41話 カサンドラ Ⅱ 2
アズラエルは、クラウドに朗報を届けることができた。
ミシェルを見つけたことをクラウドに告げると、クラウドは満面の笑みで、「ありがとう、アズ」と言った。
会えるかもしれないからと、マタドール・カフェに誘ってみたが、もじもじして「どうしようかな……」と煮え切らない返事を返すだけだった。薄気味悪い。
サイファーのこともクラウドに話すと、「なんでアズが助けなかったんだ」と責められた。たしかに、アズラエルが助けたら、会話のキッカケもできただろうに。
しかし、「ふぅん……ミシェルを困らせた男ね。サイファーか……」と記憶に残ってしまったようだったので、アズラエルはサイファーの末路を想像して不憫に思った。
声もかけられないくせに、もう「ミシェル」だなんて恋人気取りだ。
薄気味悪い。二度目。
アズラエルは、その日からマタドール・カフェに通いつめるようになった。
なにしろ、ここは酒も料理も超一級品だった。さもありなん、バーテンダーのデレクはかつてカクテルのコンテストで世界一を取った男で、マスターも同じだった。年代が違うだけで――。
つまり、「世界一」がふたり、この店にいることになる。
次から次へと飲みたい酒が見つかるし、メシはうまいしで、アズラエルはしばらく、「降りようかな」という気持ちが消えていた。
彼を宇宙船につなぎとめた一番の功労者は、マタドール・カフェのマスターとバーテンダーだったということになる。
ある日、アズラエルはK27区のスーパーに立ち寄った。ムスタファ邸からの帰りだったので、スーツ姿で、だ。
このスーパーに寄ったのは理由があった。マタドール・カフェで出されたバゲット・サンドが美味かったので、「どこのパンだ?」と聞いたら、「近くのスーパーのバゲットだよ」と返ってきたからだ。
アズラエルはスーパーのベーカリーで焼きたてのバゲットを買い、店内の陳列棚を見て回った。
(サワークリームと生ハム、オリーブ、黒コショウ……、ブリーチーズとトマトとバジルソースもいいな。タコときゅうりとレモンのオリーブオイル……)
マタドール・カフェで食べたのは、カマンベールチーズと生ハムとクレソンとシンプルだが、メチャクチャ美味かった。
(クレイジーソルトも切れてたな。買っておくか)
陳列棚に置いてある品物も、安くて上質なものが多い。野菜も果実も――。
K36区のスーパーも品ぞろえはいいが、ここは違うものが置いてある。アズラエルはついつい買いすぎてしまった。
そして、レジに向かう通路で、アズラエルは「ルナ」を見かけた。
ルナは陳列棚のまえで、うんうん唸りながらオリーブオイルを選んでいる。しかも、アズラエルが購入したのと同じレモンのオリーブオイルだ。
やがてルナはあきらめてそれを陳列棚に戻し、べつの瓶を手に取った。レモンの風味がついたオリーブオイルだった。
アズラエルが買ったのは、レモンとオリーブを一緒に絞って作るもので、ルナが買ったものはレモンの風味が付いただけのものだ。もちろん、前者のほうが味も値段も上。
このスーパーは、カートに物を放り込んでいけば計算がすんでしまう形の清算ではなく、pi=poの有人レジかセルフレジだった。
人が少ないことも幸いし、アズラエルは並ばずに有人レジを通過し、支払いを済ませ、かごの中身をレジ袋に入れようとしたところで、ふたたびルナを見かけた。
なにか考えごとをしているのか、ネギを持ったまま固まっている。
やっとアズラエルに気づき――おびえたように見えないはずのウサ耳を跳ね上げた。
なんとなく予想はしていたので、アズラエルは肩をすくめただけだったが、ルナはさっきまでのぼんやり加減がウソのように、手早く品物をバッグに押し込み、逃げるように去った――。
「オイオイ……冗談だろ」
ルナはかごの中に、オリーブオイルを忘れていった。
ルナを呼び止め、忘れ物を届けて、ついでにといってはなんだが、自分が買ったオリーブオイルをプレゼントしてきたのは、ほんとうに他意はない。
レモンのオリーブオイルは家にまだあるし、今日はついでに買っただけだった。
それにしても。
「つまらんな……」
それは退屈と同義語。アズラエルは青空を見上げた。
ルナに聞けばよかったかもしれない。
「ミシェルって女の子を知らないか?」と不審者丸出しで聞いて通報されて、宇宙船を降りるのはどうだろうと――かなり不名誉な降り方だが、そんなことまで考えてしまう始末だった。
そういえば。
退屈ついでに、ふと、アズラエルは思いついてしまった。
なんとかミシェルとクラウドをくっつけてしまえば、クラウドは自分がいなくてもよくなるのでは? ――と。
試験の相方も、クラウドはミシェルを選んでくれるのではないか?
