333話 裏切られた探偵と美容師の子ネコ Ⅱ 3
ロイドとクラウドが、交互に説明した。ロイドがいまいち分かっていない専門的な部分を、クラウドが補足するという形で――。
ミシェルは、L54の首都にある、「監査法人テプロ」という会社の公認会計士だった。
あるとき、大企業ファッツオーク社内部で横領事件が発生した。社の監査を引き受けていたホックリーはじめ、テプロの公認会計士が関与しているとの疑いがかけられた。そのうちのひとりに、ミシェルが入っていた。
だがミシェルともう一名は「シロ」で、最初に逮捕されたホックリーなる人物は、「クロ」だった。それはうたがいようのない事実で、ホックリー自身も、罪を認めている。
彼は、黒い金を受け取っていた。
そこまでは、新聞を読めばわかることだった。大々的な横領事件として、新聞の紙面をにぎわせた。
ロイドも、アズラエルも――周囲の人間が解せないのは、ミシェルがホックリーを無実だと信じ込んでいて、彼の無実を証明しようとして、裁判まで起こしたということだ。
ホックリーが無実だという証拠を、彼はつかんでいるという。
それも、ほんとうのところは分からない。
ロイドの予想では、おそらく、それはウソだという。
「え? ウソなの」
「うん、たぶん……」
ルナの問いに、ロイドは、自信なさげではあったが、そう言った。
「ミシェルがそういったわけじゃないから、確証はないけど」
「じゃ、なんでウソだって分かるの」
ロイドは困ったように、上目遣いでミシェルを見た。
「ミシェルは、お酒を飲んで酔っ払うと、いつも裁判のことを説明してくれるんだけど、結局、証拠のところだけはいつもいい加減にぼかすんだ。それで、追及すると、逆ギレする」
「俺もその場にいたことがあるから、それはほんとう」
クラウドも言った。ミシェルは困惑した顔になった。
ミシェルは、ホックリーの無実の証拠など、持ってはいない。
話の中で、証拠のことをぼかすだけではなく――ミシェルが探偵事務所の仲間に、そう言われているのを、ロイドは聞いたことがある。宇宙船に乗ってからのことだ。
ロイドは、ずっとミシェルの言うことを鵜呑みにしていた。ホックリーは無実だから、裁判では勝てると。
聞こうとして聞いたわけではないが、ミシェルと探偵事務所の仲間とのやりとりは、一緒に暮らしていたロイドの耳には、イヤでも入ってきた。
ミシェルが、ホックリーを釈放したい、無罪放免にしたいと思っているのはほんとうだ。だけれども、ホックリーは間違いなく罪を犯し、自身もそれを認めている。
ホックリーに弁護士はついているが、本人が罪を認めている以上、裁判も形だけのものにすぎない。
ロイドの事件のように、罪を軽くするために認めろと言われているわけでもなかった。
たしかにホックリーは、横領事件に関わり、自分も多額の金を受け取って、高飛びするところだったのだ。
ミシェルはつまり、それをすべて分かっていて、――無実だと言っているのだ。
ホックリーは無実だと、言い張るのだ。
(アズも、ミシェルはムチャクチャだってゆってた……)
ルナは、朝のアズラエルの言葉を思い出した。聞いているかぎりでは、たしかに、ミシェルのやっていることは、意味が分からない。
そして、いよいよ危ういのは、彼の命を狙っているのが、ファッツオーク社ではないということだった。
アズラエルも最初にミシェルの依頼を聞いたとき、おかしいと思った。
企業が、ミシェルの暗殺をたくらむ?
