345話 マリアンヌの日記 1
地球行き宇宙船の中央区役所、派遣役員執務室でも、やっと攻撃が止んだ様子に、ほっと胸を撫で下ろしたときだった――急に、スクリーンの画像が切り替わった。
「――!?」
画面は、一瞬にしてブツリと切れ、黒い画面が数秒つづいたあと、乱れた画像が徐々に、全貌を表した――その姿が、鮮明に見えたときには、クラウドも、さすがに目を見張った。
『おや』
画面の中の男は、すぐさまクラウドを見つけて、笑みを浮かべた。
『そこにいるようだな。クラウド軍曹――呼ぶ手間が省けた』
画面の向こうにいるのは、ユージィンだった。
背景は、L18の心理作戦部B班の隊長室――よく見れば、大勢の隊員が、背後に拘束されている。
「なんだ、なにが起こった! 今度はなんだ」
だれかが叫んだが、チャンが「静かに」とたしなめた。
「――L18の心理作戦部です」
「なんですって」
管理官が、「いったい、どういうことです?」と言ったが、今はだれにも説明しているヒマはなかった。
クラウドは、ユージィンに銃を突きつけられている男を見て、思わず叫びそうになった。
(エーリヒ!?)
隊員たちを拘束し、周囲を固めているのは、見知った、A班の隊員たち――ユージィンが、エーリヒの背中の生地をつかんで、銃を突き付けている。
『クラウド、たすけて』
エーリヒが、画面向こうで、無表情のまま両手を上げていた。
あそこにいるのは何者だ。エーリヒはたしかに、まだ船内にいる。
(まさかエーリヒが、心理作戦部に影武者を残してきたとは)
クラウドは、小声で隣のチャンに告げた。
「(チャン、エーリヒに連絡して。しばらく、ここには来ずに廊下かロビーで待機)」
チャンはかすかにうなずき、すぐ執務室を出ようとしたが、ユージィンが、「だれも動くな!」と叫んだ。
実は、エーリヒは、執務室の外で様子を伺っていた。入ろうとしたら、ユージィンの声が聞こえ、なにやら「予想していた」事態が起こっているようだったので、入るのをやめただけだ。
ドーソンが、メルーヴァ軍の支援をしているだろう予測はついていた。
だから、メルーヴァ軍の攻撃に乗じて、ユージィンは動くのではないか。
エーリヒは、そう思っていた。
『データを送る。“マリアンヌの日記”を読め』
エーリヒが予想していた言葉とそっくり同じだったので、彼はガッツポーズを決めた――ひとりでこっそり。
ユージィンが手にした短銃の銃口が、エーリヒのこめかみにめりこんだ。エーリヒはそれを見て、自分があそこにいるわけでもないのに「あいてて」と小声で言った。
『貴様を心理作戦部に招いた、大恩ある隊長を裏切るほど、情ではないだろう』
ユージィンは嗤った。
(あれは、B班のだれかか?)