そもそも試験というものがほんとうにあるのかも怪しい。
船内はあらかためぐって調査して、この宇宙船がとんでもなく平和で平穏で退屈なのはいやというほどわかった。
試験の有無や内容も、担当役員のバグムントに尋ねたこともあったが、あいつもクラウドに何か言い含められているのか、「まぁまぁ、地球が近くなったら教えるよ。それまでのんびりやってくれ」とごまかされて終わった。
ラガーの店長、ルシアンのカブラギ――マタドール・カフェもそうだった。
なぜかみんな口をそろえて「のんびりやってくれ」という。
「やってられるか……」
アズラエルは小さくぼやいた。
こうなったら本気でミシェルとクラウドが出会えるように、画策しようか。その過程で通報されて降船、ということになってもかまわない――。
考えていたところで、声をかけられた。
「お兄さん、あたしとデートしない?」
振り返って驚いた――リサだった。見間違いようがない。
あの、リサだ。
このあいだ、マタドール・カフェでからまれていた――。
「――俺?」
「ここにはあたしとあなたしかいないけど」
広い駐車場のど真ん中に立っているのは、たしかにアズラエルとリサだけだった。
「さっき、あたしのともだちに声かけてたでしょ」
「あの子のともだち?」
「そう」
アズラエルは後部座席のドアを開けて、荷物を放り込んだ。
「かごのなかにオリーブオイルを忘れてたから、届けただけ」
いうと、リサは分かりやすくガッカリ顔をした。
「なぁんだ……」
ルナならやりそう……とボヤいたところで、
「ね、彼女いる? いないならデートしない? ついでにつきあわない?」
あまりに直球なお誘いに、アズラエルは思わず苦笑した。
「ナンパも度が過ぎると、ヘンなヤツらに狙われるぞ。ギラギラの派手なヤツに、貸し切りの店に連れ込まれるとか」
「――見てたの?」
リサが目を見開いた。
「俺もあのとき、マタドール・カフェにいたんだ」
「そうだったの」
目を丸くして驚いたあと、やたら小声になった。
「あいつ、サイファーっていうの。ここらじゃ有名なヤツで、たぶん詐欺師」
「詐欺師?」
「そう。お見合いパーティー開いて、気に入った女片っぱしから手を付けて、男には、試験のカンニングペーパーを売るの」
「よくそれで、宇宙船を降ろされずにすんでるな」
アズラエルの素直な感想だ。いつもはつかわない表情筋まで使ってにっこり笑い、話を打ち切った。
「それじゃ」
「……ちょ! 待って待って!」
あっさり運転席のドアを開けて乗ろうとするアズラエルの腕を、あわててリサがつかんだ。
「デートくらいいいじゃない」
「ヒマじゃないんだ」
実際はヒマで退屈だったが、アズラエルは断った。前の自分だったら、デートくらいしていたかもしれない。リサは美人だ。それに、積極的なコは嫌いじゃない。だが、アズラエルは、今の自分が、かなり女運が悪いことは自覚していた。
「じゃ、お茶! お茶だけ!!」
リサの執念はけっこうすごかった。
――アズラエルは結局押し負けた。リサの勢いに、というよりか、「もしかしたらミシェルに接近できる?」という期待のせいだ。
「あたしリサっていうの。あなたは?」
「アズラエル」
車は必要なかった。リサに連れていかれたのは、歩いて数分の場所で、リズンでもマタドール・カフェでもなく、古びた外観の喫茶店だった。
驚いたことに、このK27区にあって、客が老人ばかりだ。しかも少ない。ふた組ほどしかいない。
「ここ穴場なの」
リサは季節のパフェと紅茶、アズラエルはコーヒーを注文したところで、リサがさっそくという顔をして、身を乗り出してきた。
「あのさ、飲み会しない?」
「飲み会」
アズラエルが首をかしげると、リサは説明した。
「こっちも四人女の子をそろえるから、そっちも男の子四人そろえてほしいの。それで、いっしょに飲み会しない? お食事でもいいわ」
「男の子……は無理かな」
「男の人、でいいわよ」
リサは言い直した。
「こっちはあたし含めて四人。そっちもアズラエルさんのほかに三人お願い。どう?」
そういわれたアズラエルの頭にすぐ浮かんだのは、クラウドのほかにはミシェルとロイドだった。最近、毎晩のように会っているメンバー。
「……そっちの、リサ以外の三人は、指定できるのか?」
「え?」
「ミシェルって子はいる?」
アズラエルの問いに、リサの顔は一気に不機嫌になった。
「え? アズラエルさん、ミシェル狙いなの?」
