337話 ルール・ブック 1
地球行き宇宙船がアストロスに到着する、だいたい二週間前。
バンビが、アストロスのジャマル島に向かう手はずを整えて研究室から出てくると、なぜかハンシックの全員が荷造りを終えていた。
「なんで!!!???」
バンビの目が、眼窩から飛び出たのはいうまでもない。
「ひとりで避難する気か。ずるいぞバンビ!!」
真っ先にルシヤが叫んだ。
「いや、地球行き宇宙船でちゃんと安全な避難場所用意してるって話だからね!? つうかいっしょに聞いてたよね!? ペリドットさんがそういってたじゃない!!」
「バンビさんは、ひとりで旅は無理ですよ」
ジェイクが言った。
たしかにそれはそうかもしれない――セパイローの封印を解く旅は、九庵が一緒だったから、なんとか成し遂げられたことである。
「いやほらでもね、いったと思うけど、あたしが行くとこも安全とは言えないし」
バンビは、ジャマル島にいてもらわなくては困る、とスペツヘムに言われた。
それは、バンビの前世である“バンヴィ”の存在が島にあることで、シャトランジ――今はおそらくイアリアス――がジュセ大陸側に広がるのを食い止められるからだと。
ナミ大陸側で起動されるイアリアス。
スペツヘムの言い分では、おそらく盤は「広がる」。しかし、ナミ大陸とジュセ大陸の間の、アンブレラ諸島にあるジャマル島にバンビが存在することで、ジュセ大陸側には広がらない。
バンビは、その「杭」の役割のために呼ばれるのだ。
「バンビさんは、俺たちについてこられちゃ迷惑ですか」
苦笑しつつのジェイクの言葉に、バンビは驚いて目を丸くした。
「そういう意味じゃ――」
「今さらなんだ」
シュナイクルの呆れ声に、バンビはやっと口をつぐんだ。
「どうせ避難するなら、俺たちもついていくさ」
大荷物を、よっこいせと担ぎ上げながら、シュナイクルは言った。
「それに、おまえが食中毒を起こさなかった料理というのも見てみたいし、味わってみたいしな」
あわよくば、レシピをもらえれば、とシュナイクルはニッコリと笑った。
「シュンは、それが目的ね」
バンビは肩をすくめたが、ルシヤが怒鳴った。
「バカだな! わたしたちは家族だろう!!」
言われたバンビではなく、ジェイクがどこか切なげな顔で、ルシヤとシュナイクルを見た。泣きそうな顔だった。
「家族がいっしょに避難して、何が悪い!!」
なぜか大威張りのルシヤに、ついにジェイクは吹き出し、バンビはじんわりと目頭が熱くなるのを止められなかった。
「う、うん……そうね。まぁ、それも、そうね……」
だんだん顔が歪んできたバンビに、シュナイクルがとどめを刺した。
「今日は気絶するなよ。手が空いていない」
結局、四人そろってハンシックの戸締りを確認し、外に出て、彼方まで広がる草原を見渡した。
――ペリドットの言葉が本当なら、今度ここに戻ってくるときは、この景色が一変しているかもしれない。写真は持ったが、この光景を、四人全員が目に焼き付けておこうとしていた。
ハン=シィクによく似た、この風景を。
今回、pi=poのデイジーは置いていく。ソルテも。それから、ヒューマノイドのデイジーとマシフもだ。彼らには役割があるからだ。
そう、研究所やハンシックの店舗、民宿のコテージ、畑や倉庫を守るという役割が。
通訳の心配はない。ジャマル島にはヨドがいる。
「ペリドットさんの話じゃ、今まで一度も起動したことのない防護装置が、今回初めて使われるかもしれないって話だったけど」
ジェイクが真剣な顔で言った。
「地球行き宇宙船も、無事じゃすまないってことかもしれない」
シュナイクルも重々しく言った。
「なにが起こるのか、おまえは聞いてるのか」
聞かれたバンビは、首を振った。
「聞いたら確実に気絶するから、知らないほうがいいって」
「そのとおりだな」
シュナイクルは嘆息して、大きなリュックを持ち直した。
「そういや、お嬢、ルナのボディガードは、」
バンビは言いかけて――シュナイクル&ジェイクの、すさまじく大げさな身振りの「言うな!」の合図を受け取った。
今度はみるみる、ルシヤの目が潤みだす。
「今回は、危険だから、ルナについていっちゃダメだって……」
すでに話は済んでいたようだ。この様子を見ると、ルシヤは「ルナについていく」と相当ゴネたが、今回ばかりはなにが起こるか分からないので駄目だと、ペリドットあたりにいわれたのだろう。
バンビの予想は百パーセント正解だった。
「ルナはダメだが、バンビのボディガードをしろと言われた……」
「あ、あたしの?」
ルシヤは不服そうだったが、どうやらそれで飲んだらしい。
「さあ! さっさと行くぞ! わたしはケンタウルしか行ったことがないから、楽しみなんだ!」
