338話 予兆 2
「ぶへくしょっ!!」
アントニオは、盛大にくしゃみをした。くしゃみをしたせいで、手の中の星守りを落としてしまうところだった。
「風邪ですか」
「い、いいえ」
(アニーちゃんの、なんでお休みなんだーって絶叫が聞こえるな)
アントニオは、失礼して鼻をかんだ。
ここは、アストロスのガクルックス・シティの、南末端の地域に設置された、「メルーヴァ討伐軍・陸・空・宇宙軍総本部」である。
L20の軍の、アストロス陸上の駐屯地でもあった。
そして、地球行き宇宙船がアストロスに到着する二週間前から、リズンは「長期休業」――アントニオは、メルーヴァとの対決に備えて、東奔西走していた。
L20のメルーヴァ討伐軍総司令官、フライヤ・G・メルフェスカは、現在、わずかな側近を引き連れて、クルクスに滞在している。ザボンとともに、女王の部屋で、「シャトランジ」に関する文献がないか、調査中だ。
あれから――女王の部屋で、バンビの旅の話を聞いた、あの日からほぼ三ヶ月。
スペツヘムの葬儀を終え、二週間、喪に服する時期を過ぎたあと、いよいよL20の軍がアストロスの正式な許可を持って地上に降り立った。アズサの大隊は、アストロス本星周辺の警護と調査、また、マクハランの大隊は、アズサの命によって、地球行き宇宙船の警備を補強するために向かった。
地上に降りたL20の軍も、直ちに行動を開始した。
フライヤの指令によって、サンディ中佐の軍は、メルーヴァの目撃情報があったジャマル島へ。
バスコーレン大佐は、アストロス軍とともに、もうひとつのメルーヴァ目撃情報があった場所――真南のサザンクロス、ジャマル市の調査に赴いた。
そして。
「ほんとうにメルーヴァは、戦争を仕掛けてくるのですか?」
フライヤの代理として、総本部指令室で指揮を執っているサスペンサー大佐の言葉に、L20の想いが、すべてが集約されていた。
メルーヴァの存在は、L20の軍では、いまだ確認されていない。彼が率いる軍も、側近のだれかも、まったく存在が認知されていない。
「ええ」
アントニオはうなずいた。――はっきりと。
ほとんど霞に近いメルーヴァの存在とはまったく対照的に。
ここまではっきり肯定の返事を返されては、サスペンサーも困惑顔をした。
現在、メルーヴァがいる可能性が一番高いのが、エタカ・リーナ山岳。目撃情報が多数ある。
フライヤはもちろん、アズサも、サスペンサーやサンディも、エタカ・リーナ山岳を見て、攻め入るのは無謀だという結論に達した。
マクハランのみは、山岳を光化学主砲で崩すという意見を変えようとしなかったが、ひとまず彼女は、地球行き宇宙船の防衛を強化する任についている。
L20が立ててきた作戦は、あくまでも、メルーヴァ軍との戦いを想定した市街戦だった。
無論、市街戦だけではなく、二案、三案と、作戦図案はある。だが、フライヤたちの想像をはるかに超えて、アストロスで戦争をすることは難しかった。
なにせ平和主義の星。戦争が、三千年前から一度も起こったことのない星である。
それに、エタカ・リーナ山岳は、ひとが踏み込むことのできない山。
環境の過酷さに加え、「エタカ・リーナ山岳には、ぜったいに入ってはいけない」というアストロスの民間信仰も障害となった。
アストロスの軍人でさえ、口々に言った。
「あの山に攻め込むなど、死にに行くようなものだ」
気象、環境はもとより、山を荒らせば、山の神様が、怒ってアストロスを滅ぼしてしまう――。
「そもそも、ほんとうにメルーヴァは、エタカ・リーナ山岳にいるのでしょうか」
サスペンサーの疑問。無理もない。一番目撃情報が多いのは山岳だが、ほかにも、メルーヴァ単体ではあるが、ジャマル島にジャマル市、とにかく「ジャマル」と名のつくところで見つかっている。
「申し訳ない。フライヤ大佐にも言いましたが、メルーヴァの部隊の正確な居場所だけは、われわれにも見当がつかないんです」
