4話 地球行き宇宙船 Ⅱ 3
10月11日、午前11時。
カチリ、と時計が時を刻んだ。
「……ルナ、ルナ! 起きなよ!」
ルナを起こしているのは、ミシェルだった。
「あ、……」
ルナはもしょもしょと目をこすりながら起きた。
「もにゃ? あれ? ミシェル?」
ミシェルの顔は、ルナののんき顔とは正反対に、心配そうだ。
「ずいぶんうなされてたけど、だいじょうぶ?」
「え?」
ルナはきょとんとした。
「けっこう、しあわせな夢を見てたんだけど?」
「ええ? しあわせ?」
ミシェルはしかめっ面をした。
「うんうんうなってたし、やめてとか叫んだし。しあわせな夢を見てるようには見えなかったよ?」
だから、起こしたの。ミシェルはそう言った。たしかに、ルナはびっしょりと寝汗をかいていた。
「うわあ、びっしょり」
ルナは、肌にべったり貼りついたパジャマを、気持ち悪そうにつまんだ。
「どうしたの。熱でもあった」
「わかんない」
ルナは首をかしげた。
「でもなんだかね、とってもすっきりした」
首をかしげながら、そう言った。
「すっきり?」
「うん。すっきり」
「ふうん……」
ミシェルは理解できない顔でながめていたが、やがて立ち上がった。
「風邪かな。熱はかってみる?」
ルナも、「うん」と言って、洗面所へ向かった。
ほとんど覚えていないけれども、今日の夢は、あの日、地球行き宇宙船に乗るまえの、ファーストクラスの宇宙船で見た夢と似ていた気がする。
ルナたちが地球行き宇宙船に乗って、10日ほどたっていた。
「ずいぶん寝坊しちゃったなあ」
時計を見れば午前11時だ。ちなみに、熱ははかったが平熱だった。風邪じゃなさそう。
「まあ、寝坊しようが別に仕事じゃないからいいんだけど」
「お昼どうする?」
「う~ん、リズン?」
「リズンにしようか」
「うん」
おざなりに顔を洗い、歯を磨き、服を着替えたルナは、ほっぺたに化粧水とクリームを叩き込み、髪の毛にブラシを通した。
ミシェルはすでにコートを着込んでいた。
「外、寒いよ」
たしかに雪が降りそうだと思うくらい、外の気温は低かった。室内の気温は安定しているが、外は氷点下だ。
「やっぱり、雪降るかも」
「雨も降ったもん。雪だって降るよ」
「そのとおりだ!」
「つもらなきゃいいね」
アパートから歩いて数分。公園の隣にあるカフェ・リズンは、ミシェルとよく行く場所だ。
「キラとリサは買い物?」
「うん。服買いすぎだよね。リリザに着くころなんて、お金残ってないんじゃない」
リサとキラが服を買いすぎというのはまぎれもなくほんとうで、服だけではない――彼女たちは船に乗ってからこのかた、遊びっぱなしだった。
キラは趣味ごとに夢中で、リサはデートとパーティーとカルチャースクールの毎日。カレシもとっかえひっかえ――これだけ切らさないというのも、運なのか才能なのか。ルナは真剣に考えたことがある。
しかし、ルナたちが一番楽しみにしているのはリリザだ。ルナと同じ年ごろの子は皆そうだろう。
ルナもミシェルも、リリザに着いたらめいっぱい遊ぶつもりなので、今は節約している。
この宇宙船は、いろんなイベントも、行ってみたい場所もたくさんあって、目移りするが、今はリリザのためにちょっぴり我慢――。
しているつもり、なのだが。
「キラもリサも、いっしょにリリザで遊ぼうって約束忘れてるんじゃないよね」
ミシェルが口を尖らせ、ふと思い出したように、
「あ、リサからメール来てたよ。今夜飲みに行こうって」
「え? またあ?」
今日は寒くなってきたから、家で鍋パーティーでもしようかと思っていたルナは、ほっぺたをふくらませた。
「マタドール・カフェで、新作のカクテル出たって」とミシェルに言われて、やっとほっぺたをしぼませた。
「カクテルも衣替えするんだってさ」
「ぷふっ!」
ルナとミシェルは、マフラーに埋もれて笑いあった。マタドール・カフェのバーテンダー、デレクはおもしろい人だ。
地球行き宇宙船に乗って10日。まだ、たった10日だ。
そろそろ慣れてきた頃合いだろうか。新しい街並みにも。
L系列惑星群全域から乗客が乗り込むというのはほんとうで、さまざまな惑星の人間が、この宇宙船には住んでいた。
ルナたちのアパートの管理人は、S02出身のおじいさんで、ルナははじめてS系惑星群の住人――エスシネイシュに会った。外見はルナたちとほとんど変わらないが、彼はなんと、小さなシッポ(!)がある。