バンビ以外の皆は、アストロスに降りたのは一度か二度。地球行き宇宙船の送迎用宇宙船が降りる、主要都市ケンタウルにしか行ったことがないルシヤは、ナミ大陸を離れて、アンブレラ諸島まで行くという長い旅を、とても楽しみにしているらしい。
「みんな、チケットはもう取ってあるの?」
「デイジーが」
ジェイクが用意済みの、三人分の紙チケットを掲げた。バンビは笑った。
「用意がいいのね。じゃ、行きましょうか」
バンビ一行――アストロスに降り立つまではよかったが、さっそくそこから行き詰まっていた。
「想定外だわ……」
バンビがうろたえるのも無理はない。彼は先日と同じ、ケンタウル・シティからジャマル島までの行路でチケットを購入していたのだが、なんと、地球行き宇宙船の送迎用宇宙船が降り立ったのは、ナミ大陸ではなく、ジュセ大陸のほうだったのだ。
ジュセ大陸の南、メンケント・シティの首都ミカルディン。
インフォメーションで確認すれば、すでにケンタウルはメルーヴァとの戦争に向けて封鎖されている。ナミ大陸はもう入れないらしい。
「じゃあ、地球行き宇宙船から観光に来るやつは、みんなこっち側に降りるのか」
ジェイクが言った。
船客や地球行き宇宙船の住人が降りるのは、こちらのジュセ大陸。
しかし、厳戒態勢のナミ大陸とは違い、こちらはのどかなものだった。海へ隔てて向こう側の大陸で戦争の準備が始まっているというのに、こちらはそんな緊迫感はまるでない。
地球行き宇宙船の送迎宇宙船が降りるだけあって、ケンタウルには及ばないが、なかなか大きなスペース・ステーションだ。
「チケットを取り直さなきゃ……」
キャンセルはできるのだろうか、返金は可能かどうかなど、あわてふためきはじめたバンビに、シュナイクルは肝心なことを聞いた。
「そもそも、ジャマル島までの便は出ているのか?」
――アンブレラ諸島に出る便も欠航ばかりだった。
結果として、進退窮まったバンビから連絡をもらったアントニオが手配して、アストロス軍に動いてもらい、軍用機で直接ジャマル島まで運ばれたバンビ一行だった。
そこまでで、なんと一週間が経過していた。
このあいだはフェリーでたどり着いた海岸の港に、軍用ヘリで運搬されたバンビは、やはり酔った。
「ダメだ……軍とはやっぱ相性が悪いわ……」
口にこそしなかったが、バンビは内心うなだれた。ルシヤは初めて乗る軍用機に好奇心爆発で、元気いっぱい。だれとでもすぐ仲良くなれるシュナイクルとジェイクが、軍人たちと世間話をかわすのを横目に、バンビはひとり真っ青な顔で横たわっていた。
浜辺には、このあいだ同様、村人御一行さまと、ヨドとフドが待ちかまえていて、大歓迎してくれた。
「――スペツヘムさん! レイーダさんも!」
ヨドの車で連れていかれた場所も、以前と同じ、島唯一のホテルだった。そのロビーで、懐かしい顔と再会したバンビは、感極まって気絶しそうになった。少し。ほんの少しだ。だれの平手もいらなかった。
「アレクサンドル博士――いや、バンビさんもお元気そうで」
平然とした顔で挨拶するスペツヘムもレイーダも、一度は死んだ身である――まさか、ほんとうに生き返っているなんて――バンビは目を疑ったが、ふたりは苦笑した。
「足はありますよ」
「自分でも驚いていますが、このとおり生きています。……ペリドットさんには、感謝してもしきれない」
実際によみがえらせたのはペリドットだけど、よみがえりの「モモ」を持ってきてくれたのはルナだわ。
バンビはそう思ったが、言わなかった。
言葉少なくも、感慨深く再会を喜び合った三人だったが、あいさつもそこそこにスペツヘムが言った。
「早速ですが、バンビさんが来られると聞いて、用意していたものがあったんです」
「用意?」
「ええ。村の方々とお話しすることもあると思いますが、すこしお時間をいただけますか?」
バンビが後方を見ると、すでにハンシックのメンバーは、ヨドの通訳を頼りに、宿泊する部屋に案内されるところだった。
「あとで迎えに行きます。お話があるなら行ってください、バンビさん!」
察したジェイクがそう叫んでくれたので、バンビはスペツヘム親子についていった。
招かれたのは、親子が宿泊している部屋だった。
「これを」
部屋に入るなり、椅子よりお茶より先にスペツヘムが差し出してきたのは、B5サイズの冊子だった。簡易にホチキスで止めてあるだけの。
「――え!?」
タイトルを見てバンビは目を剥いた。
――シャルディオンネの回顧録。
「シャルディオンネは、アストロスの古代言語で“サルディオーネ”。これは、サルディオーネの日記なんです」
「しかも、千年前――おそらく“シャトランジ”をこの地に作ったサルディオーネの」
親子は矢継ぎ早に言った。