アントニオは言った。
「しかし、エタカ・リーナ山岳で目撃情報がある。ふもとの村でも。どうやってあの環境で生きていられるかは謎ですが――」
「謎だらけですな」
アントニオに文句を言ってもしかたがないが、という顔でサスペンサーは鼻息を吹いた。
「シャトランジ――サルディオーネの占術とか」
サスペンサーは考え込む顔をした。
「フライヤ総司令官が現在、クルクスで調査中です」
「そうですか」
「もしメルーヴァ軍がこのあたりにいるとするなら……」
サスペンサーは、地図の、シャトランジの対局盤があるあたりをぐるりと指揮棒で囲んだ。
「降りてきますか?」
「かならず、降りてきます」
アントニオは言い切った。
「宇宙船の、そのう――ゴホン、――特殊部隊も、すでに準備を整えました。おそらく、地球行き宇宙船がアストロスに到着すると同時に、メルーヴァとの戦争が始まってしまう」
「それは、明確な根拠が?」
サスペンサーが首をかしげる理由も、アントニオは十二分に分かっていた。
「メルーヴァは、地球行き宇宙船の到着を待っているんです」
――メルーヴァ姫の到着を。
アントニオは、そこまで説明できなかったが。
「……」
サスペンサーは再び大きく嘆息し、「わかりました……」とまったく納得していない顔でうなずいた。
「もとより、この戦は数々の想定外が起きると予想しています。カレン様のお言葉もある――あなた方を、信じましょう」
「ありがとうございます」
L20の軍隊が、アントニオの言葉にうなずくのも、カレンが「宇宙船の特殊部隊を信じろ」と言った言葉と、メルーヴァの正体が、あまりも不明瞭だということも、理由だった。
「われわれとしても、L03にも不慣れ、アストロスで戦をするのも初めてなので、ぜひ宇宙船の特殊部隊とは連携していきたい――それで、本日のご用向きは?」
「ふたつあります。ひとつは――」
アントニオは、わずかに表情をゆがめた。
見たくなくても見えてしまう、サスペンサー大佐にかぶる、黒い「もや」を。
いいや、彼女だけではない、このサスペンサー大佐の大隊に大きくかかる、『死神』を――。
「……そのまえに、作戦図案を見せていただけますか」
「ええ、いいですよ」
サスペンサーは、アントニオを、作戦会議室まで連れて行った。宙に浮かび上がったままの液晶画面。
「現在位置は、ガクルックスの南先端、メルビナン」
サスペンサーはテーブル上の立体地図のほうで説明した。
「ナミ大陸すべての都市の住民避難は、地球行き宇宙船がアストロスに到着するころ、すべて完了します。空白化したケンタウル・シティには、アストロスの軍が、駐留。アクルックス・シティは、バスコーレン大佐。もし、メルーヴァ軍がサザンクロスから北上する場合の足止めになります。ガクルックスのエタカ・リーナ山岳下の平野に、わたしの大隊が――」
アントニオの顔は、青ざめていた。
サスペンサーは、ずいぶん大々的な作戦に、彼が驚いているのだと思っていたが、それは違った。
「つまり、メルーヴァが、エタカ・リーナ山岳のどこから降りてきても――または、南のサザンクロスから北上しても、ガクルックス、アクルックス、ケンタウル・シティのどこに降りてきても、メルーヴァを仕留められるよう、逃げ場をなくした布陣です」
「……ほんとうに、すべての住民が避難を?」
アントニオの質問に、サスペンサーの部下が、彼女に耳打ちした。サスペンサーは言った。
「訂正いたします。古代都市クルクスの住民だけは、避難を拒絶しました」
部下が、補足するようにつづけた。
「むしろ、クルクスの住民は、クルクスが一番安全だと思っているようです。ザボン市長が、なるべく多くの避難民を受け入れる用意をしていると、フライヤ総司令官を通じて、われわれに申し入れてきました」
サスペンサーは嘆息した。
