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キヴォトス  作者: ととこなつ
第八部 ~サヨナラ篇~
826/934

335話 サヨナラ 1


 ニックの言葉は正解だ。


 アズラエルは、自分がアストロスの兄神とシンクロできない理由も知っていた。いいや――シンクロはおそらくできるのだ、している――といっていい。


 シンクロするがゆえに、ますます増幅される恐怖。


 アズラエルだけではない。

 アストロスの兄神も怯えている。

 アズラエルのすべての前世が怯えている。


 ――ルナをその手にかけてしまわないか、ということを。


「それは、たしかか」


 ペリドットは、アストロス到着目前になって、任務から降りると言いだしたアズラエルを、怒るでもなく、静かな双眸(そうぼう)で見つめた。

 この男は、普段はいいかげんなくせに、いきなりひとを見透かすような目をする。


「たしかだ。……おまえだって、分かってるんだろう。俺もそうだが、アストロスの兄神が怯えてるってことも」

「……」


 なにに? ラグ・ヴァダの武神にではない。

 ルナを、その手にかけてしまうことだ。


「俺は――俺は、信じたくはねえが、ずっと、ルナを――この手で、」

「アズラエル」

「俺が、おまえたちの計画を台無しにしないと、どうやったら思える? 俺が、なにかの間違いで、またルナを手にかけてしまったら?」


 すべては、水の泡だ。


 アズラエルに、表情はなかった。すべてを閉じ込めた、なにもない表情だった。

 それがペリドットには、あまりにも悲痛に感じられた。


「アントニオに聞いたところによると、この計画では、グレンひとりでも、ラグ・ヴァダの武神は倒せる」

「ああ、そうだ」


 それは間違いがなかった。アストロスの兄弟神のどちらかでもいい。


「俺を、任務から外したほうがいい」

「……」


 ペリドットは返事をしなかった。


「それで、おまえはどうする気だ」

「しばらく、ルナから離れる」

「離れる?」

「……別の任務に着く。ボディガードだ。俺はL系惑星群にもどる」

「このまま、地球には行かないということだな?」

「そうだ。……俺が今、ルナのそばにいるのは危ない」

「ルナに対して明確な殺意が?」

「そんなものはねえ。思ったことも、ねえよ」


 そうだった。でも、怯えている。アズラエルのすべてが。ルナを傷つけることを。

 ラグ・ヴァダの武神との戦いで、アズラエルは剣を持つ。

 まかり間違って、ルナを傷つけるようなことにでもなったら。


「アズラエル」

 ペリドットは、変わらぬ静かな声で言った。

「おまえがそうしたほうがいいというなら、そうしたほうがいい。――だが」

 背を向けたアズラエルに、ペリドットの言葉が染みた。

「俺は、おまえを疑ったことは一度もない」


 アズラエルは、不覚にも涙が出るところだった。だまって、遊園地をあとにした。


 屋敷にもどったアズラエルは、感慨深い気持ちで、屋敷の外観をながめた。


(ふたたび、ここに帰ってくることは、できるか?)


 ドローレスに、「ルナと結婚させてください」と、はっきり言えなかったことを、心のどこかで安心していた。アズラエルの迷いを、ドローレスも見抜いていたかもしれない。

 しかし、ドローレスは、アズラエルに言った。

「ルナを頼む」と。

 アズラエルは、決意して、拳を握りしめた。

 

「おかえり、アズ!」


 部屋にもどると、ルナがいた。

 あいかわらず、ZOOカードをならべて、似合わない小難しい顔をして。

 でも、アズラエルを見ると、ほころぶような笑顔を見せる。

 アズラエルは笑おうとして、失敗した。

 もう、この笑顔が見れなくなる。アホ面をつつくこともできなくなる。

 しばらくだと――ほんのしばらくの別れだと、どうしてそう、言い切れる?


「ルナ」

 アズラエルは、冷静に告げた。――つとめて。

「契約解消だ」


 ルナの顔が凍り付いた。


「……あじゅ?」


 ルナは一瞬、すべての表情をなくし、それから、無理に笑みをつくった。


(わかっている)


