39話 おおきなウサギの木の下で 3
女六人でリリザに行こうねと約束をしたあと、シナモンはリサを連れてメイク講座へ。
ルナはレイチェルとK27区のショッピングモールで雑貨店をまわり、家路についた。
今日はアズラエルが不在なのだと知ると、レイチェルはルナを自宅に招いた。そこでエドワードと一緒に夕食を食べ、レイチェルはまた「アズラエルは危ないわ」の言葉を繰り返し、エドワードに「そんなに心配することでもないんじゃない」という苦笑をもらうルナだった。
あちこちで心配されっぱなしである。リサのあれはいつものことなので、ルナは一時間落ち込んだあと、可愛い雑貨に癒されて立ち直ったが、レイチェルにまで別口で心配されるとは。
不思議なことに、レイチェル以外には、概ねアズラエルは好印象なのだった。
あの、ものすごいタトゥとコワモテの外見で怖がられると思いきや――シナモンはあのとおりだし、エドワードやシナモンの夫ジルベールも、「カッコいいじゃん!」と、レイチェルの目がまん丸くなるような評価なのだった。
(そういえば、最初も、怖がっていたのはあたしだけだったな)
ミシェルにリサ、キラも、アズラエルを怖がってなどいなかった。
レイチェルは泊まってといったが、家はとなりなので、ルナは帰ることにした。
深夜とはいえないが、とっぷりと夜も暮れた時間。
昼間のリサの言葉に対抗するわけではないが、ルナは普段と違うことをした。
空気はキンとつめたく、K05区ほどではないが雪は積もっている。晴れているのが幸いだ。凍った地面を、ブーツでシャリシャリ踏みしめながら、ルナは公園に向かった。
電燈がついた道路は明るいし、公園もライトアップされている。
こんな夜更けに出歩くなんて、ルナの両親がいたら大反対していただろうし、船内はこれ以上なく治安が良く、安全だと言われていても、前のルナならしていなかったろう。
だが、すこし考えを整理したかったのだ。
椿の宿で起こったことをはじめ、今日のサルーディーバの訪問――ルナにはまだ、消化できないことが多すぎた。
(サルーディーバさん)
ルナは星空を見上げながら、てくてく歩いた。
(あたしは、なぜかみんなに心配される、こんなのんびりやで、アホだよ?)
あたしじゃ、サルーディーバさんの助けにはなれないんじゃないかなあ。
「……」
ルナは自分で言っていて、ふたたび落ち込みそうになったが、事実だ。
こんな夜更けで、しかも冬だというのに、幾人かの若者が走っていた。ルナのそばを通り過ぎるとき、「こんばんは!」と声をかけられ、ルナは思わず「こんばんは!」と返事をしていた。知らない人だ。
夜でも明るい公園内の、まだだれも踏みしめていない雪の上を歩くと、大きな樹のそばまで来た。
何度かここへ来たことがある。これは樹齢千年の桜で、春になったら見事な花を咲かせるのだという。そばに看板があるから、ルナも知っているのだが。
空を覆う大宇宙に、桜の巨木。いまは雪を被っているが、春になれば薄桃色の花びらで覆われる。
(真月神社にも、桜や梅がいっぱいあります)
一気に芽吹く春を想像して、ルナがほっこり雪桜を見上げていると、ジョギングをしていた男女が休憩して、ルナと一緒に巨木を見上げていた。
「見てこれ、ウサギみたい」
女の子のひとりが言った言葉に釣られて、ルナも巨木を見上げると、枝に積もった雪の形が、ぴょこんとふたつ、ウサギの耳みたいに見えた。
「すっげ、マジでウサギだ」
だれの目にもウサギに見えるらしい。笑い声が起こり、ルナもいっしょに笑った。
「や、毎晩おつかれさんだねえ」
サクサクと、固い雪を踏みしめて歩いてきたのはアントニオだった。手にしたトレイには、湯気の立つ紙カップがならんでいる。
「アントニオさん、こんばんは」
男のひとりが挨拶をした。
