332話 裏切られた探偵と美容師の子ネコ Ⅰ 2
今日の夕飯に、サバの味噌煮をつくるという約束をしたルナは、すぐ大広間にもどってきた。
「あれ? ピエト。お守りどうしたの」
ルナは、ピエトがいつも首にさげている真月神社のお守りがないことに気付いた。
「あ、あれ?」
辞書を引きながら、いっしょうけんめい新聞を読んでいたピエトは胸に手をやり、そういえば、と思い出した。
「俺、ダニーにあげちゃったよ!」
ピエトは叫んだ。
ダニエルがこん睡状態に陥ったとき、思わず手にお守りをにぎらせて、それきりだった。
「え? じゃあ、セパイローの庭に行ったときはなに持ってたの」
「あれは、ルシヤからもらったヤツ。初めて会ったときに。たしか、ネイシャももらったはずだぜ」
「じゃあ、ネイシャちゃんも、セパイローの庭に行けたのでは?」
「ダメだよ。ネイシャが行くってなったら、セシル母ちゃんもついてくるだろ。だったらレオナ姉ちゃんが来るし、最終的にバーガスおじさんも来る」
「なるほど……」
ルナは、ネイシャにストラップを返したあとも、彼女がついてこなかったわけがわかった。
「そうなの」
「でも、あのお守り、まだあるなら欲しいな」
「そう? じゃあ、あたらしいやつをあげるね」
ピエトの手を引いて、部屋にもどる。
ルナは、母星のL77にある真月神社で、五つ、魂守りをもらってきていた。
ひとつ目は、サルーディーバに。ふたつ目は、エレナに。みっつ目は、ピエトにあげた。ピエトはダニエルにあげてしまったので、ルナは空色のよっつ目を、ピエトに渡した。
「ありがと、ルナ!」
「どういたしまして」
ルナは、残った、青色のお守りを見つめた。ついに、最後のひとつになってしまった。
「ルナ」
ピエトは、不思議そうに言った。
「それ、アズラエルにやらねえの?」
「え?」
ルナはかつて、アズラエルにお守りを渡そうとしたことがある。けれども、そのときアズラエルは、必要ないと言った。
「……」
「俺に貸して」
ピエトは青いお守り袋を持って、アズラエルのもとへ走った。アズラエルは三階の端から、階下に向かってなにか叫んでいた。ピエトが、アズラエルの背中に飛びつく。
ふたりでなにか言い争うような様子で、やがて、しぶしぶと言ったふうに、アズラエルは青いお守り袋を受け取った。
(もらった!)
ルナは叫ぶところだった。
(アズがお守りをもらった!)
「アズラエルにあげてきた!」
ピエトは満足げにそう言い、「ネイシャー!」と廊下をかけていく。
ルナは後ろ姿を、見送った。
「あたしの分、なくなっちゃった」
お守りもなくなってしまったが、とにもかくにも、リサが心配だったルナは、ぺっぺけぺーと部屋にもどった。
朝から、リサに電話をしようと思っても、クラウドの解説がはじまってしまったり、グレンのぱんつが廊下に落ちていたり、チロルと「ウサギ体操」のテレビ番組(※約五分)を見たり、ピエトのお守りがなかったり、グレンのくつしたが落ちていたりと、なかなか、電話を掛けられない。
朝は、なにくれと忙しいものだ。
ルナはやっと、ピエトとネイシャを学校に送り出し、グレンのぱんつとくつしたをグレンの部屋のドアの取っ手にぶらさげてさらしものにし、リサの携帯電話に電話をかけたが、留守番電話サービスにつながってしまった。
「……」
昨日も、このあいだも、電話をしたけれど、リサは出ない。あちらから、電話がかかってくることもない。メールに返信もない。既読すらない。
最後に彼女と会ったのは、レイチェルたちを見送った日だ。
見送りの日、そういえば、ミシェルはこなかった。メンズ・ミシェルは、あまりレイチェルたちと親しいわけではなかったから、不自然はなかったけれど。
そのころすでに、ミシェルとリサは別れていたのだろうか。でも、リズンでお茶をしたときも、リサは、そんなことはなにひとつ言わなかった。
いままでのリサだったら、「別れた」報告ぐらいは、あると思う。
(リサ、どうしたの? どうしてるかな)
リサと連絡が取れないというのは、めずらしいことではない。彼女は、いつもあちこち出歩いて、忙しいから。
そういえばこのあいだ、リサは、アロマテラピストの資格も取るのだと言っていた。
シナモンと同じメイクの講座にも通っていて、フラワーアレンジメントに、ネイルと、講習会三昧で、夜はともだちとの飲み会でいない。もともと、リサは「連絡ちょうだい」と言いながら、いつもつかまらないので、リサから連絡してくるのを待つしかなかった。
「リサ……」
ルナは、留守電にメッセージを入れて、電話を切った。
ルナは、リサの心配をしつつも、その日はミシェルと一緒に真砂名神社に向かった。自分の分のお守りがなくなってしまったので、もらいにいくためだ。
「真砂名神社にも、真月神社と同じお守りがあったよ」