 こんな顔をさせたいのではない。だが、自分はそうしなければいけない。ルナから、離れなければならない。

 自分の運命から? いや、ルナを、この手にかけてしまうことからだ。

 あんな絶望は、もうたくさんだ。

 アズラエルは、深く深呼吸をし、ルナに近づかないようにして、ソファに座った。


「ルナ、――俺は、最初の予定通り、ミシェルのボディガードとして、宇宙船を降りる。つまり、メルーヴァ討伐の任務には参加しねえし、今回のツアーでは地球に行けない」


 ルナはこくりと唾をのみ、信じられない顔をした。


「――どうして?」

「おまえは不安じゃなかったのか」


 ルナは、アズラエルがなにを言っているのか、ほんとうに分からないようだった。

 これが、ひとと神の差なのだろうか。

 ルナは強靭だ。自分では、まったく気づかないだろうが、彼女は強靭だ。


「俺に、殺されるかもしれないとは、考えなかったのか」

「――!」


 ルナの目から、みるみる、涙があふれ出た。ルナは慌てて、袖で涙をぬぐった。


「ち、ちがうの! 怖くて、怖くて、泣いてるんじゃないの!」

「ルナ」

「……なんで? どうして? 終わったってゆったよ?」

 ルナは、アズラエルの分厚い手を、両手で握った。

「みんなおわったの! アズ、みんな――」

「俺は、そうは思えねえ」


 アズラエルの手は震えていた。

 ルナは、驚き、それから、必死で――まるで(すが)るかのように、震えるその手を握り返した。だが、アズラエルの震えは止まらない。


「俺は――怖いよ」


 ぽつりと、彼は言った。アズラエルの口から、こんなに弱々しい声が出るなんて、思っても見なかったルナだった。


「また、おまえを、手にかけてしまうかもしれないことが」

「アズ」

「だが信じてくれ。俺は――おまえを、殺したいと思ったことなんて、ほんとうに、一度もないんだ」


 今世は。そうだった。誓える。


「アズ――」

 ルナは泣きながら言った。

「信じてるよ。あたし、信じてるよ?」

「俺が、俺自身を、信じられない」


 ルナはその言葉に驚愕した。アズラエルは、ゆっくり、ルナの手を、自分の手から離した。そして、ルナの額にキスをした。

 今まで一度も、そんなことをしなかったアズラエルが、キスをした。

 どうして?


「俺は、おまえのボディガードだ」

 これじゃ、しばらくの別れなんかじゃなく、まるで――。

「おまえを傷つける可能性のあるものを、おまえのそばに置いておくことはできない」

「……」

 ルナはなにも言えなかった。

「ピエトに話してくる」


 ルナは、ふらふらと、部屋を出た。――廊下に、呆然とたたずんだ。混乱して、頭がおかしくなりそうなのに、なにも考えられない。


(うさこ、うさこ、うさこ……)

 ルナは呪文のように、月を眺める子ウサギを呼び続けていたが、応答はない。

(うさこ)


 ルナの様子がおかしいのはピエトにもわかった。ルナの背を見つめながら、「どうしたの?」と、緊迫した顔で、ピエトが部屋に入ってくる。

 ルナとアズラエルと離れ離れになることに、かなり神経質なピエトだ。この、「短い」別れを、重く告げてはならない。


「ピエト」

 アズラエルは、ピエトを膝に乗せ、一度だけ、抱きしめた。

「ピエト、俺は、宇宙船を降りなきゃいけなくなった」


「えっ――!?」

 ピエトの目が、まん丸くなった。

「ウソだろ!? なんで……」


「いいか、よく聞け」

 アズラエルはピエトを興奮させないように、背を撫でた。

「ミシェルの話は聞いてるだろう。――ああ、そうだ、男のほう」

 ピエトは、こくん、とうなずいた。

「俺は、ミシェルのボディガードをするために、宇宙船を降りなきゃいけねえ。おまえは、宇宙船に残って、ルナのそばにいるんだ」


 ピエトもまた、ルナと同じように、こくりと息をのむ。


「俺は、今回は地球には行けねえが、宇宙船役員になるための最低航路までは到達した。……ミシェルのボディガードの仕事が終わったら、L55でおまえらが帰ってくるのを待つ。だから、おまえはここに残れ」


「な、なんで」

 ピエトは、やっとの思いで言った。


「おまえを連れて行ってもいいが、ミシェルはマフィアに狙われてる。俺と一緒にいるより、宇宙船のほうが安全だからだ」


「ちがうよ!」

 ピエトは叫んだ。

「どうして、アズラエルは降りるの?」


 ピエトはごまかされない。アズラエルが今言ったことも嘘ではないが、アズラエルの本当の気持ちを知りたがっている。アズラエルはひとつ嘆息し――やがて、言った。


「俺がルナのそばにいると、危険だからだ」

「……!」


 アズラエルとピエトの話は、一時間にも及んだかもしれない。とにかくルナは、あまりにショックが大きすぎて、時間の感覚がなかった。ルナは一時間ものあいだ、廊下に立ち尽くしていたことになる。


