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キヴォトス  作者: ととこなつ
第八部 ~サヨナラ篇~
827/918

335話 サヨナラ 2


 アズラエルは、まるで呼ばれるように、真砂名神社の階段のまえに立っていた。

 夜、ここに来たのは、「地獄の審判」以来だ。あのときは、昼夜関係なく、ここにいた。


 階段の脇、拝殿へ向かって一直線に灯篭が灯されている。アズラエルは拝殿まで行かなかった。ただ、階段の下で、上を見上げていた。

 アズラエルは、ミシェルやルナのように、「そういった空気」はさっぱりわからないが、夜闇にしては、空気がやわらかい気がした。


 そういえば、セルゲイが、「夜の神が君を案じている」と言った。


(まさか、同情でもされてるのか)


 そう思ったとき、サルーディーバがめのまえにいたので、アズラエルはさすがに声をあげそうになった。びっくりしたからだ。


「……っ、びっくりさせるな!」

「アズラエルさん」

 サルーディーバは、深刻な顔で言った。

「宇宙船を降りるとはまことですか」


 こいつもか。

 どいつもこいつも、俺の降船を大ごとにしやがる。


 アズラエルがイヤな顔をしたところで、サルーディーバは顔を伏せた。


「……降りるのですね」

 人の考えを読むなといいかけて、アズラエルは、別の嫌味を思いついた。

「よかっただろ、俺が降りて。俺が降りればグレンとルナは無事くっつくぞ」


 サルーディーバは、悲しげな目でアズラエルを見つめた。


「降りないでください」

「――は?」

「わたくしの――わたくしの浅慮から行いました浅はかな行動は、幾年にわたっても、なにをしても、お詫び申し上げます。ですから、宇宙船を降りないでください」


 サルーディーバはいきなり、深々と頭を下げた。それは、彼女がいたL03での、正式な詫びの仕方ではなく――いわゆる、土下座というものだった。

 さすがのアズラエルも、言葉を失った。


「やめろ」

 地面に膝をつき、手をついて頭を下げるサルーディーバは、なお言った。

「わたくしの、誠でございます。あなたとルナを引き離そうとしたことを、お詫びいたします。ですから――どうか、」

「参ったな」


 サルーディーバに土下座などさせたら容赦なく処刑だろう。

 今が夜で、だれにも見られていないことが救いだ。

 アズラエルは頭をかいてサルーディーバを助け起こそうとした。

 だが、彼女は、頑として起きない。


「ラグ・ヴァダの武神を倒すのに、あなたの力は必要です! わたくしは、決戦が近づけば近づくほど、自分がどれだけ愚かなことしてきたか思い知って――身が縮まる思いでございます。あなたを、降ろそうなどと――サルーディーバとあろう者が、姑息(こそく)な手をつかって――」


 アズラエルは、非常に困った顔をしたが、サルーディーバは半永久的に気付かないだろう。なにせ彼女は、地面に突っ伏しているのだから。


「俺が降りたら、グレンがルナとくっついちまって、アンタがグレンとくっつけなくなるからか?」


 アズラエルは冗談のつもりだった。とにかく、この重苦しい空気を取り払いたかった。だが、サルーディーバはさらに、目に涙をためた。逆効果だった。


「そんなこと――思っておりません! わたくしは、二度とグレンさんと結ばれなくとも――いいえ! 命を懸けても、あなたの降船をお止め申し上げます――! 浅はかな行動の報いとして――」