教えてくれたのは、ミシェルだった。ふたりはまっすぐ、真砂名神社の拝殿に向かった。階段を上がったところにある、お守りやお札を授ける授与所だ。
「ほんとだ」
真月神社で、ルナがもらってきた魂守りと同じものが置いてある。ルナは、真っ白なそれを手に取り、「これください」と差し出した。
無事お守りは手に入ったし、リサのアパートに行くと言ったルナに、拝殿の階段を降りながら、ミシェルが言った。
「リサのアパート、あたしも行くよ」
今日の彼女は、お絵かきスタイルではなかった。作業着である、油絵具によごれたジーンズと木綿のシャツは着ていない。今日はルナにつきあって、真砂名神社に来ただけらしい。
「ほんと?」
「うん。心配だしね。キラも電話して、出られそうなら、いっしょにいこうか」
「うん!」
そういいながら、ふたりで階段を降りきったところだった――めのまえに、見知った顔――これから、会いに行こうとしていた彼女の顔を見つけたのは。
「「リサ!!」」
ルナとミシェルは、声をそろえて叫んだ。
いつも胸を張って歩いている彼女にしては、今日は物思いにふけり――沈んだ顔、すなわち、うつむき気味だった。だから、このひと気のない界隈で、ルナたちに気づかなかったのだ。
赤いタータンチェックのミニワンピース姿のリサは、びっくりして顔を跳ね上げた。
「ルナ――ミシェル!?」
ルナとミシェルは、リサに付き添って、ふたたび拝殿まで上がった。ルナは、リサが、息も切らさず階段を上がっていくのを、微妙な目でながめていた。
「ルナ、……なんで、そんなヘンな目で見るの」
不気味なんだけど、とリサに言われたルナは、あわてて見るのをやめた。
リサは特に、罪とかはあまりないのだろうか。
あまりにも、軽々と上がっていく。
拝殿までついた三人は、ふたたびお参りをした。
ルナは、リサが、古びた「合格守り」と「交通安全守り」を、授与所のそばにある、古札をおさめる木箱の中に入れるのを見た。
「……リサ、お守り買ってたの」
「うん、これね。宇宙船に乗るまえに、真月神社でもらってきたの。交通安全のほうは、宇宙船に乗るまえ、合格守りは、美容師試験のまえに」
リサが、お守りを買っていたとは、ルナには意外だった。そういったものは、まったく興味がないと思っていたのに。
「そっか。美容師試験、合格したもんね」
ミシェルが言うと、リサは微笑んだ。
「あのとき、花束くれてうれしかったよ。ルナ、ミシェル、ありがとね」
リサは、木箱のまえで、まだなにか、ためらっているようだった。リサの手のひらには、ピンク色の星守りがあった。
「……それって、お祭りのときに日替わりで出てた、」
「そ。月の女神さまの星守り」
リサは、ミシェルに話しかけられて、ごまかすように手のひらごとポケットに突っ込んだ。そして言った。
「ふたりとも、今日ヒマ?」
いっしょに、ごはん食べない? というリサに、ルナとミシェルは顔を見合わせた。
「ヒマもなにも、これから、リサのアパートに行こうと思ってたんだよ」
「そうなの?」
リサは目を丸くした。
「留守電、いっぱい入れてたんだけど、気づかなかった?」
ルナの台詞に、リサは本気で驚いた顔をし――、
「――マジで? ごめん――携帯見てなかった」
「ええ!?」
ルナは、ミシェルとリサを、裏通りのステーキ店へ連れて行った。
「へえ、いい店じゃない!」
リサの表情に、すこし元気がよみがえった。昼近かったが、混んではいない。ほとんど女性客か、カップル客ばかりだ。
「ひさしぶりに目いっぱい食べちゃおうかな――コースいく?」
「いくいく。いっちゃおう」
カクテルが一杯、サービスでつくコースを頼んだ。
ルナたちがなにか言うまえに、リサが、ポケットの星守りを取り出し、嘆息気味に言った。
「ミシェルが話しかけるから、結局、これ、置いてこれなかった」
「え? あたしのせいにするわけ?」
ミシェルの目がネコ目になった。さっそく不穏な空気だ。ルナは、四人でルーム・シェアしていた時分、よく言い争いに発展していたのを思い出してあたふたしたが、今日は、ミシェルはそれ以上言わなかった。
「……これさあ、ミシェルと一緒に、買ったのよ」
リサは、つぶやいた。
「でも結局、別れる羽目になったし――もう、いいかなって」
「……」
ルナとミシェルは、同時に言った。
「「でも、ミシェルは、話し合って別れたって、」」
リサは、ちらりと、ふたりの顔を上目遣いで見た。
「そうだよ? ミシェルは、どうしても、裁判をあきらめる気はないんだもん――」
それから、「あー!」とリサにしては、だいぶ投げやりなためいきを吐いて、背もたれに伸びて、天井を仰いだ。
「あたしが、――つまり、けっきょく、あたし次第なのよね。ミシェルについていくか、いかないか。あたし次第なのよ。分かるわよ、こんなもんに頼ってないで――決めるのは、あたしなんだから!」
