328話 兄弟神の末裔と、最後の封印 Ⅲ 2
「――へ?」
顔面アウトのバンビが次に現れた先は、にぎやかだった。今までの厳かな雰囲気とはまったくの真逆だ。
愉快としかいえないテンポの音楽がガンガン流れ、巨大なティーカップやスプーンが音楽に合わせて踊っている。どこかで見たアニメの光景のようだ。
いや、本当にアニメの中にでも入りこんだのかもしれない――バンビがいたのは、テーブルクロスの上だった。カトラリーが、どれもこれも自分よりでかい。
「おっとごめんよ!」
ナイフと踊っていたフォークにぶつかり、バンビは転んだ。フォークとナイフにも、ユニークな顔がくっついている。今までのバンビだったら、即座に気絶していただろう。
だが、今さらだ。まったく、今さらだった。ここに来るまで、何度似たようなことがあった?
バンビだってけっこう慣れてきた――。
「あたしと、踊ってくださいませんこと?」
しなしなぐねぐねと揺れながら寄ってきたバラ模様のスプーンに、やっぱりバンビは気絶しかけて、自分で頬をひっぱたいて我に返った。そして、丁重にお断りしてから、テーブルクロスの上をうろついた。
ここには、仲間はいないのだろうか。飛ばされたのは自分だけか。
あまりに曲のノリが良すぎて、いつのまにか靴がリズムを踏んでいる。テーブルの上はカトラリーばかりではない。いい匂いのするお菓子や、湯気の立つ料理が並んでいた。
思い出すのは、ルナと二人のルシヤと行った、スイーツビュッフェ。
ここは、いったいなんなのだ。
「ちこたん!?」
『あっ、これはバンビさん!』
バンビは、ティーカップの紳士と踊っていたちこたんを見つけた。ちこたんも手を振り返してきた。
『ようこそ! 楽しいパーティーに!!』
「た、楽しいパーティーって……」
やっと仲間が見つかった。ちこたんだけではなく、見失っていた仲間がそろっていた――が、声をかけようとして、固まった。
ルシヤとピエトは、自分の頭よりでかいミートボールに左右からかぶりつき、どっちが早く真ん中まで到達するか競争している。
ルナとミシェルは、つやつやのフルーツタルトに、端からかぶりついていた。
「バンビさん」
呆気に取られていたバンビは、後ろから声をかけられて飛び上がった。九庵だった。
「どうやら、ずいぶん楽しげなところに来てしまったようですな」
苦笑しながらの台詞だった。たしかに、バンビが見てきた光景に比べれば。
そういう九庵も、クリームをたっぷり塗ったスコーンのかけらを手にしていた。
「バンビさんもどうです?」
「え? あ、いや……」
「ここにあるものは、自由に食べていいそうで」
「そうなの!?」
そういわれると、なんとなくおなかもすいてくる。ここはどこだと神経をとがらせていたせいで、美味しそうな匂いが食欲中枢を刺激することはなかったが、食べていいよといわれると、急に。
爽やかな柑橘の香りと、チョコレートの甘い香りが一気に鼻先になだれ込んでくる。
「チョコなら、あっちにいろいろとありましたよ」
「ほんと? ど、どうしよう……いただいてもいいかな……」
「どうぞどうぞ! ご遠慮なく!!」
「アールグレイはいかが?」
スプーンが菓子の空箱を持ってきて、バンビに席を勧めた。ティーポットが勝手にカップに紅茶を注ぐ。
「ミルクは? お砂糖はいくつ? 蜂蜜もありますよ」
あれやこれやと、カトラリーたちが世話を焼いてくれる。
「あ、ありがとう――ところで九庵、ここにはいつごろ来たの?」
「底が抜けて、すぐですよ。もう一時間は経った気がしているんですが。ここにある時計は、みんなおかしくて」
九庵が差した壁には、さまざまな形の時計がいくつも飾ってあって、そのどれもがおかしな時間の刻み方をしていた。すさまじく速いのもあったり、針がまったく動かない時計もあったり。
もちろん、表示してある時間はすべて違う。
「じゃあ、ずっとこの調子?」
「ええ――」
「イチジクの蜜漬けタルトは? こっちはクリームチーズとブルーベリー。ミートパイなんかいかが?」
カトラリーたちは、次々と食べ物を勧めてくる。バンビが戸惑っていると――ふと、音楽が止んだ。
『おや? お客さんが出そろったようだ』
どこからか、老人の声がした。バンビは、その声を懐かしいと思った。
なぜかは知らない。
にぎやかなダンス・ミュージックを奏でていた音楽隊は、やがて、ゆるやかな曲調の音楽を奏で始めた。