エーリヒでなくとも、クラウドはみすみす見捨てる気はなかった。
「分かった。読もう」
「みなさん、どうか、冷静に」
クラウドは言った。メルーヴァ軍の攻撃に引き続き、執務室の彼らには、理解できない状況がつづいている。
彼らは、自分のデスクで、息がつまりそうな空気を耐えた。
ここにいる彼らが、銃を突きつけられているのではない。だが、ユージィンの鬼気迫る双眸は、だれも逆らえないような気迫を宿していた。
『送れ!』
ユージィンの怒号で、A班の隊員が、コンピュータのまえに座る。彼は言った。
『送り先は?』
クラウドは、自分の研究所コンピュータのアドレスとパスワードを口にした。
送信が、始まった。クラウドの手元の携帯端末に、コンピュータへのデータ移送記録が表示された。ずいぶんなファイル量だ。やっと、3パーセントのファイルが転送された。
『一日、時間をやる。すべて解読して、内容を伝えろ』
「――わかった」
ユージィンは、ついに追いつめられた。
クラウドしか読めないようにつくられたディスク。それは、単に圧倒的な速読力と暗記の力が必要なだけではなく、日記を読んだうえで、その中から、ユージィンの望む事実を推理する者でなければ意味がない。
それゆえに、クラウドにしか解読できないのだ。
『決して余計な真似はするな。おかしな真似をすれば、隊長の頭蓋だけでなく、貴様らが乗っている宇宙船にも大穴があくぞ』
執務室に残った役員の顔に、はっきりと、恐怖の色が浮かんだ。ユージィンの言葉は、バレハだけでなく、もっと攻撃力の高い戦艦が用意されていると、言外に告げていた――その宇宙船は、すでに拿捕されていたが、執務室の彼らはまだ知らなかった。
クラウドだけが、執務室を出ることを許された。執務室を出ると、エーリヒが、無表情でウィンクしてきた。
「エーリヒ、ここにいたのか」
「状況は分かった――それで、君はどこへ?」
「決まってるだろ、俺の“遊び場”へ」
「私も行こう」
クラウドとエーリヒは、シャインをつかって、K29区にある、自分の研究室へ向かった。
化学センターは、すでに職員が避難済みで、pi=poだけが起動している。
まだ、生体認証システムは動く。ふたりはいくつかの扉を抜け、研究室へ入った。クラウドの相棒であるキックが、特別緊急保護機能アクトⅢを起動して、研究室を守っていた。
「よう、キック、おつかれさま」
『マスターも、ご機嫌がよろしいようで』
最近は、キックもなんだか流ちょうな会話をするようになってきた。ぜんぶちこたんのせいだ。
クラウドがモニターの前に座ると、データの送信が、すべて完了していた。
ついに、マリアンヌからもらったパスコードをつかうときが来た。
「これが、“マリアンヌの日記”の本ディスクかね」
九つの画面中央には、「データ送信完了」の文字が点滅している。
すでに、前半六冊分は消えている。だが、エーリヒがコピーしてきたディスクで、その内容はチェック済みだ。
「この中に、L18の滅亡を回避する予言が隠されているか、否か――」
エーリヒはつぶやいた。
「私にも、興味深い内容だ」
クラウドは、データ再生のキーを押した。
ジャータカの黒ウサギのイラストが、表示された。
クラウドには見慣れた絵だった。ZOOカードに描かれたイラストだ。カードのイラストは、ぜんぶマリアンヌが描いたものだった。
『このディスクは、一回しか再生できません。パスワードがあれば、IDを入力しなくても途中で一時停止ができます。一時停止は三回だけです。よく覚えていてね』
黒ウサギがにっこりと笑った。その画面で画像が停止する。イラストの下に、文字が浮かび上がった。
『IDを入力してください』
IDと、パスワードを入力するスペースが表れた。
クラウドは、マリアンヌとの最期の別れのときを、思い出していた。
『――そうだよ。真実をもたらすライオン。おまえさんには大切な役目がある。いくらガラスの子ネコがL系惑星群で著名な芸術家になると決まっていても、L系惑星群が滅びてしまったら、なんにもならないだろう? 芸術どころではないさ』
あのとき、ミシェルに嫌われてしまったとこぼしたクラウドを、カサンドラは――マリアンヌは、慰めてくれた。
自分が、今にも死ぬかもしれないというときに。
『おまえさんがいなければ、L系惑星群は滅びてしまうんだよ? おまえさんがもたらす真実が、ひいてはL系惑星群を救うことになる』