「俺じゃない」
この受け答えも何度したことか。
「俺の同乗者で、クラウドってやつが一目惚れしたんだ」
アズラエルが、携帯電話にあるクラウドの写真を見せてやると、リサのただでさえ大きい瞳が倍くらいになって、驚きを素直に表現した。
正しい反応だ。クラウドの顔を見た九割は、そういう顔をする。
「――は!? え? モデル!?」
「残念ながらモデルじゃない。元軍人だ」
「軍人!? ウソでしょ!?」
リサはひとしきり「イケメン」だの「カッコいい」だの「マジレベル高い」だのを連呼したあと、
「わかった。いいわよ。ミシェルは連れてくる。そのクラウドさんってひととうまくいけばいいけど――でもアズラエルさんは、あたしの隣に座ってね」
アズラエルは無言で、次の写真を示した。ミシェルとロイドの写真をだ。
「……」
クラウドほどではなかったが、リサはミシェルの写真を見て固まった。アズラエルとミシェルを見比べ、すごく悩んでいる。アズラエルは、ここまで露骨に品定めをされたのは初めてだったが、不思議と腹は立たなかった。
さんざん悩んだリサが、おずおずと尋ねてきた。
「――このひと、どういうひと?」
「ミシェル・K・ベネトリックス。L54出身。身長は俺より少し低いくらいか」
「ミシェルと同じ名前なのね……。それに、L5系……」
「職業は探偵らしいが」
「探偵? なんかうさんくさいわね」
そういいつつも、悩みに悩んで――やがて大きなため息をついて、ロイドを指した。
「この人、ルナと仲良くなれそう」
ルナ、さっきのウサギちゃんか。
「そうかもな。小動物同士でお似合いだ」
「問題は、キラなんだけどね……」
リサは深くため息をついた。
ものすごくのんびりした高齢のおじいさんが、震える手でトレーを運んできたので、アズラエルは思わず受け取った。ここまで三十分。やっと頼んだ品物が来た。
「今回、絶対キラにはカレシつくってあげたいのよ……」
パフェをつつきながらリサは言った。
どうやら、リサはたいそうおモテになるらしく、今まで何度飲み会を企画しても、自分にばかり男が集まって台無しになるそうだ。それで、いっしょに宇宙船に乗った仲間のキラに、だいぶ嫌われてしまったらしい。
「俺が怖くないなら」
アズラエルはコーヒーをひと口啜って、脳内だけで味を称賛してから、言った。
「俺が余ったヤツの隣に座るさ」
「待って! まだあたし悩んでるの」
「俺にするか、ミシェルにするか?」
「そう!」
「ミシェルは、たぶんあんたを気に入ると思うけどな」
いうと、ふたたび迷い顔をした。
「でも、あたしに誘われても鼻の下伸ばさないアズラエルさんが新鮮で……」
「そりゃどうも」
「でも、またみんなあたし目当てっていうのは避けたい! う~ん」
「キラってのは、どんな子だ?」
リサは無言で写真を見せてきた。なかなか派手な外見だ。先日のサイファーとかいう男に匹敵する。
「でもいい子なのよ。たぶん見かけでつきあったひとはみんなびっくりするのよね。言葉づかいもそんな悪くないし、ヤンキーってわけでもないから」
「……」
アズラエルは、幾人かのラガーの飲み仲間を思い返してみた。
ルートヴィヒもそういえば恋人募集中だった。アイツはどうだろうか。セルゲイはなんとなく、外見が派手な女は苦手そうな気がする。
グレン――あいつは無理だ。そもそも、話しかけたくない。カレン――。
「元女なんだが、今は完全に男だ。そういうのは無理?」
リサはあっけにとられた顔をし、「それは、キラに聞いてみないと」といった。それはそうだろうな。
「まぁ――こっちは、クラウドは完全にミシェルしか目に入らねえだろうし、こっちのミシェルはたぶん、あんたみたいなタイプが好きだ。ロイドはおとなしいから、自分から声をかけることはできねえだろうし、もし俺の代わり――ルーイかカレンを呼んだところで、あいつらはだれかを仲間はずれにはしないと思う。みんなでワイワイ飲むのが好きだし、だれとでも気軽に話せる。それじゃダメか?」
リサはしばらく考えたあと、まじめな顔で、「……うん。それでいいわ」とうなずいた。
「でも、代わり、じゃなくて、アズラエルさんも来て。その、ルーイって人とカレンって人も呼んでいいから」
リサはパフェをすっかり食べ終えたあと、「ここはあたしがおごるね」と言って立った。
「飲み会のとき多めに払ってくれたら、それでいいわ」
とウィンクして。




