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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~決戦篇~
849/930

345話 マリアンヌの日記 1


 地球行き宇宙船の中央区役所、派遣役員執務室でも、やっと攻撃が止んだ様子に、ほっと胸を撫で下ろしたときだった――急に、スクリーンの画像が切り替わった。


「――!?」


 画面は、一瞬にしてブツリと切れ、黒い画面が数秒つづいたあと、乱れた画像が徐々に、全貌を表した――その姿が、鮮明に見えたときには、クラウドも、さすがに目を見張った。


『おや』

 画面の中の男は、すぐさまクラウドを見つけて、笑みを浮かべた。

『そこにいるようだな。クラウド軍曹――呼ぶ手間が省けた』


 画面の向こうにいるのは、ユージィンだった。

 背景は、L18の心理作戦部B班の隊長室――よく見れば、大勢の隊員が、背後に拘束されている。


「なんだ、なにが起こった! 今度はなんだ」

 だれかが叫んだが、チャンが「静かに」とたしなめた。

「――L18の心理作戦部です」

「なんですって」

 管理官が、「いったい、どういうことです?」と言ったが、今はだれにも説明しているヒマはなかった。


 クラウドは、ユージィンに銃を突きつけられている男を見て、思わず叫びそうになった。


(エーリヒ!?)


 隊員たちを拘束し、周囲を固めているのは、見知った、A班の隊員たち――ユージィンが、エーリヒの背中の生地をつかんで、銃を突き付けている。

『クラウド、たすけて』

 エーリヒが、画面向こうで、無表情のまま両手を上げていた。


 あそこにいるのは何者だ。エーリヒはたしかに、まだ船内にいる。


(まさかエーリヒが、心理作戦部に影武者を残してきたとは)


 クラウドは、小声で隣のチャンに告げた。

「(チャン、エーリヒに連絡して。しばらく、ここには来ずに廊下かロビーで待機)」

 チャンはかすかにうなずき、すぐ執務室を出ようとしたが、ユージィンが、「だれも動くな!」と叫んだ。


 実は、エーリヒは、執務室の外で様子を伺っていた。入ろうとしたら、ユージィンの声が聞こえ、なにやら「予想していた」事態が起こっているようだったので、入るのをやめただけだ。

 ドーソンが、メルーヴァ軍の支援をしているだろう予測はついていた。

 だから、メルーヴァ軍の攻撃に乗じて、ユージィンは動くのではないか。

 エーリヒは、そう思っていた。


『データを送る。“マリアンヌの日記”を読め』


 エーリヒが予想していた言葉とそっくり同じだったので、彼はガッツポーズを決めた――ひとりでこっそり。

 ユージィンが手にした短銃の銃口が、エーリヒのこめかみにめりこんだ。エーリヒはそれを見て、自分があそこにいるわけでもないのに「あいてて」と小声で言った。


『貴様を心理作戦部に招いた、大恩ある隊長を裏切るほど、情ではないだろう』

 ユージィンは(わら)った。

(あれは、B班のだれかか?)

 エーリヒでなくとも、クラウドはみすみす見捨てる気はなかった。

「分かった。読もう」


「みなさん、どうか、冷静に」


 クラウドは言った。メルーヴァ軍の攻撃に引き続き、執務室の彼らには、理解できない状況がつづいている。

 彼らは、自分のデスクで、息がつまりそうな空気を耐えた。

 ここにいる彼らが、銃を突きつけられているのではない。だが、ユージィンの鬼気迫る双眸(そうぼう)は、だれも逆らえないような気迫を宿していた。


『送れ!』


 ユージィンの怒号で、A班の隊員が、コンピュータのまえに座る。彼は言った。


『送り先は?』


 クラウドは、自分の研究所コンピュータのアドレスとパスワードを口にした。

 送信が、始まった。クラウドの手元の携帯端末に、コンピュータへのデータ移送記録が表示された。ずいぶんなファイル量だ。やっと、3パーセントのファイルが転送された。


『一日、時間をやる。すべて解読して、内容を伝えろ』

「――わかった」


 ユージィンは、ついに追いつめられた。

 クラウドしか読めないようにつくられたディスク。それは、単に圧倒的な速読力と暗記の力が必要なだけではなく、日記を読んだうえで、その中から、ユージィンの望む事実を推理する者でなければ意味がない。