そもそも、裁判をしたところで、ファッツオーク社はめんどうなことにはなるが、ダメージはほぼないといっていい。
もともとファッツオーク社内で起こった横領事件で、関与していたのはホックリーだけ。
疑われたミシェルが名誉棄損だといって訴えを起こすなら、わかる。
だが、ミシェルは完全に「クロ」である、ホックリーの無罪を主張して、ファッツオーク社にそれを認めろと要求して、裁判を起こしたのだ。
メチャクチャである。
裁判は確実に企業側が勝つし、金を失い、名誉を失うのはミシェル側である。それが分かっていて、わざわざミシェルの暗殺まで考えるほど、企業側はヒマではない。ミシェルが自滅するのを待てばすむわけだ。
アズラエルは、調べていくうちに、ミシェルを狙っている組織をつきとめた。
なんのことはない。マフィアだった。
ミシェルは、ホックリーの釈放のためにだまされて、あまりにもよくない筋から金を借りた。おそらく、ミシェルを追い、命を狙っているのは、その組織ではないかということだった。
「じゃあ、ミシェルが命を狙われてるのは、裁判とはぜんぜん関係ないじゃない」
「そうなんだ」
そもそもが、恩師とはいえ、ホックリーの無罪の証拠を調査するだけのために、探偵事務所を設立したというのも、常軌を逸している。
アズラエルは、ミシェルの異常なまでの裁判への執着を、疑問に思った。
ロイドの話やリサの話を聞くにつけ、説得は無理だということはとうに分かっていたが、アズラエルなりにミシェルを止めるにはどうしたらいいか考えていたのだった。
問題は、裁判が終わってからだった。
ミシェルはたしかに、死ぬだろう。――カサンドラが言ったように。
カサンドラの予言を認める気はなかったが、現実的に見ても、ミシェルは借金が返せなければ、その身体に高額の保険をかけられて、暗殺される。
アズラエルだって、いつまでも無償で、つきっきりでミシェルの命を守る義理はない。おそらく傭兵がついたと聞けば、暗殺者はなりを潜めるだろうが、傭兵が「期限付き」のボディガードだということは、相手も知っている。
期限切れの、そのあとは――。
「ミシェルの借金は、いくらぐらいあるの」
ルナは思わず聞いた。ロイドはちょっと考えて、
「五千万デルくらいって、言ってたような気が……」
「五千万デル……」
ミシェルも絶句し、ソファに沈んだ。オルティスが、二十年間貯め続けてきた金額とほぼ同じ。
「……」
ルナが言おうとしたのを、クラウドは目で制した。ルナが大金を持っているということを、クラウドはここで言わせる気はなかった。
「借金がだいたい五千万デルでも、そういう筋から金を借りれば、利息がとんでもない金利で膨れ上がる。根本的な解決が必要だ。金を返せばすむってもんじゃない」
クラウドは、ルナにも説明するように、言った。
「おかしいことは、まだあるんだ」
ロイドがポツリ、言った。
「ホックリーさんは、話を聞くかぎりでは、ミシェルの経理学校時代の恩師で、ミシェルを監査法人テプロに招いてくれたひとではあるけど、そんなにプライベートでも親しくしていたってわけじゃないみたい」
ルナもミシェルも、目を丸くした。
「じゃあ――とりあえず――恩師ではあるけど、それだけなのね?」
ますます、意味が分からなくなった。ミシェルが金と命をかけてまで、無罪を証明しなければいけない理由が、まったくない。
ロイドは、言葉を選びながら、つぶやいた。
「それにね、ふつう……たとえばさ、自分が無罪だって信じてる人が有罪になったら、『どうしてあのひとが有罪なんだ』、とか、『あのひとがそんなことをするわけがない』とか、言う、よね?」
慌ててつけくわえた。
「た、たとえばの話だけど!」
「うん。言うと思う。――それで?」
クラウドが促した。ロイドはためらいがちに、つづけた。
「ミシェルはさ、酔うと必ず言うんだけど……『先生を、牢屋から出してやらなきゃいけない』っていうんだ」
「――!」
「おかしくない? 無罪を信じてるなら、『ホックリーさんがあんなことをするわけがない』とか、言うでしょ? ミシェルは、絶対、そうは言わないの――それに、――あ」
ロイドは、今気付いたように、不思議そうな顔をした。
「ミシェルは、ホックリーさんのことを、先生って言わない……」
「え?」
ルナとクラウドが身を乗り出した。
