番外編 リンデンの森 2
「なぁ、その……」
出会って三日。その夜もたくさん愛し合ったあとだった。
微睡んで寝てしまいたい気分をなんとか耐えて、シャワーを浴びに起き上がった矢先だった。
歯切れの悪い、ミシェルの声が追いかけてきたのは。
「リサ、君、地球まで行くつもりだって、ホントか?」
あたしはバスタオルを巻き付けたまま振り向いた。シャワー室に入る寸前。
「ホントだけど?」
今さら何を。地球の話は、出会った日に、たくさん話したはずだった。でもあたしは、相当浮かれていて――運命の人に出会った感激で、いつものあたしなら気づくはずのことも気づいていなかった。
地球の話をするたび、ミシェルが話を逸らすようにほかの話題を出していたことに。
ミシェルは苦笑いというか――そう、あのとき、地球の話題が出るたびにしていた微妙な笑みを口端に乗せて、遠慮がちに言った。
「リサ、俺は、地球には行けない」
「え?」
「行くつもりもないし、行けるわけもないんだ。俺は、避難するためにこの宇宙船に乗った」
ミシェルはごまかすように、ベッドから降りてきて、あたしを抱きしめた。
「避難?」
「ロイドにチケットが来て、たまたま俺が近くにいて、一緒に乗せてくれた」
それはあとから、間違ってはいないけれど、事実ではないということが分かった。
ロイドに地球行き宇宙船のチケットが当選して、たまたまミシェルが近くにいたことは本当だけれど、そのときロイドは、支えだったおばあさんを亡くして、仕事も失って、生きる気力を失っていた。ロイドは死ぬつもりで、チケットはミシェルにあげようと思っていたんだって。でもミシェルは、ロイドを説得して、一緒に宇宙船に乗った。
それがほんとう。
「いずれ、裁判のために、宇宙船を降りなきゃいけない」
あたしは、絶句していた。
「裁判? それって――え? いつ?」
「すまない。たしかなことはまだ言えないんだ。今はその――宇宙船にいた方がいい時期で。落ち着いたら降りることになると思う」
「さ、裁判って――なんの裁判?」
ミシェルは犯罪者なのだろうか。一瞬そう考えたけど、違った。
「俺の恩師が、えん罪で牢屋に入ってる」
「えっ?」
「先生を――“俺は、先生を牢屋から出してやらなきゃいけないんだ”」
「……」
あたしは大混乱していた。すくなくとも、ミシェル自身の裁判じゃないってことは、分かった。
でも。
「それって、ミシェルが宇宙船を降りてまで、しなきゃいけないことなの?」
「……」
「ミシェルは、弁護士? ではないのよね? 探偵って言ってたもんね? その――先生を? 牢屋? から、出す?」
理解できなくて、すっかり困惑していた。
「――脱獄?」
「……っは!」
ミシェルがやっと笑った。あたしは少しほっとした。
「まだ刑務所行きって決まったわけじゃない」
「そ、そうなのね……」
ミシェルは思いつめた顔であたしから離れ、ベッドに戻った。思わず引き留めかけた手は、宙をさらった。
これからの、あたしたちの関係を示すみたいに。
「ホントなら、先生のそばにいて、力づけてやらなきゃいけない。探偵になったのだって、先生の無実を証明するためだ。それなのに、俺はこんなところに……」
ベッドに戻ってこちらを向いて、やっとあたしの困惑に気づいたミシェルは、ごまかすように笑った。
あたしはこれから、何度でも、彼のこの顔を見ることになる。
でも、あたしは、この時点では、ミシェルのいうことをほぼ百パーセント、信じていたんだ。あたしが支えてあげなきゃとも、思っていた。
だから、ミシェルが次に言った言葉は、すぐには信じられなかったし――結局、「サイテー!」の言葉とともに、指輪を投げつけて、部屋を出る羽目になったんだけど。
よく考えたら、ミシェルを追い出せばよかったのよ。そうよね?