 それゆえに、クラウドにしか解読できないのだ。


『決して余計な真似はするな。おかしな真似をすれば、隊長の頭蓋だけでなく、貴様らが乗っている宇宙船にも大穴があくぞ』


 執務室に残った役員の顔に、はっきりと、恐怖の色が浮かんだ。ユージィンの言葉は、バレハだけでなく、もっと攻撃力の高い戦艦が用意されていると、言外に告げていた――その宇宙船は、すでに拿捕(だほ)されていたが、執務室の彼らはまだ知らなかった。


 クラウドだけが、執務室を出ることを許された。執務室を出ると、エーリヒが、無表情でウィンクしてきた。


「エーリヒ、ここにいたのか」

「状況は分かった――それで、君はどこへ?」

「決まってるだろ、俺の“遊び場”へ」

「私も行こう」


 クラウドとエーリヒは、シャインをつかって、K29区にある、自分の研究室へ向かった。

 化学センターは、すでに職員が避難済みで、pi=poだけが起動している。

 まだ、生体認証システムは動く。ふたりはいくつかの扉を抜け、研究室へ入った。クラウドの相棒であるキックが、特別緊急保護機能アクトⅢを起動して、研究室を守っていた。


「よう、キック、おつかれさま」

『マスターも、ご機嫌がよろしいようで』


 最近は、キックもなんだか流ちょうな会話をするようになってきた。ぜんぶちこたんのせいだ。

 クラウドがモニターの前に座ると、データの送信が、すべて完了していた。

 ついに、マリアンヌからもらったパスコードをつかうときが来た。


「これが、“マリアンヌの日記”の本ディスクかね」


 九つの画面中央には、「データ送信完了」の文字が点滅している。

 すでに、前半六冊分は消えている。だが、エーリヒがコピーしてきたディスクで、その内容はチェック済みだ。


「この中に、L18の滅亡を回避する予言が隠されているか、否か――」

 エーリヒはつぶやいた。

「私にも、興味深い内容だ」

 

 クラウドは、データ再生のキーを押した。

 ジャータカの黒ウサギのイラストが、表示された。

 クラウドには見慣れた絵だった。ZOOカードに描かれたイラストだ。カードのイラストは、ぜんぶマリアンヌが描いたものだった。


『このディスクは、一回しか再生できません。パスワードがあれば、IDを入力しなくても途中で一時停止ができます。一時停止は三回だけです。よく覚えていてね』


 黒ウサギがにっこりと笑った。その画面で画像が停止する。イラストの下に、文字が浮かび上がった。


『IDを入力してください』


 IDと、パスワードを入力するスペースが表れた。

 クラウドは、マリアンヌとの最期の別れのときを、思い出していた。


『――そうだよ。真実をもたらすライオン。おまえさんには大切な役目がある。いくらガラスの子ネコがL系惑星群で著名な芸術家になると決まっていても、L系惑星群が滅びてしまったら、なんにもならないだろう? 芸術どころではないさ』


 あのとき、ミシェルに嫌われてしまったとこぼしたクラウドを、カサンドラは――マリアンヌは、慰めてくれた。

 自分が、今にも死ぬかもしれないというときに。


『おまえさんがいなければ、L系惑星群は滅びてしまうんだよ? おまえさんがもたらす真実が、ひいてはL系惑星群を救うことになる』

『俺が?』

 クラウドには、まだ分からなかった。

『でも俺、なにも――真実なんて、知らないよ?』


 ――ほんとうに、あのときは、なにも知らなかった。


(そうだよ、マリー)


 予想もしなかったことが、クラウドの身に起きようとしている。


『いずれわかる。おまえさんにしかできないことが必ずある。そう――あたしはね、きっと、真砂名の神にあんたに出会うように導かれた。あんたにあってから、ラガーに行けと言う啓示はなくなった。だからもうこうして、ゆっくり寝てられるんだけどね』

 カサンドラは、咳き込みながら、最後までクラウドに伝えた。

『さあ――あたしはもう眠るよ。マリアンヌもね。あたしたちの役目は終わった』


(マリー)

 クラウドの、キーを押す手が震える。

(俺は、最後まで、読めるだろうか)