「そうだよ。ミシェルはホックリーさんのことは、ホックリーさんとしか言わない。学生時代は先生って呼んでいたかもしれないけど、今はホックリーさん。でも、牢屋のことを言うときだけは、かならず、“先生”だ……」
アズラエルが、中央区のホテルの最上階にあるバーに到着したのは、午後八時だった。
K33区を出たのは午後五時だったが、彼は考えをまとめるために、シャイン・システムはつかわなかった。
バーの奥の席で、ミシェルは待っていた。
「よう。悪いな」
「いいや。だがおまえ、こんな高そうなバーで飲むのか」
アズラエルは座りながら、さっそく注文を伺いに来たウェイターに、「テキーラ」とだけ言って、ミシェルとの会話をつづけた。
「裁判費用もかかるだろう。俺や、代理の傭兵への報酬もな。金は余ってるわけじゃねえはずだ」
「おまえと、ともだちになるんじゃなかったよ」
ミシェルは嘆息した。
「傭兵ってのは、ちょっと過干渉気味じゃねえか。仕事だけをするって約束は、どこにいった」
アズラエルもそのつもりだった。ミシェルと親しくなったことは後悔していないが、依頼人と親しくなったことはまずかったと思っている。
だが、むざむざ、仲間を死地に送るつもりは、アズラエルにもない。
「おまえが裁判をあきらめれば、ララが、E.S.Cの監査法人に口利いてやるそうだ」
ミシェルの肩が、小さく揺れた。
「ララが、つまり白龍グループが、マフィアのこともなんとかしてやると言ってる。おまえにその気があるならな――公認会計士として、再スタートをきれる最後のチャンスだぞ」
「……俺はな、免職になって、もう公認会計士じゃなくなったんだ」
「公認会計士がダメなら、このまま地球まで行って、役員になれ。おまえならそれができるはずだ」
アズラエルの言葉に、ミシェルの顔が暗く沈んでいく。
「おまえ自身は、横領に加担してない。巻き添えを食っただけだ」
「……やめろ」
「なのに、恩師のためにしちゃ、やることがメチャクチャすぎる」
「アズラエル……」
「ホックリーは、完全にクロだ」
「やめろ! いいかげんにしろ!!」
ミシェルは叫び、店が一瞬で静まり返った。
「お客様、どうかお静かに」
もう一度注意されたらおそらく追い出されるだろう。ミシェルは深呼吸して、怒りを鎮めた。
しかし、アズラエルは話すのをやめなかった。
「――ミシェル。おまえは、宇宙船を降りるな」
信じられない顔で、ミシェルはアズラエルを見た。
「おまえが、それを言うのか?」
「どういう意味だ」
「だったら、おまえは降りるべきだと言いたいね」
ミシェルは吐き捨てた。
「おまえは、ルナちゃんを愛してなんかいないんだろ、ほんとうは」
アズラエルの上半身から、熱が消えた。
「なに……?」
「おまえが、おまえじゃない。ルナちゃんのまえではな――なぜおまえは、ルナちゃんに怯えてる?」
アズラエルは、ミシェルを殴らなかった自分が不思議だと思った。たったいま、思い切り殴りつけられたのに――正論は、いつの世も相手を言葉で殴りつけるだけだ。
「おまえはいつも、ルナちゃんに触れるのを怖がってる。愛するのに怯えてる。いつもだ」
アズラエルの表情が、見たこともないくらい凍りついているのにミシェルはやっと気づいた。その顔に、寸時、ひるんだ。
「なぜわかる。……おまえがそうだからか?」
ミシェルは、冷や汗をぬぐうようにし、酒を飲み干した。
「――そうだ」
それから、重い沈黙がつづいた。その間、アズラエルはテキーラを五杯干し、ミシェルはウィスキーを八杯干したが、ふたりとも、まったく酔わなかった。
やがて、アズラエルは言った。
「おまえのボディガードは、俺が引き受ける」
ミシェルが、顔を上げた。それから、「おまえはルナちゃんのそばに」といいかけて、黙った。ミシェルは少なくとも後悔はしていた。売り言葉に買い言葉で、アズラエルに言ったことを。
「これ以上の追及は、ふたりともなしだ」
アズラエルは、テキーラの六杯目を飲み干した。いい酒なのに、味がまったくしない。
「任務は最初の通りだ。おまえの裁判が終わるまでの間、俺はおまえの命を守る。報酬は三百万デル。――それでいいか」
「ああ」
ミシェルはうなずいた。
「前金で、ぜんぶはらう。明日、お前の口座に」
前金にするのは、ミシェルの精いっぱいの誠意だということは、アズラエルは分かっていた。
なにしろ、任務が終わったが最後、自分は報酬をアズラエルに払えなくなるかもしれない――ミシェル自身も、それを、わかっていたのだから。