 部屋から、ピエトが出て来た。彼は神妙な顔をしていたが、泣いてはいなかった。ずいぶん、困惑した顔をしている。

 それどころか、ルナの手を取り、

「アズラエルは、ぜったいもどってくる。ルナのところへ。だから、安心して」

 とまるで導きの子ウサギのようなことをいうものだから、ますます、ルナはなにも言えなくなった。


 アズラエルが説得しなければならない相手は、ルナとピエトだけではなかった。この屋敷の者全員が、「アストロスの任務」に関わっているからだ。

 アズラエルは、食事のあと、大広間に皆を集めて、降船の意志を告げた。

 皆が皆、反対すると思いきや、反応はさまざまだった。


「しかたのねえことだ、それは。アズラエルのいうことも一理ある」

 バーガスは言った。

「アズラエルはミシェルの任務を先に請け負った。アストロスの任務より先にだ。任務のでかい小さいは関係ねえよ。最初に請け負った任務をまっとうすべきだ」

 メフラー商社の傭兵ならな、と付け加えて。


「それに、話に聞けば、L20からだいぶでかい軍勢が来てるって話で」

 レオナも言った。

「メフラー商社とアダム・ファミリーの連中が呼ばれたのは、たぶん諜報のためだよ。どう考えても、このあいだアストロスで見つかったメルーヴァ軍より、L20の軍が多い」


 セシルも、レオナがもらった任務要綱の用紙を見つめて言った。


「マクハラン少将の大隊が、エリアE002にあって、アズサ中将の隊まで、地球行き宇宙船の警備の補強に入ってるって。これじゃ、どう考えてもメルーヴァに勝ち目はないし、アズラエルひとりがいなくても、戦況に変わりはない――だいじょうぶなんじゃないかな?」


 もしかしたら、「宇宙船の特殊部隊」の出番はなく、メルーヴァはあっけなく逮捕されて終わりかもしれない。

 それが、傭兵組の意見だった。


「……ペリドットさんは、なんて?」


 思いのほか、アズラエルを労わるような口調で聞いたのは、セルゲイだった。


「俺がそうしたいと思うなら、そうしろって」


 アズラエルが正直に言うと、すこし考えるそぶりを見せ、「不安かい?」と聞いた。


「……おまえは、不安じゃねえのか」


 苦笑いしたアズラエルに、セルゲイは、アズラエルも予想外の言葉を口にした。


「私は、君を疑ったことは一度もないよ」


 それが、ペリドットの言葉と同じだったために、アズラエルは一瞬、うろたえた。


「夜の神もそうだ。どちらかというと、君の身を案じてる」


 心を――とセルゲイは、口の中でつぶやいた。セルゲイと同じく、痛みの共有をしているのだろうグレンは、めずらしくなにも言わなかった。


「……アズラエル、ルナちゃんを、置いていくの?」


 ルナの頭を抱きしめ、悲しげな顔で抗議をしたのはジュリだった。彼女の口調には、非難があった。大事な話のときには、()頓狂(とんきょう)なことを言って引っ掻き回さないように、気を付けていたジュリだったが、今日は我慢できないようだった。


「ジュリ」

 レオナが、ジュリの肩を撫ぜながら、言った。

「永遠の離れ離れじゃない。今回の任務が終わったら、ルナちゃんとアズラエルは、L55で会える。何年もかかるんじゃない。来年の内には会えるんだよ? そんなに心配しなくていいんだよ」

「……」


 エレナとカレンとの別れを経験したジュリには、ルナとアズラエルの別れが、ひどく沈鬱(ちんうつ)に感じられたのだ。

 ルナはぼんやりと、ミシェルがリサを励ましたときの言葉と似ているな、と思った。


「俺は反対だ」

 頑として反対したのは、クラウドと、ミシェルだった。

「言ったじゃないか、アズ――この世界に、君とルナちゃんふたりだけじゃない」


「クラウド」

 エーリヒが止めたが、クラウドは言い募った。

「俺たちがいる。アズが不安に思うようなことが起こったときは、俺たちが止められるって――」


「そうだよ!」

 ミシェルも力説した。

「いくらグレンひとりでだいじょうぶな作戦だからって――ダメだよ! これは、あたしの直感だけど――アズラエルは降りないほうがいい!」


 グレンからもなにか言って! とミシェルはグレンの腕を引っ張ったが、彼は、鼻を鳴らして立った。


「放っておけ」

 グレンは容赦なく言い放つ。

「腹の底からビビってるヤツが残ったって、役立たずなだけだ。とっとと降りろ」


 ちこたんとヘレンが、オロオロした顔でふたりを見ている。

 グレンの言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。アズラエルが殴り掛かったからだ。当然、グレンは応戦した。


「やめろバカ! メルーヴァと戦うまえにつぶしあってどうする!」


 バーガスとレオナ、エーリヒ、クラウドと四人がかりで猛獣のケンカを止めたが、アズラエルは、バーガスの腕を振り払うと、足音も荒々しく出ていった――屋敷をだ。


「アズ!」


 クラウドの声が追ったが、アズラエルはドアが割れんばかりの音を立てて閉め、姿を消した。

 彼は、降船の日まで、屋敷にもどってはこなかった。




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