334話 裏切られた探偵と美容師の子ネコ Ⅲ 2
ルナの部屋で、リサの危機を皆が心配している時分――イマリは、K12区のショッピング・センター街を、ベンとともに歩いていた。
任務で忙しい彼と久しぶりのデートで、イマリは浮足立っていた。ステキなレストランにカフェ――新しい服も買ってもらったりなんかして、あいかわらず彼女は幸せだった。
実際イマリは、自分が世界一しあわせだと思っていた。
(あれ?)
イマリは、高級なブランドショップが立ち並ぶ店舗の、ガラス戸の向こうに、見たことのある顔を見つけた。
(リサだ)
イマリにとっては、ルナの仲間の中では、比較的声をかけやすい人物だ。でも、バーベキュー・パーティーの一件以来、リサにも無視されたことがあるイマリは、声をかけることなく見過ごしたが、なにか、変だった。
リサの様子がおかしかったとか、そういう意味ではない。
「……?」
リサと連れは、楽しげに話しながら、高級ブランドの店に入っていく。どうも、リサといっしょにいる男に、見覚えがあるのだった。
「……」
イマリは、一度気になったら、たしかめずにはいられない。
「ベン、ちょ、ちょっと待ってて」
「え?」
イマリは、リサと男が姿を消したブランドショップに駈け出した。吹き抜けをあいだに、真向かいの店舗。ぐるりと回っていかなければ、そちらへは行けない。
その店は、かなり広く取られていて、ガラス越しにでも店内が見える。あちらからも、イマリが見える可能性はあったが、イマリはまるでスパイのように――こっそりと、身を潜めて、中を伺った。
(あっ!!)
イマリは、大声をあげそうになった。違和を感じたのは、リサにではない。リサの連れに、である。
(あの男――!)
リサと一緒にいるタヌキ面の男は、イマリがベンと出会う直前まで、イマリと付き合っていた詐欺師だった。
(しんじられない! まだ逮捕されてなかったの)
イマリは、彼にどれだけお金を取られたか分からない。でも、役員には言わなかった。いままでも数々問題を起こしてきたから、いまさら言っても信じてもらえないと思ったからだ。
(お金を取られたって証拠もないし……)
でもまさか、今度は、リサがだまされそうになっているなんて。
「……」
「どうしたの、マリィ」
突然かけだしたイマリを、ベンは追って来た。
(どうしよう)
イマリは、迷った。
いきなりリサのもとへ行って、「コイツは詐欺師だ!」と言っても、信じてもらえるかどうか。もはや敵のような目で見られているイマリと、あの詐欺師のどちらを信用するか、明白だった。あの男は、伊達に詐欺師ではない。イマリもほんとうにだまされたのだ。
(……)
べつに、リサに教えてやる義理もない。リサがだまされて、痛い目を見るまで、黙っていた方が得だ。
イマリは、そう考えた。
(――でも)
でも、イマリも、傷つけられた。あの男には、ずいぶんと。
あの男にだまされた日、イマリは、ベンと出会わなかったら、宇宙船を降りていたかもしれない。さんざんつらい目に遭ってきた最後に、あいつにだまされたショックは大きかったのだ。
「マリィ?」
ベンと出会っていなかったなら、こんな気持ちにはなれなかったかもしれない。リサに言っても信じてもらえないのはわかっているし、教えてやる義理なんかない――でも。
「ベン、ちょっと来て」
イマリは、ベンを、隣の店舗のすみまで腕を引いて、連れて来た。ここから、店を出てくるリサと詐欺師が見える。
リサの手にブランドの紙袋がある。彼に買ってもらったのだろう。あの詐欺師の手だ。イマリも引っかかった。最初にブランド物を買ってあげて、そのあと、お金をむしっていく。
「あの――あそこ、そう、赤いスカートの子、あの子リサって言って、――その、ルナやミシェルのともだちなの」
「それが、どうかしたの」
「一緒にいる男、詐欺師なのよ!」
イマリは、小声で叫んだ。ベンも思わず、そっちを見た。
「あたしも、ベンと会う前にだまされたの――このあいだ話したでしょ?」
「ああ」
「リサもきっと知らずにつきあってるのよ。ど――どうしたら、いいと思う?」
「……」
「リサが、詐欺師といるのを見たって?」
クラウドが携帯電話片手に言った言葉めがけて、ルナたちがわっと押し寄せた。
「うん――うん――わかった。わざわざありがとう」
