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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~カサンドラ篇~
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40話 カサンドラ Ⅰ 1


 予言は予言、見えぬものなどなにもない。


「ちょ――アズ――これ見て、ふぐっ! L18の男がナンバーワンだってさ――嫉妬深さナンバーワン! L系惑星群で!!」


 百人中九十九人はかならず振り返る美貌を、ぐしゃぐしゃにゆがめて笑う相棒の横っ面を張り倒したい思いに駆られながら、アズラエルは退屈にして、絶望的な嘆息をこぼした。


「降りていいか」

「ダメ」


 涙までこぼしていた笑い顔が、いきなり真顔にもどる。


 すこし時期を(さかのぼ)る。

 クラウドとアズラエルが、バーガス、レオナ夫妻とともに、地球行き宇宙船に乗船したのは、夏の盛りの八月だった。

 それから三ヶ月――十月なかば。

 肌寒くはなってきたものの、筋肉というジャケットを年中着込んでいるアズラエルは、今日も代わり映えしない黒Tシャツにジーンズという格好で、見()きた相棒の顔をまえに、重々しい嘆息ばかりこぼしているのだった。


「女運が悪い……悪すぎる」


 この宇宙船に乗ってからというもの、アズラエルは悪運つづきだった。ひっかける女も寄ってくる女も、皆が皆、アズラエルを「運命の相手」という語句でくくり、縛ろうとするのだ。

 相棒の悲運にまったく耳を貸さない薄情さで、クラウドは言いたいことを言った。


「嫉妬深さもナンバーワンなら、独占欲もナンバーワンか。運命の相手って語句で縛るのは、L18のオトコのほうだってさ――だから、L18のオトコには、要注意!」


 クラウドが広げているのは、ふだん彼らが目にすることのない、女性向けファッション雑誌だった。カフェに置いてあるものだ。


「それは、特別なヤツに当たっただけなんじゃねえのか」


 嫉妬深さとは無縁――むしろ、女の嫉妬深さに悩まされているアズラエルはそう言った。

 彼は来るもの拒まず、去る者追わず――相手の女も、そういうさっぱりした気性ばかり選んでいた。彼もまた、そういう女性に選ばれる性質だった。L18ではうまくいっていたそれが、この船内ではまるで通用しない。


「意外とそうなのかもよ。女のカンは、当たる」


 いままでほとんど女に縁のなかった、アズラエルと対照的過ぎるクラウドは言った。


 クラウドがこれほどの美貌を持ちながら、女性に縁がなかったのは、所属する部署のせいだ。


 クラウドの部署は、L18の陸軍の中でも特殊な部署。心理作戦部――心理戦を研究する部署といえばそうなのだが、実際のところ、宇宙軍と空軍、海軍にある「心理作戦部」が本物の心理作戦部で、クラウドがいた場所は、すこし意味合いがちがうのだった。


 なぜなら、L18の軍は、ドーソン一族の支配下にある軍だからである。


 L18の陸軍諜報部(ちょうほうぶ)は、ほぼドーソンの秘密警察のような役割を果たしている。なので、L18における「本物の」諜報部が存在しない。それゆえに、なぜか陸軍の「心理作戦部」が諜報部本来の役割を果たしていた――それは、暗黙の了解であった。


 クラウドのいた心理作戦部は、ドーソン一族ではなく、エーリヒ・F・ゲルハルトという、L19のロナウド家にゆかりのある貴族軍人が隊長を務めている。


 無論、隊内にもドーソンのスパイは入っていたが、基本的に心理作戦部は、軍部において中立の立場を守ることができていた。

 クラウドは、そのエーリヒ麾下(きか)の副隊長だった。「特殊技能」を見込まれて、陸軍から移籍したのだ。


 K08区の、昼を過ぎたオープン・カフェは、閑散(かんさん)としていた。


「ハイ♪」


 見知らぬ女が、アズラエルの肩を撫でていく。撫でた女はクラウドにウィンクし、クラウドの背にいる女は、アズラエルの目を見つめていた。アズラエルは笑みをこぼした。

 腰は細く胸は大きく、足は際限なく長い。魅力的な女性たちだ。


「やあ」

 クラウドは、十分な美貌を持った女性たちもかすむような笑みを見せ、「ボクのダーリンを取らないで」と言った。


 とたん、アズラエルの目が剥かれ、クラウドの胸ぐらをつかみあげようとしたが遅かった――がっかり顔の女性たちが、小さく手を振り去っていく。


「ブチ殺すぞクラウド」

「俺は好みじゃない。なんでもいいわけじゃない」


 オーケー? クラウドはアズラエルに言い聞かせた。


「それに、声をかけられてすぐに応じるクセは、直したほうがいい。また運命の相手が部屋にいても知らないぞ、アズ」


 クラウドはそう言って、立った。小用だろう。アズラエルは苦虫を噛み潰した顔で押し黙った。

 運命の相手が部屋にいるのは、困る。

 アズラエルはバカ高いコーヒーの二杯目を注文し、それを飲み終わっても相棒の姿は真向かいになかった。

 クラウドは、なかなか帰ってこなかった。


(もしかして、大のほうか)