『さあ。オリオロは聞こう、君の、もっともたいせつな、たったひとつの願いをこっそり。だれにも言えない願いをひとつ♪』
バンビも。
タルトや料理に夢中だったルナたちも、やっと気づいた。
真っ赤なほっぺたをした、愛くるしい顔の子どもが三人、バンビたちを覗き込んでいる。
もちろん、メチャクチャ巨大だった。バンビが今まで見てきた神々と同じくらいの――。
『成功をもたらそう。すばらしき成功を! すべてをハッピーエンドに。なにもかもがうまくいく! ケムタックと酒をかわせば』
まるでミュージカルのように、曲調に合わせて歌う神々の声は、容姿はピエトたちより小さな幼子なのに、声は壮年のものだった。
『夢は広がる無限の可能性――夢は果てしなく世界も果てなく――願いを聞こう、ぼくが願いを。でも物語は生き物さ。どうするコルーナ? 夢と物語の神よ。ハッピーエンドはむずかしい』
帽子をかぶった幼子が歌うと、急に音楽が止まった。
『むずかしいもんか!』
駄々をこねるようにケムタックが叫んだ。子どもの声だ。
『そらそらなんだった。ケンカはごめんだ。さぁ、願いを聞こうか』
オリオロが言った。
気を取られていたバンビは、ハッとして振り返った。
『懐かしい顔がおる』
ケムタックがニコリと笑った。
『元気にしていたか』
コルーナも言った。バンビに向かって。
バンビはなにか言おうとして――オリオロにさえぎられた。
『いや待て。願いならもう聞いておるぞ? ――うんうん。たいせつな願いじゃ。オリオロは秘密の願いを聞く神じゃ。聞いてしんぜよう』
ルシヤもピエトも、ミシェルもルナも――ポカンと口を開けていた。どちらかというと、九庵もだ。
『願いは聞いた。すべて聞いた。これでよかろう』
オリオロはパンパンと手を叩いた。
『イチゴショートは幸福の色、チーズケーキは満足の味、チョコレートの海に溺れないように♪ フルーツタルトは甘すぎる!』
コルーナがそう言って、ルナたちが食べていたフルーツタルトを両手で持ち上げた。ホールのタルトが、ひとくち、ふたくちで口の中に消えていくのを唖然と見送った。
『ともだちに、ほどよく冷めたエッグ・タルトを。割ってみるかね? キャラメルの氷を』
ショートケーキサイズのあらゆるケーキとお菓子が、ずらりと並びだしたので、ルナとミシェルは歓声を上げた。
『ワインにあうのはチーズ! でもハンバーグなんか好きかい? ぼくはすき』
ルシヤとピエトの周りにも、ずらりとご馳走が並びだす。あらゆるお酒やジュースにコーヒー、紅茶、飲み物が現れて、ルナたちをもてなしにかかった。
「わしらも、ご相伴に預かりましょうかねえ」
九庵も、袖をまくってご馳走の海に飛び込んだ。
「なんか……なんかわからないけど」
バンビは震えながら言った。
「なんか、ぜんぶ、うまくいく気がしてきた……!!」
まったく、意味が分かんないけど!
そうして、涙を流して笑いながら、新たに始まった宴会に突っ込んでいった。
ルナは、口の周りをクリームで、それからワンピースをあらゆる甘い匂いに汚しながら、自分の頭ほどもあるイチゴから顔を上げた。
「ちこたん!?」
いつのまにか、「み」以外の言葉がしゃべれるようになっていた。
『とっても、美味しいです』
ちこたんが、イチゴのサイダーを飲んでいたのだ。どでかいコップにしがみついて、どでかいストローから。ちこたんには口があって、ちゅるちゅるサイダーを吸っていた。
『ルナさんがよく飲んでいたから、一度飲んでみたかったのです』
ぷはっと勢いよく、口を離した。ルナの飲み方といっしょだった。
『ルナさん』
ライトの部分の――ちこたんの目にも見えそうな部分が、うるんでいるように見えた。
『ここまで来れて、よかったです』
「……ちこたん?」
『きっとわたしは、ふつうなら壊れて終わり。でも、ルナさんと一緒に、こんなところまで来られて、ルナさんを守ることができて、最後まで一緒にいられて、本当によかった』
「どうしたの? ちこたん……」
ちこたんの様子がおかしいので、隣にいたミシェルも顔を上げ、ピエトも、ルシヤも、九庵も、バンビも。――みんな、寄ってきた。
『また、会いたいです』
そういったきり、ちこたんは消えた。――消えたのだ。泡のようになって、ふわふわと、宙に溶けるように、消えた。
「ちこたん!?」
ルナが叫んで、泡をかき集めようとしたが、駄目だった。
ちこたんは、消えた。
皆の前から。
「ちこたん!!!!!」




