325話 セパイローの果樹園 1
しかしながら、バンヴィは、勝手に星をつくるという違反を犯した神である。
だのに、年長の神たちは、バンヴィをとても心配し、宝物まで与えて旅路を見守ろうとしている。
バンヴィばかりが贔屓されすぎている。宝物も船も置いて、シカの姿のまま、哀れにここを去るべきだと、バンヴィに嫉妬した神々は訴えた。
夜の神アカラーは、死者を裁く神であったが、まだ裁判の神や、神々の調停をする神がいなかったので、彼らの仕事もしていた。
アカラーは、神々たちの訴えももっともだと思ったので、夜にバンヴィたちが船作りをするのを禁じた。
怒ったのは月の女神である。
可愛い妹の頼みをきいて、守っていた姉の面目は丸つぶれ。
顔がまん丸になるほど怒って、数日に一度、夫である夜の神のもとを去るだろうと言い残して、ほんとうにいなくなってしまった。
あわてたのは、妻を心から愛するアカラーだ。
ひたすらに謝り、やっと帰ってきてもらえた。
けれど、それから、月の女神が一日だけ夜をお留守にすることは、変わらなかった。
(マ・アース・ジャ・ハーナの神話/イエトキヤとバンヴィの船作り)
ルナたち一行は、そのまま浜辺で野営することにした。
ムーガ・ファファンの遺跡は目の前だし、バンビの遺跡到着に合わせて、一緒に向かおうということになったからだった。
“望めば”魚は取れたし、木の実もくだものも収穫できる。焚き火を起こして魚を焼きはじめ、収穫したキノコと野草でスープを作り始めたとき、ようやくミシェルが、
「これってもしかして、フツーにごはんが食べたいっていえば出て来たのでは?」
と言った。
スープの味を見ていたカザマがハッとした顔をし、サルーディーバまで真顔になった。
ミシェルの言葉とほぼ同時に、おいしそうな鮭定食がテーブルに現れ、ピエトとルシヤが口を開けた。
宇宙船に乗ったばかりのころ、ルナと二人だけだったときによく作ってくれた朝ごはんだ。真っ白いご飯にお味噌汁、ひじきの煮ものと手製のぬか漬けなんかが添えられた――。
「あたしの大好物!!」
ネコは飛びついた。
「そもそも、テーブルと椅子が出てくるんだから、食事だって出てくるよな……」
アズラエルも今気づいた顔をした。砂浜にあまり似つかわしくない、大きなダイニングテーブル。
だれだこれを欲しがったやつは。食器を並べていたクラウドとグレンの顔と言ったらない。
「では、リズンの鍋焼きうどん」
エーリヒの言葉とともに、テーブルにアツアツの鍋焼きうどんが現れた。ご丁寧に、器までリズンの名が刻印された特製である。たった今、リズンからテイクアウトしてきたような。
「じゃ、私は、ルナちゃんがつくってくれるトンカツ定食かな」
「あたし!!」
セルゲイの要望もかなえられた。ルナがつくっていない「ルナがつくった」トンカツ定食が現れた。
ニックが「前作ってもらった、ルナちゃんのお弁当がいい!」と叫んだ。
「俺、オムライス!」
「ジャーヤ・ライス!! あとラグバダの辛いスープ! エビ炒めも食べたい!」
「あっ俺も俺も!!」
こうなれば、ピエトもルシヤも遅れじと、好きな食べ物を連呼した。
「ではわたくし、ハンシックのトワエサラダとAランチ、カーダマーヴァの発酵酢パン、ニルギリのミルクティーでお願いします」
「まあミヒャエル!」
カザマはさっさと鍋から離脱した。サルーディーバは思わず大声を上げたが、アンジェリカが、「じゃあ、姉さんとあたしの分で、ハンシックのBランチふたつー!! L03のごはんでおねがいします! ズッカ・カレイのソテー追加! ダルダソーダつけて!!」と叫んだ。
「毎度あり!!」
シュナイクルがつくったわけではなかったが、ルシヤは盛大に返事を返した。
立派なテーブルをまえに立派な椅子に座って、それぞれが好物を平らげ、しまいにデザートとコーヒーまで喫したわけだが、カザマとサルーディーバがつくった汁物も、こんがり焼けた魚も、無駄にはならなかった。食欲旺盛な者どもが総じて消し去った。
一瞬で消えゆくさまは、まさに神の御業のようだった。
「この魚、美味いな! なんて魚だろう」
ルシヤは骨までボリボリ咀嚼しながら言った。
「じいちゃんがここにいたら、店で使うってぜったいいうぞ!」
「いういう。いうと思う」
ネコ科ミシェルも魚は旺盛に食った。そもそも「偉大なる青いネコ」がよく食べるので、ミシェルもなんだかおかしいくらいよく食べた。ZOOカードの世界にいるからだろうか。魂のほうに似てくる気がする。
そんな感じで、おなかがいっぱいになった彼らは、子どもから先にさっさと寝に入った。不思議なもので、みんな食べものは欲したが、だれも「お風呂」と言い出す者はいなかったのだ。
「変だな」
気づいたアズラエルが首を傾げた。彼は綺麗好きだ。任務でもなければ、必ず一日の終わりにシャワーは浴びたい。
「そんなに体が汚れていない気がするんだ」
「ここは、あの世とこの世の境目みたいなもんだからな」
アズラエルと対極のペリドットは言った。彼が不潔というわけではないが。
「なに? つまり、俺たちはあの世に片足突っ込んでるって?」
クラウドの苦笑まじりの言葉に、ペリドットは肩をすくめた。それが返事だ。
