40話 カサンドラ Ⅰ 2
「やあ。俺はミシェル・K・ベネトリックス」
次の日訪れたラガーで、店長を介してアズラエルはミシェルと会った。
ミシェルはいいスーツを着ていた。アズラエルが上流階級の人妻に会いにいくとき、着ていく仕様の高級ブランド。目の高い女が好みそうなスーツ。もちろん値段も目玉が飛び出るほど高い。オーダーメイドだから。
ミシェルは探偵、といった泥臭さはない。それどころか、その洗練された外見にしろ、立ち居振る舞いにしろ、どちらかというと上流階級の人間だった。
見かけだけなら、むしろ大企業の社員のようだ。L5系あたりの。
このバーにいるのも、浮いているといえば浮いている。この格好でここへきて、よく絡まれなかったものだ。
「マスターから話は聞いてる。アズラエル・E・ベッカー。君は優秀な軍人だったって」
初対面の相手をファーストネームで呼ぶのも、L5系列の人間特有の癖だ。
「俺は軍人じゃなくて、傭兵な」
アズラエルは訂正した。
「気をつけろ。軍人呼ばわりされたら殴りかかる傭兵もいるぞ」
ミシェルは目を瞬かせ、「すまない」と言った。
「忠告をありがとう。さっそくだが、聞いておきたいんだ。君は、地球に行こうとしてる?」
なにを聞くのか、この探偵は。
大抵の人間は、地球に行くから、この宇宙船に乗っているわけだが。
「……そりゃまあ、行くだろうな」
「俺は、もしかしたら裁判のために、地球に着くまでこの宇宙船に乗っていられないかもしれないんだ」
ミシェルは氷をグラスに入れ、ウィスキーを注いだ。この店で一番いい酒だ。これはミシェルのサービスらしい。
「だから、君がどうしても地球に行きたいのであれば、この仕事を依頼することはできない。だが、もし君が、俺が宇宙船を降りるときに――」
「一緒に行けるなら、雇うって?」
アズラエルは、高級なウィスキーを遠慮なくひと息で干した。
「雇うも雇わねえも、俺はまだ、おまえの依頼を受けるか決めちゃいねえんだが」
「まあ――そうだな。早とちりをしすぎたかもしれない」
ミシェルは、肩をすくめた。そして、アズラエルのために、二杯目をつくった。
身なりだけを見れば、金は払えそうな身分だ。靴も、腕の高級時計も、L5系の人間と言ってさしつかえない。
だが。
「俺はな、相棒にやとわれてんだよ。地球に行く試験の相棒にな」
ミシェルはすこし笑った。
「そうか――そうだったな。地球に行くには、試験があるってうわさが」
立派な身なりではあるが、どこかやつれたこの男の相貌が気にかかるアズラエルだった。
「だから、俺が依頼を受けるとは言えねえ。ボディガードに向いた傭兵を紹介はできるが」
「実際、俺が頼みたい依頼もだいぶ先なんだ。俺は、船内でしばらく過ごさなきゃならない」
「だいぶ先って、どれだけ?」
「地球到着ぎりぎりになるかも」
「なら、試験さえどうにかなりゃ、俺はおまえの依頼を受けられるかもしれない」
アズラエルの言葉に、ミシェルは少しほっとした顔をした。
「このバーでもすこし聞いたが、メフラー商社の傭兵ってのは、信頼できる傭兵のようだ。俺はできるなら、君に依頼を受けてほしい」
「受けるかどうかは、条件次第だ。俺はな。ボディガードとひと口に言っても、内容は様々だろう」
アズラエルは、まだミシェルがボディガードを必要としている理由も聞いてはいないのだ。
「相手はだれだ」
「え?」
「おまえを狙ってる敵の正体だ。見当はついてるのか」
ミシェルの顔が引き締まった。
「大企業だよ。聞いたことないか? ファッツオーク社」
アズラエルは聞いたことがなかった。L5系の中堅どころだろう。
「そんな大企業から狙われてる理由を、おまえは俺に、話せるか」
ミシェルは一瞬迷い顔をしたが、やがて小さくうなずいた。
「おいおい、話すよ」
「おまえに死の危険が迫り、俺が手を汚すことになる場合、俺の雇い賃は二千万デルに跳ね上がる」
「二千万!?」
「前金と後払いに分けてやる。傭兵ってのはな、でかい仕事をするたびに、名は上がるが、その分仕事ができる場所が少なくなる。おそらく俺はL5系じゃ仕事ができなくなるだろう。そういったリスクも含めての金額だ。安すぎるくらいだな。だが、おまえに払えるか?」
「……」
ミシェルは苦悩交じりの表情を見せたが、やがて言った。
