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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~決戦篇~
833/946

338話 予兆 2


「ぶへくしょっ!!」


 アントニオは、盛大にくしゃみをした。くしゃみをしたせいで、手の中の星守りを落としてしまうところだった。


「風邪ですか」

「い、いいえ」

(アニーちゃんの、なんでお休みなんだーって絶叫が聞こえるな)


 アントニオは、失礼して鼻をかんだ。

 ここは、アストロスのガクルックス・シティの、南末端の地域に設置された、「メルーヴァ討伐軍・陸・空・宇宙軍総本部」である。

 L20の軍の、アストロス陸上の駐屯地でもあった。

 そして、地球行き宇宙船がアストロスに到着する二週間前から、リズンは「長期休業」――アントニオは、メルーヴァとの対決に備えて、東奔西走(とうほんせいそう)していた。


 L20のメルーヴァ討伐軍総司令官、フライヤ・G・メルフェスカは、現在、わずかな側近を引き連れて、クルクスに滞在している。ザボンとともに、女王の部屋で、「シャトランジ」に関する文献がないか、調査中だ。


 あれから――女王の部屋で、バンビの旅の話を聞いた、あの日からほぼ三ヶ月。


 スペツヘムの葬儀を終え、二週間、喪に服する時期を過ぎたあと、いよいよL20の軍がアストロスの正式な許可を持って地上に降り立った。アズサの大隊は、アストロス本星周辺の警護と調査、また、マクハランの大隊は、アズサの命によって、地球行き宇宙船の警備を補強するために向かった。


 地上に降りたL20の軍も、直ちに行動を開始した。


 フライヤの指令によって、サンディ中佐の軍は、メルーヴァの目撃情報があったジャマル島へ。

 バスコーレン大佐は、アストロス軍とともに、もうひとつのメルーヴァ目撃情報があった場所――真南のサザンクロス、ジャマル市の調査に(おもむ)いた。


 そして。

 

「ほんとうにメルーヴァは、戦争を仕掛けてくるのですか?」


 フライヤの代理として、総本部指令室で指揮を執っているサスペンサー大佐の言葉に、L20の想いが、すべてが集約されていた。

 メルーヴァの存在は、L20の軍では、いまだ確認されていない。彼が率いる軍も、側近のだれかも、まったく存在が認知されていない。


「ええ」


 アントニオはうなずいた。――はっきりと。

 ほとんど(かすみ)に近いメルーヴァの存在とはまったく対照的に。


 ここまではっきり肯定の返事を返されては、サスペンサーも困惑顔をした。


 現在、メルーヴァがいる可能性が一番高いのが、エタカ・リーナ山岳。目撃情報が多数ある。


 フライヤはもちろん、アズサも、サスペンサーやサンディも、エタカ・リーナ山岳を見て、攻め入るのは無謀だという結論に達した。


 マクハランのみは、山岳を光化学主砲で崩すという意見を変えようとしなかったが、ひとまず彼女は、地球行き宇宙船の防衛を強化する任についている。


 L20が立ててきた作戦は、あくまでも、メルーヴァ軍との戦いを想定した市街戦だった。


 無論、市街戦だけではなく、二案、三案と、作戦図案はある。だが、フライヤたちの想像をはるかに超えて、アストロスで戦争をすることは難しかった。


 なにせ平和主義の星。戦争が、三千年前から一度も起こったことのない星である。


 それに、エタカ・リーナ山岳は、ひとが踏み込むことのできない山。

 環境の過酷さに加え、「エタカ・リーナ山岳には、ぜったいに入ってはいけない」というアストロスの民間信仰も障害となった。

 アストロスの軍人でさえ、口々に言った。


「あの山に攻め込むなど、死にに行くようなものだ」


 気象、環境はもとより、山を荒らせば、山の神様が、怒ってアストロスを滅ぼしてしまう――。

 

「そもそも、ほんとうにメルーヴァは、エタカ・リーナ山岳にいるのでしょうか」


 サスペンサーの疑問。無理もない。一番目撃情報が多いのは山岳だが、ほかにも、メルーヴァ単体ではあるが、ジャマル島にジャマル市、とにかく「ジャマル」と名のつくところで見つかっている。