 アズラエルは「クラウド軍曹(ぐんそう)はトイレ行かない」とかほざいていた女性軍人たちを思い出した。ヤツだって人間だ。トイレくらい行く。大だってする。

 やっともどってきたクラウドの顔色は、青ざめていた。なのに、なぜか頬だけは紅潮している。


「どうした、便秘か」


 アズラエルが子どものような嫌がらせをしたが、クラウドは上の空だ。


「――た」

「あ?」

「出会っ――会っちゃった――」

「は?」

「会っちゃった――出会っちゃったんだよ! 運命の人に!!」


 クラウドは、アズラエルの肩にしがみついた。まずい。これではますます誤解される。アズラエルは周辺を見回したが、とくに注視(ちゅうし)されてはいなかった。


「どうしよう――会ってしまった――まさか俺にかぎって、そんなこと、ありえない――でも、忘れられない――彼女の顔が離れない――なんて綺麗な――純真で――あどけない――どうしよう」


 アズラエルの肩に手を置き、頭を掻きむしり、動揺のあまりガタガタと音を立てて椅子に座ったクラウドの両手は、震えていた。


「おま」

 アズラエルは思わず言った。

「だいじょうぶか?」


「平気なわけないだろ!!」


 クラウドは泣きそうな顔で八つ当たりした。アズラエルは呆気に取られて、まず右手で顔をぬぐい、それから聞いた。


「え? どこで。どこで会った」


 さっき、運命の相手の話をしていた――L18の男の嫉妬深さとかどうとか。その話の余韻(よいん)も冷めやらぬうちに。


「そんなにいい女がいたのか」


 アズラエルはカフェを見回したが、いまのところおっさんしか見当たらない。まさか、クラウドの運命の相手はおっさんか――アズラエルは、一度は真剣にそう考えた。

 ムスタファのパーティーに招かれても、ララのそばにいても、世界モデルや芸能人、美形が氾濫(はんらん)する世界で、だれにも心を動かされなかったクラウドが「運命の相手」、と豪語(ごうご)する相手。

 アズラエルは、単純に興味をひかれた。


「い――いまそこで、トイレを出たら、すぐ」


 クラウドの声は、「ホントにおまえだいじょうぶか」と声をかけたくなるくらい上擦(うわず)っていた。


「このカフェに、いるのか」

「いいや――彼女は会計をすませて、もう出ていくところだった」


 残念そうに言った。とりあえず女だった。


「連れは? ひとりか」

「ひとりだった」

「じゃあ、声をかければよかったじゃねえか」


「俺はアズじゃない」

 クラウドは頭を抱えた。

「ひとめぼれした相手に、簡単に声をかけることなんかできやしない――俺の足がすくんだんだ――彼女の美貌に――彼女は可憐で――あまりに美しかった――」


 そういって、クラウドは携帯電話を差し出した。


「写真撮る余裕はあったんじゃねえか!」

 思わず突っ込む。そして、携帯をひったくった。


「美貌……?」


 アズラエルは写真を見て、首を傾げた。

 そこにいたのは、美貌――と表現するには若すぎる、茶髪の女の子が映っていた。切りっぱなしのショートヘアに、ジャケットにボーダー柄のカットソー、ジーンズにスニーカーの、女子高生にも見紛(みまご)うような女の子だ。

 飾り気のないスタイルは、あまりに若々しすぎて、アズラエルから見たら魅力に欠けた。


「美人といえなくはねえが、おまえのそれは、おおげさじゃ、」


 顔立ちは整っている。だが、クラウドの表現は過大評価にすぎる。


「コーティングした顔が綺麗に見えるアズとは、美意識が違うようだ」

 クラウドは思いつめた顔で言った。

「俺には、彼女の美しさが至上のものに思える――魂の美しさが、顔に出てる」


「そうかよ」

 アズラエルはそういうしかなかった。女の趣味が重ならないのはいいことだ。


 やがてクラウドは、真顔でデータを解析した。


「ミシェル・B・パーカー、二十歳。おそらくL6系かL7系の出だろう。きょうだいはいない、ひとりっこだ。両親は健在。そこそこ裕福な家の出だ。芸大にいたか、芸術系の趣味があるか、仕事をしている。ガラス工芸が好きかも。好きなファッションはシンプルなカジュアル、アイスコーヒーが好きで、ケーキはゴテゴテ飾ったやつが好き――」