「ですが、クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。メルーヴァの軍勢に近い位置にある。だから、クルクスに避難する住民などいません」
サスペンサー大佐のいうことはもっともだった。普通ならそう考えるだろう。メルーヴァの軍勢が、真っ先に突撃するかもしれない都市に、だれが避難しようなどと思うか。
だがアントニオは、ザボンのいうとおりだと思った。
おそらく、アストロスの中でもっとも安全なのは、クルクス。
それは、夜の神がクルクスを守ることになるからだ。
アントニオは思案した。
シャトランジの盤が広がるまえに、「チェック・メイト」できるか。
すくなくとも、住民たちは、ケンタウルとアクルックス、ガクルックス、つまりナミ大陸からは、ほぼ失せている。
アントニオは思案の末、告げた。
「……メルーヴァの目的地は、おそらく、古代都市クルクスです」
「えっ?」
サスペンサーを含む、そこにいた軍人のすべてが、アントニオを見た。
「クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下です!」
部下が叫び、サスペンサーはうなずいた。
「やはり、強制的にでも、クルクスの住民は避難させよう。急げ――」
「はい!」
「待ってください」
アントニオは止めた。
「クルクスはそのままに」
軍人たちは、顔を見合わせた。
「でも、メルーヴァの目的地は――クルクスなのですよね?」
古代都市クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。そこが目的地だというなら、アクルックスにも、ガクルックスにも、ケンタウルにも来ないのではないか。
それとも、北から順に――クルクスから攻め落としていくという魂胆か。
「いいえ。おそらく、メルーヴァは――メルーヴァ自身は、南のサザンクロス・シティから現れます」
「――!?」
さすがに、サスペンサーは言葉を失った。真北のエタカ・リーナ山岳で所在がわかったメルーヴァである。どうして、真南のサザンクロスに現れるのだ?
アントニオは、だまってつづけた。
理屈も根拠も、説明できない。だが、L20の想定とは、まったく違った戦略が、相手には敷かれているのだ。
この作戦図案のすべてが、もう“何年も前から”メルーヴァに知られているなど、彼らには理解できるわけもない。
「メルーヴァは、南のサザンクロスから、アクルックスに入り、縦断します。まっすぐに、北に向かい――バスコーレン大佐の軍を撃破して、クルクスに入ります」
アントニオは、ここに行くまえに、バスコーレンの顔も見てきた。彼には、「死神」は降りていなかった。
サスペンサーたちが言葉を失っている間に、アントニオはさらに言葉を紡いだ。
「サスペンサー大佐の隊を、ガクルックス最北端から、中央まで移動させてください」
できれば、この平野には陣を敷かないほうがいい。
アントニオは言った。
一歩引いて平野から出て、背後のマルメント山脈を越え、市街地に駐屯するべきだと。
サスペンサーはごくりと息をのみ――やっと、「なぜです?」と聞いた。
「いざというときのためです」
サスペンサーがなにか言おうとしたのを、アントニオはさえぎった。
「あなたの部隊も、まずいと思ったら、逃げてください」
「なんですって?」
「あなたの部隊は、ちょうどエタカ・リーナ山岳の真下、ガクルックス側に陣を敷く。もっとも危険な場所です」
サスペンサーは静かに言った
「……それゆえ、わたしの部隊が志願したのです」
この誇り高く、勇猛果敢な軍人は、そう言った。
エタカ・リーナ山岳の真下。ガクルックス側。
そこには、ラグ・ヴァダの武神の剣を鎮めた封印場所があり、シャトランジの対局盤がある場所の真下だ。
そして、かつて――はじめてシャトランジが起動されたとき、血塗られた大地になった場所でもある。
アントニオはさらに言った。
「わたしが、軍のことに口出しすべきでないのは承知しています」