「生身のまま、ZOOカードの世界に入って長い。本当はあまりよくないんだがな。あと三日ほどで切り上げて帰りたいところなんだが……」
アズラエルはちょっぴりぞっとした。まだ、あの世にお邪魔する気はない。
「起きてると、ロクなことを考えねえ。俺は寝る。――ルゥ、本当に寝ないのか」
「うん」
アズラエルが聞くと、ルナは首を縦に振った。
ミシェルとピエト、ルシヤ、サルーディーバ、カザマは、すっかりテントの中でおやすみだ。大きなゲルは、ルシヤが望んだものだ。
時刻は午後十一時半。みんな寝たのに、ルナがめずらしく起きていた。
火の番は二時間交代だ。ペリドットとクラウドは、二時間後に起きて、ニックとグレンに交代する。
「寝てていいよ、ルナちゃん」
クラウドも言ったが、ルナは夜空を見上げた。
「うん――もうちょっと、起きてる」
「そうか。今日は満月だからな」
ペリドットが言った。クラウドも夜空を見上げた。気づかなかったが、月が出ている。毛布にくるまったときのルナのように、真ん丸だった。
「満月だと、なにかがあるのかい」
クラウドは聞いたが、それに対して答えは返ってこなかった。だが、すぐに理由は解明する。
ルナが焚き火を眺めながら、うつらうつらし始めたころ。日付も変わる頃合いだ――火を囲む人数が、いつのまにか四人になっていた。
「うわ!?」
一等先に気づいたのはクラウドで、自分の隣で火に当たっているウサギを見て驚いたのだった。
ルナは、ぱっちりと目が覚めた。
「うさこ」
増えていたのは、「月を眺める子ウサギ」だ。
「ちょっと、ルナを借りるわね」
「どこへ行くんだい」
クラウドの戸惑いもよそに、月を眺める子ウサギは、ルナの手を取って立ち上がった。
「ルナちゃんと君だけかい? 危なくないか。俺もついて……」
クラウドは腰を浮かしかけたが、浜辺の波打ち際に、とても大きな灰色オオカミが二頭いるのを見て、腰を落とした。
「ボディガードはいるようだな」
「気を付けて」
ペリドットがニッと笑って見送り、月を眺める子ウサギは、「ありがとう」と言って、ルナとともに消えた。
文字通り――かき消えた。
「――!?」
驚いたのは、クラウドだけだ。
ウサギとともに消えたはずのルナは、いつのまにか灰色オオカミの背に乗って、海を渡っていた。
「ちゃんと起きててくれたのね」
起こす手間が省けたわ、と月を眺める子ウサギは言った。
「なんとなく、うさこが来るような気がして」
夕食を終えたころ、すっかり世界は闇に満ちていて、ルナはキラキラした星空の真ん中に、月があるのに気づいたのだった。
「そうね。明日は満月だし」
月を眺める子ウサギも夜空を見上げた。
「今日じゃないの?」
「明日よ、満月は。少し欠けてるでしょう」
ルナは目を平たくして月を眺めてみたが、あまり違いが分からなかった。
「どこに行くの?」
「ついてからのお楽しみ――と言いたいところだけど」
オオカミの強靭な四本の足が、波を弾いて海面を走り抜けていく。来た道を戻っているようだ。
ルナたちが乗っているオオカミは、ゾウみたいに大きくて、しかもなんだか、とても高貴な感じがするのだった。二頭とも、胸には宝石と銀でできた見事なアクセサリーをつけているし、まるで馬のように鞍をつけていて、その飾りも豪華なものだった。
「“セパイローの果樹園”へ行くわ」
「セパイローの果樹園?」
オオカミたちの足はとても速かった。あっというまに昼間渡ってきた海を越え、セパイローの宮殿を横目に、生垣の迷路がある花畑にもどってきた。
「あそこよ」
「わあっ……!」
月を眺める子ウサギが差す方には、あまりにまばゆい光を放つ巨木があった。いや、巨木が光を放っているのではなく、巨木に生った実が光り輝いているのだった。
オオカミたちは、だいぶ離れた場所で止まった。
「ありがとう。おつかれさま」
月を眺める子ウサギが言うと、オオカミたちは、ルナたちを乗せたときのようになるべく低く伏せて、ふたりが降りやすいようにしてくれた。
「我らはあそこに入れませんので」
オオカミの片方が言った。
「ここでお待ちしております」
そういって、二頭とも、近くの川べりに水を飲みに行った。一気にここまで走ってきたのだ。喉が渇いただろう。
「さ、ルナ、行くわよ」
月を眺める子ウサギに促されて、遠目に見える巨木のほうに向くと、突然、真白い扉と、白い生垣が、姿を現し始めた。
地中から、龍のうろこにも見える壁が、にょきにょきと這いあがり、白木の生垣に変容していく。生垣は、果樹園を囲むように――ぐるりと大きく、巨木を中心にした世界を囲んでいく。
生垣は、そんなに高くはない。小さなルナでも向こうが見える。
一見すれば、扉なんか開かなくても、生垣をまたいで超えれば中に入れるかのように見えるのだが、とてもではないが、簡単には入れないような気もするのだった。まるで、分厚い壁に阻まれているかのように。
ルナがやっぱり、ずっと向こうに見える巨木に目を奪われていると。
真白い扉が、ゆっくりと開いた。
「これはこれは、月を眺める子ウサギさま」
扉の向こうにいたのは、ものすごく高貴な顔をした白ツルだった。白ツルは、ルナと月を眺める子ウサギを、果樹園の中に招いた。
まったく音をさせず、ルナの後ろで、扉が静かに閉まった。