「申し訳ない。フライヤ大佐にも言いましたが、メルーヴァの部隊の正確な居場所だけは、われわれにも見当がつかないんです」

 アントニオは言った。

「しかし、エタカ・リーナ山岳で目撃情報がある。ふもとの村でも。どうやってあの環境で生きていられるかは謎ですが――」


「謎だらけですな」

 アントニオに文句を言ってもしかたがないが、という顔でサスペンサーは鼻息を吹いた。

「シャトランジ――サルディオーネの占術とか」

 サスペンサーは考え込む顔をした。

「フライヤ総司令官が現在、クルクスで調査中です」

「そうですか」


「もしメルーヴァ軍がこのあたりにいるとするなら……」

 サスペンサーは、地図の、シャトランジの対局盤があるあたりをぐるりと指揮棒で囲んだ。

「降りてきますか?」


「かならず、降りてきます」

 アントニオは言い切った。

「宇宙船の、そのう――ゴホン、――特殊部隊も、すでに準備を整えました。おそらく、地球行き宇宙船がアストロスに到着すると同時に、メルーヴァとの戦争が始まってしまう」


「それは、明確な根拠が?」

 サスペンサーが首をかしげる理由も、アントニオは十二分に分かっていた。


「メルーヴァは、地球行き宇宙船の到着を待っているんです」

 ――メルーヴァ姫の到着を。


 アントニオは、そこまで説明できなかったが。


「……」

 サスペンサーは再び大きく嘆息し、「わかりました……」とまったく納得していない顔でうなずいた。

「もとより、この戦は数々の想定外が起きると予想しています。カレン様のお言葉もある――あなた方を、信じましょう」

「ありがとうございます」


 L20の軍隊が、アントニオの言葉にうなずくのも、カレンが「宇宙船の特殊部隊を信じろ」と言った言葉と、メルーヴァの正体が、あまりも不明瞭(ふめいりょう)だということも、理由だった。


「われわれとしても、L03にも不慣れ、アストロスで戦をするのも初めてなので、ぜひ宇宙船の特殊部隊とは連携していきたい――それで、本日のご用向きは?」

「ふたつあります。ひとつは――」


 アントニオは、わずかに表情をゆがめた。

 見たくなくても見えてしまう、サスペンサー大佐にかぶる、黒い「もや」を。

 いいや、彼女だけではない、このサスペンサー大佐の大隊に大きくかかる、『死神(ラ・ムエルテ)』を――。


「……そのまえに、作戦図案を見せていただけますか」

「ええ、いいですよ」


 サスペンサーは、アントニオを、作戦会議室まで連れて行った。宙に浮かび上がったままの液晶画面。


「現在位置は、ガクルックスの南先端、メルビナン」

 サスペンサーはテーブル上の立体地図のほうで説明した。

「ナミ大陸すべての都市の住民避難は、地球行き宇宙船がアストロスに到着するころ、すべて完了します。空白化したケンタウル・シティには、アストロスの軍が、駐留。アクルックス・シティは、バスコーレン大佐。もし、メルーヴァ軍がサザンクロスから北上する場合の足止めになります。ガクルックスのエタカ・リーナ山岳下の平野に、わたしの大隊が――」


 アントニオの顔は、青ざめていた。

 サスペンサーは、ずいぶん大々的な作戦に、彼が驚いているのだと思っていたが、それは違った。


「つまり、メルーヴァが、エタカ・リーナ山岳のどこから降りてきても――または、南のサザンクロスから北上しても、ガクルックス、アクルックス、ケンタウル・シティのどこに降りてきても、メルーヴァを仕留められるよう、逃げ場をなくした布陣です」


「……ほんとうに、すべての住民が避難を?」


 アントニオの質問に、サスペンサーの部下が、彼女に耳打ちした。サスペンサーは言った。


「訂正いたします。古代都市クルクスの住民だけは、避難を拒絶しました」

 部下が、補足するようにつづけた。


「むしろ、クルクスの住民は、クルクスが一番安全だと思っているようです。ザボン市長が、なるべく多くの避難民を受け入れる用意をしていると、フライヤ総司令官を通じて、われわれに申し入れてきました」

