339話 再会 Ⅶ 3
「君、ルナちゃんって知ってる?」
「え?」
「ルナちゃん。ルナ・D・バーントシェント」
「……? いや。知りません……」
ほんとうだった。アニタは、初めて聞く名前だった。だが、彼女は、編集長という立場上、あまりにもたくさんの人間と会ってきたから、覚えていないだけかもしれない。
「同じK27区に住んでいたんだよ」
「そ、そうですか――でも、K27区っていっても、広いですから――」
ニックは迷い顔を見せながら、言った。
「君ね、すごく、ルナちゃんと似てるんだよ」
「え?」
アニタは、だれかと似ているなどと言われたのは、はじめてだった。
「容姿が、じゃないよ? 顔立ちとか、姿はぜんぜんちがうんだけど、なんていうか――そう、好みが」
アニタが手にしている厳選たらこおにぎり、卵とハムのサンドイッチ、からあげ、ニックがまったく美味しいと思わない、トロピカル☆カレーらー麺。
ルナが必ず、ニックのコンビニで買っていくメニューである。アニタはフォーカードを出した。
この、食べ物であふれているコンビニで、まったくルナの好物と同じものを手に取ったアニタに、「君はルナちゃんの化身か!」と、ニックが突っ込みたかったのを我慢していたということを、アニタは知る由もない。
「そのラーメン、美味いって食べてるの、ルナちゃん以外に見たことないんだ」
「いや、意外とイケますよ?」
アニタは、スープまで、すっかり飲んでしまっていた。
「それにね、君が行くとこって、だいたい、ルナちゃんが行く場所とリンクしてるんだよね?」
「マジですか」
「マジですかっていいたいのは僕なんだけど。マジで、こんだけ、しょっちゅう行く場所重なってて、ルナちゃんとは一度もニアミスしてないんだよね? 一回も会ったことない?」
「ないです」
「不思議だ……!」
ニックが頭をかきむしると、
「だ、だれですか、そのルナちゃんっていうのは。ニックさんの彼女?」
「い、いやいや、ちがう。ルナちゃんにはアズラエルって彼氏がいる――そうだ! ラガーには、アズラエルも行くし、グレンが最近カウンターに入ってて――グレンは?」
「さっぱり――」
アニタは、呆然と首を振った。
「銀髪で、目が鋭くって、オルティスほどじゃないけどでっかくって、けっこう怖い感じで、ピアスいっぱい両耳にしてる――」
「アンさんと、ヴィアンカさんにはあったことあるけど、その人は知らない」
「マジで!?」
どうして、ラガーでグレンに会わないのだろう。きっとヴィアンカのほうが、来る回数は少ない。
「ルシアンでもバイトしてたって聞いたよ!? ――そ、そうだ! 最近、へんな漢字Tシャツ愛用してて――」
「え? わかんない。イケメンですか?」
「イケメンの方だと思う」
「イケメンなら忘れるわけないはずですけど――わ、わかんない――」
ニックは目を剥いた。
アニタは、自分の勢いで他人を怯ませることはあっても、他人の勢いに怯んだことはあまりなかった。
「おっかしいな~、――じゃあ、紅葉庵に行ったときとか、真砂名神社で、ミシェルちゃんに会ったことは? 茶髪のショートヘアで、美人で、絵を描く子なんだけど」
アニタも、頭をかきむしった。
「い、いやあ~、茶髪で美人で、絵を描く子は、ウチの編集部にもいました」
「……なんでだろ」
ニックは、甚だ疑問だった。
ミシェルはほぼ毎日、真砂名神社に行っている。ルナと一緒にリズンにも。K38区に引っ越してからはそれほどではなくなったと思うが、K27区にいたときは、毎日のように行っていたはずだった。
マタドール・カフェもそう。
ルナたちの口から聞いたことがないのは、「宇宙」というコーヒー・スタンドくらいなものだ。
それなのに、ニアミスすらしていないとは。
おかしい。ぜったいに、おかしい。
「ルナちゃんとミシェルちゃんがダメなら――、う~ん、キラちゃん、リサちゃん――」
「リサちゃん?」
やっと、アニタが反応した。
「リサ・K・カワモトさん?」
やっと、知り合いにぶち当たった。ニックは手を打ち、
「そう!! ともだち?」
「い、いえ、ともだちっていうのではないですけど」
アニタは、バッグから、分厚いファイルを取り出した。そこには、歴代の「宇宙」が、毎号一冊ずつファイリングしてある。
「いつだったかな」
探しまくったアニタが、やがて取り出したのは、リサが表紙の一冊だった。二年目の一月号である。
表紙には、赤いワンピースを着て、モデルみたいにポーズを決めたリサの姿。
ニックは驚いて叫んだ。
「リサちゃん、このパンフの表紙飾ったことがあったの!?」
「うん」
パンフレットの表紙は、毎回一般の船客さん。スカウトするか、知り合いのツテをたどってお願いするかのどちらかで、ほとんどがK27区に住むひとばかりだった。たしかリズンでスカウトした気がする。
アニタは、やっと思いついたように、もう一冊出した。
「じゃあ、もしかして、ミシェルちゃんってこの子かな」
二年目二月号は、ミシェルが表紙だった。