「命!?」


 この高貴な女性が言うことには、冗談のJの字もないのは、アズラエルも分かっている。


「う、おいっ! ナキジン! 出てきてくれ! なんとかしてくれ!」


 さすがのアズラエルも、助けを求めた。階段すぐ下の店舗「紅葉庵」はすでに店じまいしていたが、引き戸を開けて、ナキジンが出てきた。


「泥棒か!? ン? ――アズラエル!?」

「ナキジン! なんとかしてくれ!」


 アズラエルにすがるサルーディーバを、なんとかなだめて引き取ったのは、ナキジンだった。

 ナキジンは、サルーディーバとアズラエルに温かい番茶を出してやり、室内のベンチに座らせ、事情を聞いた。


「おまえさん、宇宙船を、降りるんかい!」

「ああ」


 ナキジンは驚いたが。

 すぐにアズラエルの顔をマジマジと見つめ――首を振った。


「なあんじゃ。おまえさんは、降りんよ」


 その言葉に顔を上げたのは、サルーディーバだった。


「――え」

「魂は、ここにある」


 ナキジンは、ベンチの上をポンポンと叩いたが、ここにあるというのはベンチの上ではなくて、宇宙船を示しているのは、アズラエルにもわかった。


「おまえさんは今夜、ここへ来た。神さんが、おまえさんの魂を預かった。つうことは、おまえさんはもどってくる。そう、時を待たずしてなァ」

「……」

「それは、ほんとうですか」

 サルーディーバは、ナキジンにすがった。ナキジンは番茶を干し、アズラエルの肩を叩いた。

「だってもう――終わったんじゃよ」

「……」

 

 夜の神が、アズラエルの身を案じ。

「父だった」サルーディーバが、アズラエルの身を案じて、寒空の中、手足を凍えさせて、この神社で彼を待っていた。


 それはまるで、「終わった」という、ひとつの証のようなものかもしれなかった。

 だが、この得体のしれない痛みは残っている。

 長の年月、負い続けた痛みは――。


 アズラエルは、ふと、そんなことを想ったが、すぐに振り払った。

 ナキジンの言葉を聞いたサルーディーバは安心したようだ。

 アズラエルは、「ごちそうさん」と言って立った。


「わしゃァ、別れの言葉は言わんぞ」


 おまえさんはちょいと、出かけるだけじゃし。

 ナキジンは笑って、アズラエルを見送った。

 

 



「降りるんだって?」

 ラガーの店長は、黒ビールをアズラエルのまえに置いて、至極軽く、そう言った。

「ああ」


 今日は、アンのショーはやっていないようだ。アンはガンの治療をしながらステージに立つので、体調の悪いときは、店に出られない。


「アンさんのショー、もう一度見てから降りたかったな」

「だっておまえ、すぐもどってくるんだろ。役員になって」


 サルーディーバは重すぎるが、コイツは軽すぎる。


「でもまあ、よくここまで乗ったよ。傭兵がここまで来るって、なかなかねえよ。でも、地球まで行けば、いろいろ免除になるのに、残念だったなあ」

「……ああ」

「おまえが派遣役員かあ……想像できねえな」

「気が早えよ。それより、俺が役員になるまで、店をつぶすなよ」

 オルティスは笑った。

「そりゃ、おまえ次第だな。いつまでも合格しなけりゃ、俺がヨボヨボになって引退しちまう」


 客に呼ばれた店長が、そちらへ行くのを見て、アズラエルはビールに口をつけた。

 屋敷に帰らなくなって三日。

 探査機というものの存在がありながら、クラウドですら、アズラエルに接触して来ようとしなかった。

 アズラエルとしては、ほっとしていた。なにがあろうが降りることは決めているが、クラウドあたりは、しつこいから――。


「おい」


 よりにもよって、アズラエルを追って来たのが、この男だったとは。

 アズラエルは意外だった。

 アズラエル同様、口の端が切れた男、グレン。お互い、カウンターパンチで沈めあうところだったのだから、似たような箇所が切れていて、おそろいだ。似たような面を突き合わせるのは、アズラエルにとってもグレンにとっても不愉快なのは間違いないのに、なぜ、この男は来た。


「もどれ」

 グレンは前置きもなく言った。ペリドットのようだ。

「ルナが泣き止まねえ――見てられねえんだよ」


 おまえのためではないと、グレンははっきり言った。

 アズラエルが出ていった日から、ルナは泣き止まない。必死で笑顔を見せるが、それが痛々しくてならない。


「降りるなら降りるでしかたねえが、せめて、降船の日まで屋敷にいろ」


 グレンは苦々しげに言ったが、アズラエルは、返事すらしなかった。だまって、席を移動しようとする。グレンはさすがに腹が立って、アズラエルの腕をつかんだが、なんとか怒りは鎮めた。