『さよならだクラウド。――最後のおみやげだ。あんたなら覚えられる。紙に書いちゃいけない。頭の中で、ちゃんと覚えておくんだよ――』


『船大工の兄』、『船大工の弟』、『夜の神』、『月の女神』――。


 パスワードは、――マ・アース・ジャ・ハーナ。


(マリー)

 クラウドは、ごくりと、息をのんだ。

(俺を守ってくれ。応援してくれ)

 そして。

(真実をもたらすライオン、ここが正念場だぞ)


 クラウドは、一気に、IDと、パスワードを打ち込んだ。


 九つのモニターに、一斉に文章が流れ出した。





「く、は……っ!」


 クラウドは、今朝からなにも食べていなくてよかったと思った。胃液だけが逆流し、喉を焼いた。

 点滅している画面は、無情にも、まだ三分の二以上あることを知らせている。

 頭が割れそうに痛い。クラウドは用意していた頭痛薬と、脳を休ませる薬と、活性化させる薬を同時に飲んだ。


「クラウド、なにか私にできることはあるかね?」

 エーリヒは今のところ、まったくもって役立たずだった。エーリヒに支えられて、クラウドは椅子にもどった。

「たすかったよ、君がいてくれて――水を持ってきてくれ、頼む」

 キックはここを離れられない。

「承知した」

 エーリヒはすぐさま、部屋を出た。


(がんばれ――あと、すこしだ――)


 クラウドは自分に言い聞かせて、画面を睨んだ。そのとたん、ぐらりと視界が揺れた。

 床に血の滴が落ち、それが自分の鼻から出た血だと気付いたときには――クラウドの視界は逆転していた。

 彼は椅子から転げ落ち、天井を見上げていた。


(ちくしょう――!)


 クラウドは、白目を剥いたまま、意識を失った。


(――クラウド!)


 マリアンヌは、エタカ・リーナ山岳の風雪にさらされながら、クラウドの祈りを聞いていた。そして、――彼がついに、倒れてしまったことにも涙を流しながら。


(クラウドお願い! がんばって――どうか)


 マリアンヌは、出ない声を振り絞り、ZOOカードを起動した。


「“防御(ディフェンサ)”――“未来(フトゥロ)”――“幸運(ブエナ・スエルテ)”」


 ラグ・ヴァダの武神から身を守る、ありったけの呪文を唱えた。


「“危機(クリシス)” ――“生き字引のライオン”」


 マリアンヌの術を邪魔するかのように、ラグ・ヴァダの武神の黒いもやが、次々と襲いかかってくる。だが、マリアンヌを守る虹色の光が、それを弾いた。


「クラウド・A・ヴァンスハイト――リカバリ、“原初(オリヘン)”――“生き字引のライオン”!」


 銀色の閃光が、マリアンヌのZOOカードから、地球行き宇宙船めがけて迸った。





 クラウドは、はっと飛び起きた。彼の名を呼んでいたのは、エーリヒだ。


「だいじょうぶかね、クラウド!」

(――エーリヒじゃない)