電話はすぐ終わった。ルナとミシェルは、待ちかまえていたように、クラウドに聞いた。
「いまのだれ? だれか、リサを見たの?」
「落ち着こう、ネコちゃん、ウサちゃん」
クラウドは、大広間のソファまで子ネコと子ウサギを押しやった。
「今の電話はベンからだ」
「ベンさん!?」
「ああ。彼がイマリとK12区のショッピング・センター街でデート中、リサが男と買い物をしているのを見た。その男が、かつてイマリもだまされた詐欺師だったそうだ」
「ちょ、ちょっと待って」
ルナは驚いて言った。
「イマリがだまされた? イマリも、詐欺師に?」
ルナは、月を眺める子ウサギが、イマリを宇宙船から降ろすために、詐欺師に引っかからせたこともあると言っていたのを思い出した。
それよりも、もっと驚くことがある。ミシェルも叫んだ。
「リサがだまされそうだっていうのを、教えてくれたの? わざわざ? イマリが?」
クラウドはうなずいた。
「イマリがリサのもとへ行って、男の正体を暴いてもよかったんだが、イマリのいうことは、リサは信じないだろうからって、ベンに相談した。で、ベンが、俺たちに知らせてくれたってわけさ」
ルナとミシェルは、信じられない顔で、互いを見合った。
「ふむ――ルナの夢のとおりだ。生まれ変わっても詐欺師だなんて、もうちょっと、ほかの生き方を選べなかったものかね」
エーリヒは呆れかえって言ったが、――やがて、ひらめいたように、指を鳴らした。
「現行犯逮捕しかねえな」
「ああ」
アズラエルがソファから立って指をごきりと鳴らし、クラウドも「リサちゃんがなにか盗られるまえに助けなきゃ」と立つのを、エーリヒは止めた。
「まあ、待ちたまえ」
リサは、心ここにあらず、だった。
ミシェルに一方的に別れを告げられ――納得のいかないまま、別れた。
(たしかに話し合いはしたけど、あたしは納得してない)
うなずくしかなかったのだ。リサを危険な目に遭わせたくない、というミシェルの、精いっぱいの言葉を聞いては。
(マフィアに追われてるなんて……)
別れよう、別れようと何度思って来たかしれない。自分から別れを切り出したことも、ミシェルが「別れる」といったことも、数えきれない。でも、今回は違った。ほんとうの別れだった。
(ミシェルは、宇宙船を降りる)
それが、決定打だった。降りるミシェルと、ついていけないリサ。リサは地球に行きたい。なにがあっても、地球に行くのだ。
そう決めて、宇宙船に乗った。
(たとえ、運命の相手と別れたって)
恋人は、これからだって、いくらでもできる。ミシェルの代わりになる男なんてたくさんいる。
(ウソ)
――ミシェルの代わりはいない。
どんなにメチャクチャでも、情けなくても、ムカついても、ケンカを何度もしたって――ミシェルに恋をした。
アパートにも帰らず、ともだちの家や元カレの家を渡り歩いても、気は晴れない。それどころか、ますます元気を失っていく。
「リサ、ほんとに君は、女優のようだ――おっと! ちがった、これから君は女優になるんだ」
「――ほんと、よくしゃべるよね」
このおかしな男と、どのタイミングで別れたらいいか、リサは考えあぐねていた。沈んでいたリサをナンパし、いきなり自分は貴族だと言ってブランド品を買ってくれたが、怪しすぎる。
リサは本物の貴族とつきあったことがある。買ってくれるというから受け取ったが、ブランドの中でも一番メジャーで、だれもが持っているバッグだし、本物の貴族は、こんな生地の薄い、テカテカしたスーツなんか着ていない。
(アズラエルだって、もっと上質な、仕立てのいいスーツを着てるわ)
ミシェルのスーツも、この男と同じように、着倒して、生地が傷んでいる。最初のころ着ていた、オーダーメイドのスーツは、とっくに売ってしまっていた。それをリサは、ずっと知らなかった。
それでも、この男を見るような冷めた気持ちは起こらなかった。
リサは、この男を追っ払う元気もないのだった。どうでもいいのだ。黙っていても、彼は勝手にしゃべりつづけ、勝手にリサにごちそうし、勝手にリサに貢ぐ。
(……やっぱり、ルナのところに、遊びに行こうかなあ)
ルナが誘ってくれたときに、意地を張らずに行けばよかった。でも、なんだか気力がすっかり抜けてしまったように、リサは身動きが取れないのだった。