「ま、でも、そういうわけで。降りるまでだけど、仲良くしようぜ? 君もそのつもりだったろ?」
「そのつもりって――」
「運命の相手とか、そういう重たいもの抜きにしてさ。恋愛ゴッコ、楽しもうぜ」
「……俺はなにか、まずいことを言ったかな」
本当に俺は、この時点で、自分が言ったセリフのまずさに気づいていなかった。
リサが激怒して、指輪を俺に投げつけ、「サイテー! 信じらんない!」と声を震わせて叫び、「もういいわ。別れる」とあっさり去っていった理由が、俺には分からなかった――といったら、世の女性の百パーセントは俺をなじるに違いない。
「ほ、ほんとうに――分かってないの」
ロイドの絶句。
「三日でお別れなんて、俺も経験したことねえな」
アズラエルが鼻で笑う。
「アズはあるだろ。一、二回くらい――っていうか、俺も言ってあげようか。サ・イ・テ・イ」
たっぷりの嫌味を込めてセンテンス区切った、クラウドの冷笑。
「おまえに言われる筋合いは――」
言いかけて黙った。クラウドはミシェル(女の子のほう!)には一途だし、本気であの子以外目に入っていないようだったので、俺は言うところがない。
「いやおまえ、それはダメだ」
オルティスにまでダメ出しと酒をもらった。
「リサちゃんに謝れ」
「何が悪いのかも分かってないのにか?」
アズラエルは完全に面白がっている。ちなみに、セルゲイやグレン、ルーイにも「ドン引き」という顔で見られたので、エレナたちに言わずに済んだ。
「L5系の男が、みんな君みたいに不誠実に思われるのはごめんだな」
セルゲイの、あんな冷たい顔ははじめて見た。怒ったら、アズラエルより顔怖くないか、あの男。
全員に責められた俺は、つい自分をかばうために、さらなる悪手を打った。
いままでさんざん似たようなことを繰り返してきたのに、こりない俺だ。
「つうか、そういうけどな! おまえたちもよくつきあう気になったよな!? そりゃ彼女ができるのは久しぶりだったかもしれないが、なんつうか、あのイモ丸出しの――」
「そこまで! そこまでだミシェル」
俺は、オルティスに止めてもらえなかったら、店を出たとたんにアズラエルに首を折られているか、クラウドに暗殺されていたかもしれない。ロイドとの友情も、これまでだったろう。
分かっている。
酔っていたとはいえ、失言だった。
「キ、キ、キ、キラは、すーっごく、オシャレで、可愛くて、いい子で、とっても、とーっても、魅力的だよ……!?」
怒り泣き顔で、俺に抗議するロイド。
「――ミシェルに何か文句でもあるの」
クラウドの絶対零度の笑み。
「おまえがルナに興味がないのはよかったな」
特に怒らなかったのはアズラエルだけだったが、俺はほっとした。
「リサのどこが不満なんだ?」
アズラエルが首をかしげる。
「おまえを運命の相手だと言ったからか?」
リサに運命の相手と言ってもらえる男は幸せ者だ、このぜいたくものめと、リサに振られた男たちからの一斉攻撃を受けても無理のない俺が、このときはいた。
「まぁ、ミシェルから聞くには、リサも恋多き女の子だって話だけど、今回ばかりは、君を運命の相手と信じていたんじゃないのかな」
クラウドの呆れ声。
「君が全面的に悪いよ。そんなふうに思ってないなら、期待させるべきじゃなかった。指輪を買ってあげるなんて、期待するだろふつう」
「あれは――買ってくれっていわれたからだし――俺が自分から買ったわけじゃないし――それに、あんな安物程度で」
たしかに安物だった。田舎もののリサからしたら多少高級だったって、五万デルにも満たなないプチプラだ。
かつての俺の恋人たちは、いつだって、最新の一番高くて有名なヤツをねだったし、俺もそれを与えることができた。最低数百万ってヤツな。あれは、女の競争道具だろ。自分がどれだけ豊かな生活をしてるかっていう、証明のための道具だ。
クラウドたちの、深い、深いため息。
「そもそも、なんであんな話をした」
アズラエルが決定打を落とした。
「裁判があるから降りる。地球には行けないだなんて。ややこしくなるだけだろう」
「……」
俺は、それに答えることができなかった。
たしかに。
なんであんな話をした?
「指輪が何を意味するか、おまえだって知らないわけじゃないだろ。知らないっていうなら、L5系は最先端すぎて、価値観すら違うのか? 指輪まで買っといて、周りが運命の相手だのなんだの言ってるときに否定もせずに盛り上がるだけ盛り上がっておいて、自分が降りるまで適当に相手をしろと言われたら、だれだって怒る」
「たしかに――そのとおりだな」
言う必要はなかった。ふつうにつきあって、裁判のために降りなくちゃならないときが来たら、俺はこっそり降りればいい。
よけいなことを言いすぎた自覚はあった。
「でもまぁ、リサもよかったな。早めにこんな最低野郎と別れられて」
「オイ」
「あの子なら、すぐいい相手が見つかるだろ。本物の運命の相手が」
「オイ、ちょっと待てって」
みんなが俺にそっぽを向いたので、俺は慌てた。
「待ってくれよ――ちょっと待ってくれ」
俺はべつに、リサと別れたいわけじゃなかったんだ。
「何かいい方法はないか?」
三人そろって振り返った。俺を置いて、カウンターに行きかけていたんだ。ロイドまで。
「いい方法って?」
「リサと、仲直りする方法だよ!」
みんなそろって、呆れた顔をした。
「復縁する気か?」
「よせ。俺は勧めない。リサにおまえはお勧めできない。復縁なんてありえないだろ」
「やめとけよ。おまえにリサちゃんはもったいねえよ」
順にアズラエル、クラウド、オルティス。なにがもったいないだ。リサの何を知ってるっていうんだオルティスが。会ったこともねえくせに。
でも分かってる。世の女性はおしなべて、今の俺にはもったいない。そういうことだろ。
「リサちゃんに謝りなよ」
ロイドだけが、いつも優しかった。俺に対して怒ってはいたけど、置いては行かなかった。
「素直に謝るしかないよ」
三人を見れば、皆真顔で俺を見ていた。同感だ。顔がまさしくそう言っていた。
「……分かった。やっぱそうだよな。謝るしかないよな」
だれもいわなかったが、俺はバカだった。
なんだかんだで、またこいつらと一緒に八人集まれば、なりゆきで俺を許してくれたりするんじゃないかって、バカなことを考えていた。
「いくら積めば、許してもらえると思う?」
俺のそのセリフに、全員がもうコイツだめだという顔をした。近くにいて、俺たちの話を聞いていた商売女が、優しく笑って言った。
「そのお高そうなスーツ売って、中古屋で高く買ってもらえるブランドもんの指輪買ってあげなよ」
つまり、俺は大バカだったってこと。