 たしかに、いま、クラウドの名を呼んでいたのはマリアンヌだった。


「血が、止まってる……」


 クラウドは、鼻に手をやった。血は止まっていた。

 頭痛がない。弾けそうだった頭の痛みが、すっかりなくなっている。

 不思議だった。

 もう「容量がない」状態だった脳のスペースが、無限大に広がった気がした。今まで、地球クラスの容量だったものが、銀河系くらいのスペースに拡大されたように。


「――これなら、入る」


 脳内の広大な銀河系図書館の中に、マリアンヌの日記は、書籍一冊にも満たない。


「もうだいじょうぶなのかね!?」


 エーリヒの言葉も聞こえず、クラウドは、画面にかじりつくように椅子に座り、再生キーを押した。


 クラウドは、生まれ変わったように、頭を押さえてうずくまることもなく、鼻血を出すこともなく、画面を見続けた。


 すさまじいスピードで流れる文章を見ていたエーリヒのほうがくらりときて、頭を振って頭痛薬を飲むしまつだった。


 クラウドはもはや、一時停止のパスはつかわなかった。


 文章はあっというまに流れては消えていく――クラウドの脳内に、彼の眼球を通じて、データの移送が行われていた。


 そして、最後から、二番目の話に突入したとき、クラウドの表情が変わった。


 彼はここで、最後の、一時停止キーを押した。

 停止されたので、その画面は、エーリヒも見ることができた。


 童話の一話一話に、マリアンヌが描いた絵の表紙がある。

 最後から二番目のこの表紙は、いままでで一番、登場人物が多かった。

 ライオンにトラ、ネコにウサギ、犬たちが、軍服を着て、校舎のまえで記念写真を撮っている絵だった。

 そして、その校舎の門には、はっきりと、「アカラ第一軍事教練学校」の文字が。


「これは」エーリヒが、つぶやいた。「これは、アカラの、」


「――そういうこと、だったのか」


 クラウドは、ようやく理解した。

 滅びの予言などは、やはり、一文たりとも日記にはなかった。けれども、クラウドが見たものは、たしかに――ドーソンの滅びを確定させるものだった。

 マリアンヌが見せたかったのは、おそらく、この最後から二番目の童話だったのだ。


 ――「第二次バブロスカ革命」の童話。


(長かったな)


 あまりにも長く、壮大な物語だった。――しかし、一瞬であったような気もした。

 クラウドは、ふたたび再生した。

 読み進めるうち、涙が頬を伝っていくのを、クラウドは止めることはできなかった。

 そこには、かつてのクラウドの存在もあった。今と同じ名前を持ち、今そばにいる仲間とともに、生きた記録が。

 これはきっと、クラウド自身の「リハビリ」でもあった。


(終わった)


 ディスクは最後まで再生された。

 クラウドが最後に読んだ話は、先日ルナが夢に見た、リサが母親だったとき、タヌキのような詐欺師にだまされ、逃げる途中で事故にあって死んだ、という内容だった。

 ディスクの再生が終わり、画面はプツリと、かすかな音を立てて切れた。


「終わったのかね」


 エーリヒの目も、充血していた。ふたりは、ほとんど丸二日、寝ていない。


「エーリヒ」

 クラウドは、流れ落ちる涙を止めることもなく、言った。

「ユージィンにすべてを告げるまえに、しなきゃならないことがある」

「なにかね?」

「グレンを呼ばなきゃ」





 そのグレンは、ちょうど中央区役所のスクリーンをユージィンがジャックした時間、アストロスに降りるために、ラウとともに、K15区の玄関口に移動したところだった。


「なんだと? 宇宙船にもどれ?」


 エーリヒが、クラウドより先に中央区役所に着くと、すっかりひとがいなくなったロビーに、ベンが待機していた。

 ベンは、エーリヒの姿を認め、敬礼した。


「君、アストロスでの任務は」

「はい。ライアンとメリー、ルパートは、バーダン・シティの避難所にいます。緊急事態でしたので、宇宙船にもどりました」


 アンダー・カバーは、動かなかったということか?

 エーリヒは、多少引っかかるものを感じたが、うなずいた。


「まあ、ひとりでも人手が欲しいところだ。グレンが今、ここに来る」

「グレン少佐が」


 エーリヒが、一瞬でも違和感のある視線を向けたので、ベンはだまった。だが、エーリヒでさえも、この時点で、「ベンの正体」を見抜くことができなかったのである。


「彼がもどり次第、ボディガードにつきたまえ」

「はっ!!」


「おい、いったいどういうことだ、作戦に変更が?」


 グレンが、廊下先のシャイン・システムから飛びだしてきた。エーリヒは、グレンの顔を見たとたん、告げた。


「君、カギは所持しているかね?」

「カギ?」


 グレンは咄嗟(とっさ)のことで不審な顔をしたが――すぐに分かった。いつも、財布代わりのワレットに入れているカギのことか?

 いつだったか、「OB企画」というところから、グレンに送られてきた。


「持っているが」

「それを持って、真砂名神社に向かいたまえ。至急だ」

「真砂名神社……」


 グレンは、百五十六代目サルーディーバが言った言葉を、思い出した。


『いよいよ、さだめは動き出す。百三十年の時を経て。――グレン君。忘れてはいけない。君の役目は、終止符を打つことだ』


 ――カギを、大切にね。


 グレンが、無意識にそれに手をやると、エーリヒは言った。


「グレン、終止符を、君の手で打つときが来たのだ」




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