 今回ばかりは、派手なケンカをするわけにはいかない。なんとしても、アズラエルを説得して屋敷へ連れ帰らねば、ルナが崩壊する。


「クラウドがしつこくてイヤなら、俺とセルゲイでだまらせる。エーリヒもいる。だから、帰ってこい」


 グレンの口から、帰って来いという言葉が出るとは。

 アズラエルも、驚いたし、グレンも驚いていた。だが、アズラエルは、「帰る」とは言わなかった。


「……おまえが慰めればいいだろ」

「……!?」

 グレンは、目を剥いた。アズラエルの口から出た言葉にだ。

「おまえでも、セルゲイでもいい。――ルナをものにするチャンスがようやく巡ってきた。うれしいだろ」


「てめえは……っ!!」


 ふたたび、怒りに眉を吊り上げたグレンがアズラエルの胸ぐらをつかんだ。


「おい、待て!」


 気づいたラガーの店長があわてて寄ってきたが、グレンの拳を止めたのは、オルティスではなかった。


「あじゅ……?」


 ルナが、ラガーの扉を開けて、入ってきたのだ。目を真っ赤にして、化粧でもごまかせないほど、泣きはらした顔で。

 外は寒い。なのに、ルナはコートも着ていなかった。ワンピース姿で、素足が寒そうだ。


(ルナ――)


 どうしてここに、と思う前に、抱きすくめたい衝動に駆られる。

 アズラエルはすぐさまルナに駆け寄って、抱きしめて、暖めてやりたいのを、想像を絶する自制心でこらえた。


(怖かったはずだ)


 ルナは、K34区を怖がっていた。特に、夜に来るのは。

 アズラエルも絶対行かせなかったし、ルナも行きたがらなかった。

 でも、アズラエルに会いたくて、来たのか、ひとりで。

 怯えながら――寒さに、震えながら。


 どうしてだれも止めなかった。

 グレンの顔を見ていれば、ルナがひとりで来たことは分かる。


「アズ」


 アズラエルを見つけて、ルナの顔がほころぶ。アズラエルは、目をそらした。


(笑うな)

 ――俺を見て、そんな顔で笑うな。


 アズラエルは、ルナが一歩、二歩とこちらへ歩み出したとたんに、動揺したように紙幣をカウンターに置き、店を出た。


「アズ――」

「待て! アズラエル!」


 ルナがふらふらと追おうとするのを止め、グレンがアズラエルを追った。ラガーの外へ出る。

 外は、雨雪が降っていた。今年初の雪だ。


「アズラエル!」


 グレンの大声が、アズラエルの足を一瞬、止まらせた。


「アズ」


 ルナも外に出てきて、駆け出して――雪に滑って、転んだ。ワンピースは、水分と泥を吸って、びしょびしょになった。グレンがあわてて助け起こす。

 ルナは顔についた泥もぬぐわず、言った。


「アズ、あたしね――アズがいたから、こんなに強くなれたの」


 ルナの声は、かすれていた。ここ数日、涙も枯れるほど泣き続けて、かすれた声が。


「あたし、ほんと、引っ込み思案で、ぼうっとした子で……」


 そんなあたしを、広い世界に連れ出してくれたのは、アズだった。

 あたしを、たくさんのものに出会わせてくれたのはアズラエル。いろいろなところに連れて行ってくれて、たいせつにしてくれて。

 バーベキュー・パーティーをしたり、たくさんのひとと――ピエトと出会えたのもアズのおかげ。


「アズがいなかったら、あたしは――」


 ルナに、たくさんの幸せを教えてくれたのは、アズラエルだった。


「あたしは、あたしは、アズに殺されたとか――後悔はしてないの」


 アズラエルの背が大きく揺れた。


「アズは、そんなものを越えて、あたしを大切にしてくれたの。だってぜんぶ、あたしのせいなんだから――!」


「――おまえのせいじゃない」


 そうだ。

 ルナを愛したのは自分で、傷つけたのは自分で。


「おまえのせいじゃない……」


「あたしはだって、……アズが大好きだもの」


 アズラエルは、振り返らなかった自分をほめた。

 ここで振り返れば、ルナを抱きしめてしまうだろう。そうして、(もと)木阿弥(もくあみ)にもどる。自分はさだめに負けて、またルナを殺し、すべてを台無しにする。

 白ネズミの王であるメルーヴァと、白ネズミの女王であるアンジェリカの決意も、彼らが前世から準備してきたものを、すべて崩してしまう。

 カサンドラの悲惨な末路も、ペリドットやアントニオが築き上げてきた計画のすべても、アズラエルのさだめひとつで、崩壊するのだ。


(それだけは、させるわけにはいかねえんだ)