「どう? 飲まない。中身は売れ残りのポタージュ」
「やった! いただきます」
五、六人もいた彼らは、いっせいに群がった。彼らは鼻の頭を真っ赤にさせながら、熱いスープを飲み、「ごちそうさま」と言って、また走っていく。
アントニオは、ルナにも紙コップを手渡した。
「どうしたのルナちゃん、ひとりで」
「う、うん……おさんぽ」
ルナは冷えた手で、カップを包んだ。あたたかさが染み入るようだった。
「ちょっと、いろいろ考えたくて」
その言葉に、アントニオはちいさくため息をついて、苦笑した。
「昼間、サルちゃんがお邪魔したろ」
ルナは目をぱちくりさせ、すこし遅れて、「うん」とうなずいた。アントニオは「やれやれ」と、伸びをした。
「まだ早いって言ってるのに、困った子だ」
伸びをして、それからアントニオも気付いたようだ――「なんだこれ? ウサギみたいだな」
ぴょこんと伸びた、ウサ耳みたいな雪の柱を見て笑った。
「大きなウサギの木です」
ルナはうなずいた。
「ウサギの木か……」
アントニオは、星空を背景にした樹木を見上げ、
「ここの桜も樹齢千年なんだけど、同じ樹齢千年の木が、船内にはあと二本あるんだ」
ルナは驚いて、「どこ?」と聞いた。
「桜がここだろ、あとは、樹齢千年のネムノキがK10区の外れにあって、K39区にも、樹齢千年のハンの樹がある」
「ハン?」
「L4系にしか生えない樹木だよ。分類は杉科にされてるけど、大昔から、ハンの樹と呼ばれていた。L系惑星群の文明の発生は、L4系からだって言われてる」
「あたし、それ、なんかの本で読んだよ」
「うん。あと、K02区の“一茶”ってカフェの近くには、樹齢二千年の、杉の巨木がある。そっちは、地球から持ってきた樹だって言われてるけど」
「にせんねん!!」
ルナは絶叫した。
「地球行き宇宙船ができたのが、千年前。だから、この桜とハンの樹、ネムノキは、地球行き宇宙船ができたときからあるってことだな。K02区の杉は、地球で千年育って、この宇宙船にお引越ししたってわけだ」
「うわあ……」
ルナは目をぱちくりさせた。
二千年に、千年。どちらにしろ、果てしない年月だ。
「一茶のエウミンカは樹木医でね。彼が四本の古木を管理している。――ええっと――そうだ、たしかこの桜は地球生まれ。ネムノキは、アストロス生まれだ」
「四本の木は、L系惑星群と、地球と、アストロスから来たんだね」
ルナはうなずいた。
「木だけじゃなくて、この宇宙船、すべてがそうなんだよ」
アントニオは言った。
「この宇宙船の外郭は、人間がつくったものだ。だけど、今ルナちゃんが踏みしめている地面の土、樹木、草花、海の水、河川の水、山を構成する木々、あらゆる動物たち――それらはすべて、L系惑星群とアストロス、地球から分けてもらってつくられているんだ」
「じゃあ……」
「そう。この宇宙船は、三つ星の子どもみたいなものだよね」
アントニオは星空を見上げた。
「この宇宙船は、気象部があるし、ある程度人工的に天候も調節できる。でもそれは、よほどのことがなければしない。天候も木々や花々が育つことも、季節の巡り合わせも、すべては自然のままに。ここでは、ひとの文明と自然が、可能なかぎり共存しているんだ」
ルナはアントニオを見上げた。
「地球、L系惑星群、アストロスが、この宇宙船のなかにある。この船は、三つ星のきずなだ」
「きずな……」
「大樹は、すぐには育たない」
アントニオも、いつのまにかルナを見下ろしていた。
「ルナちゃんが、“おおきなウサギの木”になるまで、ゆっくり、ゆっくり、待たなきゃならない」
ルナはふと、うつむいた。ほっぺたをふくらませて。
「……あたしね、またリサに怒られちゃった」
「怒られた?」
「あたし、のんびりすぎるって」
