340話 アズラエルを迎えにいくピエトと、イアリアスの完成 2
1416年10月7日、午後8時。
アストロス到着まで、あと12時間。
(アズ……)
ルナは、自室のベッドに丸まっていた。
(アズはあたしのこと、嫌いになっちゃったのかな……)
いつまでも、つきあっていない、なんて言ったからだろうか。
ルナは、アズラエルの腕に落書きをしたことを後悔した。思いつくかぎりのいろんなことを思い出しては、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと思って、泣いた。
「ふぎ、ふぐ、ふぎ……」
涙が止まらない。
(もどってくるなんて、L55で待つなんて、うそだ)
アズラエルは、ずっとルナを見なかった。まるで、ひとが変わってしまったかのように。
ルナは、ZOOカードボックスに訴えた。
「なんとかいってよ……うさこ」
アズとは、ほんとにこれでお別れなの?
アズは、またあたしを殺してしまうかもしれないから、別れたの?
「――なんでこういうときだけなんにもゆってくれないのよっ!!」
ルナは、枕をZOOカードの箱に投げつけたが、だれも出てはこなかった。ルナは枕がぼろぼろになるまで、箱を叩いた。
「ひぐ……っ、アズ、あじゅ、」
お願いだから、もどってきて。
ルナは、ベッドに突っ伏して、泣き疲れて眠った。
ルナが、部屋から出て来なくなったのは、アズラエルたちが発った翌日だった。
その日は、カラ元気でせわしなく動いていたルナだったが、夜、ひとりでベッドに入ってから、急に涙が込み上げて、あとは止まらなくなってしまったのだった。
泣き疲れて眠り――それから次の日は、気力がすべて抜けていったかのように、やつれたウサギがベッドに座っていた。
「ルナ」
心配したピエトが、ルナを抱きしめると、ルナはしゃくりあげながら「ごめんね」と言った。
「あたし、あしたには元気になるから……心配かけて、ごめんね、ピエト」
「アズラエルを、呼びもどそうと思う」
クラウドは、リビングで、皆に向かって言った。満場一致の賛成だった。
ルナの状態が、ひどくなるようなら、ツキヨとリンファンを呼ぼうと提案したのは、レオナだったが、エーリヒが止めた。
ラグ・ヴァダの武神に関する任務のことは、ふたりには内緒にしてある。
アズラエルが今、宇宙船を降りたこともだ。
いまにも任務がはじまりそうなときに、ややこしい事態を呼び込みかねない。
「もうあたし、見てられないわよ……」
ミシェルも、半泣きの顔で言った。
「あたしだって、まだ納得してない。どうしてアズラエルが降りなきゃいけないの。絶対に大丈夫よ――」
ミシェルは一拍置き、見えないなにかを見据えるように目を細めた。
「ぜんぶ――終わったんだから」
「……なァおい、呼びもどすのはいいとしてもだな。アズラエルは、任務でL系惑星群に帰るんだ。どうしてあんなに泣く?」
バーガスは、理解しがたい顔で言った。
彼には、どうにも理解できなかったのだった。あれは、どう考えても悲劇的な別れではなかった。恋愛関係を解消したのではなく、単に任務でL系惑星群にもどるだけの、別れである。
アズラエルがこの船の役員になろうが、傭兵をつづけようが、長い期間はなればなれになることは、これから何度でもあるだろう。
そしてバーガスは、ルナも、その覚悟があることは知っていた。いつものルナなら、アズラエルが任務に向かうことに不安な顔は見せるだろうが、ここまでではないだろう。
「L55で会える。アズラエルはたしかにそう言っただろうが」
レオナはバーガスの後頭部を引っぱたいた。
「イッテ!!」
「アンタは、へんなトコで鈍いねえ!」
「――あたしも、その、“終わった”うんぬんはよくわからないけど、ルナちゃんとアズラエルのあいだで、なにかあったんじゃないか?」