L系惑星群の共通語も話せるが、妙ななまりが入っていて、ずいぶん愛嬌のある初老の管理人さんだ。
ルナたちが住むK27区は、最初にカザマが言ったとおり、ほとんどがL5系からL7系の若者ばかりだった。
リサとルナの部屋の隣は、レイチェルとエドワード。
ふたりはL56出身で、ルナたちと同い年だ。レイチェルは、よくルナをカフェや買い物に誘ってくれる。
キラとミシェルの部屋の隣も夫婦。L5系から来たシナモンとジルベール。シナモンはモデルで、ジルベールはダンサー。
ずいぶんおしゃれなカップルなので、ルナは気後れしていたが、シナモンが気さくなたちで、よくお茶に買い物にと誘ってくれるので、一番人見知りのルナも、すぐ仲良くなった。
四人はこの地球行き旅行がハネムーン替わり。宇宙船で結婚式を挙げるのだという。
この、ほとんど新婚のカップルにあてられているせいなのか、キラもリサも「結婚っていいよねえ」が最近の口癖だった。
たしかに地球行き宇宙船は、運命の相手に出会えるというウワサがある。
ルナはといえば、地球に行くための試験のことしか頭になかった。
「わ、もういっぱい」
寒いせいで、リズンの店内は人で埋め尽くされていたが、外の席は空いている。
「どーする? 外でもいい? モーニングにする?」
「いいよ。厚着してきたし――まだモーニングあるの?」
「ギリギリだけど」
「あっあたしこっちにする。モーニングのホットサンドもおいしそうだけど、チーズバーガー食べたい」
ルナとミシェルはカフェテラスの空いた席に座り、ルナはシナモンつきの温かいカフェ・ラテと、ミシェルはこの寒さに挑むかのようにアイスコーヒー、特製チーズバーガーセットを注文した。
「毎回、言ってるような気がするけどさあ」
ミシェルは言った。
「ほんと、あたしらと同い年くらいのひとしかいないね」
「うん」
ルナも、言われてあたりを見回した。
十代後半から、二十代半ば。そのくらいの年齢層の人間ばかり。まったくもってミシェルのいうとおりだ。それ以外の年齢の人間が――中高年、子どもや老人といった年齢層がほとんど見当たらない。お店などの経営者はべつとして。
「大学みたいな感じ?」
大学行ったことないけど、とミシェルが言いかけたところで、声をかけられた。
「こんちは」
「こんにちは……?」
ミシェルが疑問形で返事をした。ルナはちょうどチーズバーガーにかぶりついたタイミングで、返事はできなかった。
知りあいではなかった。ルナとミシェルは顔を見合わせた。声をかけてきた男の子の後ろには、同じ顔が控えていた。
双子なのか。
「今日は寒いけど、いい天気だ。ヒマだったら、いっしょに遊園地でも行かない」
彼はK15区にある遊園地の無料チケットを見せた。
ルナの口は、ハンバーガーで埋まっていた。もっふりかじりついた状態で固まっている。それを見た後ろの少年が、我慢しきれなくなったように吹き出した。
「あ、えーっと」
ミシェルはごっくんとパンのかけらを飲み干して、言った。
「あたしたち、予定あるんだ」
「そっかあ、残念」
「じゃあ、また今度」
ふたりはすぐ去って行った。簡単に声をかけるが、あきらめも早い。
「……」
「……」
ルナとミシェルは互いの顔をのぞきこんだ。この言葉も何回つかったことか。
リサがここにきてひとつきだというのに、彼氏三人以上、というのは嘘ではない。それはリサにかぎった話ではなくなんだか妙に、ナンパ率が高いのだ。
地球に行くという目的があるだけ――試験のことは別としても――特に働く必要もなく、勉強することがあるわけでもない環境に若い男女が相当数いれば、無理のないことかもしれなかった。
いままで彼氏ができたためしのなかったキラが、「あたし、どんなファッションが似合うと思う?」なんて、シナモンにアドバイスを求めたりして、ひどく気にしはじめているのはそのためだ。
キラは、外見的には美人の部類に入る――とルナは思う。なので、ナンパされることが多かったがどちらかというと派手なナリが災いして、まったくタイプではない派手な男たちに言い寄られることが多い。
おまけにうまくいきかけても、キラの趣味に相手が引いてしまって別れる、というパターンを繰り返していた。
美人のミシェルも声をかけられる頻度は高いが、彼女にあまりその気がないのか、まだだれともつきあっていない。