「サルディオーネ……」
「ええ。彼は――彼かどうか、分かりませんが。サルディオーネはL03の民だったはずですが、最期の地はこのジャマル島だったようで」
「ホント!?」
「ラグ・ヴァダの言語でなく、アストロスの古代言語で記録してありました――おそらく、簡単には読めないようにしたのではないかと」
バンビは息を飲んで冊子を見つめた。それだけの重要機密がここに隠されているのか。
コピー用紙を束ね、ホチキスで止めただけの冊子は、用紙も真新しい。おそらくは、親子が訳してまとめてくれたのではないか。
バンビの予想はここでも当たった。
「ええ。私どもは、アストロスの古代言語が、すこしは分かりますから」
スペツヘムはうなずいた。
「アストロスの武神の子孫であるわれわれは、多少なりとも、教養として古代言語を学びます。専門用語が多いとお手上げになりますが。この地は古代言語を使う者がほとんどなので……」
「長老や、ヨドさんにもご協力いただきました」
「どこでこれを?」
バンビの問いに、スペツヘムはまたしても苦笑い。
「灯台下暗しというやつでしてね」
このホテルの古文書館に、保存されていたのだという。
「ウッソ!?」
それならどうして、バンビがこの島を訪れた際に教えてもらえなかったのか。
親子は顔を見合わせた。
「我らがこれを見つけたのは、暇を持て余して古文書館に出入りしていたからです」
アストロスは平和なので、どちらかというと人の性質はのんびり寄り。この島はへき地なこともあって、さらにのんびりとしている。
「つまり――」
親子は言葉を濁したが。
「つまり、聞かなきゃ教えてもらえないってことね?」
微妙な間が流れた。
長老は耳が遠いし、バンビが初めてこの島に来たときも、あまり意思疎通ができなかったことを思い出した。こちらから積極的に聞かないかぎり、教えてもらえないということだろう。村人たちはおおらかすぎて、気配りが足らなかった。
「メルーヴァがこの島に来たと、バンビさんもお聞きになったはず」
「え、ええ……」
「長老が言うには、メルーヴァは、ジャマルの駒を受け取りに来たこともそうだが、一番は、この書物を探しにきたのだそうです」
「そうだったの!?」
バンビは絶叫した。
「これは、“シャトランジ”のルール・ブックも兼ねているからだそうです」
バンビはしばらく頭を抱え、親子の「無理もない」という視線を浴びながら、ようやく顔を上げ、冊子を見つめてごくりと息をのんだ。
「じゃ、じゃあ、……」
「複製の冊子のほうを渡し、帰らせましたが、元の書物はここに残ったわけです」
その原本を、スペツヘム親子が訳し、まとめた。
「この本を読んでもらえれば分かりますが、進化したイアリアスは、またシャトランジとはちがうものです」
バンビは冊子を両手でつかみ、次から次へと頭をよぎる思案に、どれから手を付けたらいいか悩んだ。
クラウドとエーリヒは、このことを知っているのだろうか?
これは、今すぐ、エーリヒ本人か、アントニオかペリドットに知らせるべきでは?
ザボンは? たしかフライヤといっしょに「シャトランジ」の文献を探していたはず。
だれに知らせる? メールか、物販用シャインでザボン市長に? それともフライヤ――。
「とりあえず、読んでみてください。もし、知らせる先があれば、私たちにも協力させてください。コピーは、最終的に廃棄する約束をして、もう二部取ってあります」
スペツヘムが、一気にバンビの悩みを晴らした。
「あ、ありがとうございます……!!」
バンビは促されるまま冊子を開き、読み始め――早々に、叫び声を上げる羽目になった。
「なぜあちこち回る前に、これを読めなかったのか……!!」
バンビはのけぞり、ちょっぴり悔し涙を流した。
二、三ページ読んだだけで、バンビが疑問に思っていた謎がすべて書いてあった。
スペツヘムとレイーダも、「気持ちは分かる」という顔をしていた。
ここの住民は、かなり「呑気」寄りなので――。
メルーヴァに渡した時点で、バンビにも渡してくれたらいいのに。バンビが対局するわけではないからいいと思ったのか。それとも、シャトランジは進化するから、これは役に立たないと思ったのか。
「もういいや。今さら考えてもしかたがない」
バンビは目をかっぴらいたまま読み進めていたが、突如、部屋全体を真っ白にした閃光に、文字通り飛び上がった。
「な、なに!?」
ついで、ゴロゴロと鳴るいかづち。
「始まりましたね」
レイーダが、窓の外を見ながら言った。
「始まったって、なにが!?」
見れば、外は、海のほうからすさまじい勢いで暗雲が押し寄せていた。思わず立ち尽くしてしまうほどの速さで。黒雲の隙間がチカチカと光り、時折、ドォンという落雷の音が聞こえる。