そうそう。リサとミシェル。ふたりともリズンでランチを取っていたところをスカウトしてお願いした。リサは乗り気だったが、ミシェルは引き気味で、それでも「なんとか一回だけ!」と頼み込んでモデルをしてもらった。
「そうだったんだ……」
ニックはうなずき、二冊を見比べ、「ほんと、モデルさんみたいだなあ」と感動の声を上げた。
「メイクとか、髪型も、ぜんぶプロにやってもらったんですよ。髪はヘアモデルもかねて、船内の美容師さんに。服は協力してくれるブティックに、服の宣伝もかねてレンタル。メイクも、かけだしのメイクアップアーティストさんに、ぜんぶやってもらって」
「すごいな」
表紙を飾った子たちは、ファッション雑誌の表紙を飾っていてもおかしくない美人やイケメンばかりだった。
ニックは、毎月の表紙を見ながら、
「ルナちゃんは、リサちゃんやミシェルちゃんの同乗者なんだ」
「……あ、わかった。なんとなく、わかったぞ」
アニタは、記憶を探るような顔をした。
「ケヴィンが、好きだった子だ」
「ケヴィン?」
「ウチのサークルのコラム担当だったんだけど、作家になるってんで、降りちゃったの」
アニタは、自分自身が、「毬色」という雑貨店の前でルナと会ったことはすっかり忘れていた。
ジニーのバッグを、熱弁とともにオススメしたことも。
「――そうか、あのルナちゃんか、そうか、そうか――え?」
「え?」
「まだ乗ってるの!?」
アニタが絶叫顔で突っ込むと、
「乗ってるよ」
ニックは苦笑した。
「ルナちゃんの周囲の人間しか、残ってないって言った方が正しいね」
「うそ! じゃあ、リサちゃんも、――え、じゃあ、スーパーにいた、あのマフィアみたいな入れ墨オトコがアズラエルっていうひと!?」
「マフィア!」
ニックもボッフオ! と吹いた。
「乗ってるんだ……」
ニックの暴発には気付かず、アニタはつぶやいた。
「え、じ、じゃあ会いたいな……あたし、もうみんな仲間が降りちゃって、ともだちいないんだ……」
先ほどまでの勢いがなりをひそめ、ともだちになってくれるかなあ、と気弱な顔をしたアニタに、ニックは優しく言った。
「問題ないよ。ルナちゃんたちとは、ぜったいいいともだちになれるさ」
ニックは、右手を差し出した。
「なんなら、まずは僕とともだちになろうよ」
「……!!」
アニタが、これ以上ないくらい感激といった顔で、差し出された手を両手で握った。
「なります! ならせてください!」
急にコンビニ内に光が差したと思ったら、車のライトだ。ニックが呼んでくれたタクシーが到着したのだった。
アニタは、ニックの手を両手でぶんぶん振りながら、立った。
「いや、もうほんと、お休みの最中、すみませんでした。取材はあらためて来ます」
何度も頭を下げて、レジに紙幣を置いた。
「いいよ。外で待たせちゃったお詫びだし」
「そんな! そういうわけにはいきませんよ! 置いていきます! ウチのフリーペーパーも置いてもらってるし!」
アニタは断固として、紙幣をレジに置いた。
「そう。じゃ、おみやげあげるね」
ニックは、さっきのトロピカル系カップ麺を、アニタに持たせてくれた。おまけに、外まで、見送りに出てきた。
「今度は、フリーペーパー持って、遊びに来ます!」
「うん。よかったら、来月から、ウチのコンビニの広告も出してよ」
「ニックさん……!!」
アニタは、ふたたび涙目で彼の両手をにぎった。
「マジありがとうございます!!」
「ちょっと別口のお仕事で、アストロス出航後、一週間ぐらいまでは休みだけど。それ以降は、いつでもヒマになるから、また来てね」
「ブフォー! うれしいですほんとありがとう!」
タクシーの窓から身を乗り出して手を振るアニタは、「さっきのラーメン、七味いれるとたぶん美味しいですよー!」が別れの言葉だった。
ニックも、両手を振ってお別れした。
(なんていいひとなんだ……!)
ニックさんみたいな人を彼氏に持った人は、しあわせだろうなとアニタは、タクシーの中で考えた。ふたたびゾウの鳴き声みたいな音で鼻をかみながら。
(でも、あたしがいいなと思った人だから、たぶんゲイだ!)
ニックは、抗議してしかるべき疑いをかけられていた。
(いいこだったなあ)
ニックも、アニタには、彼氏がいるのだろうなと思っていた。あんなに可愛い子なのだから。そもそもニックは、六十代から下は、対象外である。二十七歳のアニタは、見かけだけならお似合いだが、対象外だ。
(ラグ・ヴァダの武神との戦いがすんだら、僕にも、アニタちゃんみたいな彼女ができるかなあ)
ベッタラも、セシルとネイシャという、運命の相手と出会ったことだし。
(しかし、どうして、あれだけルナちゃんと好みも行動パターンも似ていながら、一度も会えなかったんだろ)
ニックはまさか、それが“自分のせい”だとは、まったくもって、思いもしていなかった。
――今のところは。
雨はすっかり止んだが、曇り空のまま、夜に突入しそうだった。
もうすぐ、星守りそっくりの群青色の宝石が、夜空に浮かぶ。
地球行き宇宙船のアストロス到着は、目前に迫っている。