「ルナ、グレンと一緒に、屋敷に帰れ」

「――あじゅ!」

「おまえにはやることがある。俺にもだ――そうだろ」


 アズラエルは、振り返らずに、雪が降る街中に消えた。


「アズ! ――あじゅ、ア――」


 アズラエルを追おうとするルナを、グレンが止めた。


「……冷え切ってる」


 ワンピースを汚した水分が、グレンのTシャツにも染みてくる。つめたい――グレンは、ルナをコートでくるんで、抱きしめた。


「ルナ――帰ろう」

「ひ――ぐ」

「帰ろう。風邪を引く」


 ルナひとり、無理にでも抱えて帰るのは、グレンには造作(ぞうさ)もないことだった。しかし、グレンの腕に、力が入らないのだった。

 悲しいのか、空しいのか――このあきらめにも似た感情は、何度も味わってきたものだ。

 だが、今ほど説明のつかない気持ちはない。

 数多の友人を、あの屋敷から、宇宙船の玄関口から見送ってきたルナが、一度も見せたことがない必死さだった。

 グレンは、自分が泣きたいのをこらえて、ルナに訴えた。

 力づくで連れていくことは、できなかった。


「ルナ、家に帰ろう」

「アズ――アズ、アズ――!」

「ルナ」


 雪まみれのグレンとルナを、小走りで迎えに来たのは、セルゲイとクラウドだった。





 アストロス到着を明日に控えたその日、K15区の搭乗口では、ふたたびバーベキュー・パーティーのメンバーが出そろった。


 見送られるのは、ミシェルとリサ――そして、アズラエル。


 ピエトは、めずらしく気丈だった。頼もしい顔つきでアズラエルと拳を合わせ、「安心しろ、ルナは俺が守る」とアズラエルに固く誓った。


「ああ。頼むぜ」


「リサ、あんた、ずっとともだちだからね!」

「分かってるわよ」

 ケンカばかりだったリサとキラが、今日は号泣しながら抱きあっている。

「元気でね――でも、また絶対会えるわ。そんな気がするもん」

「そうよね」

 リサは、レディ・ミシェルとも、ハグをかわした。


 そしてリサは、最後に青白い顔をしているルナのもとへ来て、言った。


「ルナ」


 ルナは、顔を上げた。リサは苦笑していた。目が腫れぼったい幼馴染みをまえにして。


「アズラエルは、かならずあんたのところへもどる。――ほんとよ」

 リサは確信を込めた口調で言った。

「アンタを地球行き宇宙船に乗せたあたしが言うんだから。信じて」


 ルナは、堪えきれず、しゃくりあげた。


「あたしとも、また、かならず会えるから」


 そうして、リサは、幼馴染みを抱きしめた。――まるで、母親のように。


「リサとアズラエルが降りるってことで、俺の影が薄いな」

 ミシェルは苦笑気味に、ルナの肩に手を置いた。

「ありがとう。ルナちゃん、楽しかったよ」

「ひぐっ! ひぎっ……みしぇ、みしぇ、」

 言葉にならないルナを、ミシェルは一瞬だけ抱きしめた。


『L系惑星群L80行きのL355便、搭乗ゲートが開きました』


 何度も聞いてきたアナウンスが、ルナを現実に引き戻す。

 アズラエルが目の前にいた。


(そんなにさみしそうな顔をしないで)


 もどってくるなんて、ウソだ。

 ねえ、神様。

 あたしとアズを、引き離さないで。


「ルナ」

 アズラエルの、あまりにもかすかなキスが、髪の毛に落とされた。

「さよなら」


 アズラエルは、別れを告げたときから、一度もルナを愛称で呼ばない。

 ルナは、嗚咽のあまり、言葉が出なかった。


(アズ! アズ! アズ!)


 慟哭が胸を襲う、くるしくて、立っていられない。追いかけられない。

 アズラエルは背を向けた。

 振り返らずに、歩いていく。


 ――振り返ってはならないと、アズラエルのすべてが警告する。


 それがはじまりだった。すべてのはじまりだった。

 振り返ってしまったあの日から、この世ならざる美しい女神に、自分のさだめは狂わされた。


 どんなに恋しい声が自分を呼ぼうとも、振り返っては、ならない。

 

「アズ――!!」




第八部 完

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