 サスペンサーは嘆息した。

「ですが、クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。メルーヴァの軍勢に近い位置にある。だから、クルクスに避難する住民などいません」

 

 サスペンサー大佐のいうことはもっともだった。普通ならそう考えるだろう。メルーヴァの軍勢が、真っ先に突撃するかもしれない都市に、だれが避難しようなどと思うか。

 だがアントニオは、ザボンのいうとおりだと思った。

 おそらく、アストロスの中でもっとも安全なのは、クルクス。

 それは、夜の神がクルクスを守ることになるからだ。


 アントニオは思案した。

 シャトランジの盤が広がるまえに、「チェック・メイト」できるか。

 すくなくとも、住民たちは、ケンタウルとアクルックス、ガクルックス、つまりナミ大陸からは、ほぼ失せている。

 アントニオは思案の末、告げた。


「……メルーヴァの目的地は、おそらく、古代都市クルクスです」


「えっ?」

 サスペンサーを含む、そこにいた軍人のすべてが、アントニオを見た。

「クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下です!」

 部下が叫び、サスペンサーはうなずいた。

「やはり、強制的にでも、クルクスの住民は避難させよう。急げ――」

「はい!」


「待ってください」

 アントニオは止めた。

「クルクスはそのままに」


 軍人たちは、顔を見合わせた。

「でも、メルーヴァの目的地は――クルクスなのですよね?」


 古代都市クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。そこが目的地だというなら、アクルックスにも、ガクルックスにも、ケンタウルにも来ないのではないか。

 それとも、北から順に――クルクスから攻め落としていくという魂胆(こんたん)か。


「いいえ。おそらく、メルーヴァは――メルーヴァ自身は、南のサザンクロス・シティから現れます」

「――!?」


 さすがに、サスペンサーは言葉を失った。真北のエタカ・リーナ山岳で所在がわかったメルーヴァである。どうして、真南のサザンクロスに現れるのだ?