セシルも、迷い顔で言った。
「な、なにかって?」
女房の怪力は、身に染みてわかっているが、今日の平手打ちはことのほか響く。
「アズラエルの様子は、やっぱり、あたしたちから見てもおかしかったよ。――なんていうか、うまく言えないけど、別れたくないのに、別れなきゃいけないような、そんな感じがして」
セシルの言葉は、遠からず正解だった。ミシェルは、「だいたい、そうよ。そのとおりよ」とうなずき、バーガスは、グレンとセルゲイに言った。
「おまえら、なんかしたのか」
「アズラエルが、俺に脅された程度でルナをあきらめると思うのか」
「私は、無罪ですよ」
口々に言ったので、バーガスは、やはり首をかしげるのだった。
「アズラエル、任務に行くって決めてから、一回も、ルナのこと“ルゥ”って呼んでないの」
ミシェルの言葉に、だれもが、違和感の正体に気づいた。
アズラエルは、ルナに、恋愛を解消する「別れ」を切り出したのではない。でも、その別れは、ルナに、永遠の別れを予想させるようなものだった――。
「アズラエルは、任務に逃げただけよ! あたしも、ルナも、――きっとアズラエル本人だって、納得してないはずなの! だから、説得して呼び戻さなきゃ!」
ミシェルの剣幕に、皆が気圧された。
「ラグ・ヴァダの武神との戦いがはじまるのよ、これから! ルナだって、なにがあるか分からない――ヤツのターゲットなんだから! もしルナになにかあったら……」
ミシェルは、こぶしを震わせて、うつむいた。
「アズラエルだって、そばにいなかったことを、ぜったい後悔するはずだわ……!」
もとより、アズラエルを呼びもどすことに関しては、ほぼ満場一致の賛成だったのだ。
「呼ぶだけじゃ、もどってはこないよ。だれか迎えに行かなきゃ」
セルゲイは言った。
「だれが行く?」
「俺が行く!」
ピエトが一等先に手を挙げたが、レオナが反対した。
「なに言ってんだい。おまえをひとりでなんか行かせられるかい!」
「じゃあ、あたしも行くよ!」
ネイシャもピエトに並んで叫んだが、おとなたちに――レオナ&バーガス夫妻と、セシルに猛反対された。
「ネイシャ、あんたにはチロルを預けるって、頼んだよね?」
「……」
ネイシャはうつむいた。アストロスで任務に入るバーガスとレオナのために、ネイシャとピエトはふたりの娘チロルを預かり、ラガーに行くことになっていた。
「俺が行くか? いざとなったら、殴ってでも、連れ帰る」
グレンが座った目で言ったが、クラウドが首を振った。
「いや、俺が行くよ――話し合いが必要だ」
「君やグレンでは、感情的になって話し合いにならないのではないかね」
エーリヒは、グレンが行くことも、クラウドが行くことも反対した。
「感情論では、アズラエルは動かんよ。終わったのなんだのという話も、意味をなさん。彼が持っているのは、根源的な恐怖なのだから」
「それに、君たちはそれぞれ任務に着いてるんだから、いま宇宙船から離れるのはダメだよ」
セルゲイも、言い含めた。
「……」
クラウドが、決心した顔でピエトを見つめた。
「……ピエト、行ける?」
「!」
ピエトの顔が、輝いた。
「なに言ってんだい! いくらピエトがしっかりしてるったって、十二歳の子どもに、ひとりでアズラエルを迎えに行かせるっていうのかい!?」
アズラエルたちは、まっすぐE353に向かっている。
ミシェルの裁判のために、帰路を急いだ航路なので、星をまめに経由しては行かない。
ここから近いE002ならまだしも、たった十二歳の子どもを、アストロスからE353まで、ひとりで行かせる親など、どこにもいない。
だが、レオナの剣幕を、エーリヒは冷静に止めた。
「最良の選択だと思うが」
クラウドはピエトをそばに呼んで、言い聞かせた。
