群で名をとどろかす著名な芸術家になる。この宇宙船に乗ったのがきっかけでね。おまえさんが愛したのはふつうの女じゃないんだよ」
「でもミシェルは……俺を愛するんだろ?」
「そのとおりさ。でも、おまえさんは、おまえさんが愛するほど彼女が自分を愛していないのを知って、苦しむことになるだろう」
クラウドは、本格的に顔をゆがめた。声をあげて泣きそうな顔だ。
「もうやめてあげて」
ロイドが悲鳴のような声を上げた。
「クラウドを傷つけないでよ」
カサンドラは、喉を鳴らして笑った。かすれた変な音がした。
「あたしは忠告しているのさ。おまえさんは、彼女を縛りつけてはいけない。そうすれば、彼女の心は離れていく。それがわかっていれば、きっといい方法がみつかるさ。――でも、あたしの言葉は、だれも信じない」
「俺は信じるよ」
クラウドが、涙をぬぐって言った。
「カサンドラ」
「なんだい」
「君は、どうして、カサンドラと名乗り始めたの」
「おまえさんが思っているとおりさ」
「俺は――」
クラウドは、
「君がカサンドラなら、信じなきゃいけないと思う」
カサンドラは大声で笑った。しかし、その大声も、このバーの喧噪の中では、声から声の中に消える。
「サルーディーバを、この宇宙船に乗せてはいけない」
サルーディーバの名に、アズラエルの目がギラリと光った。カサンドラは続ける。
「あたしは、サルーディーバをこの宇宙船に乗せてはいけない。そう言った。……何度も、何度もだ。そうすればL03は滅び、やがて、L系列惑星群に大きな変革が起こる。あたしは何度もそう言った――でもだれも信じやしなかった。サルーディーバがL03を害することなど。皆そういう。あたしを信じないのは、あたしがカサンドラだからさ」
「さ、サルーディーバって、……」
ロイドが青ざめた顔で言った。
「え、L系列惑星群が滅びちゃうの……?」
「惑星群が滅びるかどうかはまではね。でも、その一歩手前まではいくだろう。大きな変革は起こる」
カサンドラは言う。
「もう遅いさ。サルーディーバはこの船に乗った。“孤高のトラ”も。……“月を眺める子ウサギ”も、だ。もう手遅れだ。ただひとつの望みは、“月を眺める子ウサギ”と、サルーディーバを会わせないことだ。それが最後の希望だね」
「その二人を会わせなければ、だいじょうぶなの」
「アンタもあたしを信じるのかい」
カサンドラの言葉に、ロイドは思わず目をそらした。あまりにも青白い痩せた顔を、フードの奥に認めて、怖くなったのだ。
「あたしは“傭兵のライオン”にたっぷりいただいたからね。それに見合うだけの忠告はしてあげた」
「あれは、手切れのつもりだ」
アズラエルは苦々しく言った。
「別になにも頼んでねえ」
そこまで答えて、アズラエルは、カサンドラが“アズラエルの名”を呼んでいなかったことに気づき、ヒヤリとした。
彼女は、アズラエルをなんと呼んだ?
「そうかい? あたしからすれば、おまえさんが一番不幸だがね」
カサンドラは、楽しげに言った。
「……アンタは、恐ろしく古いのろいにタマシイが縛られている」
アズラエルの形相が変わっていくのに、ロイドが怯んだ。
「アンタは怯えているのさ。月の女神にまた拒絶されはしないかと――また、失いはしないかと」
店中に響いた殺気と、バネがしなるような音。
女のフードのはしが、壁に縫い付けられていた。恐ろしい刃渡りの、アズラエルのナイフで。
「次は眉間だ。……ここから去れ」
カサンドラは怯えもせず、笑いながら言った。
「この船は魔境だよ」
――予言は予言、見えぬものなどなにもない。
この船は魔境だ。縁の糸が張り巡らされた、不可思議な魔境だよ――。
笑いながら、ひょこひょこと足を引きずっていくカサンドラを、気味悪げにひとびとが避けていく。
「この船は、重犯罪者は入れなくても、イカれたやつは入れるんだな」
ミシェルがもどってきていた。よほど気分が悪かったのか、ウィスキーをストレートで浴びている。
「カサンドラ」
クラウドがひとりごとのように、つぶやいた。
「地球の古い神話に出てくる、悲劇の女性だよ。彼女は、太陽神アポロンに見初められて、彼の愛を受け入れるのとひきかえに、予言の力を手に入れる。けれど、その予言の力のせいで、アポロンの愛が冷めて、自分の元から去っていくのがわかってしまうんだ。そして、彼女は彼を拒絶した。その拒絶に怒ったアポロンは、彼女の予言を、だれも信じないようにしてしまうんだ。そのせいで、だれも彼女のことは信じない。トロイ戦争のとき、兄のパリスが敵国の妻、ヘレーネを奪ってきたときも、これが戦争を引き起こすのだと忠告しても、だれにも信じてもらえなかった。彼女の予言は本物だ。だれも彼女を信じなかったから、彼女の国、トロイは戦争に負けて滅ぼされてしまうんだ」
「……ひどい話じゃないか」
ロイドが言った。