「……払えると思う。そのくらいの金はある。だが……」
その言葉に、アズラエルはちらりとミシェルを見た。
「俺一人ではミッション達成が不可能と思われた場合、俺の判断でもうひとり傭兵を雇う。その雇い賃もおまえ持ちだ。いいのか」
「いいだろう」
今度は、ミシェルは迷いなく言った。
アズラエルは無言でミシェルを見たが、目をそらすことはしなかった。
任務に入るまで、時間はだいぶある。そのあいだに、背景を探ることくらいはできそうだった。
この男のやつれた相貌と、大企業から追われる理由。
背景次第では、とんでもない大仕事に化ける可能性は十二分にあった。それに、依頼人がほんとうに金を払えるかどうかも、まだわからない。
「そうか」
アズラエルは、ミシェルの手から瓶を取り上げ、直接口をつけて呷った。ぐびぐびと喉を鳴らして呑む。
「くわしい話を聞こう」
「俺は、L54の大企業、ファッツオーク社相手に訴訟を起こしている」
ミシェルはアズラエルの手から瓶をひったくり、同じように喉を鳴らして飲んだ。
「俺が裁判に出る一ヶ月のあいだ、ファッツオーク社から守ってもらいたい。この宇宙船に乗る前、仲間がひとり消された。……俺が助かったのは、ロイドが、俺をこの宇宙船に誘ってくれたからなんだ。そうでなきゃ、俺も今ごろ、海に沈んでいたかもしれない」
――予言は予言、見えぬものなどなにもない。
アズラエルとクラウドが、ミシェルとロイドとともに酒を飲むようになるまでには、そう時間はかからなかった。
なぜかミシェルは、仕事の関わりがあるという理由だけではなく、アズラエルに懐いた。
ミシェルが連れてきたロイドも、地味には見えるが、L5系の人間で間違いなかった。初対面でロイドはアズラエルを見て怯えたが、いったん気を許せば、なぜかロイドとアズラエルは、妙に気があった。
ふたりとも、この宇宙船に乗るまえの様々な事情を、ぽつり、ぽつりと、まるで雫が滴るように、毎日、少しずつ――アズラエルに話すことが多かった。
アズラエルが感情を交えず、答えもせず、だまって聞くからかもしれない。
最近は、四人でラガーに集まって、男だけで話すことが多かった。ミシェルもナンパはしたが、この店で上流階級の男は空振りだったし、アズラエルも女運の下降に伴い、この店でナンパするのはやめていた。
「あ――またいる」
クラウドが、ラガーのすみの席でカードを並べている女占い師を見て言った。
「すごい占い師だよ。ミシェルの居場所が分かったんだ」
クラウドが目を輝かせて言うのに、「ミシェルって俺のこと?」と酔っ払ったミシェルが、テーブルに突っ伏しながらつぶやいた。
「……アズラエルと飲み比べなんてするんじゃなかったよ」
吐きそう、とミシェルがうめいた。
「ざるかよおまえ」
「どっちかいうとわっかだな」
まだ飲み続けるアズラエルに、ミシェルは本気で吐きそうな顔をした。
「ミシェルって、クラウドの好きな子だよね」
ロイドが、ミルクセーキを飲みながら言う。
「うん。どうやって会いに行ったらいいかなあ……」
「盗撮しましたすいませんって謝りに行けよ」
アズラエルがからかったそのとき。
「てめえこのババア!!」
すみのほうで、あの占い師が椅子から転げ落ちていた。若い男の集団が、女を蹴り上げている。
周囲は一瞬ざわめいたが、この程度の騒ぎは日常茶飯事だ。あまりひどければラガーの店長が出てくる。だからだれも手出しはしない。女は身体を丸めて、椅子の下でうずくまっていた。
「なにするの」
一番女を蹴り上げていた男は、急に体が動かなくなって戸惑った。後ろを見ると、自分より頭ひとつも高い、彫刻みたいに綺麗な男が、自分を睨んでいた。手首が折れそうな勢いで握りしめられている。
「いてえよ!」と怒鳴ったが、男の顔はぞっとするほど迫力があった。
「女の人を蹴るなんて、最低だよ」
振りほどこうとしても、男の手はビクともしない。少年たちは、男の胸に下げられたドッグタグに驚き、慌てふためいた。逃げる態勢に入ると、やっと男の手は外れた。
「だいじょうぶ?」
クラウドが助け起こすと、彼女はひしゃげた笑い声をあげた。その声を聞いて、ロイドは怯えてアズラエルのかげに隠れた。クラウドがテーブルと椅子をもどし、散らばったカードを拾い上げる。
「あんたは親切だねえ」