『俺が?』
クラウドには、まだ分からなかった。
『でも俺、なにも――真実なんて、知らないよ?』
――ほんとうに、あのときは、なにも知らなかった。
(そうだよ、マリー)
予想もしなかったことが、クラウドの身に起きようとしている。
『いずれわかる。おまえさんにしかできないことが必ずある。そう――あたしはね、きっと、真砂名の神にあんたに出会うように導かれた。あんたにあってから、ラガーに行けと言う啓示はなくなった。だからもうこうして、ゆっくり寝てられるんだけどね』
カサンドラは、咳き込みながら、最後までクラウドに伝えた。
『さあ――あたしはもう眠るよ。マリアンヌもね。あたしたちの役目は終わった』
(マリー)
クラウドの、キーを押す手が震える。
(俺は、最後まで、読めるだろうか)
『さよならだクラウド。――最後のおみやげだ。あんたなら覚えられる。紙に書いちゃいけない。頭の中で、ちゃんと覚えておくんだよ――』
『船大工の兄』、『船大工の弟』、『夜の神』、『月の女神』――。
パスワードは、――マ・アース・ジャ・ハーナ。
(マリー)
クラウドは、ごくりと、息をのんだ。
(俺を守ってくれ。応援してくれ)
そして。
(真実をもたらすライオン、ここが正念場だぞ)
クラウドは、一気に、IDと、パスワードを打ち込んだ。
九つのモニターに、一斉に文章が流れ出した。
「く、は……っ!」
クラウドは、今朝からなにも食べていなくてよかったと思った。胃液だけが逆流し、喉を焼いた。
点滅している画面は、無情にも、まだ三分の二以上あることを知らせている。
頭が割れそうに痛い。クラウドは用意していた頭痛薬と、脳を休ませる薬と、活性化させる薬を同時に飲んだ。
「クラウド、なにか私にできることはあるかね?」
エーリヒは今のところ、まったくもって役立たずだった。エーリヒに支えられて、クラウドは椅子にもどった。
「たすかったよ、君がいてくれて――水を持ってきてくれ、頼む」
キックはここを離れられない。
「承知した」
エーリヒはすぐさま、部屋を出た。
(がんばれ――あと、すこしだ――)
クラウドは自分に言い聞かせて、画面を睨んだ。そのとたん、ぐらりと視界が揺れた。
床に血の滴が落ち、それが自分の鼻から出た血だと気付いたときには――クラウドの視界は逆転していた。
彼は椅子から転げ落ち、天井を見上げていた。
(ちくしょう――!)
クラウドは、白目を剥いたまま、意識を失った。
(――クラウド!)
マリアンヌは、エタカ・リーナ山岳の風雪にさらされながら、クラウドの祈りを聞いていた。そして、――彼がついに、倒れてしまったことにも涙を流しながら。
(クラウドお願い! がんばって――どうか)
マリアンヌは、出ない声を振り絞り、ZOOカードを起動した。
「“防御”――“未来”――“幸運”」
ラグ・ヴァダの武神から身を守る、ありったけの呪文を唱えた。
「“危機” ――“生き字引のライオン”」
マリアンヌの術を邪魔するかのように、ラグ・ヴァダの武神の黒いもやが、次々と襲いかかってくる。だが、マリアンヌを守る虹色の光が、それを弾いた。
「クラウド・A・ヴァンスハイト――リカバリ、“原初”――“生き字引のライオン”!」
銀色の閃光が、マリアンヌのZOOカードから、地球行き宇宙船めがけて迸った。
クラウドは、はっと飛び起きた。彼の名を呼んでいたのは、エーリヒだ。
「だいじょうぶかね、クラウド!」
(――エーリヒじゃない)
たしかに、いま、クラウドの名を呼んでいたのはマリアンヌだった。
「血が、止まってる……」
クラウドは、鼻に手をやった。血は止まっていた。
頭痛がない。弾けそうだった頭の痛みが、すっかりなくなっている。
不思議だった。
もう「容量がない」状態だった脳のスペースが、無限大に広がった気がした。今まで、地球クラスの容量だったものが、銀河系くらいのスペースに拡大されたように。
「――これなら、入る」
脳内の広大な銀河系図書館の中に、マリアンヌの日記は、書籍一冊にも満たない。
「もうだいじょうぶなのかね!?」
エーリヒの言葉も聞こえず、クラウドは、画面にかじりつくように椅子に座り、再生キーを押した。
クラウドは、生まれ変わったように、頭を押さえてうずくまることもなく、鼻血を出すこともなく、画面を見続けた。