あちこち連れまわされたあげく、最終的に、K12区の広いショッピング・センター街の広場に到着した。
いい天気だった。
彼はまだ、リサの耳を素通りする美辞麗句を吐き続けていた。リサの興味が薄れてきたのを見て、必死だ。
一瞬いなくなったと思ったら、缶ジュースを山ほど、リサの隣に置いていた。
貴族だというわりに、高価なブランド品を買い与えたあとは、缶ジュースか。やることがせこい。
「リサ、君をプロデュースしたい! ぼくはこれでも、アイドル事務所を持っていて――」
こんなセンスの悪い社長のアイドル事務所なんて、ごめんだった。
「いますぐにでも契約できる! 契約金は、たったの十万デルからだ!」
新手の詐欺か――リサはそろそろ、この男といるのが疲れてきた。とっととこの場を去ろうと思って立ち上がった途端――。
「カール・C・ラギー。詐欺容疑で逮捕します」
リサは、めのまえの男に手錠がかけられるのを、あっけにとられて見つめた。なにせ、手錠をかけたのは、どう見ても、クラウドだったからだ。
「だいじょうぶですか。なにかだまし取られちゃいませんか」
リサの手を取り、顔を覗き込む警察官の顔を見て、リサは仰天した。
「しっ!」
警察官の服装をしたミシェルは――かつての恋人は、口の前に人差し指を立てた。リサはあわてて口をつぐんだ。
「なにをするんだ! わたしは貴族だぞ!?」
詐欺師は、べつの警察官――つまり、エーリヒとアズラエルに引きずられていく。
「な、なに――」
ミシェルは、帽子を取った。
「どういうこと?」
リサの表情に、ミシェルは苦笑いした。
「アイツ、本物の詐欺師なんだよ」
「リサは、なにもだまし取られてないか? けっこう被害届が出てたんだけど、巧妙で、証拠がないから、なかなかつかまらなかったんだ」
「――!」
リサははっと気づいた。アズラエルたちが連行していった先に、本物の警察官がいる。
「え? ほんとに?」
「ほんとに」
「どうして、詐欺師だとわかったの?」
「イマリがさ、アイツの被害に遭っていたんだよ」
「イマリが!?」
「それでな、イマリが、おまえが詐欺師といるのを見かけたってンで、連絡してきたんだ」
「イマリが!!」
リサの驚きようも、半端ではなかった。
「あいつ、貴族区画にある株主の屋敷を、自分の家だって言って被害者たちに紹介していたらしいんだ。イマリもそれでだまされたって。でも、その屋敷は、株主が節税対策に買ったはいいけど、放置されてる物件で。ほとんど管理されてなかったんだって。その株主もだいぶ長いこと、宇宙船には乗ってないし――カギもカンタンに壊されて、中に入れるようになってたって」
「ええっ!?」
そんなことがあるの、とリサは呆れた。
空き家にタヌキが住み着いていた、そういうことになるのか。
「それは実際のところ、不法侵入だから。それでつかまったってわけ」
「そ、そうなの――」
「リサ!」
ルナが走ってくる――ルナだけではない。すぐにレディ・ミシェルがルナを追い越した。キラもルナを追い越した。
リサは笑いたくなった。
一番に飛び出してきたのはルナなのに、みんなに追い越されて、一番最後にたどりついた。
「リサ――らいひょうふ、らった?」
「ルナ、息ととのえてから話して」
リサは笑った。
「あたしは大丈夫だよ」
リサは、さっきまでのことを思い出して、苦笑した。
「うん。最後のあたりはアイドル事務所だの、おかしなこと言ってたけど、今日はバッグ買ってもらったり、ご飯おごられたくらいで、あたしはなんの被害にもあってない」
リサが両手を挙げると、だれもが顔を見合わせ、ほーっと息をついた。
「もう、詐欺師なんて、サイファーでこりごりだって」
「サイファー……て、なつかし」
「もう、リサは詐欺師に絡まれる運でも持ってるんじゃないの!?」
ミシェル、ルナ、キラの順でそういった。
リサは、奇妙な顔をした。笑っているような、泣いているような。
「心配してくれたのね? ――ありがとう」
一度うつむいたリサは、泣いていた。
「ありがとう――」
リサの隣に座った警察官姿のミシェルが、リサの肩を抱いた。そして、頭を撫でた。
すると、リサはミシェルに抱き付いた。
ミシェルは困り顔をしたが、リサを引きはがすようなことはしなかった。