「ピエト、俺たちは行けない。任務があるし、おそらく俺たちの言葉は、アズラエルは聞かない。でも、君なら連れてこられると思う。なにせ、“導きの子ウサギ”なんだから」
レオナは黙った。
「ピエト、この任務は君に任せた――できるね?」
ピエトは、鼻息も荒く、うなずいた。
「そうだな、まずピエトの出航許可証をもらわなきゃ。セルゲイ、カリムに連絡してくれる?」
「わかった」
セルゲイはすかさず、電話に向かった。
カリムは、ピエトの新しい担当役員だ。二十二歳の新米役員で、もともとK19区の子の担当ではない。まだ面識はなかったが、タケルの話によれば、好人物であることは間違いなかった。
「それに、アズラエルの代わりに、ミシェルのボディガードになれる人物を」
「そちらは、ヤンが二日遅れでアズラエルたちの後を追っているはずだから、任せよう。ピエトは今日中に向かいたまえ」
エーリヒが言った。
セシルが、ピエトの背を押した。
「ピエト、部屋にもどって用意をしてこよう」
「うん!」
おとなたちは、ピエトが着替えをボストンバッグにつめこんでいるうちに、アズラエルたちの場所を探査機で把握し――探査機に映るということは、まだ、さほど遠くへ行っていないということだ。さいわいにも、帰路のコースは把握してある。
クラウドは、エーリヒとともに、ピエトが間違いなく宇宙船を乗り継いで、アズラエルのもとに向かえるよう、ピエトの携帯に、乗り継ぎルート表を作成した。
「カリムさんが、出航許可証と一緒に、アズラエルがいる場所までの宇宙船のチケットも、購入してくれるそうだ」
セルゲイが、電話から戻ってきた。
「それで、事情を説明したら、カリムさんも、ピエトと一緒に行ってくれるって」
「ほんとかい!?」
レオナもセシルも、ほっとした顔をした。だれがなんと言おうと、子どもひとりで行かせるのは、心配だった。だが、みんな、それぞれ任務があるので、宇宙船を離れられない。
カリムが屋敷に到着したのは、ぴったり二時間後だった。
「お話は、うかがいました」
カリムは言った。
「ミシェル・K・ベネトリックス氏は、マフィアに狙われているとかで――ピエト君ひとりでは危険だと思います。接触するまではいいでしょうが、そのあとが。それから、ヤン・J・リンチョイは、仕事の都合で、宇宙船を出発できるのは、明日になってしまいます」
「仕方ない。急なことで、引き受けてくれたヤンにも感謝しなきゃ」
クラウドは嘆息しつつ、カリムと握手をした。
「じゃあ、カリム。ピエトをよろしくお願いします」
「ええ。無事にアズラエルさんを連れて、ピエト君と一緒に、もどってきます」
「ピエト、気を付けていくんだよ」
屋敷のママふたり――レオナとセシルは、最後まで、心配そうにピエトのバッグやらなにやらチェックして、忘れ物はないかどうか、たしかめた。
「じゃあ、行ってきます!」
ピエトとカリムがシャイン・システムに乗るのを見届け、皆が広間に戻ると。
「――ルナ!」
ルナが起きていた。大広間に、ぽつんとたたずんでいる。
「ピエト?」
ルナがよろよろと、ピエトの姿を探していた。
「ピエトは?」
「ルナちゃん、大丈夫だよ」
セシルとレオナが、ルナを抱きしめた。そして、レオナが、ルナの顔をはさんで、なだめるような口調で言った。
「アズラエルのバカ野郎は、もうすぐ帰ってくるよ」
ミシェルが、ピエトがカリムと一緒に、アズラエルを迎えに言ったことを教えると、ルナは仰天し、目を丸くしてから――ぽろぽろと涙をこぼした。
「ピエト……」
ミシェルも、ルナを励ますように、両手をにぎって、力強く言った。
「ルナ。ぜったい、ピエトはアズラエルを連れてくるからね。だから、安心して待ってるんだよ?」
ルナは、顔をくしゃくしゃにして泣き、うなずいた。