言ってから、リサはぴょこん、と起き上がった。
「返してこよ。やっぱこれ、返してこよ」
これがあるままじゃ、あたし、先に進めない。
リサは、ピンクの星守りを手にして、決意表明をした。
「待ちなよ、それは、持っていた方がいいって」
言ったのは、ミシェルだった。
「……そう思う?」
リサが、星守りと、ミシェルとを、交互に見た。ルナにもはっきりわかった。リサも、迷っているのだ。
星守りを神社に置いてくるか否かではなくて――ミシェルについていくか、行かないかだ。
ミシェルについて、L系惑星群にもどるか、ミシェルと別れて、地球に行くか――。
「それは、月の女神さまの星守りだもん! 縁結びの神様よ? 持っていたほうがいいって!」
ミシェルは力説した。
「いま離れ離れになっても、永遠の別れって決めつけることはないじゃん! リサは地球に行ったって、永遠にそこに住むわけじゃないんでしょ? ミシェルの裁判だって、永遠に終わらないわけじゃない。ミシェルの裁判が終わって、リサが地球に着いて、L系惑星群にもどってから、またつきあうって手もあるじゃない」
リサは、彼女らしくない困惑顔で星守りを見つめ――両手でぎゅっと握って、額に当てた。
「……かもしれないの」
「え?」
リサの声は小さすぎて、聞こえなかった。
「……ミシェルは、裁判が終わったら、死んじゃうかもしれないの」
ルナとミシェルは、絶句した。
「あたしが、地球に行って帰ってくるころには――ミシェルはこの世にいないかもしれない」
リサは震えていた。彼女の涙を見たのは――ルナは、はじめてかもしれない。
「どうしたらいいと思う? あたし、わからない――着いていくべきなのか、別れるべきなのか――」
リサは、悲痛な顔を見せたが、すぐに涙をぬぐった。コース料理のスープが運ばれてきたからだ。
そして、「ごめん。いまは、楽しい話して食べよ?」と笑顔を見せ、食事の最中も、終えた後も、さっきの話を蒸し返すことはなかった。
店を出たあと、ルナはリサに屋敷へ来るよう誘ったが、リサはめずらしく断った。
じっくり、ミシェルとのことを考えたいのだという。
リサは、自分次第だということをはっきりわかっていて、だれにも相談はしたくないのだと言った。
ルナにもわかっていた。いつだってリサは、自分のことは、自分で決めてきた。
ミシェルに着いて、宇宙船を降りるにしろ、地球まで行くにしろ――リサは自分で決める。ルナたちの言葉は、必要とはしていない。
結局、リサは、星守りを神社に返さず、持って帰った。
「アズ」
ルナは、ベッドで本を読んでいるアズラエルに向かって聞いた。
「ミシェルとリサって、もうほんとに別れちゃったの?」
「そのことなんだがな」
アズラエルは、真顔で言った。
「明日の夜、ミシェルと話してくる。俺の分のメシはいらねえ。――もしロイドが泣きながらこの屋敷に飛び込んできたときは、俺が話し合ってみる、と言っていたと伝えてくれ」
「……あじゅ」
ルナも真剣な顔になった。
「ミシェルは、」
「リサと別れたとか別れねえとか、そんな問題じゃねえ。アイツはもともと、死ぬ気でいる――いや、死ぬ気はねえのかもしれねえが、そもそも、やってることがメチャクチャだ」
「――!」
「はっきり言うぞ。アイツは異常だ。リサの判断が正しい。別れて当然だ」
ルナは、目を見開いた。
「俺は、リサと付き合うことで、アイツがいつか、“裁判”をあきらめてくれるもんだと思っていたが――ダメだった」
ルナは言葉を失って、ウサギ口をした。
「俺が説得して、ダメだとなったら、おまえに頼みたいことがある」
ルナはうさ耳を、ぴょこん! と跳ねあげた。アズラエルは、とてつもなく苦い顔をした。
「――その、おまえの、ZOOカードとやらで、調べてほしい」
ZOOカード、というだけでも嫌なのだろう。アズラエルは苦々し気にいったが、ルナはうれしげに、「うん!」とうなずいた。
「ミシェルの、その、裁判って、なんなの?」
ルナは聞いた。むかし一度聞いて、はぐらかされた質問だ。アズラエルは苦虫を噛み潰した顔のまま、「明日、話し合いがダメだったら、話す」と言った。
ルナは、今日真砂名神社でリサと会った話をした。
最終的に、アズラエルは、「リサは、いっしょに行かせないほうがいい」とはっきり言った。
「ミシェルに命の危険があるということは、いっしょにいれば、リサも巻き込まれるってことだ。リサが悩んでるっていうなら、止めろ」
「……!」
「とりあえず、まだミシェルが降りるのは先だ――解決は、あした、俺とミシェルが話し合ってからだ。寝るぞ」
ルナは大きな手のひらで、頭をぽんぽんやられて、ベッドに押し込められたが、なかなか寝付けなかった。