「彼女も、その後、敵国の王に連れていかれて、その国で、王と一緒に殺されてしまう」
「まさか同情でもしてるんじゃないだろうな?」
ミシェルがクラウドに向かって、吐き捨てるように言った。
「あの気味悪い占い師に?」
「カサンドラって名前、自分でつけたって言ってたよね」
クラウドは悲しげにうつむいた。
「似たような経験をしたから、そんな名前を自分につけたんだ。あの子は、ずっと捕らわれの身だった――おそらくは」
ロイドが、思わず口を手で覆った。
「あの子? あの子って、おばあさんじゃないの」
クラウドはロイドを見て、苦笑した。
「怖くてちゃんと顔を見ていないんだね。あの子は俺たちより年下だよ。まだ二十歳前後だと思う。……素顔はとても美しい子だよ」
「なんでわかる」
ミシェルが食ってかかった。さっきのカサンドラの言葉がよほど腹にすえかねたのか。カサンドラをかばうクラウドが気に入らないのか。
「俺はL18の心理作戦部にいた。変装していても、整形していても見破れる。肌や、髪質、立ち居ふるまいから、年齢や、どんな場所で暮らしてきたかも大体分かるんだ。あの子は変装も整形もしていない。病が、顔色を変えているだけだ。すぐわかる」
「捕らわれって――」
「それは知らない。でも、彼女の手足は萎えている。病もある――もう、長くないだろう」
クラウドは首を振った。泣いているのはあきらかだった。
「もう悪く言わないで。彼女のことを。どうせ、もう俺たちの前には現れない」
「そうだな。もう死ぬだろうしな」
アズラエルの残酷な言葉に、クラウドは顔を上げてアズラエルを睨んだ。
「死んでしまうの?」
ロイドも驚いていった。
「……あの様子じゃもうひとつきともたない。彼女の体からは死臭がした。ほんとうなら、生きているのも不思議なくらいだ。なにか、よっぽど強い思いが彼女を支えているんだ」
クラウドは鼻をすする。
「どうして彼女がこの宇宙船に乗ったのかはわからないけど――俺だけは、彼女を看取ろうと思う。きっと、彼女もあきらめずに生きているんだ。そして、なにかのついでとはいえ、俺にミシェルの居場所を教えてくれた。彼女は全身全霊で、俺に、あきらめるなと言ってくれているようだ。俺は――そうする。俺は、――マリアンヌの、彼女のそばにいてあげたいと思う。せめて、永久に眠るときだけは」
クラウドは立ち、泣きながら、カウンターに向かった。ラガーの店長に、カサンドラの居住区を聞きに行ったのだろう。
「マリアンヌだと」
ミシェルが言った。
「本名か。どうしてわかった」
アズラエルは、聞かれたから答えた。
「それを聞くのか。探偵失格だぜミシェル。あの女のつけてたネックレスは名前が彫られたロケットだ。マリアンヌ・S・デヌーヴ。盗品でなきゃ、やつの本名だな」
ふと、アズラエルは、テレビに目を吸い寄せられた。だれも見ていないし、このにぎやかさの中では、音もかき消されてしまっていた。
『……次のニュースです。L03の革命は、こう着状態のまま、動きはありません。先ほど、L03の高官三名が、L05への亡命に成功しました。首謀者、メルーヴァ・S・デヌーヴの行方は、まだ不明です。現地の情報も、まったくと言っていいほどわかっておりません。L03は昨年より、他星からの入星を拒み続けています。取材も受け入れられません。当局は、L04で待機したままです、L04にいる現地の……さん……、』
テロップが流れていく。客のひとりが、番組を変えた。ミシェルも、ロイドも、このニュースが耳に入ってくることはなかった。クラウドとアズラエルだけが、それを見ていた。
「湿った話はやめだ。一週間後には、クラウドはミシェルちゃんと会える! 俺も久しぶりに彼女ができる! ――しれない。ロイドにもな」
「ぼ、ぼくは、生まれてはじめてだけど」
「そりゃめでたいな! ロイドに初めての彼女か! いいシャンパンあけようぜ!」
不自然なくらいはしゃいだミシェルに、ロイドは少し元気を取りもどして笑い――アズラエルはウィスキーを呷って、ミシェルと一緒に、ラガーにある一番いいシャンパンを品定めに向かった。
アズラエルは傭兵だ。
いつもなら、ウィスキーが喉を通るのと一緒に、カサンドラのことは頭から一掃していたはずだが、妙に、喉に引っかかってつかえた。
――予言は予言、見えぬものなどなにもない。
『見えたものをどうとるかは、予言師次第なのです』
あれはメルーヴァが言ったのだったか、サルーディーバが言ったのだったか。
いずれ泣く羽目になると、何度も言ったのに、あのバカは聞かなかった。自業自得だ。クラウドは、カサンドラを看取るとき、俺がついて行くのか、ミシェルがついて行くのかはわからないが、仕方がないから、奴が泣き伏すなら、胸ぐらい貸してやろうかと、アズラエルは思った。
(俺も大概、お人好しだ)