ルナはといえば、リサかキラかミシェルといるときに声をかけられはするが、生憎と一人のときはなかった。おまけに、三人がなかなか美人の部類に入るので、ルナはいつでもついで、だった。
「そういえば、ルナ、きのう、いつごろ帰ったの?」
「ぷ?」
ミシェルはようやくこのことを聞けた、という顔をした。ルナは思いだした。
「あっごめん! ひとりで帰っちゃった」
「それはいいの。あたしもルナをひとりにしちゃってごめん」
ミシェルはようやく、チーズバーガーにかぶりついた。
朝の夢ショックで、すっかり忘れていた。ルナだって、「きのうのことで」聞きたいことがいっぱいあったのだ。
「ミシェルもきのうはいつ帰ってきたの? “試験のこと”とか、だれかから聞けた? どんな試験だった?」
ミシェルは、ルナの矢継ぎ早の質問には答えずに、キョロキョロとあたりを見回した。そして、用心深く、声を潜めて言った。
「たぶん――きのうのパーティーにいたひと、ここにはいない、かな?」
ルナもキョロキョロ見回した。
「いない――かな? わかんない。きのういっぱいいたもんね。百人くらい?」
「うん。百人くらいいた」
ミシェルはうなずいた。さっき声をかけてきた双子は、いなかった気がする。
「どうしたの?」
あんまりミシェルが周りを用心するような態度を見せるので、ルナは聞いた。
「やっぱり、キラとリサがいるときに、一緒に話そう」
ルナがなにか言うまえに、ミシェルは言った。
「ね、あたしたちも今日はK12区まで遠出しない」
服でも見に――ルナはうなずいた。
リリザのために節約もするけれど、たまには遊びもするのだ。
「途中で毬色に寄っていい? ポーチ見たいの」
K12区は、中央区の隣の区画で、ファッションビルやショッピングモールで埋められている、船内の大都市だ。そして、毬色は、K27区内にある雑貨店で、すでに何回か行ったことがある。
「おっけ。毬色行って、K12区行こう。プラネタリウム・カフェがあるって、キラから聞いたの、行ってみない」
「行く!!」
ルナとミシェルは、大急ぎでチーズバーガーを片付けた。ここからK12区までは、けっこうな距離があるのだ。
地球行き宇宙船内の交通手段は、自家用車を持ち込まないかぎりは、タクシーかバスのどちらかだ。リサががっかり顔をしていたが、やはりシャイン・システムはなかった。
ちなみに、タクシーもバスも、乗車料金はほとんど変わらない。
バスはバス停にいちいち停車するので、急ぎの用事や、目的地がはっきりしている場合は、タクシーのほうが便利だ。
船内のタクシーは、運転手と後部座席の距離があるリムジン仕様だし、乗車して、いきたい場所のアイコンを押せば、そのまま目的地まで一直線だ。車内はドリンク・サービスもある。
地下鉄もあるが、この宇宙船の地下で、宇宙船を動かしている作業員がつかうことがほとんどで、ルナはつかったことがない。
ルナたちは、バスに乗って、毬色があるショッピングモールの手前で降りた。
「ルナ、先に行ってて」
ミシェルは、店舗がずらりと並んだ入り口にある、手芸材料が売っている店めがけて、まっしぐらに突っ込んでいった。
「うん。じゃあ、毬色でね~」
ルナは、もう少し先にある毬色に向かって、ぽてぽて進んでいった。ショッピングモールは、平日のこともあって、人は少なかった。
(日曜日は、けっこう混んでるのね)
船客は日曜も祝日もなく、ずっと休みのようなものだし、だとすれば、やはり船内の役員は日曜休みなのだろうか、とルナは考えながら、毬色の店舗まえまで来た。
ガラス戸を開けて入ろうとして――ルナはショーウインドーにある品物に目を奪われ、あわてて歩道にもどり、ガラスに張り付いた。
「ジニーだ!!」
思わず、ルナは叫んだ。
ショーウインドーに飾られていたのは、リリザのマスコットキャラクター、ウサギのジニーのバッグだった。
小旅行によさそうな、大きな茶色の革製ショルダーバッグ。内装は、ウサギのジニーのフェイスがちりばめられたピンク色の布地。
「ほ、欲しい……」
だが、たいそうな値段だった――気軽に買おうとは思えない四万デル。ルナが持っているトランクよりずっと高い。
よく見ると、「1414年秋・リリザ限定商品」とある。財布型のちいさなハンドバッグと、トートバッグはすでに売り切れたあとだった。値段が書かれたプレートだけがふたつ残っている。
(リ、リリザ限定……!)