今に始まったことではない。リサは、ルナに関しては、シナモンが言ったように――まるで母親のように口うるさくなることがある。
「宇宙船の四年間はお金がもらえるけど、そのあとはどうやって暮らしていくのって、すごく怒られちゃった……」
ルナのウサ耳はぺったり垂れていた。
「貯金はしてるけどさ。あたしもなにか、資格とかとったほうが、よいのかな」
リサは努力家だ。美容師の資格ももうすぐ取れるし、メイクにフラワーアレンジメント、あらゆる資格を取る気なのだろう。キラも多趣味のうえ、介護士の資格もあるし、リサ同様、さまざまな講習会に通っている。ミシェルの手の器用さはこの上なく、アクセサリーをつくるセンスも抜群、絵もうまく、母星では、ガラス工芸職人になるためにがんばっていた。
シナモンはモデルだし、レイチェルはあれでいて、教員免許を持っているのだ。
なんにも資格がないのはルナだけ。とくにやりたいことも、得意なこともない。
料理は、身近な人にはほめてもらえるが、レイチェルには及ばない。彼女はプロ並みに料理もうまい。
まわりの友人の才能がすごすぎて、ルナはたまに落ち込んだ。
「あたしは、あんまり得意なことはないし。でも、なにかの資格を取ろうとか、今はぜんぜん思えないの」
リサには、ルナがなにもしていないように見えるのかもしれない。
「アズのことで、レイチェルにも心配されちゃったし……」
「ルナちゃんは、それで、いいんだよ」
アントニオは笑った。
「もしかしたら君は、大樹になるかもしれないぜ?」
「大樹?」
ルナはちょっぴり涙ぐんだ目で、アントニオを見た。
「さっき言っただろ。大樹は、のんびり待たなきゃ育たないって」
桜が千年かけて、この地に深い深い根を張ったように――大樹は根を張らなければ、大きくはなれない。それには、長い時間がかかる。
「大樹はよりどころなんだ」
「よりどころ……」
「この木は、鳥のように飛び立てないし、イヌやネコみたいに駆けまわれないかもしれない。でも、彼らがよりどころとするのは、この木の木陰だ」
そう言われたルナは、大きく枝の傘を張った木を見上げた。
「動物や鳥たちは、よりどころを求めて集まる。大樹が彼らを、強い日差しから守るかもしれないし、一滴の朝露が、動物たちののどを潤してくれるかもしれない。それだけかもしれない。でも、大樹がここになければ、動物たちが寄り添う場所がない。休む場所がなければ、鳥たちは羽ばたいていけないんだよ」
「……」
ルナはなにかを覚悟したように、鼻の穴を広げ、ほっぺたをぷっくらさせ始めたので、アントニオは訂正した。
「いや、ルナちゃんの体積を増やせっていうんじゃなくて」
リズンの店の前で、ジョギングを終えた男女が手を振っている。アントニオとルナは手を振り返した。
「大樹は、鳥たちのように羽ばたけない。動物たちのように駆けだせない。のんびり、そこに立っているだけ。でも、居場所にはなれる」
「いばしょ……」
「揺らがない大樹になるということは、じつはなかなかない才能なんだよ? ルナちゃん」
「えっ」
「大樹になるまえに、焦って枝を伸ばそうとして、枝ぶりばかりよくなって、根っこから倒れてしまう木がどれだけ多いことか」
「……!」
「ここに植えられたのはこの桜だけじゃない。ほかにもたくさんの木が植えられた。でも、千年たった今、残っているのは、この木だけ。千年前からこの姿だった、この木だけだ」
アントニオは、幹に触れた。
「地球に着くのも、同じことさ。なにが残るか分からない。地球に行きたいと願った人間が、やむをえず降りなきゃならないこともある。行くつもりのない人間が、案外着いちゃったりする――どっしり根を張ったこの桜は、何度も地球に着いたんだ。千年も前の、むかしから」
ルナのウサ耳が、ぴょこん、と立った。
「大樹は、ここでのんびり見つめているよ。ひとの暮らしと、営みを」