「……」
「しかしどうか――受け入れてください。おそらくあなたの部隊は、シェハザールが起動するシャトランジに、最初に相対することになる」
会議室がざわめいた。
「シェハザール……」
「メルーヴァの右腕か」
サスペンサーが手を挙げて、ざわめきを鎮めた。
「シャトランジの概要は、わかりましたか」
「先日説明した以上には、まだ」
「たしか、進化するとの話でしたな」
「ええ」
「L03の、古代のサルディオーネがつくった、“すべての戦を支配する占術”」
「……」
「あまりにも呪わしい占術ゆえ、千年の長きにわたって封印されていた。それを、メルーヴァは手に入れた、ということか。そして、実際に使用するのは、おそらく右腕であるシェハザール」
サスペンサーのつぶやきに、会議室は不安のざわめきに揺れた。
彼女は大柄な体を武者震いに震わせ、皆の動揺を鎮めにかかった。
「われわれが逃げて、いったいだれが、メルーヴァを逮捕するというのです?」
「わたしたちが」
逮捕はできない――滅ぼすしかない。
アントニオは、口の中だけでつぶやいた。
「どうか、逃げてください。軍人の誇りもあるでしょうが、シャトランジが発動したら、かならず、すぐに撤退してください」
アントニオは必死の思いで言った。
「人がかなう戦闘部隊では、ありません」
メルーヴァとの「実戦」に、L20の軍隊は、まったく役に立たない――。
アントニオは、一度はそれをミラにも告げたし、地球行き宇宙船の艦長たちにも説明した。だが、受け入れてもらえなかったのは、当然だった。
アストロスの避難民の誘導、地球行き宇宙船から避難する船客たちの誘導、メルーヴァとの戦いのあとの復興、メルーヴァたちの所在の調査――軍がする用向きはたくさんあった。必要がないわけではなかったが、実戦には、まるで役には立たない――それどころか、お荷物になる可能性があった。
アントニオとペリドットの嫌な予感は的中した。
よりにもよって、「シャトランジ」の舞台となる可能性のある平原に、L20の軍が配置されるとは。
アントニオは、もやが消えないサスペンサー大佐の背を、振り返って見つめた。
(逃げてくれ――たのむ)
アントニオは、願った。
だが、どんなに言葉を尽くしても、かの猛将が引くことはなく、アントニオの意見が受け入れられないのも、わかっていた。
おそらく、サスペンサー大佐の部隊が、最北端に陣を敷いた時点で、シャトランジは動き出す。
ラグ・ヴァダの武神の指示で――。
アストロスとL系惑星群の民を、恐怖のどん底に陥れるために。
(エーリヒを、最初から、イアリアスのアトラクション内に待機させるか)
だが、サスペンサー大佐の隊があるかぎり、エーリヒが起動して対局しても、おそらく犠牲者は出てしまう。
作戦が動き出したら、アントニオはもはや動けない。彼にも役割はある。
(どうしたらいい)
サスペンサーの部隊が、ガクルックス最北端に駐屯するというのは、最近決まったことだった。彼女の部隊は、もとは、ジュエルス海沿岸に置かれるはずだったのだ。
だが、アストロス内で流布したウワサ――メルーヴァはおそらく、ガクルックス側からくるというウワサ。
そこに、一番戦闘慣れした部隊が待ちかまえるのは、当然の成り行きだった。
だが、アントニオにとっては、そのことすらも、ラグ・ヴァダの武神が招いた不吉の象徴に思えた。
サスペンサー大佐は招かれた。
ラグ・ヴァダの武神が織りなす、悪夢の生け贄として。
(くそ……)
アンジェリカの千転回帰と、ルナたちの、クルクスへの到着。
ペリドットの八転回帰と、エーリヒの、シャトランジ起動。
両方が、同時に行われなければならない。
ラグ・ヴァダの武神に感づかれて作戦を変えられれば、すべてが水泡に帰す。
(頼む――どうか、うまくいってくれ)
アントニオは、ここからは見えないクルクスに向かって、祈りをささげた。