 アズラエルは戦慄(せんりつ)した。


「俺、はじめておまえに好かれた女が気の毒だと思ったぜ」


 数十秒見つめられただけで、これだけのデータを手に入れられてしまっては、プライバシーなどあるものではない。


 ゴチャゴチャ抜かすクラウドを一喝(いっかつ)し、そのミシェルという――クラウドの運命の相手候補を捜そうといったのは、アズラエルだった。とにかく一度会ってみて、恋人がいるならあきらめる。いなかったらチャンスがあるかもしれない。


 退屈すぎる船内に嫌気がさしていたアズラエルは、クラウドのキューピッドを買って出たことになる。ふだんなら、ヒマがあったってそんなことはしないだろう。


「L7系あたりの出なら――年代から見ても、K27区なんじゃねえか」


 最初に当たりをつけたのは、アズラエルだ。だが、K27区といっても広い。それに、彼女を見つけたカフェはK08区だ。もしかしたら、近辺のK10区やK11区の富裕層居住区の住民かもしれない。


「親父さんに聞いてみるか」


 富裕層居住区なら、ムスタファに聞けば、なにか分かるかもしれない。


「いいや。そんなおおげさに捜しはじめたら、相手にビックリされてしまうよ。なにかいい方法はないかな」


 クラウドのプロファイリングよりおおげさなことなどない。

 アズラエル行きつけの、ラガーというバーで算段をしていたふたりだったが、計画はほとんど先に進まなかった。らしくもなく、クラウドがかなりウジウジしていたせいだ。


 K34区の「ラガー」は、もと傭兵の役員がやっているバーで、胡散臭(うさんくさ)い連中や、派手な女たちが集まる、なかなかお行儀のよくないバーだ。

 カウンターでイチャついていたって、たいして気にもされない都合のいい店。アズラエルにとってはもっとも居心地のいい店だった。

 餅は餅屋、というやつらしい。悪い連中が集まる場所には元ワルが。ラガーのマスターはもと傭兵だから、店で暴れるヤツが出たときも、カンタンにつまみ出せる剛腕(ごうわん)だ。


「アズも、運命の恋人を見つけたら、俺の気持ちがわかるよ」

 クラウドは熱っぽいため息を吐きながら言った。

「アホらしい」

 アズラエルは鼻を鳴らした。

「そう――ほんとうの、運命の子だったらだいじょうぶだよ。アズの見かけだけじゃなくって、中身を好きになってくれる」


「つうかよ、おまえなあ」

 アズラエルは、あきれ顔で言った。

「心理作戦部副隊長が、そんなドリーマーだったか?」


「こういうのはドリーマーじゃなくて、」


 言いかけたクラウドの目が、なにかをとらえた。

 なにを思ったか、クラウドはいきなり立って、目だけでなにかを探し――立った。彼が向かったのは、店のすみで占いをしている老婆のもとだ。


「おい……」


 アズラエルは止めたが、クラウドはコインを彼女の手に握らせた。


「俺の運命の相手がどこにいるか、わかる?」

「ああ――見えますよ。見える、見える。アンタが求めている女性は、この宇宙船に乗っている」

「それは、どこ? どの地区なの」

「――K――K26……K26……」


 クラウドは、水晶玉に手をかざし、恍惚(こうこつ)となっている占い師に、さらに三枚のコインを渡してその場を離れた。女はコインを数え、金額に満足すると、いそいそと懐にしまう。


「K26区だって」

「K26区だっていうんなら、その女はS系列からの入船者だってことだな?」

 アズラエルの呆れ声に、クラウドも嘆息した。

「ああいうのは、役に立たないからやめておけって」

 ラガーには、うさんくさい占い師や魔術師もよく来る。

「区画ぐらいは分かると思ったんだけどな」


「名前は?」


 クラウドに声をかけたのは、真っ黒なフードを被った、老婆の隣にいた占い師だった。声はだいぶしゃがれていたが、若いような気もする。アンバランスな声だった。彼女が声を放ったのと同時に、老婆はあわてて水晶玉をしまい、店を去った。