女は、弱った足をかばいながら身を起こした。げほげほと急き込み、喉をひゅうと鳴らした。
「――足が悪いの」
クラウドが聞くと、女はまた、ぞっとするような声で笑う。
「腐っているのさ。もうそろそろダメになる」
クラウドは、ちょっと辛そうな顔をして微笑んだ。彼女の足は、萎えているだけで、腐ってはいない。
「さっきの子たちになにを言ったの。怒らせるようなことを?」
「俺は地球に行けるかなんぞと馬鹿げたことを聞くもんだからね。地球の女とバカンスを楽しみたいだけのくせに。アイツの頭の中は、豊満な女たちとのセックスでいっぱいだ。だから、言ってやったのさ。アンタは一ヶ月もたたないうちにこの宇宙船を降ろされて、母星に帰されて、そこで五年後に、今みたいな喧嘩沙汰になって飲み屋で刺されて死ぬってね」
クラウドは苦笑した。
「そんなこと言われたら、だれだって怒るよ」
「アンタはだいじょうぶさ」
女は、クラウドに媚びるような声を出した。
「アンタのイイ子は、アンタを愛してる。すぐにものにできるさ。こうしよう。あたしが手伝ってあげる」
「なにを?」
「あのことゆっくり話ができるのは、K27区のマタドール・カフェという店さ」
「マタドール・カフェ? きみはどうして、そんなにいろいろなことが分かるの」
「そりゃあたしは……」
「やめろ」
アズラエルが、険しい顔でさえぎっていた。
「俺の連れを惑わすのはやめてくれ」
アズラエルが問答無用でクラウドを連れて行こうとしたので、クラウドはその手を振り払った。
「ねえ、君は、名前なんていうの」
「おい……」
「あたしかい? あたしはカサンドラ。L03の予言師だよ」
予言師と聞いて、アズラエルの顔色が変わった。ポケットから数枚の紙幣をひっつかむと、カサンドラに向かって投げつける。
「そいつをやる。もう、俺たちにかまうな」
アズラエルの本気を出した力に、クラウドが叶うわけもない。抱えられるようにして、クラウドは外に連れていかれた。
「アズ」
クラウドは叫んだ。
「アズラエルはおかしいよ。何が気に食わない? 彼女の何が――俺の知ってるアズは、そんなふうに人を見るヤツじゃなかった」
「おかしいのはてめえだ」
アズラエルも吠えた。
「なにが予言師だ。運命の恋人だ! そんなくだらねえもんに惑わされるな! いいか」
アズラエルは、クラウドを雪の上に放り出して言った。
「そんなわけわかんねえもんにウツツ抜かしてるくらいならな、てめえの足でK27区に行きゃいいだろ! 行って、そのミシェルとやらを俺の目の前に連れてきてみろ!」
「アズ……」
クラウドが泣きそうな顔をする。
「おまえだって不安なんだろ。あの女の言ったことを心底信じてねえ証拠だ。ほんとうにミシェルなんて女がいるとは思ってねえ。だから、行かねえんだろK27区に」
「そうじゃない」
クラウドは、すっかり泣いていた。大粒の涙をこぼして。
「アズは変わった。ガルダ砂漠から帰ってきてから変わったよ。俺がしたのはれっきとしたプロファイリングだ。ミシェルはいる」
「ガルダ砂漠の話はするな!!」
アズラエルの怒鳴り声に、道行く人々が振り返っていく。
一度叫んで冷静になったアズラエルは、クラウドが泣いているのを見て、痴話ゲンカみたいだ、と思い、舌打ちした。深呼吸して、怒りを鎮める。
「怒鳴って悪かったよ」
クラウドが泣きべそをかきながら目を上げた。
「アズ、「だけど、もう、あのうさんくせえ女に関わるのはやめろ。アイツの言ったことに惑わされるのもな。おまえにはアイツは毒だ。ほだされるな。いずれ泣く羽目になるぞ」
「アズ……」
クラウドが、本格的に泣きだした。
この年になってもエンエンガキみてえに泣きやがる。
こんなに涙もろい分際で、さっきの女に関わろうってンだから、懲りねえ野郎だ。
「もう泣くな。おまえの夢で言うと、ミシェルってのは年下なんだろ? そんなに泣いてばっかいると振られんぞ」
クラウドが、ぐず、と鼻水をすすりあげて泣きやんだ。
ミシェルとロイドが、ふたりを心配して、店から出てきていた。アズラエルは、バツが悪そうに言った。
「俺は見てない。そのミシェルって女をな」
クラウドは頑固に言った。
「俺は見た」
アズラエルが嘆息する。
「じゃあ、そのミシェルとやらを見つけてやるよ。ホントにいるならな」