つまり、リリザでしか買えないという品物だ。L系惑星群では当然売っていないし、通信販売でもあるかどうか――。
「買ったほうがいいよ」
「ぴっ!?」
ルナはウサギのように飛び跳ねかけた。ルナのとなりで、まったく知らない女性が、不敵な笑みを浮かべて立っていたからだ。
「買ったほうがいい」
彼女はきっぱりと言った。
「それ、迷ってたらなくなるよ――明日には、売り切れてると思う」
黒髪おだんごの背が高い女性は、明るい表情には似合わない、重々しい声で言った。
「これ、売り出されて一週間も経ってないの。ショーウインドーに出したその日にハンドバッグが売れちゃって、トートも次の日には売れちゃった。あのね、ペーターとジニーの雑貨って、星の数ほど出てるでしょ? だから、一度出たものって、ほとんど再販されないの。このショルダーバッグも、これきりなんじゃないかな。通販じゃ絶対手に入んないし、船内ではここしか売ってない。これ、あたしたちがリリザに着くころに、リリザで発売されるやつなの。でもリリザで購入しようっていったって、ものすごい倍率だから、絶対手に入んない。穴場なの。いまのところ、毬色でもショーウインドーに出す以外は宣伝してないから、つまり、見つけたもん勝ち」
ルナはごくりと息をのんだ。怒涛のようにしゃべるこのお姉さんは何者だろうか。
毬色の店員には見えなかった。Tシャツにジャケット、ジーンズにスニーカーのスタイルだし、大量の冊子を片手に抱え、赤い革カバンを下げている――そう、赤い、革カバンを。
「あれ!?」
ルナに見えるように広げられた彼女のバッグの内装は、ショーウインドーに飾られているものと、キャラクターと色違いだった。こちらは内装が水色、ペーターのフェイスで、外装は赤い革である。
「あたしこれ、今年の四月に買ったのね。これは春限定商品で、あともう、二度と出ないと思う。これも毬色で買ったの。けっこう使い勝手いいわよ。あたしなんか、これひとつかな。A4のファイルも入るし、着替えも入る。じょうぶで、取材に最高だし、普段使いにも小旅行にもぴったり」
彼女のバッグの中には、ちいさめのノートパソコンや、着替え、付箋紙だらけの宇宙船のパンフレット、ファイル、手帳などがぎっしりつめこまれている。
「買います!」
ルナは思わず叫んだ。
彼女は勇者を送り出すように、ルナの肩に手を置き、力強くうなずいた。
ルナは猛然と店内に飛び込み――やがて、ホクホク顔で、収穫物が入った紙袋を携えて出てきた。
「ジニーのマスコットもつけてもらっちゃった……」
ルナは上機嫌だった。
もともと、この宇宙船のさまざまな区画を巡ってみようと、野望を抱えていたルナだ。旅のおともができた感じだ。
お姉さんは、まだ店舗の外に立っていた。ルナは礼を言った。
「ありがとう。教えてもらわなかったら、あたし、もっと迷って、売り切れていたかも」
「ううん。いいの。まあ、確実にこれ、あしたには売り切れるって分かってるからね」
ほがらかに笑った女性は、「もらってよ」と、ルナの紙袋に、持っていた薄っぺらい冊子を押し込んだ。
「アニタさ~ん!! そろそろ次の区画いきましょう」
呼び声に、彼女は大きな声で返事をした。
「今行くー! じゃ、またね」
「う、うん!」
ルナに手を振って、アニタと呼ばれた彼女は威勢よく仲間のもとへ駆けだしていった。
手を振り返したあと、ルナは紙袋から、もらった冊子を取り出した。
「無料パンフレット?」
「宇宙―ソラ―」とタイトルされている。ルナはぺらぺらとめくった。中身は、船内の店舗の案内や、コラムなどが掲載された、よくある無料パンフレットだ。
「あっ!!」
ルナは、彼女が、「バッグは明日売り切れる」と言った意味が分かった。
パンフレットの特集は毬色の店舗で、ルナが今買ったバッグも、でかでかと写真入りで掲載されていたからだ。今配っていたということは、今日か明日中には、いろいろなところにこのパンフレットが置かれる。
たしかに、明日にはなくなっているかもしれない。
「ギリギリでした……」
ルナはつぶやいた。
「ルナ、なに買ったの」
ミシェルが不思議そうな顔で、ルナの持つ大きな紙袋を覗き込んだ。
ポーチを買いに来たのでは?
ルナは、ミシェルと好きなキャラクターが被っていなくて、本当によかったと思った。