 アントニオは、だまってつづけた。

 理屈も根拠も、説明できない。だが、L20の想定とは、まったく違った戦略が、相手には敷かれているのだ。

 この作戦図案のすべてが、もう“何年も前から”メルーヴァに知られているなど、彼らには理解できるわけもない。


「メルーヴァは、南のサザンクロスから、アクルックスに入り、縦断します。まっすぐに、北に向かい――バスコーレン大佐の軍を撃破して、クルクスに入ります」


 アントニオは、ここに行くまえに、バスコーレンの顔も見てきた。彼には、「死神」は降りていなかった。

 サスペンサーたちが言葉を失っている間に、アントニオはさらに言葉を紡いだ。


「サスペンサー大佐の隊を、ガクルックス最北端から、中央まで移動させてください」


 できれば、この平野には陣を敷かないほうがいい。

 アントニオは言った。

 一歩引いて平野から出て、背後のマルメント山脈を越え、市街地に駐屯するべきだと。


 サスペンサーはごくりと息をのみ――やっと、「なぜです?」と聞いた。


「いざというときのためです」

 サスペンサーがなにか言おうとしたのを、アントニオはさえぎった。

「あなたの部隊も、まずいと思ったら、逃げてください」

「なんですって?」

「あなたの部隊は、ちょうどエタカ・リーナ山岳の真下、ガクルックス側に陣を敷く。もっとも危険な場所です」


 サスペンサーは静かに言った

「……それゆえ、わたしの部隊が志願したのです」

 この誇り高く、勇猛果敢な軍人は、そう言った。


 エタカ・リーナ山岳の真下。ガクルックス側。

 そこには、ラグ・ヴァダの武神の剣を鎮めた封印場所があり、シャトランジの対局盤がある場所の真下だ。

 そして、かつて――はじめてシャトランジが起動されたとき、血塗られた大地になった場所でもある。


 アントニオはさらに言った。

「わたしが、軍のことに口出しすべきでないのは承知しています」

「……」

「しかしどうか――受け入れてください。おそらくあなたの部隊は、シェハザールが起動するシャトランジに、最初に相対することになる」


 会議室がざわめいた。

「シェハザール……」

「メルーヴァの右腕か」


 サスペンサーが手を挙げて、ざわめきを鎮めた。

「シャトランジの概要は、わかりましたか」

「先日説明した以上には、まだ」

「たしか、進化するとの話でしたな」

「ええ」

「L03の、古代のサルディオーネがつくった、“すべての戦を支配する占術”」

「……」

「あまりにも呪わしい占術ゆえ、千年の長きにわたって封印されていた。それを、メルーヴァは手に入れた、ということか。そして、実際に使用するのは、おそらく右腕であるシェハザール」


 サスペンサーのつぶやきに、会議室は不安のざわめきに揺れた。

 彼女は大柄な体を武者震いに震わせ、皆の動揺を鎮めにかかった。


「われわれが逃げて、いったいだれが、メルーヴァを逮捕するというのです?」

「わたしたちが」


 逮捕はできない――滅ぼすしかない。

 アントニオは、口の中だけでつぶやいた。


「どうか、逃げてください。軍人の誇りもあるでしょうが、シャトランジが発動したら、かならず、すぐに撤退してください」

 アントニオは必死の思いで言った。

「人がかなう戦闘部隊では、ありません」


 メルーヴァとの「実戦」に、L20の軍隊は、まったく役に立たない――。

 アントニオは、一度はそれをミラにも告げたし、地球行き宇宙船の艦長たちにも説明した。だが、受け入れてもらえなかったのは、当然だった。


 アストロスの避難民の誘導、地球行き宇宙船から避難する船客たちの誘導、メルーヴァとの戦いのあとの復興、メルーヴァたちの所在の調査――軍がする用向きはたくさんあった。必要がないわけではなかったが、実戦には、まるで役には立たない――それどころか、お荷物になる可能性があった。


 アントニオとペリドットの嫌な予感は的中した。

 よりにもよって、「シャトランジ」の舞台となる可能性のある平原に、L20の軍が配置されるとは。

 アントニオは、もやが消えないサスペンサー大佐の背を、振り返って見つめた。


(逃げてくれ――たのむ)


 アントニオは、願った。

 だが、どんなに言葉を尽くしても、かの猛将が引くことはなく、アントニオの意見が受け入れられないのも、わかっていた。

 おそらく、サスペンサー大佐の部隊が、最北端に陣を敷いた時点で、シャトランジは動き出す。

 ラグ・ヴァダの武神の指示で――。

 アストロスとL系惑星群の民を、恐怖のどん底に陥れるために。


(エーリヒを、最初から、イアリアスのアトラクション内に待機させるか)


 だが、サスペンサー大佐の隊があるかぎり、エーリヒが起動して対局しても、おそらく犠牲者は出てしまう。

 作戦が動き出したら、アントニオはもはや動けない。彼にも役割はある。


(どうしたらいい)


 サスペンサーの部隊が、ガクルックス最北端に駐屯するというのは、最近決まったことだった。彼女の部隊は、もとは、ジュエルス海沿岸に置かれるはずだったのだ。

 だが、アストロス内で流布したウワサ――メルーヴァはおそらく、ガクルックス側からくるというウワサ。

 そこに、一番戦闘慣れした部隊が待ちかまえるのは、当然の成り行きだった。

 だが、アントニオにとっては、そのことすらも、ラグ・ヴァダの武神が招いた不吉の象徴に思えた。


 サスペンサー大佐は招かれた。

 ラグ・ヴァダの武神が織りなす、悪夢の生け贄として。


(くそ……)


 アンジェリカの千転回帰と、ルナたちの、クルクスへの到着。

 ペリドットの八転回帰と、エーリヒの、シャトランジ起動。

 両方が、同時に行われなければならない。

 ラグ・ヴァダの武神に感づかれて作戦を変えられれば、すべてが水泡に帰す。


(頼む――どうか、うまくいってくれ)


 アントニオは、ここからは見えないクルクスに向かって、祈りをささげた。





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