すさまじいスピードで流れる文章を見ていたエーリヒのほうがくらりときて、頭を振って頭痛薬を飲むしまつだった。
クラウドはもはや、一時停止のパスはつかわなかった。
文章はあっというまに流れては消えていく――クラウドの脳内に、彼の眼球を通じて、データの移送が行われていた。
そして、最後から、二番目の話に突入したとき、クラウドの表情が変わった。
彼はここで、最後の、一時停止キーを押した。
停止されたので、その画面は、エーリヒも見ることができた。
童話の一話一話に、マリアンヌが描いた絵の表紙がある。
最後から二番目のこの表紙は、いままでで一番、登場人物が多かった。
ライオンにトラ、ネコにウサギ、犬たちが、軍服を着て、校舎のまえで記念写真を撮っている絵だった。
そして、その校舎の門には、はっきりと、「アカラ第一軍事教練学校」の文字が。
「これは」エーリヒが、つぶやいた。「これは、アカラの、」
「――そういうこと、だったのか」
クラウドは、ようやく理解した。
滅びの予言などは、やはり、一文たりとも日記にはなかった。けれども、クラウドが見たものは、たしかに――ドーソンの滅びを確定させるものだった。
マリアンヌが見せたかったのは、おそらく、この最後から二番目の童話だったのだ。
――「第二次バブロスカ革命」の童話。
(長かったな)
あまりにも長く、壮大な物語だった。――しかし、一瞬であったような気もした。
クラウドは、ふたたび再生した。
読み進めるうち、涙が頬を伝っていくのを、クラウドは止めることはできなかった。
そこには、かつてのクラウドの存在もあった。今と同じ名前を持ち、今そばにいる仲間とともに、生きた記録が。
これはきっと、クラウド自身の「リハビリ」でもあった。
(終わった)
ディスクは最後まで再生された。
クラウドが最後に読んだ話は、先日ルナが夢に見た、リサが母親だったとき、タヌキのような詐欺師にだまされ、逃げる途中で事故にあって死んだ、という内容だった。
ディスクの再生が終わり、画面はプツリと、かすかな音を立てて切れた。
「終わったのかね」
エーリヒの目も、充血していた。ふたりは、ほとんど丸二日、寝ていない。
「エーリヒ」
クラウドは、流れ落ちる涙を止めることもなく、言った。
「ユージィンにすべてを告げるまえに、しなきゃならないことがある」
「なにかね?」
「グレンを呼ばなきゃ」
そのグレンは、ちょうど中央区役所のスクリーンをユージィンがジャックした時間、アストロスに降りるために、ラウとともに、K15区の玄関口に移動したところだった。
「なんだと? 宇宙船にもどれ?」
エーリヒが、クラウドより先に中央区役所に着くと、すっかりひとがいなくなったロビーに、ベンが待機していた。
ベンは、エーリヒの姿を認め、敬礼した。
「君、アストロスでの任務は」
「はい。ライアンとメリー、ルパートは、バーダン・シティの避難所にいます。緊急事態でしたので、宇宙船にもどりました」
アンダー・カバーは、動かなかったということか?
エーリヒは、多少引っかかるものを感じたが、うなずいた。
「まあ、ひとりでも人手が欲しいところだ。グレンが今、ここに来る」
「グレン少佐が」
エーリヒが、一瞬でも違和感のある視線を向けたので、ベンはだまった。だが、エーリヒでさえも、この時点で、「ベンの正体」を見抜くことができなかったのである。
「彼がもどり次第、ボディガードにつきたまえ」
「はっ!!」
「おい、いったいどういうことだ、作戦に変更が?」
グレンが、廊下先のシャイン・システムから飛びだしてきた。エーリヒは、グレンの顔を見たとたん、告げた。
「君、カギは所持しているかね?」
「カギ?」
グレンは咄嗟のことで不審な顔をしたが――すぐに分かった。いつも、財布代わりのワレットに入れているカギのことか?
いつだったか、「OB企画」というところから、グレンに送られてきた。
「持っているが」
「それを持って、真砂名神社に向かいたまえ。至急だ」
「真砂名神社……」
グレンは、百五十六代目サルーディーバが言った言葉を、思い出した。
『いよいよ、さだめは動き出す。百三十年の時を経て。――グレン君。忘れてはいけない。君の役目は、終止符を打つことだ』
――カギを、大切にね。
グレンが、無意識にそれに手をやると、エーリヒは言った。
「グレン、終止符を、君の手で打つときが来たのだ」