「名前は?」

 フードの占い師は、もう一度聞いた。


「ミシェル・B・パーカー」

「おい、よせって」


 クラウドが占い師のほうに向き直ってしまったので、アズラエルは止めた。

 フードの占い師がつかっている道具は、カードのようだった。老婆は、金色の錠前がついた、宇宙を模したような真っ黒な箱から、カードケースを取り出していた。


「ミシェル・B・パーカー――“ガラスで遊ぶ子ネコ”だね」

「ガラス?」


 クラウドは思わずつぶやいた。おそらく彼女は、ガラス工芸をするのではないかとプロファイリングしたばかりだった。


「彼女が住む区画は、K27区。リズンというカフェの近くだ。ひまわりパーラーというアパートの五号室に住んでいる。隣人も同じ年くらいの若い夫婦だよ」


「驚いた……! そんなことまでわかるの」


 クラウドは、紙幣をにぎらせようとしたが、彼女はさえぎった。


「あたしは金なんていらない」


 そう言って、老婆みたいに腰を曲げた彼女は、さっさとカードを片付け、足を引きずって帰っていった。

 異様に背が低かったのは、腰が曲がっていたからか。


「――ありゃ、本物か」


 アズラエルがぼやいた。カウンターにいたラガーの店長が、腕を組んでつぶやく。


「まぁたぶん」

「たぶん?」

「L03出身の占い師らしいが、あの気味悪いナリじゃな。大抵、L4系から来たまがい物と一緒にされて、冷やかし食らって終わりだ。クラウドよ、おめえ、どれだけ渡そうとしたんだ」


 クラウドの手には紙幣(しへい)が三枚あった。三万デル。ラガーの店長は口笛を吹いた。


「アズラエル。この異様にオツムのイイ世間知らずをちゃんと見張っとけ。そのうち、盛大にだまされて、すかんぴんに干されるぞ」

「俺はこいつの保護者じゃねえって」

「色ボケってのは、どうしようもねえな……てか、アズラエル」

「なんだ?」

「じつは、預かりモンがあって」


 これ渡すのすっかり忘れてた、と、薄汚れたエプロンのポケットから一枚のカードを取り出して、アズラエルに渡した。

 名刺だった。


「ミシェル・K・ベネトリックス。……探偵事務所?」


 オイ、クラウド、ミシェルだとよ。

 アズラエルはふざけたが、クラウドは聞いていなかった。


「残念だが、そっちは正真正銘、野郎だよ。うちのバーに軍人か、警察関係――もとSPだとなおのこといいって。そういうのが来ねえかっていうから、一応、おまえの名前を出してやった」


 アズラエルは名刺を見ながら首を傾げた。


「俺は傭兵だが?」

「こいつは、軍事惑星のことあまり知らねえよ。たぶん、ボディガードが欲しいんだ」


「ボディガードか……」

 気のない返事を返した。

「俺以外にもいそうなもんだけどな」


「おまえと同い年らしいから、話は合うかと思ってな。おまえが傭兵だってことは、言ってねえ」

「言ってねえのか。ボディガードなら傭兵だろ? なんで軍人がいいんだ」

「そいつは、L25で探偵をやってたんだ。複雑な事情は本人から聞くんだな。どうやら、ヤツはL18にちゃんと、“認定の傭兵”ってのがあるのを知らねえんだ。流しの傭兵は、雇うのが怖いらしい。まあな、ヘタなやつ雇えば、金だけ持ってトンズラってのもあり得る話だからな。だから、ちゃんとしたL18の軍人、を雇いてえんだとよ。アイツは認定の傭兵も軍人だと思ってる」


 アズラエルはイヤな顔をした。


「ちゃんと教えてやれよ。俺の雇い賃も言ったんだろうな?」

「そっちは勝手に調べ上げてるだろうさ。ロビンやバーガスはひと仕事五百万レベルだ。百万のおまえのほうが安いだろ」


 たしかに。たしかにその二人に比べたら自分は安いが、それでも低価格ではない。


「宇宙船割引で、五十パーセントオフにでもしてやれよ」

「それが、もと傭兵の言うセリフか」


 雇い賃をやたらに引けば、舐められる。それは傭兵のあいだでは公認の事実だ。アズラエルは苦笑いした。どうも、面倒なことになるような気がした。


 普段なら興味も持たないだろう話を、話だけでも聞いてみる気になったのは、この宇宙船があまりに退屈すぎたせいだった。


 退屈というのは、じつに危険だ。




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